勇者とか言われても
その文庫本は、本屋のライトノベルのコーナーに置いてあった。
学校帰りに本屋に寄った私は、その本をなにげなく手に取った。
その本は、異世界ファンタジー系のライトノベルのようだった。
表紙のイラストには、青空と草原と木々を背景に、セーラー服姿の少女が剣を構えている絵が描かれている。
少女の傍らを飛んでいる小さな妖精が、ちょっとしたアクセントになって、幻想感を増している印象だった。
タイトルは『あなただけの異世界物語』。
長文タイトルが多い最近のライトノベルタイトルの主流と比べると、どこか垢抜けてない感じがする。
でもそれも、私にとっては、少し好印象だった。
私──結城詩亜は、中学生になったあたりから、ライトノベルをよく読むようになった。
高校に入った今でも、「趣味はライトノベルの読書です」と自己紹介してもいいと思えるぐらいには、頻繁に読んでいる。
中でもファンタジー系の作品は、大好物だ。
主人公と一緒に幻想世界に旅立つあの感覚は、私にとってすごく心地いい体験になる。
でも嘆かわしいのは、最近のファンタジー作品は、主人公がたくさんの女の子に囲まれてちやほやされるようなハーレム系のものばかりだということだ。
そういうのは男性向けの作品で、私みたいな女性読者はお呼びじゃないっていうことなんだろうけど、そういうのじゃないファンタジー物語を探そうとすると、なかなか難しい。
私の探し方が下手なのかもしれない。
でも探すのが大変なのも事実。
だからどうしても、一昔前の名作タイトルを好んで読むことになりがちなんだけど……。
そこにきて、私がいま手に取ったライトノベルは、「そういうのじゃないファンタジー物語」のにおいがした。
まず主人公が女の子っぽいから、その時点でだいぶ安心だ。
本はビニールがかけられていて、中を確認することはできなかったけど、私はそれをレジに持って行って購入し、本屋を出た。
そして、近所の裏山的な、私だけの隠れ読書スポットに行く。
大きな木の幹に背中を預けて、地べたに座った。
着ているセーラー服のスカートや背中の部分が少し汚れるけど、気にしない。
今日は麗らかな陽気で、絶好の読書日和だ。
私は買ってきた文庫本を取り出し、意気揚々とページを開く。
すると──
「……あれ、落丁?」
開いたページには、何も書かれていなかった。
真っ白な紙だけが、そこにあった。
ぺらぺらとページをめくってみても、どのページも同じ。
がっかりだ。
そしてがっかり感と同時に、怒りがふつふつと湧いてきた。
本屋に行って、この本をレジにたたきつけて、文句を言ってやりたい衝動に駆られた。
が、そのとき──
「えっ……?」
開いていた本の真っ白なページから、まばゆい光があふれてきて、私の視界を覆った。
あっという間に、私の視界はすべてが真っ白な光に支配される。
そして私は、意識を失い──
「んっ……」
目を覚ますと、そこは一面を木々に覆われた、見知らぬ森の中だった。
私は意識を失う前と同じように、大きな木の幹に背中を預け、地べたに座っていた。
でも、私が知っている、いつもの裏山的読書スポットとは、異なる風景だった。
「やあ、目を覚ましたかい?」
「わっ!」
私は突如視界に現れた『それ』に、度肝を抜かれた。
びっくりして跳び上がり、背中を預けていた木の幹に、後頭部をぶつけてしまう。
「痛ったー……」
「あはは。ごめんね、びっくりさせて。大丈夫?」
そう声をかけてくるのは、宙を飛び回る、可愛らしい妖精だった。
きらきらとした光の鱗粉をまきながら、私の目の前をふよふよと浮いている。
妖精は、絵に描いたような美少女をぎゅっと小さくして、その背中に半透明の羽を生やしたみたいな姿をしていた。
大きさは、背丈がちょうど私の顔や手の平の大きさと同じぐらいある感じ。
「えっ……? 何、これ、どういう……」
一方の私はと言えば、そりゃあもうパニックだ。
頭の中で、何だこれ、何だこれ、という言葉がぐるぐる回っている。
でもそんな私の混乱にはお構いなしに、妖精は私に語り掛けてくる。
「初めまして、ボクの名前はリリム。ねぇキミ、名前は何ていうの?」
「わ、私は……詩亜。結城詩亜、だけど……」
「そう、シアだね。シアは勇者として、この世界に召喚されたんだ」
「ゆ、勇者ぁ?」
「そう、勇者だ。シアはここに来る前に、おそらくは本を読もうとしたはずだ。その本こそが、キミが勇者としてこの世界に召喚されるための、キーとなるアイテムだったんだ」
「は、はぁ、そうですか……」
何だろう。
私は夢でも見ているんだろうか。
ひとまずほっぺたを抓ってみたけど、痛い。
でもこの夢かどうか診断の方法が、あてになるのかどうかは知らない。
立ち上がって自分の体を見てみると、特に自分の姿かたちは変わっていないようだった。
学校帰りのセーラー服のままで、髪を触ってみても、いつものポニーテイルのままだ。
体型も残念ながら、可もなく不可もなく、いやどっちかっていうと不可に近いかもしれないっていう、いつもの私だ。
派手な凹凸を良しとする文化とか、滅びないかな。
ただ一方で、登下校用のバッグはなくなっているし、さっきまで読んでいたあの落丁の本も手元にない。
言わば、着のみ着のまま、という状態だった。
「でも、突然『勇者』なんて言われても……」
……困る。
うん、困る。
だって、勇者っていうと、多分アレでしょ?
ファンタジー物語の主人公で、冒険の旅の果てに魔王を倒して世界を救う、的な。
でも私なんて、その辺にいくらでも転がってるような、ただの女子高校生だ。
ついでに言えば、内気で暗くて友達いなくて、まして恋人なんて論外で、運動音痴で成績もものすごくいいわけじゃない、どっちかっていうと残念な部類のただの女子高校生だ。
異世界に勇者として召喚されましたとか言われても、そんな私に何ができるの、って思う。
すると、私の前にふよふよと浮いた妖精──リリムがこんなことを聞いてきた。
「シアは、元いた世界では、運動は得意なほうだった?」
「ううん、全然。どっちかって言うと、相当どんくさいほうで……」
「そっか。じゃあ驚くと思うよ。そうだな……試しにあそこの木の枝を、ジャンプしてつかんでみなよ」
そう言ってリリムが指さした先には、今まで私が背にしていた太くて高い大木から伸びた、一本が枝あった。
でも、その枝は、すごく高い場所にあった。
どのぐらい高いかっていうと、私の肩の上にもう一人の私が立って、さらに二人で背伸びして手を伸ばすぐらいしないと届かないぐらい。
「あはは、何言ってるの。あんなの届くわけ……あれ?」
届くわけないと、私は言おうとした。
でも、そう言おうとしたとき、もう一人の自分が「え、全然届くんじゃない?」と訴えてくる。
あれ、でもそんなわけ……ないよね?
あそこまで届くには、私は自分の身長と同じぐらい高くジャンプしないといけない。
運動音痴の私じゃなくても、普通の人間に、そんなことができるわけがない。
でも……。
「えっと──せーの、ていっ」
実際にやってみた。
手を振り子のようにぶんぶんして勢いをつけて、思いっきり真上にジャンプ。
「うわっ!」
すごく跳んだ。
目標の枝を悠々とつかんで、片腕でぷらーんぷらーんとぶら下がる。
えっ……何これ。
何これ怖い。
ついでに言うと、そうやって木の枝にぶら下がっていても、全然腕がきつくない。
むしろ片腕で懸垂とか余裕でできちゃう感じ。ほらほら、この通り。
いっそ、このまま逆上がりだって──
「あっ……」
ばきっ。
調子に乗っていたら、つかまっていた枝が折れた。
ちょうど逆上がりをするため、足を振り上げようとしていたときだったから、頭から真っ逆さま──
──くるん。
すたっ。
私は特に意識もせずに、空中で優雅に一回転して、綺麗に足から着地していた。
思わず体操選手よろしく、グ●コのポーズをとってしまう。
おおーっ!
私の中のエア観衆が、盛大な拍手と歓声をあげた。
「えっ、ちょっ、ちょっ、何これ!? すごくない!?」
「うん。それがこの世界の──勇者としてのキミの身体能力だよ」
「ふえぇ……すごい、すっごい!」
私は大興奮だった。
何これ、ちょー気持ちいいんだけど。
そうして私が、一人で興奮していたときだった。
「──きゃああああああっ!」
どこか遠くから、女の子の悲鳴が聞こえてきたのだった。