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Scope  作者: 齋藤光
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よくある光景

 同時刻。アメリカの大学の微生物研究室。教授と大学院生が顕微鏡を覗いていた。

「先生、培養成功です。ところで先生、これ新種でしょうか。なんていう細菌ですか?」

「君は知らなくていい。知らないほうがいいんだ。君、恋人は?」

「え? はあ、来年の6月に結婚予定ですが」

「おめでとう。それならなおさらだ。こんな大学の研究室は辞めて民間の研究室に行くといい。私が紹介しよう」

 大学院生は訝しがったが、教授はこれからちょっと用があるから、と研究室を出ようとした。そのときだった。教授の友人である哲学教授が研究室に入ってきた。右手には分厚い本を3冊抱えている。物理学と生物学と宗教学の本だった。

「やあ、例の件はどうだい?」

哲学教授が訊いた。

「ああ、うまくいったよ。培養は成功だ。それよりどうしたんだい、その本、分野がバラバラじゃないか」

見慣れない本の組み合わせを指差して、興味深そうに尋ねた。

「こういった学問分野にも哲学の需要があるんだ。基礎知識をつけておこうと思ってね」

「あのう…」

大学院生が遠慮がちに訊いた。

「宗教学の本もですか?」

「いやいや、」

と哲学教授。

「これは単なる趣味。普段乾いた論理をこねくり回しているから、宗教とか神話の生々しさが新鮮なんだ。ゼウスなんか強姦魔だし、気まぐれで世界を壊しちゃうインドのシヴァ神とかも面白いよね。ありえないのに、妙に迫ってくるリアリティがあるっていうか」

哲学教授は無邪気に笑った。

「そうそう、」

哲学教授は大学院生に尋ねた。

「顕微鏡の下のペトリ皿の細菌に人間はどう見えているんだろう?」

「生物は自分より遥かに大きな生物を認識できないというのが有力な説です。アリと人間の関係みたいな。でも不思議なもんです。今顕微鏡で覗いていた生物が、いつしか人間のように高度な知性を持つようになったんですから」

「進化のどの段階から生物は神を創造するんだろうねえ」

「えっ?」

「神は人間の被造物。人間は存命中でも死後でも、何か絶対の存在者や世界を創り上げるでしょう。神様、天国。日本の神話だと高天原。仏教だと極楽というのかな。でも、宇宙の写真を見ると人間の脳細胞そっくりだから、人間が先か神様が先か、宇宙そのものが生き物なのか、妄想は膨らむねえ」

哲学教授は一人でしゃべり続けた。

 「私も諸用があるから」

微生物学教授がおしゃべり教授に言った。

「ああ、悪かったね。ちょっと挨拶のつもりが。これでしばらくは研究費に困らないな。じゃ、おつかれさん」

「それじゃ失礼するよ。君、さっきの細菌を厳重に保管しておきなさい」

そう言って微生物学教授は研究室を出ていった。ドアがパタンと音をたてて閉まった。教授の足音が遠ざかって行くのがわかった。

「先生、」

大学院生が帰り支度をする哲学教授に話しかけた。

「ご存知なんでしょう? あの細菌は何なんですか? うちの先生はどこに行くんですか?」

哲学教授はドアの取っ手を握りかけた手で頭を掻いてから、大学院生のほうを見ずに言った。

「あれが何なのか、僕も知らない。微生物に関して僕は素人だ」

教授はドアを開けた。

「先生!」

ふうっとため息をついてから、教授が言った。

「年を取ると独り言や物忘れが多くなって困る。次の論文の表題は『数学の哲学‐傲慢な正五角形とその罪状-』だったかな。さて、もうすぐ締切だ」

 教授は研究室をあとにした。大学院生はおもむろに携帯を取り出し、恋人に電話をかけた。

「突然ごめんね。俺大学辞めるわ。教授が民間の研究所を紹介してくれるって。そっちのほうが給料いいみたい。うん、うん、その埋め合わせはまた今度。ええ? 今日かい? じゃあ19時駅ビルの前に集合で…」


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