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この章はコメディ色が強くないなど色々とアレですみませぬ。
彼女の墓の前で両手を合わせていた私はふっと笑みをこぼしてしまった。
自分の手で殺した相手の墓に足繁く通う物好きはそうそう居ないだろう。
毎月の命日にはこうして「顔」を見に来ている私はよほど彼女のことが気に入っているに違いない。
以前、死闘を繰り広げていた頃から私と彼女は似ているのではないかと思うことがあった。
私がこの考えに納得がいったのは、三年間に及ぶ高校生活の総決算として、タンカーを東京湾の石油コンビナートに突入させた時のこと。
計画を阻止せんとする彼女は原油とTNT火薬を満載したタンカーに単身乗り込み、無人の船上で私と対峙したが、彼女は私生活においても恋敵だった。
それまでの因縁を清算すべく、学生刑事だった彼女と私は燃え盛る炎の中で死闘を繰り広げたのを今でも憶えている。
執拗に立ち向かってくる彼女は武器であるヨーヨーで私の鞭と数合も打ち合い、何度も私を追い詰めたけど、とうとう最後には力尽きた。
そして船から単身脱出した私が操るゴムボートの目の前でタンカーは石油タンクに突き刺さって轟音を上げ、辺りは火の海に包まれた。
「おーっほっほっほっ!」
その光景を目にした私は手の甲を口許にあてて高笑いをしたのは今でも記憶に新しい。
何といっても恋敵が死んだのだ。これで後顧の憂いは無い。これほど楽しいことが他にあるだろうか。
高校の三年間、あの人に付き纏い、私からあの人を奪おうとした憎い女……あの女!!
あの女!の首に巻き付けた鞭をきゅっと締め上げた時の手応えが今でも両手に何度でもありありと蘇る。
ボートの上で自分の両手を閉じたり開いたりして何度も感触を確かめたあとで、やっと、彼女は死んだんだとわかった。
……そして、あの女が死んだということを初めて実感した時、胸の中がぽっかりと空いていることに気がついた。
「……到々、死んだんだ」
思わず、揺れるゴムボートの上で口許を両手で押さえてしゃがみ込んだ。
炎上するコンビナートが酸素を求めて空気を吸い上げて風の流れを作っている。
髪が風で舞い上がり私の顔にかかった。乱れる髪を手で押さえて船外機をスタートさせる。
しばらくすると風は乱気流から向かい風に変わった。
夜の闇を吸い込んだ暗い海面が燃え盛るコンビナートの炎を浴びてオレンジ色に染まっている。
私は夜の海を高笑いを上げながら進んだ。
翌日は高校の卒業式だった。
私の婚約者であるあの人は彼女の姿を探して落ち着きがなかった。
二人の間がどこまで進んでいたのかは私は知らないが、結局、彼女が卒業式に姿を現さなかったことにあの人は打ちひしがれた表情をしていたのは憶えている。
――彼女なら昨夜、私がこの手で処理しました。
耳元でそう囁いたらこの人は一体どういう表情をするだろうか? とそんなことが一瞬、脳裏を過ぎったが、そんなことを言うはずもない。
なので私はこう言った。
「心配ですわね。大丈夫でしょうか?」
心配そうな、不安げな表情をあの人のために作る。
表面上は卒業してバラバラに分かれていくクラスメイトを心配する級友でしかない。
そんな私の表情を見たあの人は無理やり笑顔を作って「大丈夫」と言ってみせた。
その言葉に私はブレザーの胸元を両手でおさえたまま肩を震わせてみせる。
勿論、私が着ているブレザーは卒業式用のものでブランドはラルフ・ローレンだが、
ネットオークションなんかで落札した古着などではなくオーダーメイドの新品なのは言うまでもない。
その後、私とあの人は大学へと進学し、高校生活は思い出の彼方へと消えていった。
あの女の死体が見つかっていないこともあるのだろうけど、あの人が彼女のことを口にすることはなくなっていった。
でも私の中では違う。埋められない空虚さが私の胸の中に何時もある。
その空虚さが私の名を呼ぶのだ。「花恋」と、私の名を。
敵に勝つためには、敵のことを敵自身以上に知らなければいけない。
その言葉に従って私は彼女について執拗に学んだ。彼女の家族構成、親戚関係、愛読書、彼女の仕種と深層心理についてなどなど。
私が三年間に及ぶ彼女と戦いの中で、わかり過ぎる相手との戦いにくさを感じていたことからみて、おそらく彼女もそうであったに違いないと思う。
今にして思えば敵である彼女こそが私の最大の理解者であったのだ。
そうして、自らの手で強敵を喪ったことを身につまされて知った私は、
一年後、彼女の墓が東京郊外の霊園に遺族によって造られたことを部下に教えられて以来、毎月彼女の墓に通うようになった。
懐かしさはあっても、もう、彼女への憎しみはない。私からあの人を取ろうとした彼女を殺したことへの罪悪感もないけれども。
たぶん、私が死んでから彼女と地獄で出会ったならば、彼女と蟠りなく親しげに会話することはできるだろうと思う。
「……じゃあ、また来月。ね」
私は彼女の墓石を一撫でして立ち上がる。
墓石の前では蝋燭と線香の束が燃え尽きかけようとしていた。
踵を返すと墓守の男と目が合う。
「何時もお見かけしますが、ご友人ですか?」
「ええ、そういったところですわ」
「やはりそうでしたか。こうして親しく通って来られる方がいて故人も喜んでおられると思います」
老年に差し掛かった墓守はそう言ってほのかに笑った。
タンカーの東京湾突入の顛末とライバルである学生刑事がどうなったかは、主人公の名字が藪小路なことからお察しください。