騎士さんと、村娘姿の勇者
あのお相撲さんに豚の顔を乗せたような灰緑色の怪物は、オークというらしい。
三体のオークは、私たちを見つけると、下卑た笑いを浮かべながらのしのしと近付いてくる。
ゴブリンと比べると、見るからに強そうだ。
パッと見で動きは鈍そうだけど、どうなんだろう。
私の前で剣を抜いて構えている騎士さんを見る。
「騎士さん、逃げるっていう手は……」
「勇者殿、私は騎士です。人里近くで出没した怪物を捨て置き、逃げるわけにはまいりません」
「でも……勝てます?」
「さて……。私とて騎士の端くれ、オーク相手とて一対一ならば負けるつもりはありませんが、一対三となれば、妻や子との別れを覚悟せねばならぬでしょう。勇者殿にご助力いただければ幸いですな」
「はは……ですよね。いえ、戦って勝てる相手なら、戦うこと自体はいいんですけど」
えっと……。
この騎士さん、ひょっとして、結構食わせ者じゃない?
でも、近隣住民を守るために戦おうとしているんだから、いい人なのは間違いないか。
っていうか、むしろ私のほうが、勇者としてすごく恥ずかしいこと言ってる気がしてきた。
勇敢な者、勇ましき者って書いて勇者。
勇敢でも勇ましくもない私って……。
でもでも、無謀と勇敢って、違うと思うの。
そこはやっぱり、勇者っていってもバカの一つ覚えみたいに戦うんじゃなくて、そういう風に考えていきたいなって。
「勇者殿は、ゴブリンの一集落をたった一人で叩いたと聞き及んでおります。ゆえに、それなりの期待は」
「うぅ……そこ基準かぁ……」
正直、あのときの私はだいぶイッちゃってたと思う。
今の私にそれを期待されても、ちょっと気後れするものがある。
それによろしくないことに、今は私、何も武器をもっていない。
戦地に向かうつもりだったあのときと違って、どう見てもただの村娘ですよっていう格好しかしていない。
そんな私に、完全武装の騎士さんが戦いを要求する。
うん、やっぱりこの騎士さんひどい人だな。
「……さて、そろそろ和やかに談笑でもありませんな、勇者殿」
「ですね。やるしかないか」
見るとオークたちは、だいぶ近くまで寄ってきていた。
私と騎士さんは、臨戦態勢を整え──
「──おぉぉおおおおおおおおっ!」
びっくりした。
騎士さんの雄叫びだった。
騎士さんはオークたちに向かって、がしゃがしゃと鎧を鳴らしながら駆けてゆく。
でも私も、驚いてばかりもいられない。
騎士さんに続いて、駆けだした。
すると疾駆する村娘姿の私は、あっという間に、全身鎧姿の騎士さんを追い抜いてしまった。
あわわってなるけど、怯んでもいられない。
森の中の小道では、巨体のオークたちは前後ろに折り重なるようにしか並べない。
その先頭のオークに、狙いを定める。
「──はぁっ!」
私はそのオークに向かってジャンプし、回し蹴りを放った。
オークは、騎士さんが来るものだと思っていたんだろう。
それより早くに接近してきた、私という伏兵の存在に戸惑ったみたいだった。
村娘風衣装のスカートを翻して放った私の蹴りは、先頭のオークの顔面を、真横から綺麗にとらえた。
ごきっという鈍い音とともに、オークの首の骨が折れて、巨体が横に傾く。
蹴り足を振り抜いた私は、体を半回転してしまい、オークに背中を向けて着地。
と思ったら──
「ひゃっ!?」
何か太いものに、胴を絡まれた。
私に蹴られたオークが、倒れ掛かりにその腕で私を巻き込んだんだと気付いたのは、一瞬後のことだった。
「うぐっ……!」
おかげさまで、私は倒れるオークに巻き込まれて、一緒に地面に引き倒される。
胸を打った。少し苦しい。
「こ、のっ……放せ……!」
地面に倒れたオークは、同じく倒された私に向かって闇雲につかみかかり、その剛腕でもって締めつけようとしてくる。
そのオークの顔を見れば、首の骨が折れ口からは泡を吹き今にも死にそうなのに、血走った目だけは、まだ私を殺すことをあきらめていなかった。
ぞっとする。
怖いと思った。
でも膂力で言えば、勇者補正のある私のほうが、まだ上のようだった。
私は力づくで、オークの腕による拘束からどうにか抜け出し、立ち上がろうとする。
が、そこに──
「いひっ!?」
後ろから来た別のオークの太い脚が、まだ地面に這いつくばったままの私の体を踏みつけにしようと、猛烈な勢いで降ってきた。
とっさにゴキブリのように這ってよけられたのは、奇跡に近かったと思う。
「勇者殿!」
そこにようやく、騎士さんが到着した。
騎士さんの剣が、私を踏みつけにしようとしたオークの胸に突き刺さる。
騎士さんが剣を引き抜くと、オークの胸の傷から緑色の体液が噴水のように降ってきた。
そのオークはそれで後ろ向きに倒れたけど、私はおかげで、顔と言わず服と言わず、緑色の体液まみれになってしまった。
「勇者殿、あまり無茶は。肝を冷やしましたぞ」
「って言われても、私にはこういうやり方しか、思い浮かばなくて」
「むぅ、勇者殿はまだ、戦いに慣れておらぬのですな」
騎士さんに手を差し出されて、私はそれを受けて立ち上がる。
何となく今の私、プリンセスっぽいかもと思った。
どっちかって言うと、お転婆なやつだろうけど。
立ち上がって見ると、私が蹴りを浴びせたオークと、騎士さんが剣で攻撃したオークは、ともに地面に倒れてびくびくと痙攣していた。
どっちも放っておけば、そのままくたばりそうだ。
立って健在のオークは、残り一体。
その一体が、仲間たちの死体を乗り越えて向かってくる。
「グォォオオオオオッ!」
オークは腕を振り上げ、騎士さんに向かって殴りかかった。
騎士さんは先と同じように剣で突きを放ったけど、オークが少しよけて、剣先はオークの肩に突き刺さっただけだった。
「ぐぬっ……!」
同時に、オークの拳が騎士さんの左腕に直撃した。
というか、振り下ろされた拳を、騎士さんが左腕で受け止めた。
ごぉんという鉄板を殴る音が響いた。
騎士さんが、がくっと膝をつく。
「このっ……!」
私はその横合いから、オークのお腹めがけて蹴りを放つ。
その直撃を受けて、オークはよろよろと後ずさり、ずんと倒れた。
「うぉおおおおおおっ!」
騎士さんが立ち上がり、倒れたオークに気迫で乗りかかると、その剣でオークの首を突いた。
剣で首を貫かれたオークは、口から血の泡を吐きながら、その両腕で騎士さんにつかみかかろうとしたけど──そこでがくんと、力尽きた。
騎士さんの下にいたオークが、パッと黒い霧になって消えていった。
騎士さんは足場がなくなって、地面につんのめる。
私は慌ててそれを支えて、助け起こす。
「はは……かたじけない。ぐっ……!」
騎士さんの左腕は、だらんとしていた。
さっきのオークの拳を受けたときに、やられたんだろうと思った。
「大丈夫、ですか? ちょっとだけ我慢しててくださいね……。──癒しの力を我が手に、ヒール!」
私は騎士さんの左腕に手をあて、治癒魔法を使う。
私の手から白い光があふれ、それが騎士さんの腕に吸い込まれてゆく。
「──おおっ、治癒魔法とは!」
治癒を終えると、騎士さんはぐるんぐるんと腕を回して見せる。
どうやら無事回復したみたいだった。
気が付けば、残る二体のオークも消え去り、あとには宝石が残っていた。
その宝石は、ゴブリンの魔石よりも、幾分か大きなものだった。