大怪獣v.s.勇者
私が船の看板の上で、弓を構えてしばらく待っていると、遠くにあった海中の黒い影が、ぐんぐんと近付いてきた。
近くなるにつれて、その黒い影の巨大さを、否応なく認識させられることになった。
いま私たちが乗っている船そのものと同じぐらい大きい黒い影が、海の中から迫ってくる。
私は甲板のへりに立って海を見ながら、近付いてくるその巨大な姿に息をのむ。
あの大きさのものを相手にしろとか、どう考えてもむちゃくちゃだ。
でもやるしかないし、大賢者って呼ばれているジェラルドさんがやれるっていうなら、それを信じて全力で挑むだけだ。
そうしていると、ついに巨大な黒い影は、私たちの乗っている船のすぐ近くまでやってきた。
すぐ近くっていうのがどのぐらい近くかというと、船体一個分ぐらいの距離。
弓矢を撃ち込もうかどうか迷って、背負った矢筒の矢を一本、手にかける。
でも海中に向かって矢を撃っても、あまり意味はない気がする。
すると私が迷っているうちに、海中から黒い影がにょろにょろと伸びてきた。
そして海面を割ってざばっと、巨大なイカの触手が出てきて、私のほうに向かってきた。
「うわっと!」
私は大きくバックステップして、それを回避する。
びたーんと、触手の先っぽが、船の甲板のへりを叩いた。
船の甲板は、触手が叩いた瞬間にうっすらと淡い光を発して、その触手をはじき返した。
船が少しだけ揺れるけど、大事はない。
ジェラルドさんがかけていた魔法の効果だと思う。
さすが大賢者って呼ばれるだけのことはある。すごい。
触手は、甲板に這い上がったような姿勢でうねうねする。
まあ触手って言っても、太さが私の胴回りと同じぐらいある巨大触手なもんだから、ほとんど丸太みたいなものだ。
うねうね曲がりくねって、片面にびっしり吸盤のついた丸太。
ついでに言うと、海水抜きにしてもぬらぬらとした粘液みたいなものに覆われている模様。
端的に言って、大変に気持ち悪い。
「こっち……来んな!」
私はその触手めがけて、弓を引き絞り、矢を放つ。
ジェラルドさんが私にかけてきたハチミツは、うまいこと武器類にはかかっておらず、まったく正常に機能するあたりが何だか微妙に腹立たしい。
一方、対する丸太のような触手は、ちょうど嗅覚で私を見つけたのか、先端部をもたげて私のほうに向かってこようとするところだった。
そこに、私が放った矢が炸裂した。
バシュッと、触手の一部が弾けるように飛び散った。
剛弓から放たれた矢は、触手の端っこを引きちぎり、そこに風穴を開けて貫通。
矢はそのまま、ずっと遠くの海に落ちたみたいだった。
──ギュオオオオオオオッ!
海の底から、どう表現したらいいのか分からないようなすさまじい鳴き声が、響き渡る。
すると触手が一旦、海の中に戻ってゆく。
そうしてから──ずももももっという様子で、本体が海中から姿を現した。
飛んできた水しぶきが、ばたばたと船の甲板を叩く。
水しぶきといっても、雨で例えるなら霧雨じゃなく、どしゃ降りの雨だ。
「いやあ、やっぱ現物はでかいなぁ。間近で見ると迫力が違う」
私の後ろで、ジェラルドさんがそれを見上げながら、のん気な感想を口にする。
でも一方の私は、気が気じゃなかった。
その巨大なシルエットは、太陽を背にして私たちの前に立ちはだかっていた。
船から見ると横手側に出現したそれは、海から船の甲板を横切る形で、巨大な影を落としている。
まあ、その姿は端的に言うと、巨大なイカだ。
でもその巨大さが半端じゃない。
触手が海中だから十階建てのビルまではないけど、それでも五階建てのビルを見上げているようなもの。
「向こうが示威行動で、海上に姿を現している間がチャンスだ。やっちゃって、シアちゃん」
「分かってます! 言われなくたって!」
私はその巨大なイカ──クラーケンの本体めがけて、弓を弾き絞り、矢を放つ。
バンという弦の音とともに、矢は唸りをあげて、クラーケンの片方の目玉に直撃した。
──ギャオオオオオオオオッ!
クラーケンが悲鳴をあげ、その巨体がよろける。
矢はさすがに、本体まで貫通というわけにはいかなかったけど、矢じりの根元まで深々と突き刺さって、着実にダメージをいるのが分かった。
だったらもう、あとは連射するだけだ。
私は背中の矢筒から次々と矢を取り出し、第二射、第三射と放ってゆく。
私が放つ矢がクラーケンの胴体に深々と突き刺さるたび、クラーケンは悲鳴をあげてよろける。
そしてそこに、ジェラルドさんも追撃をかける。
「轟く雷よ、疾く迸り、我が敵を貫け──ライトニングボルト!」
ジェラルドさんが掲げた杖の先から、一条の稲妻が奔った。
ゴォンッ! という、耳をつんざくような音とともに閃光を放ちつつ、稲妻はクラーケンの本体を貫く。
スパークする電撃が、クラーケンの全身をバチバチと走る。
そしてジュウッと、焼け焦げたような音と匂いが漂う。
でも──
「──グギャォオオオオオオオオオッ!」
クラーケンはなおも倒れず。
むしろ触手を一斉に海上に持ち上げて、怒り狂ったようにそれを振り回し、攻撃してきた。
その一振りが、ジェラルドさんを直撃した。
バヂィッっと激しい音がして、ジェラルドさんが転げた。
「あ痛たたた……や、どうにもタフだね、やっこさん」
触手の攻撃の直撃時に、魔法の障壁みたいなものが、ジェラルドさんを守っていた。
衝撃の余波で転げた程度で、大事はなさそう。
一方、船もガンガンと触手の攻撃を受けていた。
見れば、それを受け止める魔法の障壁に、ヒビのようなほつれが見え始めている。
船の揺れも、転覆するようなほどではないにせよ、だいぶ大きくなってきていた。
で、何より、ハチミツをかぶった本命の私はというと──
「うわっ、うわっひゃあああああああっ!?」
身体能力を駆使して跳び回り、触手に手をつき、身を翻してといった動きでどうにか襲い来る触手をよけていたけど、何しろ襲い掛かってくる触手の数が多い。
そのうち、よけきれなくなった触手の一本に、胴を巻きつかれてしまった。
「あっ、くっ……こ、このっ……!」
ぬめっとした太い触手に、私の腕を巻き込んで絡み取られ、締め上げられる。
でもその力は、思ったほどじゃなかった。
「んぎぎっ……! このぐらい……抜けれるわぁっ!」
ジェラルドさんがかけてくれた、筋力増強の魔法の効果もあったんだろう。
私はそこから力づくで抜け出して、右手で足元にあった大剣を拾う。
一方、左手に持っていた弓は、一度放り出した。
「こんのぉっ!」
そして両手で振り上げた大剣を、思いきり振り下ろした。
その先には一振りの触手があり、それを真っ二つにぶった斬った。
勢いあまって、少し甲板の魔法障壁に食い込んでしまったけど、そこは許してほしい。
千切られた先の触手は、本体から切り離されたあとも、びちびちと甲板の上で跳ねまわっていた。
気持ち悪い。
でもそんなものを気にしている場合でもない。
ほかの触手が、一斉に私に襲い掛かってきた。
「うううううりゃああああああっ!」
私は大剣を、めっぽうに振り回す。
ぶんぶんと猛烈な勢いで振り回すさまは、我ながら、ほとんど扇風機だ。
もちろん闇雲に振り回しているわけでもなく、私に襲い掛かってくる触手を狙って切り飛ばしている。
しばらくすると、甲板の上は輪切りになった巨大触手が、たくさんうごめく状態になっていた。
気持ち悪い。でも知ったことか。
「はあっ、はあっ……ど、どうだ、まだ来る……?」
その頃になると、触手も私に襲い掛かるのをためらい、海上でうねうね動き回るだけになっていた。
そりゃそうだ。襲い掛かった分だけ先っぽを輪切りにされて、短くなる一方なんだから。
そしてその間にも、ジェラルドさんから何発かの稲妻がクラーケンの本体に打ち込まれ、クラーケンは確かに弱ってきていた。
私はちらと、足元の弓に視線を向ける。
いま必要なのは遠距離攻撃。
でも、また触手が襲ってきたときのために、大剣は手放したくない。
だったら──
私は左手に大剣を持ったまま、右手で、足元に沢山転がった槍を拾う。
そしてそれを──
「てやあああっ!」
振りかぶり、クラーケンの本体めがけて思いきり投げつけた。
まっすぐ飛んで行った槍は、船体一個分先の位置にいるクラーケンの本体に、どすっと突き刺さる。
クラーケンが悲鳴をあげてよろける。
弓矢と比べて深くは刺さらないけど、太い分だけ傷口は大きい。
私はさらに、槍を拾っては投げてを繰り返した。
何本もの槍が、次々とクラーケンの胴体に突き刺さってゆく。
そのたびに、クラーケンが悲鳴をあげ、弱ってゆく。
すると、やがて投げる槍がなくなった頃には、クラーケンはぶくぶくと海中に沈み始めた。
──逃げるつもりか。
そうはさせるか!
「凍てつく槍よ、我が敵を穿て──アイシクルシュート!」
「疾く迸れ──ライトニングボルト!」
私が放った氷の魔法と、ジェラルドさんが放った雷の魔法が、沈んでゆこうとするクラーケンの本体に同時に直撃。
そしてそれが、トドメになったみたいだった。
ゆらゆらとうごめいていた触手たちは、一斉に力を失い、海の中にどぼんどぼんと沈んだ。
そして本体ともども、ぷかーっと水面に浮かんだ状態で、動かなくなった。
さらに少しすると、クラーケンの本体が黒い霧に変わり、霧散してゆく。
甲板上で動かなくなっていた輪切りの触手たちも、同じように消え去っていった。
「おっと、ありゃもったいない」
ジェラルドさんは呪文を唱え、クラーケンの本体が残した大きな宝石を、海に沈む前に空中で引き寄せる。
そしてそれを自分の手に取ると、ほいっと私に渡してきた。
「お疲れ様、シアちゃん」
そんな風にねぎらってくれたけど、私は騙されない。
ジト目でジェラルドさんを睨みつけつつ、言ってやる。
「ジェラルドさん、恨みますからね。私のこと、百回褒めてくれるまで許しません」
「えっ」
私はあっかんべーと舌を出して、ぷんすかしながらジェラルドさんの前から離れた。
チラッと見ると、取り残されたジェラルドさんは困ったように頭をかいていたけど、いい気味だと思った。
ばーかばーか!
ジェラルドさんのばーか!




