第10話
これまでで一番長い話です。
最後の方はけっこう雑になってしまいました……。
神聖暦709年(西暦2021年)3月10日
フォルワナ共和国 レイレダード
軍令部 総合管制室
08:04 現地時間
この日、フォルワナ共和国本国の首都レイレダードにある共和国軍の軍令部は恐慌の極みにあった。
今朝。現地では午前6時過ぎ。フォルワナ共和国ではまだ陽が昇らない4時過ぎという時間帯。
そこからフォルワナ共和国にとって信じられない報告が相次いで入ってきた。
空爆任務中の戦闘機隊が突然通信途絶。
未確認航空機による空爆で前線航空基地及び第二航空団全滅。
共和国第二艦隊から『敵の攻撃に遭遇』の無電の後、同艦隊が消息不明。
共和国第五艦隊に至っては『我、壊滅す。救援求む』という無電を送ってきた。
つまり、把握できている情報だけでも、侵攻軍の航空戦力と海上戦力がほとんど丸ごと失われた、ということが分かるのだ。
何よりも恐ろしいのは、これらが僅か5時間ほどの間に起こった出来事であるということだ。
「い、一体全体、何が起こっているのだ!?」
フォルワナ共和国国防長官のザーチェフ長官は、数多のスクリーンとオペレータがいる統合管制室の長官席で喚き散らすように叫んだ。
ここには、日本に比べると遥かに簡素なものではあるが展開している共和国軍全ての情報が集まっている。
しかし、今集まっている情報はフォルワナ共和国軍……いや、フォルワナ共和国という国家にとって恐ろしいものだ。
「こ、このようなことが……!」
不健康そうな男が震えながら呟く。彼は議会で東方侵攻の作戦概要を議員達に説明したコルストーラ少佐だ。
普段から不健康そうな顔つきだが、今はもはや死相が見え始めている。
「ニホンめ……! やってくれたな……!」
そして、ここには陸軍諜報部所属のルシア・ミューゼルス少尉もいた。彼女は陸軍諜報部からの出向という形でこの場にいる。
この場で唯一、この事態を引き起こしたのが日本であるということを確信している人物だ。
そして、ルシアはこの場で最も共和国の危機を察知するのが早い人間でもあった。
(これはマズイぞ……。陸軍がまだ無事とはいえ、それももうすぐニホンの攻撃で無力化されるだろう。……だが、本当にマズイのはその先だ。もしニホン軍に逆侵攻されようものなら……)
ルシアの脳裏には最悪のシナリオが組上がっていた。
日本軍がフォルワナ共和国軍の侵攻部隊を撃滅した後、もし逆侵攻してくるようならば、それに対応できる部隊は限られる。
航空戦力は本国から持ってこなければならないし、海上戦力も同じだ。だが、それらは本土防衛や対リガルダ帝国のためのもの。それらを引き抜いてしまうと、マート諸島でまた争乱が起きたとき、下手をすると戦力不足で今度こそ敗北する恐れがある。
さらには植民地の陸上戦力。実はこれが問題である。このままだと日本軍と対峙するのに植民地軍のほぼ全てを投入しなければならない。だが、それをすると今まで力で押さえつけてきた現地住民達が大規模な反乱を起こす可能性が極めて高い。恐らく増派の陸軍を送り込むこととなるだろうが、植民地の支配状況はこれまでよりもずっと悪くなるだろう。
つまり、この時点でフォルワナ共和国は戦力の大幅喪失によって国家戦略的に敗北しているのだ。
たとえ、この戦争に勝とうが負けようが関係ない。フォルワナ共和国が危機に陥っていることに違いはないのだから。
「本当に……! 余計なことをしてくれた……ッ!!」
ルシアは思わずそう漏らす。彼女が危惧していたことが現実となりつつある。
「おのれ……ッ!! 蛮族共が! 政治屋共にどう説明すればいいのだ!?」
コルストーラ少佐がヒステリックに叫ぶ。彼自身が大陸東進を'必勝'と議員達に説明してしまったのだ。当然、彼もかなり責任追及に晒されるだろう。
「そんなことよりも対策だ! 政府に説明して増派の軍を派遣せねば……」
ザーチェフ長官の焦りと動揺を隠せない声を聞きながら、ルシアは現在の状況を整理する。
フォルワナ共和国陸軍の兵力は62個師団の60万人。内、8個師団は侵攻軍に、もう12個師団は植民地にいる。
フォルワナ共和国空軍には4つの航空団がいるが、既に第二航空団は全滅している。さらに航空基地もやられているとなると、侵攻軍の航空支援は不可能である。アレーナ飛行場、ブラヴィル飛行場を除くと、航続距離不足でどの基地からも支援に向かえないのだ。さすがに裸の爆撃機を向かわせるのはマズイ。
フォルワナ共和国海軍は5つある艦隊の内、2つを失った。陸海空軍の中では一番キツいダメージだ。まだ虎の子の第一艦隊があるが、本土防衛のためにそう簡単に出せるものじゃない。第三艦隊はマート諸島でリガルダ帝国と対峙している。動けても第四艦隊だけだ。しかし、第二艦隊と第五艦隊を潰した相手に対して第四艦隊だけで向かわせるというのは酷な話である。
「……マズイ。マズすぎる」
ルシアは頭を抱えたくなった。日本を脅威だ、警戒すべきだ。そう言っておきながら、その自分ですらも日本を甘く見ていたのかもしれない。
まさか、1日……いや、僅か5時間程度でここまで被害を受けるとはルシアですら思わなかったのだ。
(というか、どうやって予測しろというのだ……! 1個航空団、諸々合わせると300機はあるのだぞ……!? 艦隊だって2個艦隊もいたのに、それらが夜明けから昼前までに全部消し飛ぶなんて誰が予測できるというのだ……!)
だが、いつまでもこうしていても埒があかない。ザーチェフ長官の言う通り、早く対策を考えねばならない。
(……まぁ、本当に対策なんてできるのかは疑問だが)
なにせ、敵の情報がない。情報がない以上、出せる戦力を出すしかできないのだ。
だが、そこに新たな報告が入る。
「ゆ、輸送艦隊より入電! 敵潜水艦の魚雷攻撃によって、物資輸送をしていた輸送艦4隻が沈没。潜水艦を追い払おうとした駆逐艦2隻が撃沈されました。敵潜水艦は健在であると思われます。場所はリステア水道!」
「な……っ! 通商破壊作戦だと! しかもリステア水道……!」
ザーチェフ長官は唖然とする。リステア水道とはフォルワナ共和国から旧ドリアナ王国領へ物資を輸送する際に使う北回り海洋ルート上にある。そのルートの中でもフォルワナ共和国に比較的近い海域だ。
「リステア水道まで敵潜水艦が浸透しているというのか! これでは、大陸への物資輸送は困難だぞ……!」
ザーチェフ長官はそう言う。だが、ルシアの視点は違った。
(いや、むしろ奴らの狙いは逆じゃないのか……? 大陸から本国への資源輸送を妨害しようとしているのでは?)
だとすれば、さらに状況は悪くなる。戦争に勝つ負ける云々の前に、フォルワナ共和国の経済が崩壊を迎える。資源が入ってこなければ国民は元より大して高くない生活水準を劇的に落とさねばならなくなる。
「……軍の威信回復の狙いもあった今回の軍事作戦が、よもや共和国崩壊の危機をもたらすとは……」
皮肉。そんな言葉では済まされない事態だ。
だが、同時にルシアは自らの責任も自覚している。軍事行動に必要な情報の確保を怠った機関の中には、彼女が所属する陸軍諜報部だってあるのだから。
フィルディリア大陸諸国の情報は集まっていた。スレイン諸島連邦が、国力は低いものの高い技術力を持つことも分かっていた。
それなのに、日本の情報だけが致命的に不足していた。多少手強い連中もいるが、それでも勝てる敵ばかりだった故の油断があった。
「東進軍野戦司令部より入電! 敵航空機が補給所や物資集積所、通信施設への空爆を開始。東進軍の軍事行動に大きな支障が発生する可能性大!」
「またか!」
度重なる絶望的な報告。日本軍の作戦は『絶望の夜明け(Dawn of despair)』という名の通り、この日の夜明けをフォルワナ共和国にとっての'絶望の夜明け'にしていた。
ルシアは底知れぬ日本の力に、不覚ながらも恐怖を覚えたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同日
フィルディリア大陸 中西部
野戦司令部
12:07 現地時間
ドタドタと慌ただしく駆けていく軍人の足音が聞こえる。
国立学校の生徒で、後方支援要員としてこの野戦司令部にいるエリナは、朝起きてから妙に軍人達の様子がおかしいことに気づいていた。
いつも通り雑用を任されていると、当然ながら階級の高い人間とすれ違うことだってある。その彼らの表情が目に見えて青いのだ。とてもじゃないが、何が起こったのか聞ける雰囲気ではない。
「何が起こってるんだろ……?」
「さあね、現場で行き違いでもあったんじゃないの?」
何が入っているのか分からない箱を運びながら塹壕内を歩くエリナが呟くのに対して、その後ろに続く友人のシェリアがそう答える。
2人の声音には不安というよりも好奇心の色合いが強い。やはり、自分もこうやって軍の手伝いをしている以上、今の状況が気になってしまうのである。
2人は荷物を所定の部屋に置き、また元来た道を戻る。
その途中、塹壕内の部屋になっている場所の前の通路を通り抜けようとした時、軍人達の話し声が聞こえてきた。
そこでシェリアが提案する。
「エリナ、何を話してるのか聞いてみない?」
「えぇ? そんなことしていいのかなぁ……?」
「いいっていいって! そんなの聞かれる方が悪いのよ!」
気が進まない様子のエリナにそんなことを言うシェリア。というか、シェリアは話の内容が気になって仕方ないようだ。エリナの返事を待たずして盗み聞きを始める。
エリナはそんなシェリアの姿を見て溜め息を吐きつつも、自分も一緒になって盗み聞きを始める。
「……なんてこった。そんなことが……」
「だが、いくらなんでもそれはデマだろう?」
そんな話し声が聞こえる。話しているのは3人。いずれも士官階級であるようだ。
「なんか厄介なことが起こったみたいね」
「だね……」
シェリアの呟きにエリナが同意する。
「本当に有り得るのか? 第二航空団が壊滅して、第二艦隊と第五艦隊が消息を絶ったなんて……」
「えっ!? むぐっ!?」
「エリナ、しーっ!」
士官の1人の言葉に、思わず声を上げるエリナ。シェリアは慌ててエリナの口を塞ぐ。幸いにも士官達にエリナの声が聞かれた様子はない。
「……どうやら本当らしい。本土の軍令部じゃ、もう大混乱らしいからな……」
「だが、昨日までは何ともなかったじゃないか……」
「事が起こったのは今朝かららしい。ほんの数時間の出来事だよ……。さっき聞いた話だと、アレーナとブラヴィルの飛行場を破壊した所属不明の航空部隊は、今度は俺達フォルワナ共和国陸軍の補給所や物資集積所、それに通信施設に攻撃を加えているらしい……。その内、ここもターゲットになるかもな」
「だが、いくらなんでも信じられん」
「俺も最初はそうだったさ。だが、ディース大将の慌て具合を見ると、どうやらマジっぽい」
「たかが蛮族ごときにそこまでしてやられるとは……」
「どうやら、敵には高い技術力を持った連中が紛れ込んでいるらしく、その国の名前はニホンらしい……」
「ニホン……」
「ああ。そして、そいつらの情報が足りなくて上は困っているらしい。ディース大将の喚き声って面白いよな、俺達が知るはずもない情報が次々と漏れ出てくるんだから」
「おいおい……。あんまり上官の陰口を言うんじゃないぞ? バレたら殺されるぜ」
「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃな……」
そんな会話をする3人。その会話を盗み聞きしたエリナとシェリアは驚嘆を隠し得なかった。
この2人とて、フォルワナ共和国軍が強大であることは知っていた。だが、まさかフォルワナ共和国軍がこの戦争で劣勢に立たされているとは夢にも思っていなかったのである。
そっとその場から離れる2人。通路を歩いてしばらくして、シェリアは口を開く。
「ねぇ……これってかなりヤバイんじゃない?」
「……そう、だね。もしかしたら敵がここに来るかも……」
だからと言って逃げるのは不可能。この場にいるのは祖国への奉仕という義務。それから逃げ出した2人を祖国が温かく迎えてくれるとは到底思えない。
「誰かに相談するとか……は無理ね」
相談したところでどうしようもないし、盗み聞きした内容を誰かに話して、自分達が盗み聞きしたことを軍人達に知られるのはいろいろとマズイ。
「柄じゃないけど、神様に祈るしかないかしらね……」
シェリアはボヤくように言う。彼女は敬虔なオーラルド教信者ではない。国教であるから信仰しているフリをしているだけだ。
実際に神様がいるのならば、もっと世界は理想的なものになっているはず。そう考えているシェリアには宗教というものは合わなかった。
エリナも特に敬虔な信者というわけではない。そういった方面にけっこう疎いのだ。
彼女達のように空気の変化を察知した生徒達は少なくなかった。しかし、何の説明も為されぬまま、時間は過ぎていくのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同日
ルアズ王国 沖合
海上
14:00 現地時間
「信じられんな……。目の前に実物があるというのに……」
クーゲル大佐は驚き疲れたかのように呟いた。
彼がいるのは超巨大空母『赤城』の艦橋である。艦隊が壊滅し、救命ボートで艦から脱出していたクーゲル大佐達、共和国第五艦隊の生き残りの将兵達は日本海軍第五空母機動艦隊によって救助されていた。
最初、ヘリコプターを見たクーゲル大佐は、遂にここで殺されるのかと覚悟を決めていたが、彼が見たのは日本軍による救助活動であった。
やがては艦隊ごとやって来て、生き残りの将兵達全てを救助していったのである。
その時、『赤城』と『加賀』の排水量115000tの巨体を見たクーゲル大佐は、共和国艦隊の敗北にどこか納得がいった。これほどの巨艦を建造できる国が弱いはずがないと。
彼らは『赤城』や『加賀』、蒼龍型護衛空母の『天龍』といった大型艦に分乗させられた。
救助こそされたクーゲル大佐達だったが、彼らはまだ安心していなかった。これから拷問や厳しい尋問が待っていると考えていたからだ。
しかし、待っていたのは温かいコーヒーと毛布、そして降伏への同意要請だった。降伏してさえくれれば、捕虜として丁重に扱うと日本側は申し出てきたのだ。
クーゲル大佐は驚愕した。今まで先進国家として大きな顔をしてきたフォルワナ共和国よりも文明的な対応を、蛮族蛮族と共和国国内からは言われている連中が自ら当然のように行っているのだ。
その時にクーゲル大佐は悟ったのだ。敵はフォルワナ共和国よりも遥かに先進的な文明を持つ国家であると。
それからしばらくして。
捕虜となったクーゲル大佐達は大人しく過ごしていたが、『赤城』に乗せられた共和国軍人の中で最も階級の高い彼は、日本海軍第五空母機動艦隊の司令官と『赤城』艦長に面会するために艦橋にやって来ていた。
その途中、彼は『赤城』の飛行甲板を見ていたのである。そこで先ほどのセリフだ。
「航空機を船から飛ばすとは……。突飛な考え、と言いたいところだが、俺は……俺達はこれに負けたのだったな」
クーゲル大佐は呟く。フォルワナ共和国のいた世界には航空母艦という存在はなかった。戦艦は衰退しつつあったが、それはミサイルが登場したからである。まぁ、実用化できていたのはフォルワナ共和国だけだったが。
これほどまでに巨大な艦艇である理由。それがこの海上飛行場とでも言うべき飛行甲板。それなりの長さがなければ、たとえカタパルトがあっても発艦することは叶わず、結果的に空母という艦艇は大きくなる。
ミサイル運用思想によって過度に巨大な艦艇は不要とされているフォルワナ共和国だが、これを見ると一概に断言できるものではないのだろう。
「これを建造するのにどれだけの技術と金が使われているのか……。搭載されている航空機も、我々のものに比べれば見ただけで先進的だと分かる……。何という国に喧嘩を吹っ掛けてしまったのか……」
クーゲル大佐は小さく、だが万感の思いをもって呟く。
クーゲル大佐を艦隊司令官と『赤城』艦長のいる部屋まで案内する日本海軍兵は、目敏くそれを聞きつけ、どこか誇らしげに歩いていた。クーゲル大佐としては彼に聞かせるつもりはなかったが、思わず自分が思っているよりも大きな声を出していたようだ。
「ここが司令室です。私が先に入りますので、あなたは私の後に続いてください」
そう言って、海軍兵は身嗜みの再確認をする。問題ないことを確認した彼は、ドアを3連続のノックを2回を行った。
「……入りたまえ」
中からの声。それを聞いた海軍兵はドアを開け、「入ります!」と大きな声を上げて中に入った。
クーゲル大佐も続いて入る。海軍兵はクーゲル大佐が入ると、音をたてないようにドアを閉め、そこから回れ右をして司令官席に座る艦隊司令官とその隣に立つ『赤城』艦長に正対する。
そして10°の敬礼。帽子を被っていない今は、腰から10°前に曲げて少し頭を下げる動作が敬礼となる。
そして元の体勢に戻って、すぐに声を張り上げた。
「航空母艦『赤城』第3整備隊、篠原 上等兵は、捕虜の中で最上級士官の方を連れて参りました!」
「うむ、ご苦労。では、部屋の外の廊下で待機してくれたまえ。彼の帰りの案内も頼むよ、篠原 上等兵」
「了解しました!」
艦隊司令官の言葉にそう返す海軍兵……篠原 上等兵。
ここまでのやりとりをクーゲル大佐は理解できないでいた。というのも、フォルワナ語ではなかったからだ。
この世界では英語はフォルワナ語やフィルディリア語と呼ばれ、各国の言語である。アルファベットも健在だ。フォルワナ語は少し文字に関しては異なる箇所があるようだが、フィルディリア語に関しては英語とほぼ完全に一緒だ。
故に、ここでの日本語のやりとりの内容はクーゲル大佐には分からなかった。だが、篠原 上等兵の様子から、どうやら入室儀礼を行っていた、ということは理解できていた。
そこでクーゲル大佐は日本軍人の練度に驚く。一兵卒までがここまで徹底した入室儀礼を行えるのだ。フォルワナ共和国では士官ぐらいしか、ここまで儀礼にこだわることはない。というか、儀礼の動作こそ国の違いもあって全然異なるが、フォルワナ共和国軍は士官ですらここまでキッチリとした入室儀礼はやらない。せいぜい少し気をつけておくくらいだ。
日本軍のように、ここまでキビキビした動きはない。
「どうぞ、艦隊司令官がお話したいようです。私は部屋の外でお待ちしておりますので、帰りのご案内もお任せください」
「あ、あぁ。ありがとう」
篠原 上等兵はフォルワナ語でクーゲル大佐に告げた。篠原 上等兵は士官ではないが英語を話せる。故に案内役を任されたのである。
まぁ、英語を話せる日本軍人は珍しくないのであるが。
篠原 上等兵は艦隊司令官と艦長に正対し、再び10°の敬礼を行う。
「失礼します!」
篠原 上等兵は回れ右をして静かに退室していった。
「……さて、こちらにおかけください」
「ありがとうございます」
艦隊司令官が柔和な笑顔を浮かべながら、部屋の端にある応接用のソファを勧める。彼自身も執務机の席から立ち上がり、そちらに移動しようとしている。
クーゲル大佐は感謝の言葉を述べて言われた通りにした。
艦隊司令官と艦長が座るソファに対して、テーブルを挟んで対面側のソファに座るクーゲル大佐。これで3人の軍服がスーツであったのなら、営業のサラリーマン同士が商談をしているようにも見える。
「まずは自己紹介をしましょう。私は日本海軍第五空母機動艦隊の司令官である津志田です。階級は中将です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
津志田 中将は少しふっくらとした男性で、穏やかな顔立ちと優しげな声質を持っている軍人とは思えない人物である。
艦隊の将兵達からは『癒し系提督』や『ふっくら仏』という渾名をつけられているほどに親しまれている。
「そしてこちらが……」
「私は本艦の艦長である柳沢 です。あなたと同じ大佐です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
挨拶を済ませたところで津志田 中将は本題に入った。
「今回あなたにご足労願ったのは、情報提供を求めるためです」
その言葉を聞いてクーゲル大佐は首を横に振った。
「これほどの待遇をしていただいている立場でこういうことを申し上げるのも心苦しいのですが……、私も祖国に忠誠を誓った身。軍事機密や作戦行動、友軍の編成などはお答えできかねます」
クーゲル大佐はキッパリと断った。ヴァズ中将のような、本当にどうしようもないクズも多いフォルワナ共和国であるが、それでも自分を育んでくれた偉大な祖国なのである。そういった情報を漏らす気はさらさらなかった。
ところが、津志田 中将はその返答を聞いて柔和な笑みを浮かべていた。
「いえいえ、そういったことは尋ねませんよ。私とて軍人、国は違えど立場は似たようなものです。あなたの気持ちや考えは理解しておりますとも。……我々が聞きたいのは、フォルワナ共和国の文化や歴史、国の気風などです」
「……そんなことでよろしいので?」
クーゲル大佐は困惑しながらそう返す。どうも自分の思っていたものとは違う。正直、尋問くらいはされるのだと思っていたのだが、日本側にその意思が全くない。
「ははは……。不思議そうな顔をされてますな」
クーゲル大佐の表情を見て津志田 中将は言った。
「我々とて尋問くらいしますよ。ですが、それはそうしないといけない時やそれが最良であると判断された時だけです。好き好んでそうしようとは思いません」
先進国の軍隊は国際法を遵守することを求められる。発展途上国の軍隊も国際法を守らねばならないが、まずは先進国が手本とならねばならない。
当然ながら前世界には捕虜の扱いや人権に関する国際法が存在していた。そのため、日本軍の捕虜の扱いのマニュアルもそれに沿ったものだ。
そして、現在の日本軍は転移後も捕虜の扱いに関するマニュアルはそのままにしてある。結果、今次の戦争においても、たとえ国際法がなくとも捕虜の人権はある程度守られるのである。
まぁ、日本の世論のこともある。フォルワナ共和国が横暴だからといって、自分達も同じようなことをする必要性を日本国民は今のところ感じてはいなかった。
何よりも誇りがある。フォルワナ共和国のような'野蛮な国家'ではないという。お前達とは違うのだという。
故に日本軍は捕虜の扱いは丁寧であるのだ。捕虜になる前は鬼よりも恐ろしいのだが。
「なるほど……。我々が負けるわけですな」
クーゲル大佐は肩を竦めた。
技術的な問題、国力的な問題など負ける要因はいくらでもあるだろう。これだけ高度な兵器システムを運用できる国の技術力が低いはずがないし、このレベルの艦隊を編成できる国の国力が低いはずもない。
だが、クーゲル大佐はそれらではないところにも敗北の原因を見たような気がした。
それは文明度や民度といったものだろうか。人間としての知性、もしくは道徳的な観点だろうか。
ともあれ、クーゲル大佐は、フォルワナ共和国は日本に'人間的に負けている'と感じていた。それは民族主義や選民思想とは違う、もっと尊いもの。人の精神性に関するものだ。
日本という国が持つ道徳観。それが国としてのレベルの高さを表しているようにクーゲル大佐には思えた。
もっと単純な言葉で言うのなら。
クーゲル大佐には日本の対応に強者故の余裕を見た気がした。油断や怠慢といった、そういった負の概念ではない余裕を。
「で、教えていただけるのですかな? 貴国の文化や風習を」
津志田 中将は改めて問うた。
「……もちろんです。そんなことでよろしいのなら」
クーゲル大佐はそう答えた。津志田 中将はその答えに満足げな笑みを浮かべた。
「それはよかった。たとえ敵対国家とはいえ、ある程度の理解をしておかねばなりませんからね。相手がどのような国で、どういった人々が住んでいるのか、とね」
異文化理解は言葉ほど簡単じゃないのですがね、と津志田 中将は付け加える。クーゲル大佐もそう思った。というよりも、彼の祖国は異文化の理解など初めからする気がなかった。
そもそも『高等種たるフォルワナ人が下等種たる原住民から教わることは何もない。むしろ下等種共が我々フォルワナ人に合わせるべきだ。それによって世界に真なる秩序と文明が生まれる』と平然と演説する人間が国の上層部に蔓延っているのだ。
異文化理解をしろ、という方が酷であろう。
「そうですな……。まずはフォルワナ共和国の建国についてお話ししましょうか」
クーゲル大佐は津志田 中将の求めに応じて話し始めた。
王政時代の終わりから共和制へ。そこから蒸気機関の発明による産業革命。そして列強国家による植民地争奪戦……。
フォルワナ共和国が辿ってきた歴史だ。
そしてフォルワナ共和国の文化や風習。津志田 中将は特にフォルワナ共和国の国教であるオーラルド教について詳しい説明を求めた。
そして彼は、してはいけないと思いつつも顔を顰めてしまった。
「……やはり不愉快ですかな?」
クーゲル大佐はそう尋ねる。
「……まぁ、何と申しましょうか……。異文化理解の困難さを噛み締めているところですな」
「仕方ありません。オーラルド教はあなた方の言う『異文化理解』を否定している教義ともとれますからね」
クーゲル大佐は言う。
オーラルド教は簡単に言うと、オーラルド神に認められし正当なる人間であるフォルスターン人の末裔たるフォルワナ人こそがこの世の絶対的指導者であるべき、という考え方をしている。
そのため、世界中にフォルワナ共和国の風習を定着させることを目標の1つとしており、それ以外の文化はオーラルド神を侮辱する邪悪なる風習としている。根本的に異文化理解をかなぐり捨てている。
「なんでそんな教義になっているのやら……」
そもそも、このような選民思想的な宗教は広範的ではないため、宗教としての目的の1つである信徒の増加はなかなか見込めない。フォルワナ人以外が信仰することはないだろう。
地球にも選民思想的な宗教はあるが、それでもここまで過激なものはないように思われる。
そんな津志田 中将の疑問にクーゲル大佐が答えた。
「それは、国家指導者達が教会トップと癒着して、教義を変えていったからですよ」
「……堕落したのですな」
「そうです。もはや元の面影はないとすら言われていますね。もちろん反対した者も多かったのですが、その多くが背信容疑や冤罪で処刑されていきました。辛うじて生き残った僅かな者達が、教会の闇について細々と語り継いでいき、それほど敬虔な教徒でもない民達の間で都市伝説として根づいています。ほとんど事実に近いものとして、ね。もちろん教会にバレたら殺されますがね」
「なるほど……」
津志田 中将はフォルワナ共和国の国情を何となく理解した。
フォルワナ共和国では国家運営が世襲制の議員によって行われており、彼らの都合が良いように政策は施行されている。
また、政府と宗教界の癒着が強く、国教であるオーラルド教によって国民の不満の矛先を他国や蛮族に向け、教義を国にとって都合が良いように変えていき、国民世論をある程度政府がコントロールしている。
はっきり言って、このままでの和解は不可能だ。フォルワナ共和国は他者との共存を是とせず、あらゆる他国や他勢力を自らの下に置くことで自国の力を強めている。
それからも話し合いは30分ほど続き、やがてお開きとなった。
「クーゲル大佐、今日はありがとうございました。有意義な時間を過ごせました」
「いえいえ、それは私のセリフです。私もニホンのことを知ることができましたから」
津志田 中将とクーゲル大佐は互いにそう言った。あの後、クーゲル大佐は日本のことについて津志田 中将や柳沢 艦長に尋ねていたのだ。
そして、日本の強大さを知った。一都市圏で国を形成できるような都市圏がいくつか存在すると聞いたときは俄に信じがたかったが、自分の常識を次々と覆していく日本のことを考えると、クーゲル大佐は事実であっても仕方ないと思った。
クーゲル大佐は津志田 中将と柳沢 艦長に挨拶をして、部屋から退出するのだった。




