もうお家に帰りたい勇者
ゴブリンたちから助けた女の子は、ティナと名乗った。
そしてティナは、お礼がしたいと言って、是非とも自分たちの住んでいる村まで来てほしいと言ってきた。
断る理由はなかった。
今更、ティナやリリムを本当は悪党かもしれないなんて思ってもしょうがないし、何よりも、すべてを疑っていたら何もできなくなってしまう。
……それにしても、怪我の功名というか何というか、ゴブリンにお腹を切られて、私も少し腹が据わった。
どうしたらいいとか、どうするべきとか、そんなことは置いておいて、いざとなったらどうするかは、自分で決めるしかないんだ。
それで何か良くないことが起こっても、もうそれは、そのときそのときで何とかするしかない。
そう思ったら、随分と気が楽になった。
ゴブリンという生き物を殺したことも、もうそういうものだと思って割り切った。
この世界の出来事には、そうでもしていかないと対応できないような気がした。
そんなことを考えながら、ゴブリンの死体に目を落とすと──
「──って、あれ?」
あるはずの場所に、あるはずの死体がなかった。
ゴブリンの死体があるはずの場所には、ゴブリンが身につけていた布切れと、手にしていた錆びた武器、それに小さなエメラルド色の宝石だけが落っこちていた。
私が宝石を拾って不思議そうに眺めていると、リリムが飛んできて、教えてくれた。
「それは『魔石』って言って、モンスターを倒すと落とすんだ。大きな街に持っていけば、買い取ってもらえるはずだよ」
「……ふぅん」
私はその魔石を二つと、ゴブリンが持っていた錆びた武器二つを拾ってから、ティナに連れられてその場をあとにした。
武器を拾ったときの私が考えてたことは、私はもっと、たくましくならないとダメだということだった。
使えるものは何でも使うべし、と思ったわけで。
その後、私はティナに連れられ、森の中の小道を歩いた。
私は村に着くまでの間に、リリムに素性を尋ねてみた。
「えっ、ボクが何者かって? 何者……何者って説明したらいいんだろうな……うーん……」
リリムは空中で腕を組み、考え込んで呻いた。
その間にも羽は動き、空中を移動しているんだから、器用なものだと思う。
「えっとね、ボクたちの一族は、勇者様の水先案内人をする役割を負っているんだ。今回あの場所に、勇者様が現れるっていうお告げがあったから、ボクはあの場に向かった。そしてシアが現れるのを待っていたんだ」
「ふぅん……」
私一人のために、随分大層な話だなと思った。
でも、あの場にリリムがいなかったら、私は確実に途方に暮れていたから、ありがたい話だとも思う。
リリムはさらに、こんな話を付け加える。
「でもボクたちの一族には、絶対に守らなければいけない掟が一つあるんだ。──それは、勇者様の行動を、ボクたちが決めてはいけないっていうこと。ボクの役目は、あくまでも勇者様に情報を渡して、勇者様のサポートをすること。それを受けて勇者様がどうするかは、勇者様が決めなきゃいけないんだ」
「なるほど。それでずっと、どうするの、どうするのって聞いてきたんだ」
「うん。……ごめんね、鬱陶しかった?」
「いいよ。そういう事情があるんじゃ、しょうがないし」
変な掟だなと思ったけど、同時に私は、そういうことなら、リリムのことは信用しても良さそうだなと感じていた。
まあ、今更の話ではあるけど、保留から信用に変わったのは、わりと大きい。
「……でも、シア。何だか最初に見たときと、随分雰囲気変わったね」
「そう思う?」
「うん。なんか、最初の頃は随分おどおどしてると思ったけど、今はサバサバしたっていうか、頼もしくなった感じ」
「どうだろうね。良いことなのか悪いことなのか」
リリムと二人、そんなことを話しながら、森の中を進む。
すると、先導していたティナが、立ち止まって振り向いた。
「着きました。あれが私たちの住んでいる村です」
そう言って、森の出口へと駆けだしてゆくティナ。
私はリリムと一緒に、そのあとを追いかける。
──森を抜けると、すぐ目の前に、村の姿があった。
木の柵で囲まれた広大な範囲の中に、麦畑と牧草地が広がっていた。
牧草地では、牛や羊がおいしそうに草を食んでいる。
麦畑でも牧草地でもない畑では、農夫らしきおじさんが、馬に原始的な機械を曳かせて土を耕していた。
そしてそれらの農耕地の合い間に、ぽつんぽつんと家屋が建っている。
家の数は、村全体でも三十軒に満たないぐらい。
気が付くと、時刻はもう夕方のようで、遠くの山間に沈もうとする赤い夕陽が、空と風景を綺麗な朱色に染め上げていた。
私はティナに連れられ、村へと入ってゆく。
ティナが、少し遠くで畑を耕している農夫のおじさんに、大声で挨拶をする。
私はどうしていいか分からず、その後ろでぺこりと頭を下げておいた。
すると──畑を耕していた農夫のおじさんが、こっちを見て慌てて駆け寄ってきた。
「おお、ティナちゃん、無事だったか! 村長が心配しているよ。早く家に帰って、無事な姿を見せてやりなさい」
「う、うん。……あれ? でもどうして、私がゴブリンに襲われたことを、村のみんなが知っているの?」
ティナがそう聞くと、農夫のおじさんは驚いた顔をして、ティナの肩をつかんできた。
「なに!? ティナちゃんもゴブリンに襲われたのか! それで、そのゴブリンはどうした!?」
「あ、えっと、こちらの勇者様が、退治してくれて……」
ティナが農夫のおじさんに私を紹介したので、私はぺこっと頭を下げる。
すると農夫のおじさんは目を見開いて、私のほうをまじまじと見てきた。
「おお、この方が、勇者様なのか……! 道理で変な格好をしていると」
ティナと同じこと言ったよね、このおじさん。
まあ、こんな服装を見たことがないんなら、しょうがないんだろうけど。
「でも勇者様、そのお腹の血は……怪我をされておるのですか?」
農夫のおじさんは、私のセーラー服の脇腹部分、血に染まった箇所に目を落として、そう聞いてくる。
服についた血は、時間が経って少し赤黒くなって、固まってきていた。
「あ、いえ。もう魔法で治したので、大丈夫です。ご心配なく」
私が愛想笑いとともにそう返すと、おじさんは驚いた顔を見せる。
「おお、魔法で! さすがは勇者様です」
またおだてられた。
やめてほしいな……私、おだてられると木に登っちゃう犬みたいなタイプだって自覚あるし……。
でもなあ、うーん。
傷を魔法で癒せたのはいいけど、この服とか手についた血は、早く洗い流したいな。
ていうか、服は洗濯して、私はお風呂に入ってさっぱりしたい。
でも、この世界にお風呂ってあるんだろうか。
そのあたりまで考えて──そこで、私は大事なことに思い至った。
こんな大事なことを、今に至るまで、考えもしていなかった。
私はリリムに、その質問をぶつける。
「ねぇ、リリム……私って、元の世界に帰れるの?」
勢いに流されて、そんな大事なことを失念していた。
私はこの世界に、勇者として召喚された。
その私は、どうすれば元の世界に帰れるのか。
何ならもう、家に帰って、お風呂に入って、自分の部屋でベッドに寝転がってごろごろしたい。
最初は楽しかったけど、冒険はもうこのぐらいでいいやって思ってきている。
でもリリムは、私の前で首を横に振る。
「……ごめん、それはボクも分からない。ボクの口からはっきり言えるのは、勇者は何らかの役割があって、この世界に召喚されたっていうこと。それと、その役割を完遂すれば、元の世界に帰れるっていうこと。……ボクたちの一族に伝えられているのは、それだけなんだ」
えっと、それは……。
「つまり──今のままじゃ、私は元の世界には、帰れないってこと?」
私がそう聞くと、リリムはこくんとうなずく。
それを受けて私は、途方に暮れてしまった。
帰れない──元の世界に、帰れない。
どうする。……どうしよう。
勇者として召喚された私には、何らかの役割がある。
その役割を果たせば、きっと元の世界に帰れる。
逆に言うと、それまではずっと、この世界で暮らしていかなきゃいけないってことだ。
本当に、途方に暮れる。
「はぁー……って、落ち込んでても、しょうがないよね」
自然に漏れたため息をカバーすべく、自分に喝を入れる言葉を口にする。
落ち込んでいたって、家に帰れるわけじゃない。
そんなことをしているぐらいなら、少しでも前向きに何かをしていたほうが、お家に帰れる日が近付くっていうものだろう。
それに、そんなに元の世界に帰りたいかって聞かれたら……微妙だし。
元の世界に帰ったら、私はただの人。
この世界でなら、私は勇者。
いやらしい話だけど、自分が特別な存在でいられるこの世界のほうが、気分はいい。
だったらもうしばらく、この世界に居座ったっていいだろうって思う。
それに、私は勇者なんだから、少しは勇者らしくしないとね。
家に帰れないからって落ち込む勇者なんて、カッコ悪くてしょうがない。
そうと決まれば、人助けだ。
勇者らしくっていうなら、人助けをするのが、一番勇者らしい気がする。
そう思った私は、気持ちを切り替えて、農夫のおじさんに聞く。
「あの、おじさん。さっき、ゴブリンに襲われたの、『ティナも』って言ってましたよね。ほかにもゴブリンに襲われた人がいるんですか?」
すると私のその質問に、おじさんは浮かない顔を見せる。
「ええ、そうなのです。村の子どもが、近くの森で遊んでいたときに、ゴブリンに襲われて……詳しいことは、村長が知っているはずです。──ティナちゃん、勇者様を、村長のところまで案内してやってくれ」
ティナはこくっとうなずくと、「勇者様、こっちです」と言って、村の道を先導して歩き出す。
私は農夫のおじさんに控えめに一礼してから、ティナのあとをついて行く。