ゴブリンのねぐら
準備ができ次第、私はすぐに村を出て、ゴブリンのねぐらである洞窟に向かった。
村を出て、森の中をしばらく歩くと、やがて木々がまばらとなり、目的の断崖が見えてくる。
その切り立った高い崖の、地面と接する部分には、巨大な何かで穿たれたような、ぽっかりとした大穴が開いていた。
その、まさしく洞窟の入り口という具合の大穴の前では、一体のゴブリンが座り込み、武器を横の地面に置いて、大きなあくびをしている。
私はそれを、少し離れた位置にある大木の幹の陰から、こっそりと覗いていた。
時刻はもう間もなく、夕日が山間に沈み切る頃。
暗くなり始めた世界は、私に焦りを覚えさせる。
村で聞いた話によると、夜の時間は、ゴブリンたち闇の種族の時間なのだという。
夜になれば、やつらは活性化する。
もっともそれは、人間が昼間のほうが活動的だというのと同じぐらいの意味であって、さほど大きな違いにはならないらしいけど。
世の中には夜行性で朝日を浴びると溶けると言い出す人類もいるぐらいだから、そんなに気にする必要はないのかもしれない。
「さて……」
私は背負ってきた布袋を地面に降ろしてから、その中身を物色する。
村の人たちに協力してもらって、使えそうなものをありったけ詰めて持ってきたのだ。
もちろん袋そのものも借り物。
私はその中から、小型の弓と、十数本の矢が入った筒を取り出す。
弓の大きさは、地面に立てると私のお腹か胸ぐらいまである感じ。
この弓は村の狩人から借りてきたもので、本来はウサギなどの小動物か、小さめのイノシシ、あるいはシカなどの動物を相手に使うものらしい。
それだけに、戦闘用の武器としての攻撃力はさほどでもないけど、ゴブリン相手に使うには十分だと思う。
私は弦の張りを確かめて、問題なく使えることを確認すると、その弓に矢をつがえ、狙いを絞る。
狙うはもちろん、洞窟の前であくびをしている、あのゴブリンだ。
ちなみに、私が弓道部だったというような事実はないし、そもそも元の世界で弓を触った経験なんて一度もないけど、弓矢の扱い方は何となく分かった。
そして、目標から二十メートルほどというこの距離からなら、狙いを外すこともないだろうとどこか確信していた。
「──っ!」
矢を放つ。
バンという弦がはじかれる音とともに放たれた矢は、ひゅるると飛んでゆき、鈍い音を立ててゴブリンの首を貫いた。
首に矢を受けたゴブリンは、「ぐぎゃっ」と小さな悲鳴をあげ、座った状態から、ばたんと後ろに倒れた。
そしてそのまま、動かなくなる。
「よし」
私は弓矢を袋にしまって、再び袋を背負う。
そしてなるべく物音を立てないように、洞窟の入り口へと忍び歩きで近付く。
すると、その途中。
倒れたゴブリンの体が、パッと黒い霧のようになって、消え去ってしまった。
あとに残るのは、例のエメラルド色の宝石──確か、魔石とかいったっけ。
私は洞窟の入り口付近までたどり着くと、その魔石を拾ってポケットにしまい、ゴブリンの武器は拾って遠くへ投げ捨てる。
それから洞窟の入り口の脇に張り付いて、洞窟の中を覗き込んだ。
洞窟はトンネル状になって、奥に続いていた。
トンネルは、天井までの高さが私の身長の倍近くもあって、横の幅も同じぐらいある。
天然の洞窟だけに、まっすぐじゃなくて、うねうねと曲がりくねりながら奥に進んでいる。
そして、洞窟の外も暗くなってきているけど、洞窟の奥はもっと真っ暗で、先のほうはまったく見えなかった。
聞いた話によると、ゴブリンは、暗視能力──つまり、暗闇の中でも見通せる目を持っているらしい。
暗闇の中では、こっちが一方的に不利なだけだ。
私は再び背中の袋を降ろして、その中から必要な道具を探し出す。
「あった」
たいまつ。
細い木の枝を何本か組んで、それの先っぽに油をしみ込ませた布を巻いて作られた道具だ。
それから、火を起こすための道具セット。ほくち箱というらしい。
一式入った小さな箱から、炭みたいになった綿をちょびっと取り出して、専用の石の上に乗せ、それと付属の金属とをカッカッと打ち合わせたら、火種ができた。
それをもじゃもじゃの麻の塊で包むと、しばらくすると小さな炎があがる。
私はそれを、たいまつに移して、火は消した。
ちなみに、例によってサバイバル経験なんてないけど、何となくやり方が分かった。
勇者ってすごい。
そうしてから、私はもうもうと燃え上がるたいまつを一旦地面に置いて、ほくち箱を袋にしまう。
それから、袋の中からポーチ的なサイズの小さな布袋を取り出して、そこにいくつかの物を詰め込んでから、その小袋を紐で腰回りにくくって身につけた。
背負っていた大きな袋はそのまま洞窟の入り口のところに置いて、たいまつを左手に持つ。
たいまつの炎は、地面に置いたぐらいじゃ消えない。
あと、袋とは別にロープで縛って背負っていた槍を手に取って、右手に持つ。
この槍ももちろん村の人から借りてきたもので、長さは私の背丈と同じぐらいあった。
ゴブリン相手なら、徒手空拳でも一撃で倒せるんだから、武器はいらないと思うかもしれない。
でも、武器の長さ──リーチがあるっていうのはそれだけで有利で、相手を近付けないまま攻撃することだってできるかもしれない。
それに、いざというときには、投げて使うこともできる。
持っているに越したことはないと思う。
「さてと……」
準備はできた。
私は、左手に燃え盛るたいまつ、右手に槍という装備で、洞窟の中へと足を踏み入れてゆく。
ぐねぐねとしたトンネル状の洞窟を進んで行く。
洞窟の壁面から、湿った土のにおいが漂ってくる。
それ自体は不快なにおいじゃないけど、それに入り混じって、別の不快臭が私の嗅覚を攻めてくる。
これ、ゴブリンのにおいかな……汗臭さと腐ったにおいが混じったような、とにかく気持ち悪いにおいだった。
それに加えて、洞窟内の生暖かい空気の気持ち悪さも相まって、長居はしたくない場所だった。
さっさと終わらせて、早く帰りたい。
そう気は急くのだけど、それで慎重さを欠いてしまったら、失敗の原因になるかもしれない。
しょうがないので、不快感を何とか我慢しながら、慎重に進んでゆく。
そうしてしばらく進むと、辺りはもう、たいまつの灯りなしでは何も見えないという真っ暗闇の世界になっていた。
たいまつの炎が照らす周囲十メートルほどの景色だけが色付いて見えて、それより遠くは、前も後ろも暗黒一色っていう感じ。
心細さを感じる。
世界にたった一人、私だけがここに存在しているような、そんな感覚。
ここに来るにあたって、リリムも村に置いてきたから、実際に味方はいない。
頼れるのは私自身だけだ。
たいまつの炎が揺らめく。
これが消えたら、一巻の終わりという気がする。
しまった、予備のたいまつ持ってくるべきだった……なんて、そんな他愛もない後悔が、頭をよぎる。
村の人の話では、火をつけたたいまつは、一時間ぐらいは燃え続けるらしい。
だったらその間にケリをつければいい。
でも慌てるな、落ち着け。
そんなぐるぐるとしたやり取りを頭の中で繰り返しながら、洞窟のトンネルを進んでゆく。
そうして洞窟を進んでいると、やがてトンネルの幅が広がり、ちょっとした部屋のようになった場所に出た。
そしてそこに──三体のゴブリンを見つけた。