人間追いつめられると何するか分からないっていう
「──きゃああああああっ!」
その悲鳴は、森の木々の間をエコーしながら伝わってきて、私のもとにたどり着いた。
でもそれは、かなり遠くから聞こえてきたようで、どうにか聞こえるギリギリぐらいの声だった。
「い、今のは……?」
「分からない。けど、声は向こうのほうから聞こえてきたと思う。──どうする、シア?」
私の前を浮かぶリリムが、一つの方向を指し示す。
そっちには、森の木々の間をどうにか縫って進んだような、頼りない小道が続いていた。
「どうするって言ったって……そっちに向かっていけばいいの?」
「それを決めるのはシアだよ。シアは勇者なんだ。シアがどうするかは、シアが決めるんだ」
「そんなこと、言われても……」
どうしたらいいか、分からない。
私は勇者なんだから、勇者らしく行動すればいい……のかな?
「じゃあ……声のしたほうに、向かう……?」
「なんで疑問形なんだよ」
「じゃ、じゃあ、向かう。……うん、向かう」
「わかった、だったら急ごう! もたもたしてると、手遅れになるかもしれない」
「う、うん、分かった」
私は、声のした方角に向かって飛んでゆくリリムのあとを、走って追いかける。
これでいいのかな、合ってるのかな、などと思いながら、それでも体だけは、軽やかに木々の間を駆け抜けた。
少し走ると、現場にたどり着いた。
一分とは言わないまでも、数十秒は全速で走った気がするけど、特に息切れもしなかった。
脚力や腕力だけじゃなく、心肺機能とかを含めた持久力も、どうやら普通じゃないみたい。
さておき、現場だ。
私たちがたどり着いたとき、そこでは、絵に描いたようなピンチな出来事が起こっていた。
少し開けたその場所では、村娘風の格好をした少女が一人、三体の別の生き物に取り囲まれて、腰を抜かしていた。
木の実の入ったカゴが、彼女のすぐ後ろの地面に、中身をばらまきつつ転がっている。
少女の年の頃は、多分私と同い年か、あるいはそれより少し下ぐらいだと思う。
褐色の髪と同色の瞳は、どう見ても日本人じゃない。西洋系の綺麗な色合いだった。
一方、彼女を取り囲んでいる生き物たちはというと、広い意味で人型ではあるものの、人間とは大きくかけ離れた姿をしていた。
子どもぐらいの背丈の、人型の怪物というのがしっくりくる。
その怪物は、厳密には私の胸ぐらいまでの背丈で、くすんだ緑色の肌をしていた。
身に着けている衣類は、ボロボロの腰布一枚だけ。
顔は醜悪。
鼻はずんぐりと長く、口は大きく裂け、耳はとがっている。
腕や脚は異様なほどに細く骨ばっていて、その手には錆びて赤茶けた武器──刃物が握られている。
その刃物は、包丁よりも少し大きいぐらいのもので、先端は鋭利に尖っていた。
「あの怪物はゴブリンだよ! 人間族や、ボクたち妖精族みたいな光の種族と対立する、闇の種族の尖兵なんだ!」
リリムが私に向かって、必死にそう訴えかけてくる。
私はそれを聞いて、逆に不安になった。
えっと……私、リリムの言うことを、一方的に信じていいんだろうか。
そもそもリリムって何者なんだろう。
ひょっとしたら、リリムやあの村娘っぽい女の子のほうが悪いやつで、あのゴブリンっていうののほうが、善い生き物なのかもしれない。
……いや、それは多分ないと思うけど、ひょっとしたら、もしかして、そういうこともあるかもしれない。
私がそうして戸惑っていると、三体のゴブリンたちが、私の登場に気付いた。
ゴブリンたちは、「キキッ、キキッ、キッ」というような声をあげて、互いにコミュニケーションをとっているようだった。
一方、少女のほうも私に気付いて、「あっ、あのっ、た、助けっ……」などと声をかけてくる。
腰を抜かした彼女は、どうやら動けないみたいだった。
ちなみにだけど、彼女やリリムの発する言葉は、私には日本語として聞こえている。
でもどうやら、やっぱり違うみたいだと確信する。
おそらく彼女らが喋っているのは、日本語じゃない。
彼女らの言葉が、何か不可視の翻訳機のようなものを通して、日本語に通訳されて私に聞こえているような感じがする。
実際、彼女らの口の動きと、私に聞こえてくる言葉とは、全然食い違っている。
日本語に吹き替えされた映画を見ているような感じ、とでも言えばいいか。
ひょっとすると、というか多分、私の言葉もこの現地の言葉に翻訳されて彼らに伝わっているんだろう。
だとしたら、私の言葉が彼女たちにはどんな風に聞こえているのか、ちょっと気になる。
でも一方で、ゴブリンたちの言葉は、私には分からない。
その辺もどうなっているのかよく分からないけど──でも、少なくとも今は、そんなことを考えている場合じゃないよねって思う。
「ねえ、シア、どうするの? このままじゃ、あの人間の子が……!」
リリムが忙しなく、私の周りを飛び回っている。
そうだ、この状況を、早く何とかしないと。
でも、何とかするって言ったって、どうしたらいいのか。
私が勇者なら、あのゴブリンっていうのを退治して、女の子を助ければいいの?
でも、そもそも闇雲に戦いを挑んで、勝てるんだろうか。
だって私だよ?
いくら身体能力が上がっているからって、喧嘩一つまともにしたことのない私に、ヒーローの真似事をして怪物を倒すことなんてできるんだろうか。
それに、頭数と武器の問題もある。
私は一人で、ゴブリンは三体。
私は素手で、ゴブリンたちは刃物を持っている。
……いや、ヤバいでしょ、どう考えても。
でもだとしたら、どうしたら……。
すると、そんな風に私が迷っているうちに、ゴブリンたちのほうが先に動いた。
三体のうち、一体が女の子を見張りつつ、もう二体が私のほうに向かって歩み寄ってきた。
私とゴブリンたちと距離は、十メートルあるかないかぐらい。
二体のゴブリンは、その顔に怖気のするニヤニヤ笑いを浮かべながら、刃物をひけらかしつつ、少しずつ近付いてくる。
一方の女の子のほうはと見ると、目の前で刃物をチラつかせるゴブリンに怯えて、ガタガタと震えて動けずにいるようだった。
じりじりと近寄ってくるゴブリンを見ながら、いやいやをするように首を横に振っている。
──ダメだ。
どうしたらいいかなんて、迷ってる場合じゃない。
私は意を決して、向かってくる二体のゴブリンに向かって、だっと駆け出した。
それを見たゴブリンたちが、「キキッ」っと慌てて、身構える。
「──はあああああっ!」
もう破れかぶれだった。
私はバトル系のアニメの真似をして、ゴブリンのうち一体に向かって、回し蹴りを放った。
すると──事は、思ったよりも簡単だった。
いや、むしろ簡単すぎた。
ゴブリンの「グギャッ」という悲鳴があがった。
スカートを翻して放った私の素人キックは、狙ったゴブリンの横っ腹を見事に捉えた。
ボギギッと、ゴブリンのあばらの骨が折れたような感触。
同時に、ゴブリンの小さな体が、横方向に吹き飛んだ。
吹き飛んだゴブリンの体は、緩やかな放物線を描いて、近くの木の幹に頭からぶつかる。
ゴブリンの首が不自然に曲がって、ゴブリンはそのままぐしゃりと地面に落っこちた。
木の幹の、頭がぶつかった部分に、緑色の血みたいなものがどろっとついた。
「あっ……」
それを見て、私は蹴りを放った姿勢のまま、放心する。
うそ……私が蹴っただけで、あんな風になるの……?
一方、もう一体のゴブリンは、仲間の姿を見て一瞬ひるんだみたいだった。
でもすぐに気を取り直して、私のお腹めがけて、刃物を突き出してきた。
「──っ!?」
放心していた私は、少し反応が遅れた。
躱そうとしたけど、完全には間に合わなかった。
ぶしゅっと、私の左の脇腹が浅く切り裂かれた。
血が噴き出た。
それで私は、頭に血がのぼった。
「──このっ!」
私は片手でゴブリンの首根っこをつかみ、その小柄な体を、力任せに地面にたたきつけた。
「このっ、このっ……!」
一回、二回、三回。
三回たたきつけると、ゴブリンの体はびくんと震えて、それから動かなくなった。
「キキッ!?」
女の子を脅していたゴブリンは、仲間たちが無残に倒されたのを見て、慌てて逃げだした。
追いかけようという気は、起きなかった。
「はぁっ……はぁっ……っ痛ぅ……!」
左手を腰に当てると、手にはぬるっとした温かい感触、脇腹には鋭い痛み。
その手を見ると、真っ赤に染まっていた。
「あ、あのっ……大丈夫ですか!?」
向こうで腰を抜かしていた女の子が、慌てて駆け寄ってきた。
何だよ、動けるならさっさと逃げればよかったのに──なんて悪態が、頭をよぎる。
きっと、怖くて腰を抜かしていたのが、ゴブリンがいなくなったから動けるようになったんだろう。
「だ、大丈夫じゃ、ないかも……」
額から脂汗が出てくるのが分かる。
ヤバい、どうしよう……。
「あのっ……近くに私の住んでいる村があります! そこまで、行けますか……?」
「ど、どうだろう……多分、どうかな……」
真っ赤になった左手で押さえた傷口からは、そんなにすごい量じゃないけど、血が漏れ続けている。
こんなとき、どうしたらいいんだっけ。
止血とか、応急処置って、どうやるんだっけ。
そんなことを考えていると、リリムが飛んできて、こんなことを言った。
「シア! 早く治癒魔法を!」
「治癒……魔法……?」
「うん! 勇者であるシアなら、初級の治癒魔法なら使えるはず! 思い出して!」
私は苦笑する。
思い出してとか、無茶言うよね。
そもそも知らないものを、どうやって思い出せって──
──あれ?
これ、かな……?
私は思い当たった節を──記憶の端に引っかかったその糸を、どうにか手繰り寄せる。
そうすると、たどり着いた。
そうだ、私は、治癒魔法の使い方を知っている。
私は瞳を閉じ、脇腹に当てた左手に意識を集中する。
「癒しの力を、我が手に──ヒール」
そう唱えると、私の左手から、温かくて心地よい何かが、私の脇腹に注がれる。
そして三秒ほどもすると、魔法の効果は完全に発揮された。
脇腹の切り傷は、綺麗にふさがっていた。
触ってみても、小さな傷一つないし、痛みもない。
流れた血はそのままで、手や脇腹の周りは真っ赤だったけど、でも残ったのはそれだけだった。
「すごい……強いだけじゃなく、魔法も使えるんですか……?」
助けた女の子が、尊敬のまなざしで私を見ていた。
うわ、困る……照れくさい。
「えっと……まあ、私どうも、勇者みたいなんで」
照れ隠しに頬をかきながらそう言うと、女の子はもっと食いついてきた。
「勇者!? 勇者様なんですか!?」
「え、いや、あのー……」
「ですよね! 道理で変な格好してると」
「あ、あはははは……」
助けた女の子は、結構失礼な子だった。




