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dream happy newyear

作者: 高岡たかを


「あ」


 スーパーマーケットの自動ドアを目前にして、有紀子が急に立ち止まった。


「ちくわを買い忘れてしまいました」


 憲明は手にしたエコバックを揺する。


「ちくわ? 別になくても良いんじゃないですか」

「ダメです。ちくわがないと、きっと美味しくありません。私、ちょっと買ってきます」


 そう言って有紀子は食料品コーナーへ引き返してしまった。

 小柄なクリーム色のコートを見送ると、憲明は店の外に出た。

 野菜を多めに買って重くなったエコバックを背負い直し、空いた手がジャケットの内に伸びる。指先がパーラメントの箱を探し当てた。

 一本抜き出し、口にくわえながら灰皿に近づいたところで火を点ける。

 十二月も半分過ぎた週末、空の色は紫煙よりも薄暗く広がり、弱い太陽の輪郭が雲越しに透けて見えた。今朝の天気予報では乾燥注意報が出ていたか。

 ふと、駐輪場横の宝くじ売り場に目が行った。のぼり旗が寒風にはためき、音の割れたラジカセが年末宝くじのCMを繰り返している。

 有紀子と付き合う前に、一度だけ悪友たちと一攫千金を狙いスクラッチくじに挑んだ事を思い出す。結果は全員仲良く枕を並べて討ち死にだった。

 タバコの火種がフィルターに迫る頃、ちくわを手にした有紀子が戻ってきた。

 早足で歩いてきたからか、頬がうっすらと上気している。


「ついでにコレも買ってきちゃいました」


 有紀子はココアが好きだ。憲明がエコバックの口を広げてやり、ココアの箱とちくわの袋が納められた。


「どうしたんですか?」

「久しぶりに宝くじを買ってみてもいいかな、って思って」

「憲明さんのお小遣いからならいいですよ」


 最高三億円が当たる年末宝くじの発売は今日までだった。

 ちょっとした思いつきで憲明は連番で十枚購入した。



「私、周りに宝くじを当てた人って知らないんですよね」


 アパートに帰り、さっそく作ったココアを息で冷ましながら有紀子は言った。


「当選しても他人に言わない人って結構いるんじゃないかな」

「そうなんですか」

「大金を手にすると人――当てた人もその周囲の人も変わっちゃうって聞くし」

「なんだか怖いですね」


 マグカップを両手に、有紀子の表情が少し曇る。


「中には変わらない人もいますよ」


 憲明は自分のマグカップを一口。こちらは抹茶オレ。最近のお気に入りだ。


「オレの爺さんだけど、オレが生まれる前に百万円だか二百万円だか当てたそうです」

「それはすごいです。大金です」


 当選金額に差があるのは、親戚がその話をするたびに増減するせいだ。ハッキリした金額は憲明の祖父さえも忘れている。


「そう。それで爺さんは、「いつか自分も入る事になるんだから」って墓石を新しくしたそうです」

「たしかに憲明さんちのお墓はすごく立派ですよね」

「掃除が大変だったね」


 ちなみに買い代えた本人は今もピンピンしている。


「もしも、ですよ」


 もう一口カップに口をつけて、


「もしもこの宝くじで三億円当たったら、有紀子さんどうする?」

「えー。どうするって急に言われましても」

「何でも買ってあげるよ。ヴィトンでもエルメスでも。宝石でもいいし、ご馳走を食べに行ってもいいね」

「えー。んー? ううんー?」


 有紀子は首を捻るが、欲しい物はなかなか出てこないようだった。


「んー。やっぱり特にはないですね。気持ちはうれしいんですが、私的には、そんな高価な物は似合わないって感じが」


 本人の言うとおり、有紀子にはブランド物は少々合わない気がした。

 顔に出てしまっていたのだろう。


「あ。今笑いましたね。ちょっとひどくないですか」

「ははっ。ごめんごめん」

「そう言う憲明さんは何かないんですか? すっごく高いスーツとか革靴とか」


 高級外車――たとえば、ランボルギーニを乗り回し、イタリア製のスーツに身を包み、腕にはロレックス。足元はフェラガモなんてどうだろう。

 想像してみるが、どれもピンと来ない。


「どこの成金だよって感じだ」

「ですよねー」


 お互い似たようなイメージに行き着いたのか、クスクスと小さく笑う。


「高級外車に有紀子さん乗せて、スーパーに買い物に行っちゃうんだよね」

「はい。エコバック持って。私も憲明さんも、ハリウッドセレブみたいな服着てるのに」

「うんうん。それで、『あ、今日は鳥ムネ肉が安いですよ』とか言っちゃうんだ」


 二人で笑った。


「三億円が当たったのに、オレたちなんかショボイね」

「はい。あーでも。特買じゃないプリンを買えるのは私的には超ステキって感じです」



 夕食に出されたキンピラレンコンにはちくわが入っていた。



 師走の暦は慌ただしく過ぎ、気がつけば冬季休講に入っていた。

 クリスマスは例年通り、二人でイルミネーションを見に行った。


 

 十二月三十一日は過ぎ、一月一日になった。

 どこかで花火が打ち上げる音がする。


「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「あけましておめでとう。今年もよろしく」


 二人でアパートの近くにある、小さな神社に初詣に出かけた。

 帰り際、並んで歩きながら憲明は有紀子に訊いた。


「何をお祈りしました?」

「健康ですね。今年も無事に過ごせますように、って。憲明さんは?」

「オレも似たようなものかな」


 それから、三が日の過ごし方について話した。有紀子は朝一の電車にのって郷里へ帰るらしい。


「憲明さんもお正月くらいはご実家に帰られた方がいいですよ」

「そうだね。ん?」

「どうしたんですか?」


 久しぶりに袖を通したジャケットの左胸になにか違和感があった。内ポケットに手を伸ばすと、指先がガサリと何かに触れる。


「いえ、何か入って――これ」

「宝くじですね」


 引っ張りだした十枚入りの包装を覗き込む有紀子。


「……すっかり忘れてた」

「忙しかったですもんね」


 たしかに忙しく過ごしていたが、まさかジャケットに入れっぱなしなことも忘れるとは思っていなかった。憲明は自分の無精に呆れたが、有紀子が小さく笑っていたので、良しとしよう。とりあえずそう思った。


「そっか。抽選日って今日――もう、昨日か」


 包装に書かれた日付をなんとなく読んでつぶやくと、思わぬところから声がかかった。


「当たってますかね」

「さあ」

「ケータイで確認できますか」

「できると思うけど。え、今?」


 「なうです」と両の拳を握ってファイティングポーズをとる有紀子を見れば、憲明としては是非もない。


「ちょっと待ってて」


 夜道を歩きながら携帯電話を操作するのは危ないのでいったん足を止める。

 寒そうに手袋をこすり合わせる有紀子の傍で、検索にかかる時間がいやに長く感じた。


「お」

「どうでした?」

「残念。外れたみたいです」


 畳んだ携帯電話をポケットに仕舞って憲明は軽く笑った。買ったことすら忘れていたのだ。話の種程度の気持ちであり、それほど期待していたわけでもない。たった十枚連番で買ったくらいで億万長者になれるほど自分が強運の持ち主だと思ってもいなかった。


「あ。でも六等は当たったのか」

「それはスゴイです!」


 喜びを露わにする有紀子に、憲明は少し申し訳ないと思いながら説明した。連番で十枚購入すると、末等のくじは絶対に当たるのだ、と。


「それでも当たりは当たりです」


 有紀子の微笑みにつられて、憲明も笑う。

 それもそうだ。三百円でも当選金に間違いない。

 真冬の深夜を白く照らす自販機が視界に入り、憲明はふと思いついた。


「そうだった。宝くじが当たったら有紀子さんに何か買ってあげようと思ってたんだ」

「え、そんな。いいですよ」


 遠慮する有紀子に笑顔を向けて尻のポケットから財布を出すと、ちょいちょいと自販機を指す。


「なんでも良いよ。ティファニーでもプラダでもバンホーテンでも」


 いつぞやのことを思い出したのか、笑う有紀子の肩が小さく揺れた。


「そのラインナップの中では、バンホーテンが一番魅力的ですね」

 


 

 二人で一つのココアを分け合いながら、時間をかけて家路を行く。

 今年もきっと、彼女と一緒に小さな喜びを見出す一年になるのだろう。

 さっきは恥ずかしくて誤魔化してしまったが、そんなささやかな日々を続けたいと神さまには祈ったのだ。

 ジャケットの中で、お釣りの小銭が小さな幸せの音をたてた。


 


 ―――― happy new-year


 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 心がほっこりする良いお話でした。 有紀子さんのなうです。にときめいてしまった。
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