成長
オークを倒した私たちは、その魔石を拾うと、馬に乗っての移動を再開した。
でも、かっぽらかっぽらと馬に乗って進む旅の快適さは、オークと戦う前とあととでは、雲泥の差だった。
オークとの戦いが実質的な休憩になって、お尻の痛さが少し取れたとか、そういうのはある。
でもそういうプラス面をはるかに上回る、大きなマイナス面があった。
「うぅっ……くさいよぅ……べたべたするよぉ……」
木々の間の小道を進む馬上、騎士さんの後ろに乗った私は、わりと露骨に泣き言を言う。
オークの緑色の体液を全身に浴びてしまった私は、その不快さに辟易していた。
顔から服から髪から、全身のあらゆる場所にかかった体液は、今はだんだんと乾いてきていて、でも乾くにつれて不快なにおいを増すという、許しがたい代物だった。
例のゴブリンと同じアレだ、汗臭さに腐臭が混じったような強烈なにおい。
キツイ、正直言ってキツイ。
っていうか、モンスター自体は黒い霧になって消えてなくなるのに、体に浴びた体液はそのまま残るって納得いかない。
一体どういう原理になっているのか、この世界を作った神様を正座させて問い詰めたい気分だった。
「はははっ。まあ大事がなくてよかったではないですか」
「まあ、そうですけど……。もう、騎士さんのせいですよ。私の目の前で、ぶしゃああああって雨みたいに降らせるから」
「むぅ……私としては、勇者殿をお助けしたつもりだったのですが」
「助けてはもらいました。でもそれはそれとして、気持ち悪いんです」
「勇者殿は余裕がありますなぁ。私などは、命懸けの覚悟だったのですが」
「私だって命懸けですし、助けてもらったことには感謝してます。ただの愚痴ですから聞き流してください」
「はははは、左様ですか。助けられたのは私もですし、愚痴ぐらいは喜んで聞きましょう。家内のそれで慣れておりますしな」
騎士さんは朗らかに笑う。
この人の奥さんは幸せ者だろうなぁと、ぼんやりと思った。
そんな他愛もないやり取りを続けていると、やがて森を抜け、開けた平地に出る。
そして、道が続いている先には、街らしきものが小さく見えてきた。
丘の上の馬上から遠目に見るその街は、遠近感を抜きにしても、妙に小さく、コンパクトに見えた。
ぐるっと街全体を取り囲む壁があって、その内側に三角屋根の家屋が密集している。
その街の中にある家の数は、多分数百とか、せいぜいが千をちょっと超えるぐらいじゃないかと思う。
街の範囲も、かなり狭く見える。
歪んだ円形っていう感じの街の外壁があって、その外壁には街に出入りするための門が二ヶ所にあるんだけど、方角分からないけどあれを仮に南門と北門だとすると、南門からメインストリートを歩いて北門まで行くのに、十分そこそこもあれば縦断できるんじゃないかっていうぐらいの狭さだ。
ちなみにその円形の街の中を、横手からずっと流れてきている大きな川がずばっと横切っていて、なんかカッコいいなと思った。
まあ、街の中を川が横切っているというより、川のある場所に街を作ったっていうのが実際なんだろうと思う。
水のある場所に街が作られるんだって、社会科の授業で習った気がするし。
あと驚いたのは、騎士さんに「結構こじんまりした街ですね」と感想を言うと、「そうですかな? 王都ほどではないにせよ、立派な街だと思いますが」と返ってきたこと。
っていうことは、どうもこの世界的には、あのぐらいの大きさの街でも、そこそこ大規模なほうらしい。
「──さて、日が暮れぬうちに、街に入りましょう。稀に融通の利かぬ門番がおりますからな。日暮れ後の入市を断られて、街の前で野宿というのは切ないものです」
そう言って騎士さんは、手綱を引いて、馬の歩調を早めた。
遠くの山間を見ると、なるほど間もなく日が沈もうという様子だった。
しばらくして街にたどり着くと、門番から簡単なチェックを受けて、門をくぐった。
門番とのやり取りは騎士さんが済ませてくれたので、私はせいぜい、物珍しさの強い視線にさらされただけで済んだ。
「ほえ~……」
門をくぐって街の中に入ったところで、私は感嘆の声をあげる。
そこはある種の別世界だった。
馬上から見下ろす、夕焼けで赤く染まった景色は、何とも言えないものがあった。
メインのストリートの道幅は、馬車がすれ違えるほどのなかなかの広さで、そのストリートの左右には三角屋根の住居がずらりと並んでいた。
住居のほとんどは、二階建てか三階建て。
そのうちの一階部分は職人さんの仕事場やお店を兼ねているものが多いみたいで、開かれた木窓や戸口から、中で働いている人たちの様子がうかがえた。
ストリート自体にも人の行き来は多くて、行き交う人たちは物珍しそうに馬上の私たちを見上げてくる。
恥ずかしさで私の顔が赤くなっていたであろうことは、別に外から見なくても分かることだった。
騎士さんは、門をくぐってからストリートを少し進んだ先の、一件の宿屋の前で馬を止めた。
そして、自分と私の分の宿をとって、私に休息の場を与えてくれて、一時の別れを伝えてきた。
私は部屋で一人になると、すぐにお風呂に向かった。
そして身も心も温まるお湯を堪能して、汚れと汗を落としてさっぱりすると、部屋に戻ってきた。
「替えの衣服がないのがなぁ……」
ホカホカになった体でベッドに腰かける私の、目下の悩みはそれだった。
体は綺麗になっても、服の汚れが落ちてないのがしんどい。
替えの衣服を手に入れたいけど、お金がないし、どこに行ったら買えるのかも分からない。
明日騎士さんに相談してみようと思いながら、ひとまずにおいの強烈なこれよりはマシかと思って、荷物袋の中からセーラー服を取り出す。
ちなみに荷物袋は、村でもらったもの。
今のところ、このセーラー服以外には、めぼしいものは入っていないけど──
「……あれ?」
私はセーラー服を広げてみて、首を傾げた。
その服は、別にどこにも破れのない、綺麗なものだった。
……おかしい。
ゴブリンとの戦いで、お腹と肩の部分が派手に切れたり破れたりしていたはずなのに。
「おやおやぁ?」
ひっくり返してみるも、変わらない。
どこからどう見ても完全体という様相の、完全無欠のセーラー服だった。
えっと……ひょっとして、ティナが縫ってくれた?
いやでも、肩の部分とか、縫って済むような損傷じゃなかったはずなんだけど。
当て布をして縫ってくれた?
いやそもそも、このセーラー服に当てて違和感のない生地がこの世界にあるのか。
っていうかそれ以前に、当て布をして修繕したにしても、そのための縫い目が見当たらない。
……なんだろう、気持ち悪い。
私、夢見てる?
「ねぇ、リリム」
「ん、なんだいシア」
部屋の中で一緒にくつろいでいた妖精姿に、声をかける。
ちなみにリリムは、私のお目付け役として、いつも私の服の中にいたり、荷物の中にいたり、近くを飛んでいたりする。
最近驚くほどに存在感がないから、ときどき忘れそうになるけど。
「この服、破れたはずだよね? 私がゴブリン退治して村に帰ってきたとき、リリムも破れてたの見たよね?」
「うん、そうだね。でも綺麗に直ってるね。さすがは勇者の服だ」
……んん?
なんか今リリム、変なこと言ったよね。
「勇者の服?」
「そう。勇者がこの世界に来たときに身につけていた装備品は、特別なんだ。破損しても、やがて元通りに修復される。本当は修復っていうより、復元らしいんだけど」
「はあ……えっと、つまりいくら破れても、時間がたてばまた勝手に元通りになるってこと?」
「そうだね。その理解でいいと思うよ」
「へぇー……」
私としては、唖然とするしかない。
それは、何だろう。
便利でいいなって、素直に思っちゃっていいんだろうか。
相変わらず、勇者ってすごい、とかいうありきたりな感想しかでてこないけど。
まあいいや。
とにかくこのくさい服から着替えられるなら、今はそれで万々歳ということにしておこう。
「ところでシア。そろそろ自分の力に、何か変わったところとか、感じたりしない?」
と、私がもそもそと服を着替えていると、リリムがふとそんなことを聞いてきた。
私はセーラー服の袖に腕を通しながら、何気なく聞き返す。
「ん? 変わったところって?」
「えーと、例えば力が強くなったとか、足が速くなったとか」
「えー、どうだろう。っていうか、何で? そういうことあるの?」
そう言われてみると、オークたちを倒したあたりから、なんかそこはかとなく、体の内側から力があふれてきているような感覚はあった。
気のせいかなと、ずっと思っていたんだけど……。
「うん。勇者は戦いの経験を積んだり、死線をくぐったりするたびに、その力を増してゆくって言われているんだ。今までに使えなかった魔法が使えるようになることもあるって」
えっ……ホント?
新しい魔法、魔法……。
私は何となく、最初に治癒魔法を思い出したときのように、目を閉じ精神を集中して、自分の頭の中を探ってみる。
すると──
「あ、これかな? 炎の魔法……っていうかこれ、この間の派手なゴブリンが使ってたやつ?」
頭の中に、一つの魔法のイメージが思い浮かんだ。
そうすると、こうやれば使えるっていうイメージが、あっという間に固まってくる。
間違いない、使える、って思った。
そう思ったら、試してみたくなったけど、さすがに宿の中で使うわけにもいかない。
また明日、試そう。
そう思って、この日は夕食をとって、大人しく就寝して、明日を待つことにした。
……ちなみに、夕食後に騎士さんと談笑していたら、楽しくなってついついお酒を飲んでしまってまた酔いつぶたことに関しては、なかったことにしておきたいと思う。