第18話
西暦2021年3月13日
日本 東京 首相官邸
第一会議室
08:55 JST
「さて、作戦の第一段階は上手くいきましたね」
上手くいった、という割には大して上機嫌でもない阿賀野 総理。
会議室には他に滝田 国防大臣と外務大臣、陸海空軍の総司令官達が集まっていた。
「そうだな。だが、本番はここからだ。我々の利益を確保してから、フォルワナの連中に講和を呑ませる。……策は既にあるから、上手くいくことを願うだけだ」
滝田 国防大臣の言葉に総司令官達が頷く。
「捕虜達はどうしていますか?」
「カルシアとテラストの捕虜収容所に放り込んでいる。残った敗残兵の掃討はエレミア共和国の派遣地上軍やドートラス首長国とルアズ王国の残存兵力に任せる予定だ」
「マスコミへの公表は?」
「本日1200を予定している」
阿賀野 総理の質問に次々と答えていく滝田 国防大臣。
そこで彼のスマホから着信音が鳴った。私用のものではなく、公務で使用する特別仕様のものだ。
「……失礼する」
滝田 国防大臣はそう断りを入れてから通話を行う。他の者も、その特別仕様のスマホが鳴った場合は緊急性が高い報告が入ってくることを知っているので、誰もとやかく言わない。
「俺だ。何があった? ………………そうか。分かった」
滝田 国防大臣は一瞬だけ表情を変えたが、またすぐに元の威圧感満載の厳つい顔に戻った。そして無駄口の1つも叩かずにさっさとスマホを切る。
「総理、緊急事態発生だ。与那国島近海にて海上保安庁の巡視船が国籍不明の艦隊を確認した。日本語、英語、ロシア語、中国語で警告を行った結果、英語で反応があった。話を聞いたところ、リガルダ帝国所属の艦隊らしい。外交使節を乗せており、我が国と話をしたいそうだ」
「……やはりリガルダ帝国が動き始めましたか。勝手にいろいろやるのかと思いましたが、意外にも律儀ですね」
「……彼らが何を望んでいるのか、総理は分かっているようだな」
「推測に過ぎませんがね。まぁ、我々としてもリガルダ帝国とまで事を構える必要はありませんし、可能な限り平和的にやっていきたいところですが」
阿賀野 総理は肩を竦めつつそう言う。別に今の日本にリガルダ帝国とフォルワナ共和国の両方を相手に戦争をするだけの力がない、というわけではない。ただ、採算に合わないのだ。
戦争はデメリットがメリットを越えた時点でさっさと切り上げるもの。リガルダ帝国が邪魔してくるのなら、旧ドリアナ王国解放作戦の中止も視野に入れなければならない。
もっとも阿賀野 総理は、リガルダ帝国の狙いは日本の邪魔をすることではないと考えていた。
「彼らもそろそろ国内だけで切り盛りするのに限界を感じ始めているのでしょうね」
リガルダ帝国は今まで鎖国状態であった。日本の江戸時代における鎖国とは違い、一切の貿易や交流を絶っている。例外はマート諸島の争奪戦における停戦協定を結ぶ際の交渉くらいだろう。
「では、彼らは沖縄に案内して下さい。こちらも外交官を飛行機で速やかに送りましょう」
「了解しました」
阿賀野 総理は外務大臣の返事を聞いて再び口を開く。
「恐らく、リガルダ帝国はフィルディリア大陸に進出したがっています。ですが、彼らとしても我々とかち合うのは嫌なのでしょう。我々だって嫌です。だから今回、彼らは来た。我々がどこまでやる気なのかを問うために。これは優先的に、迅速に片づけるべき案件です」
「そう言えば、大陸南西部ではリガルダ帝国の艦艇の動きが活発化していたな。それも関係しているようだな……。連中、マート諸島でもフォルワナに因縁があるし、弱ったフォルワナとやり合う可能性は否定できないな……」
阿賀野 総理の言葉に滝田 国防大臣がそう付け足す。客観的に考えて、阿賀野 総理の推測に無理はないように感じられる。
「とりあえず、我が国の狙いは旧ドリアナ王国領……正確には、そこのレアメタル鉱床です。それよりも西の地域に関してはリガルダ帝国が何しようが知ったことではありませんね」
「……あわよくば、両者とも消耗してくれればいいと考えているわけだな?」
「ま、その通りです」
阿賀野 総理は穏やかそうな顔立ちに少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべた。
その後、しばらくの間、各報告やそれに対する指示や評価を繰り返す。
やがて全ての議題が出し尽くされると、すぐに会議を解散し、外務大臣は外交官派遣の準備を急いで行うのだった。
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同日
日本 横須賀
某高校 女子テニス部 部室
13:14 JST
日本の国内の状況を見てみると、開戦前と大した変化はない。しかしながら、報道関係では戦争関連のニュースが次々と公開されており、どこか非日常的な雰囲気が人々の営みの片隅に鎮座しているように思える。
経済もそれなりに回復傾向にあり、人々の生活に大きな不安というのは少ない。まぁ、結局のところ、転移前とあまり変わらない生活に戻りつつある、ということだ。戦争関連以外は。
「……………………」
とある高校の女子テニス部の部室。この時期は授業が早めに終わるため、昼食後に活動を行う部活が多い。この部室を使う女子テニス部もそうだ。
早めに昼食を終えて仲間と共に部室へ入り、さっさとスポーツウェアに着替えてストレッチをしようとしていた少女は、ふとスマホでネットニュースを確認した。
「………………」
そのニュースはやはり戦争関連であった。現在、日本は戦争状態にあるのだから、当然と言えば当然である。
「萌香ー? どーしたの?」
ニュースサイトを覗く少女の背後から、また別の少女が抱きついてそのスマホの画面を覗き込む。
「朱里……! ちょっと苦しいんだけど?」
朱里と呼ばれた少女が萌香と呼ばれた少女の後ろから抱きつく体勢になっているが、朱里の腕が萌香の首に当たって、軽く締め上げるような状態だったようで、萌香は少し怒ったような声を上げた。
「あははー! ごめんごめん。んで、何見てんの?」
全く反省の色を見せずにそう訊く朱里。
彼女はショートカットの髪型をした童顔の少女で、スレンダーな体型をしている。彼女は萌香のクラスメイトであり、また同じ女子テニス部の部員でもあった。
性格は見ての通り明るい。女子テニス部のムードメーカーである。
「はぁ……。もういい。私が見てたのはこれ」
ずいっ、とスマホを朱里の眼前まで持っていく萌香。
その内容は戦争のニュースだった。
『日本軍、フォルワナ共和国軍を撃退! しかし、政府は戦闘続行の構え』
そんな見出しの記事。双方の死傷者数や具体的な戦況などが記載されており、それらを見る限り、日本軍の圧勝だったことが分かる。
また、野党各党が臨時国会を開くことを与党側に要求しており、それを承認したことが記されていた。
「んー? せんそーのニュース? あんた、こんなの興味あったっけ?」
朱里が首を傾げる。戦争のニュースなど、テレビなどで流れているのをチラリと横目で確認するだけなのが普通であるこの年頃。わざわざ戦争のニュースを見るためにニュースサイトを覗く行為は、朱里からしたら奇異に映ったらしい。
「まぁ、特別な興味はないけど……。前に言わなかったっけ? 私のお兄ちゃ……兄さんが軍人ってこと」
「んー、そう言えばそんなことを聞いたような気がする!」
萌香は普段通り『お兄ちゃん』と言おうとしたが、この歳になってそう呼ぶのも気恥ずかしくなりつつあった彼女は、慌てて『兄さん』と言い換える。
そんなことなど気にもかけず、なんだか頭の緩そうな返答をする朱里。別に学力は低くないのだが、そういう性格なのだ。
「ってことは、萌香のお兄さんがそのせんそーに参加してるわけ?」
「……そういうこと」
「へー……。まぁ、あんまり気を落とさないようにね。萌香がそんなのだと、お兄さんも悲しいだろうし!」
相変わらずのポジティブぶりを見せる朱里。彼女が男女問わずに人気のある理由だ。
「あはは……そうよね。私らしくなかったわ」
「うんうん。ついでに、無理して『兄さん』って言わなくてもいいと思うよ?」
「うひぇあ!? な、なんでそれを!?」
「いやいや……さっき言いかけてたじゃん。『お兄ちゃん』って」
「うぅ~……。な、なんか子供っぽくない……?」
少し頬を赤らめて萌香は問うた。朱里は首を傾げて考える。
「んー……。まぁ、大人っぽくはないよねぇ~。でも、そーゆーのって無理して飾るものでもないと思うんだけどなぁ~」
間延びした、正直言って真面目に答えているかどうかも分からないような口調ではあったが、言っている内容は案外マトモであった。
「てかさ、早く準備しようよ。先輩達に怒られるの、嫌だし」
「……賛成」
とりあえずこの話題は置いておいて、早急に眼前の問題を片づけることにした2人。何だかんだで国内の一般人にとっては、この戦争中の現状下においても生活は平和そのものであった。
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神暦708年(西暦2021年)3月13日
フォルワナ共和国 首都レイレダード
軍令部 総合管制室
02:33 現地時間
時間を少し遡って、一方のフォルワナ共和国。
苛烈を極める大陸の戦況とは打って変わり、首都レイレダードの夜は平穏そのものである。というのも、政府が情報統制を行っているからだ。ちょくちょく戦勝の報告が市民達に行われ、その度に市民達が沸く程度。レイレダード市民にとって、戦争とはどこか遠い野蛮な場所で行われている、自分達の生活には直接関わりのないことであった。
しかしながら、軍を司る軍令部ではそうはいかない。軍令部ではフィルディリア大陸東部へと勢力圏を広げるために送った軍が壊滅的被害を被っていることで、てんやわんやの状態だった。これは軍の威信に関わる話だけでなく、もはや国家的な一大事なのだ。フォルワナ共和国の国家戦略が根底から覆され、このことが人々に知れ渡れば大暴動が起こりかねないほどの。
そして、つい先ほど。最後に残っていた東進軍地上軍との交信が途絶した。
もはやこの期に及んで疑う余地はない。既にフォルワナ共和国軍東進軍は存在しないのだ。
「……………………」
困惑や混乱が交錯する総合管制室の中で、ザーチェフ長官は無言で佇んでいた。その顔は真っ青とか、そういった状態ではなかった。ただ、目の前の現実が信じられないかのような呆けた表情をしているだけ。
しばらくして彼は口を開く。
「……何故だ」
ザーチェフ長官は絞り出すように声を出す。
「……何故、こうなってしまったのだ……?」
それはこの場にいるほぼ全ての者が抱く疑問を代弁していた。
勝てるはずの戦いだったのだ。フィルディリア大陸東部の国々の力など、所詮は弱小国のもの。フォルワナ共和国軍が負ける要因はなく、圧勝が予期されていた。実際、途中までは上手くいっていたのだ。大陸中部での航空戦とドートラス首長国及びルアズ王国の国境防衛線を抜くまでは。
しかし、そこにイレギュラーが現れた。フォルワナ共和国軍東進軍を圧倒し、優位だった戦況を一気に覆されるほどに強大なイレギュラーが。
「……残った兵力は?」
ザーチェフ長官はオペレーターの1人に問うた。
「……植民地に陸軍12個師団がいます。ですが……」
オペレーターの言いたいことはザーチェフ長官にも分かった。
この12個師団を引き抜けば、各地の反乱勢力を押さえつけることが事実上困難になる。しかしながら引き抜かねば日本軍の侵攻を押し止めることはできない。
「……いや」
この戦力全てを日本軍に当てたとしても、果たしてどれほどの効力があるのだろうか。良くて足止め、悪ければそれすらもできないかもしれない。
しかし、政治的にも国家戦略的にもこれ以上の敗戦は許されない。
戦わねばならないのに、戦えば終わってしまうのだ。
「……大統領閣下に指示を仰ごう。もはや私の手には負えん」
力なくザーチェフ長官はそう言い、長官席のすぐ隣に置いてある電話の受話器を取る。それを大統領府へと繋いだ。
「……私だ。こんな夜中に私を叩き起こすのだ、よほど重要な案件のようだな、長官」
「……はい。先ほど、東進軍全軍との交信が途絶しました。……恐らく、全滅ないし、それに類する甚大な被害を被ったと考えられます」
ザーチェフ長官は静かに力なくそう告げた。受話器の向こう側で息を呑む音が聞こえた。怒りを噛み殺し、しかしながらザーチェフ長官の話し相手は受話器越しにも分かるくらいの怒気を漏らしている。
「……では、何かね? 絶対に勝てる戦争で君達は2個艦隊と1個航空団を犠牲にするだけに飽き足らず、正規軍8万人と現地の労働奴隷12万人を無駄に失ったわけかね?」
「……申し訳ありません」
「申し訳ない、で済む問題だと思っているのかッ!?」
フォルワナ共和国大統領のゴルナー・ドレルは遂に怒鳴った。
「植民地運営や軍にどれほどの金と国力を注ぎ込んでいるのか分かっているのか!? それに投資もだ! 貴様らがそんな体たらくでは、議員達や投資家が怒り狂うぞ!?」
フォルワナ共和国の議員達の多くは資産家や大企業のトップだ。当然ながら植民地へ投資したり、事業を展開していたりする。
しかし、今回の敗北。ドレル大統領は認めたくないが、客観的に見てどう考えても敗北としか思えない今回の戦闘の結果。これはかなりの被害を彼らに与えるだろう。
植民地の安全や新たな植民地の確保が為せぬとなれば、植民地ありきの事業を展開する数多くの企業が大損害を受ける。そこから波及するダメージも甚大だ。下手をすれば国ごと転覆しかねない。
自分達に敵う存在など大陸には存在しないと油断していたが故に、リスクマネジメントが不十分であった。
既に東進軍の大苦戦は各方面に伝わっている。敗北の知らせでなくとも既に少なからぬ混乱が生じているのだ。そこに決定的な敗北の知らせ。政治的にも経済的にも混乱するのは目に見えている。
「ザーチェフ長官、何としてでも勝利しろ。これ以上の失態は許さん。これ以上敗北を重ねた場合、国家反逆罪の適用も視野に入れさせてもらおう。……君にはまだ幼い孫娘がいるそうだな? 君のせいでその若い命を散らしてしまうのはあまりにも忍びない。……死ぬ気でやりたまえ」
一方的にそう告げられて電話は切られた。一方のザーチェフ長官はいろいろな感情が混ざりあった表情をしていた。
罰されるのが自分だけならまだしも、何の罪もない家族や幼い孫娘まで罰されるというのだ。怒ればいいのか、絶望すればいいのか、もはやザーチェフ長官には分からなかった。
しかし、彼がやることは1つだ。いや、それしか許されていない。
「……植民地に駐屯する全部隊を東に集中するのだ」
「ち、長官……! しかし、それでは……」
「やりたまえ! もう後がないのだ! それと、第三航空団の戦闘機だけでもいい、急いで東に送れ!」
「り、了解……!」
オペレーターは今までに見たことのないほどのザーチェフ長官の怒りに身が震えた。
近くにいた副官やその他の者はザーチェフ長官に内心で同情した。自分達とて身内を人質にされれば心穏やかではいられない。
そんな心情を悟ったのか、ザーチェフ長官は彼らに告げる。
「諸君らも他人事では済まんぞ。この敗北の責任、私一人が背負える程度の大きさではないからな……」
その瞬間、ザーチェフ長官の周りにいた者達の表情が真っ青になった。よく考えれば当然だ。これはザーチェフ長官だけの責任ではなく、軍全体に大きくのしかかる責任だ。トップ一人が罰される程度で他はお咎めなし、というのは考えにくい。
「分かったら死ぬ気でやるのだ。私もそうする」
ザーチェフ長官の目は据わっていた。この目はヤバいと誰もが思う目だ。
「……確か、暴徒鎮圧や実験・研究目的で植民地にアレが持ち込まれていたな?」
ザーチェフ長官は副官にそう訊く。副官は'アレ'とは何を指すのか、すぐに理解した。
「た、確かにありますが……もしや、使用するおつもりで?」
「そうだ。もう手段は選んでいられない。使えるものは全て使え。これは命令だ」
「了解しました」
ザーチェフ長官の命令に敬礼しながら了承する副官。
「ニホン……! 貴様らさえいなければ……!」
追い詰められたザーチェフ長官は呪詛のようにそう漏らすのだった。




