第2話
難産でした……。
西暦2021年1月下旬
日本 横須賀
住宅街
12:11 JST
「……ただいま」
士官学校を無事に卒業し、第1特別任務大隊に配属された蓮夜は久しぶりに我が家へと足を踏み入れた。
蓮夜は元々横須賀の街に住んでおり、自らが所属する第1特別任務大隊の基地である横須賀基地は近所のようなものだ。
それにも関わらず蓮夜が家に帰れないのは、その特殊な訓練体制と即応性の維持のためだ。
「お帰りなさい」
玄関では蓮夜の母、志乃が待ち構えていた。まさしく慈母という言葉が似合うその姿と、年齢を感じさせない美貌を併せ持ち、ほんわかとした雰囲気を放つ彼女を、蓮夜はどこか苦手としていた。
「萌ちゃんが蓮の帰りを待ち焦がれてたわよ~」
「っちょ、母さんッ!?」
志乃がそんな言葉を放った途端に、玄関近くにある2階への階段をドタドタと美少女が駆け下りてきた。
どこかスポーツ少女然とした茶髪ポニーテールの少女である。胸は残念だが、それ以外はあらゆる女性が羨むほどのものだ。
普段はツンケンとしている彼女の顔も、今は羞恥のためか真っ赤に染まっていた。
「そ、そそそ、そんなことないしッ!?」
「あらあら~……。そこまで動揺してるとバレバレよ~?」
「ッ!?」
口をパクパクさせる少女。
彼女の名は萌香。蓮夜の妹である。
……もっとも、'義理の'という文字が彼女につくし、それだけでなく志乃や父親の優人にもそれがつくのだが。
ちなみに、志乃が蓮夜と萌香の名を呼ぶときは、それぞれ『蓮』と『萌』に略す。
「ま、蓮も早くあがって。いろいろとお話聞きたいしね。……主に萌ちゃんが♪」
「ちっがぁぁぁう! そんなことないって! ってか、今日のお母さんは意地悪!」
萌香は復活して必死に志乃の投下した爆弾に抗議する。
……なんだかんだ、志乃も蓮夜が帰ってきて少し舞い上がってるのだろうか。確かに蓮夜も自分が知るいつもの志乃よりも、萌香をからかう発言が多い気がした。
「……で、蓮の体験談を聞かせてもらいましょうか」
昼食を終え、リビングに3人とも集まって蓮夜の軍の体験談講義が始まった。志乃も萌香も気になるようで、蓮夜を急かす。
父親の優人は仕事だ。一般的な会社員をしている。
「体験談って言っても、そんな大したことしてないんだがな……」
蓮夜は困ったように頬を掻いた。
「最近は対フォルワナ戦を想定した訓練が多いかな」
「へぇ……。でも、フォルワナ共和国って日本よりも技術力で劣ってたよね? そんな訓練するほどのものなの?」
萌香が早速質問する。技術レベルで圧倒しているのだから、特別に訓練しなくても勝てるのではないか、と思ったのだ。
「技術や戦力、質で勝ってるからって対策しないのは油断だ。俺達は如何に犠牲を減らしてスマートに勝つかを考えないといけない。そのためにはフォルワナ共和国軍の装備や戦術を研究し、一切気も手も抜かずに備えないといけないんだ」
蓮夜はそう返した。第二次大戦後、日本軍はこれまでの戦闘記録から、自軍の損害の多くが油断からきたものであると分析した。その頃から、油断大敵を新兵教育や士官学校の教育で徹底して教え込むのが定着している。
そのおかげもあってか、同時期のアメリカやソ連に比べると、日本は致命的な軍事的失敗は極めて少なくなった。
「そっか……」
自分が思ってるよりも軍人達はフォルワナ共和国という脅威に対して本気で対策に取り組んでいることを知り、萌香は思わずそんな声を漏らした。なんだかんだで、やっぱり専門家は頼りになるのである。
「ま、実のところ、訓練の難度自体はチョロくなったが」
「ダメじゃん!」
萌香はツッコンだ。せっかく今まで油断大敵という言葉を、今までにないくらい彼女は重く感じていたのに、蓮夜の一言で完全に霧散した。
「仕方ないだろう? 萌香も言っていた通り、フォルワナの連中には高い技術力は望めない。ミサイルだって船に載せるデカくてトロい対艦用しかないし、戦車とかもあっさり潰せる。さらにはヘリすらないからなぁ……」
装備も遅れているが戦術も遅れているため、マトモにやり合えば苦戦しようがないのだ。
「だからまぁ、圧倒的不利な状況から大逆転を狙うような訓練が多くなりつつある」
「ふーん……例えば?」
「フォルワナ共和国軍の機甲部隊に囲まれた状況から脱出するVR訓練とか、戦線の後方に潜入して破壊工作を行うVR訓練とかだな。基本的にVR訓練が多いよ」
「……へぇ。聞いておいて今更だけど、訓練内容漏らしてもいいの?」
「テレビ取材も許可していたからな。実際のところ、守秘義務も課せられていないし大丈夫だ」
ちゃんとフォルワナ共和国に対策を講じているという軍のアピールだ。これも国民に不安を抱かせないための重要な任務である。
「対フォルワナ戦に関しては気にしなくても大丈夫だ。どうせ朝鮮戦争みたいなことになる」
日本が転移する少し前、日本と朝鮮連邦の間で戦争があった。史実とは違って、21世紀に入ってから起きた、日本・満州国連合軍と朝鮮連邦・北中国の戦争だ。
北中国に反日を焚き付けられた朝鮮連邦が感情的に暴走し、それを北中国が軍事的に支援した戦争。
その決着は2週間の内に着いた。
開戦初日とその翌日における海空戦で瞬く間に周辺海域における制空権と制海権を失った朝鮮連邦は、上陸した日本軍を地上軍によって泥沼の戦いに引きずり込む作戦に出た。
ところが、日本軍は一向に上陸せず、満州国軍も越境しなかったのだ。
行ったのは、海上封鎖と経済制裁、石油備蓄施設や資源備蓄施設への徹底的な空爆である。
そう、日本・満州国連合軍は朝鮮連邦を兵糧攻めにしたのである。さらには、その兵糧に火を放つ徹底ぶりである。
北中国からの支援も届かず、備蓄も空爆によって燃やし尽くされてしまった朝鮮連邦は無条件降伏した。
世界中から『どうして勝てると思ったのか分からない』と嘲笑されるに至った、よく分からない戦争である。
「なにそれ。テレビとかじゃ、フォルワナ共和国のことを大々的に報道してから、てっきりもっと強いと思ってたのに」
「この世界に来てから初の敵対国家だからな。多少は過大評価してしまうんだろう」
「ふーん……」
「フォルワナの連中は、俺達日本軍に勝てるつもりらしいが……ここら辺りも朝鮮戦争を匂わせるな」
「でも実際、日本以外なら脅威なんじゃない?」
「その通りだ。だから、各国は日本との軍事的関係を重要視してるわけだ」
「そっか……。で、さっきから母さんがニヤニヤしながら私達を見てくるんだけど……?」
蓮夜が志乃の方を見ると、確かに面白そうな表情で2人を見つめる志乃がいた。
「だって、萌ちゃんが楽しそうだもの。ここ最近じゃ一番楽しそうだわ」
「ふみゃッ!?」
奇妙な声を上げる萌香。この慌てぶりに志乃は思わず吹いた。
「な、何言ってんのよ!?」
「あらあら……。私は思ったことをそのまま言っただけなのに。図星だったかしら……?」
「こ、この……!」
「……あー、親子喧嘩なら後にしてくれ」
「ゴメンね、今日の萌ちゃんが面白くて、つい……」
「私をオモチャにするなーッ!」
うがーッ! といった表現が適切な勢いで己が母に噛みつく萌香。それを『ごめんあそばせ~』といった様子で受け流す志乃。
そんな2人を蓮夜は最高の相性を持った2人なのではないだろうか、と一人考えるのだった。
萌香と志乃の言い合いが終わって一息ついた時、志乃が新たな話題を提供した。
「そう言えば、沖縄の南に新しい島ができてたけど……。結局どうなったのかしら?」
彼女が言っているのは『希望島』のことだった。それについて、蓮夜はいくつか知っていることがある。
「あの島は現代科学では構造が解明できないらしい」
「……どういうこと?」
萌香が頭の上にクエスチョンマークを立てているかのように尋ねる。小さく首を傾げる仕草は、本人は意識していないようだが可愛らしさを感じる。
蓮夜はそれに関して内心で苦笑しつつ、萌香の疑問に答えた。
「あの島には共存するはずのない鉱産資源が数多く共存しているんだ。地球上では安定陸塊に多く偏在する鉄鉱石から、東南アジアなどの亜熱帯に多いボーキサイト。他にもレアメタル類や、錫、亜鉛や鉛、銅……。まるで、世界各地の資源鉱床を固めて島にしたかのような意味不明な構造をしている。地質学者が悲鳴を上げてるらしい」
蓮夜の語った内容は、聞く人によっては顎が外れるほどの大事件である。特に、彼が最後に付け足すように言った地質学者のような者達には。
だが、一般人である萌香と志乃にはそれほどインパクトはなかったようだ。
「へぇ~、凄いのねぇ……」
そんなことをニコニコと言い、明らかに分かってない様子の志乃。
「……なんかよく分かんない」
ちんぷんかんぷんといった様子を隠すつもりのない萌香。
(ま、こんなもんか……)
蓮夜は内心でそう呟いた。
実際に存在しているのだから、それはそれでいいじゃないか。一般人にとって、『希望島』の謎はその程度である。
「……全く、この世界はどうなってるんだろうな……」
蓮夜は2人には聞こえない程度の小さい声で、独り、そう呟いた。
「ねぇ、久しぶりに家族みんなで外食しに行かない?」
しばらく取り留めのない会話を続けていた3人だったが、途中で志乃がそんなことを言い出した。
「外食かぁ~。たまにはいいね!」
どうやら萌香も乗り気らしく、笑顔で頷いた。
「俺も異存はない」
蓮夜は特に表情を変えることなく、ただ首肯した。蓮夜は、家族や親しい人の前では少しは表情が変わるが、基本的に無表情である。あまり激しい感情を表にすることはない。
「じゃあ、お父さんに電話しなきゃね~♪」
「母さん、今は止めた方がいい。父さんも仕事中だろう」
今すぐに連絡しようとする志乃を蓮夜は諌めた。
「……それもそうねぇ。いつも仕事終わりが5時頃だから、そこらで電話しましょうか。駅前で待ち合わせ、ってね」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同日
日本 横須賀
横須賀中央駅前
18:47 JST
「いやぁ、遅れてすまなかったね」
どこか冴えない見た目の眼鏡をかけた痩せ型のサラリーマン姿の男性は、本当に申し訳なさそうな顔でそう言った。
彼は如月優人。蓮夜達の父親である。頼りない外見ながら、地味に会社の中ではそこそこの地位にいるらしく、実はなかなか有能な男……のはずだ。
実際、見た目からは想像できない。穏やかそうで、どこかのほほんとしている彼からは。
「仕方ない。仕事じゃあな」
そう言うのは彼を待っていた蓮夜。その側には志乃と萌香もいる。
「お疲れ様~」
「……お疲れ」
志乃はニコニコと、萌香は少し恥ずかしがるような様子を見せながら、今日の戦いを終えた1人の企業戦士をそう労った。
優人は嬉しそうな表情を隠しもしなかった。父親としては、愛する妻と娘に労いの言葉をかけてもらうことは何よりも元気の出ることなのである。
「さて、じゃあ行こうか」
人通りの多い駅前から近くの商店通りに向かう4人。
たくさんの一般人に紛れて、軍服姿の者達も見かける。横須賀基地が近いからだ。
4人が入っていったのは、人通りの多い場所から少し外れた場所にあるカレー専門店である。
横須賀は昔から海軍の街と呼ばれていて、その影響か海軍カレー屋がたくさんあると思われがちだが、実際のところ、ラーメン屋の方が多かったりする。
意外とカレー専門店は稀少なのだ。とはいえ、他の街に比べると多いのだろうが。
「いらっしゃいませー!」
若い女性店員に窓際の席まで案内され、そこに座る3人。
「ごゆっくりどうぞー!」
明るい元気な声でそう言う女性店員。
「さてと、何のカレーにしようかな?」
優人は早速メニューを手に取った。
この店には様々なカレーがある。オーソドックスなカレーからイカスミカレーなどの変わりものまで、その数は30を優に越えるだろう。
中でも一番人気なのが横須賀海軍カレーである。やはり元は海軍の街として栄えた横須賀。この横須賀海軍カレーが特産となるのも頷ける話だ。
……もっとも、海軍カレーは艦船ごとに細かな味付けが違うため、ここの横須賀海軍カレーはどこの艦の海軍カレーを再現しているのか分からない状態であるのだが。
結果、蓮夜は普通の辛口カレー、志乃はチキンカレー、萌香は普通の甘口カレー、そして見かけによらず冒険好きな優人は超激辛カレーというサンプル写真でも目が痛くなりそうなくらいに赤いカレーを注文した。
「……お父さん、それ、大丈夫なの?」
4人席のテーブルの上、それも優人の前に置かれた禍々しいほどに赤いカレーを見て萌香が思わず言葉を漏らす。
超激辛カレーからは、何か得体の知れないオーラが立ち上っているようにすら感じる。
「大丈夫大丈夫。さすがに食べられるように作ってるよ」
そう楽観的な意見を述べる優人。そんな余裕が崩れ去るのはすぐだった。
「「「「いただきます」」」」
4人は全員分のカレーがテーブル上に並んだところで一斉に食べ始めた。
「……ん」
蓮夜は特に表情を変えずに黙々と食べる。
「うーん、美味しいわ。どんな隠し味を入れてるのかしら?」
志乃は分析モードに入る。
「……甘口は恥ずかしくない甘口は恥ずかしくない」
萌香は呪詛のように自分に何かを言い聞かせながら目の前のカレーを食す。
そして、優人は。
「ではでは……」
そうやって赤いカレー的な何かを口に運ぶ優人。
その瞬間、いつものほほんとしている顔が固まった。
そのすぐ後に膨大な量の汗が出始め、顔色が赤になったり青になったり白になったりし、体がガクガク震え出す。
「……かはっ」
口を開いて出た言葉がそれだった。唇は赤く腫れ、彼の目からは涙が出ている。
「……み、みじゅ……」
舌もやられたのか、呂律も回らない。
この時優人は、もはや辛すぎてリアクションすら取れないほどのダメージを負っていた。リアクションが大きく取れる内はまだまだ余裕。本当にヤバいのはリアクションすら取れない時。
優人は今まさに、そのヤバいところまで来ているのである。
そんな彼に対する3人の反応は微妙なものだった。
「……バカなのか?」
「あらあら~」
「自業自得よね……」
優人は、蓮夜からは残念な人間を見るような目を、志乃は何故かいつものニコニコ顔を、そして萌香からは呆れたような目を向けられた。
水を飲んで少し落ち着いた優人は、頭の後ろを掻きながら苦笑いをした。
「あはははは……まさかこれほどとは」
全く想像できなかったよ、と言いながら、再びパクリ。
顔色がまた変わる。そして水を飲んで回復する。
「……もしかして、食い切るまでそれを続ける気か?」
「……まぁ、もったいないからね」
蓮夜の言葉にのほほんと返す優人。ある意味肝の据わった優人を見て、蓮夜は肩を竦めた。
優人は見た目は平凡でも、中身は非凡。それを再確認した形だ。
「うへぇ……あんまり無理しない方がいいよ?」
萌香がそう言うも、「大丈夫さ」の一点張りの優人。頼んだからには必ず食い切る。変なところで男前である。
そうして、優人は40分にも渡る激闘の末に超激辛カレーを殲滅したのだった。
帰り道、ちょうど電気街を通った時に、家電量販店前に出ているテレビにニュースが流れていた。
『本日、国会で阿賀野 首相はフォルワナ共和国と戦争になる可能性が高いことを認めました。これについて、野党の民衆党からは『平和への努力不足の現れ』といった批判が寄せられました。一方、同じく野党の旭日党は『フォルワナ共和国軍の徹底的殲滅を行い、最低でもフィルディリア大陸から追い出すべき』との意見が出ました。政府側は、『同盟国の防衛をメインにしつつ、今後の展開によって対応を柔軟に変えていく』との意見を示しました』
街頭テレビのそのニュースを見た人々は、連れの者と意見を言い合う。
「やっぱ戦争か。あっちが仕掛けてくるんだ、徹底的に潰すしかないだろう」
「奴らとの戦いで大きなものが得られるなら、フォルワナ共和国を倒してしまうべきだろうけど……。そんな国益を見込める戦争か?」
「安全に勝る利益はないだろう?」
「いや、むしろ……」
「それより……」
「もっと……」
「全く……」
その一つ一つの声は小さいものの、そこそこ広い通りを歩く人々が口々にそう軽く議論を交わせばガヤガヤとした大きな音に変わる。
その中には如月家の4人もいた。
「……いつかは戦わないといけないと思っていたけど」
優人はいつになく真面目な表情でそう言った。以前よりフォルワナ共和国は危険視されていたので、フォルワナ共和国との戦争という事態は一般人でも想定の範囲内である。
ただ、いざそれが現実のものになりつつあるとなると、多少なりと緊張感が漂うものだ。
特に、身内に軍人がいる者にとっては。
「……蓮には怪我してほしくないわ……」
そう心配げな表情を浮かべる志乃。それに対して少しばかり気恥ずかしく思いつつ、蓮夜は口を開く。
「大丈夫だ。そんな柔い訓練は受けていない」
実際のところ、厳しい訓練を受けて精鋭になっても流れ弾の1つでくたばってしまうこともある。だが、蓮夜は志乃を安心させるためにそんなことは一切漏らさない。
「………………」
萌香は複雑そうな表情を浮かべていた。兄には怪我したり、死んでしまったりはしてほしくない。その一方で、彼が活躍することを喜ぶ自分もいるのだ。
自慢の兄。それを持つ妹ゆえの葛藤かもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この日、いつもの日常の中で、日本の人々は戦争の予感を今までよりもはっきりと意識した。
史実日本よりも戦争慣れしているこの日本でも、やはり戦争となれば緊張感は出る。
これからしばらくの間、日本の日常のほんの片隅に、非日常的な緊張感が存在することとなる。