第5話
西暦2021年3月7日
日本 東京
首相官邸 会議室
14:11 JST
この日、フィルディリア大陸中部で大規模な航空戦が発生した。時間は早朝、結果はJ-EFCTOの完敗というものだった。
この時、既に日本政府は動いていた。というのも、フォルワナ共和国軍の進軍開始を一番最初に知ったのは衛星を持つ日本なのだ。フォルワナ共和国軍侵攻を各国に伝えたのも日本である。
「現状報告をお願いします」
阿賀野 総理は急遽行われた緊急閣議において、滝田 国防大臣にそう言った。
「了解した。……これを見てくれ」
自動でカーテンが閉まり、室内が暗くなったところで壁面にプロジェクターで映像が映し出される。その映像はフィルディリア大陸を中心にした地図である。東の端に日本、西の端にフォルワナ共和国がある。
そして、フィルディリア大陸の西半分を塗り潰す、敵を示す赤。逆に東半分を塗り潰す、味方を示す青。
「本日の早朝、ドートラス首長国とルアズ王国にフォルワナ共和国軍の航空部隊が領空侵犯を行い、国境防衛のために出撃した大陸諸国の航空部隊と交戦した。出撃した大陸諸国の航空部隊は壊滅的打撃を受けたと見られる」
「やはりですか……」
阿賀野 総理は眉を顰めた。
やはりレシプロ機とジェット機では戦いにはならない。亜音速戦闘機とはいえ、大陸諸国のレシプロ機相手では鬼神の如き強さを発揮する。
なにせ、大陸諸国のレシプロ戦闘機は最高速度450km/h程度。一撃離脱でもされれば、正直手も足も出ないだろう。
「現在の我が軍の展開状況はこうだ」
地図上に日本軍を示すマークが表示される。
「まず、空軍の航空部隊がエレミア共和国の航空基地に移動している。規模はF-15JとF-2Aの飛行隊がそれぞれ3つずつの約100機の戦闘機。それに加えてAWACS 3機に空中給油機6機、その他支援機も派遣している。整備機材等は輸送機で可及的速やかに予定分を送っている最中だ」
最近になり、ようやくジェット機対応の航空基地の整備が完了したエレミア共和国。そこに数多くの日本空軍機を送っている。それに応じて、大量の燃料とミサイル・弾薬も送っている。
とりあえずは時間がないので輸送機で。輸送艦と陸路による物資輸送も行っているが、到着まで時間がかかるだろう。
今になって日本軍がフィルディリア大陸に常駐できなかったのが悔やまれる。航空機はジェット機対応の航空基地がないために、艦船は整備拠点がないために常駐できなかった。そして、日本空軍によるエアカバーがない状態で陸軍を常駐させることもできなかったわけである。はっきり言って、フィルディリア大陸諸国のエアカバーは当てにならない。
「海軍は北海域に第五空母機動艦隊、南海域に第一艦隊を派遣。潜水艦も敵への通商破壊、及び艦隊攻撃のために向かわせている」
日本海軍には3個の主力水上打撃艦隊と2個の空母機動艦隊、5個の護衛艦隊に加えて潜水艦群の主力戦力がある。
主力水上打撃艦隊は、核融合炉とレールガンを搭載した長門型攻撃巡洋艦の拡張型となる大和型戦艦を旗艦とする大規模艦隊だ。構成艦艇は19隻。大和型戦艦 1隻、長門型攻撃巡洋艦 2隻、ミサイル巡洋艦 3隻を主力とする。大和型や長門型の攻撃力を思えば、この艦隊は恐ろしいことこの上ないだろう。
そして、主力水上打撃艦隊の大和型と長門型の代わりに翔鶴型融合炉空母 2隻を据えた艦隊が空母機動艦隊だ。翔鶴型融合炉空母の戦闘機搭載数は約100機。下手な小国の空軍力を単艦で上回ってしまう。それがこの艦隊に2隻。まさに悪夢である。
主力水上打撃艦隊と空母機動艦隊が1つずつ。それらがフィルディリア大陸に派遣されるのだ。敵国の人間が現実を知って絶望する様子を想像し、阿賀野 総理は内心で笑みを浮かべた。見た目とは裏腹に、彼にはサディストの気があるように見受けられる。
「そして陸軍は民間のro-ro船やフェリーに協力してもらいながら、可及的速やかに8個師団規模を送っている」
この日本においても輸送力不足が日本軍の問題としてある。基本的に国防を重視する日本陸軍の運用思想上、8個師団もの大軍を速やかに戦地に派遣することは単独では不可能なのだ。
それ故、有事の際は民間から輸送能力のある船を有償で借りることがある。それが今回のケースだ。
元々、平時では日本陸軍は海外に多くても1個師団程度しか派遣しない。それ故、軍の輸送艦は4~5個師団程度までしかカバーできないのだ。
「陸軍はルアズ王国のテラスト、ドートラス首長国のカルシアにそれぞれ輸送され、その付近に展開する予定だ」
日本軍は、制空権を得るまではフォルワナ共和国陸軍は動かないと予想している。この速度でのフォルワナ共和国軍の侵攻であれば、ちょうどテラストとカルシアという名の港町の近くが前線になる。
そこでフォルワナ共和国陸軍侵攻部隊と決戦を行う。それまでに日本空軍及び海軍は制空権・制海権を得なければならない。
日本空軍及び海軍は今後3日以内に戦闘態勢を整える。陸軍は展開に1週間程度を要すると見られているため、4日で敵航空部隊と敵艦隊を潰す必要がある。
「大丈夫だ。衛星で敵艦隊の行動予想範囲、敵航空基地の位置は既に割れている。そんなに難しい話ではない。軍を信用しろ」
上手くいくか少し不安そうな表情を見せた阿賀野 総理に滝田 国防大臣はそう告げる。
「あと、この場で会議せねばならない事項がある」
この場にいる全員が息を呑んだ。
「この戦争の終わらせ方だ」
滝田 国防大臣が言う。
「現在、我々にはフォルワナ共和国本土まで攻め込むだけの余力はある。だが、それは多大なる犠牲を払わねばならないだろう。それは国益にはならない。よって、戦略目標は我々に有利な形で講和するものとなる」
誰も異議を唱えない。実際、彼の言う通りだからだ。フォルワナ共和国本土を占領したところで得るものは少ない。精々、非協力的でプライドの高いフォルワナ人労働者が手に入るくらいだ。正直、そんなものは欲しくない。
「そして、これは軍で考案したものなのだが……」
そう言って滝田 国防大臣は地図上を指さした。そこは旧ドリアナ王国領。
「旧ドリアナ王国はレアメタルの埋蔵量がフィルディリア大陸で一番と言われている。ここを押さえることは我が国にとって大きな利益となるだろう。そして、ここよりも西側には複数の鉱脈が存在するものの、我が国への供給量が間に合っているものばかりだ。無理して取る必要はない。さらに、あまり西に戦線を拡大すると、リガルダ帝国の勢力圏と隣り合う可能性がある。……俺が言いたいことは分かるな? 総理」
日本はフィルディリア大陸諸国と希望島から資源の供給を行っている。レアメタル系統でなければ、リスクを犯してまで取る必要はない。
リガルダ帝国はフィルディリア大陸に進出してはいないが、海洋では別だ。フィルディリア大陸南西部の海域ではリガルダ帝国の艦艇が航行している姿が目撃されている。
「ええ。陸軍の侵攻目標は旧ドリアナ王国領。そこまで占領したところで、何らかの策を講じてフォルワナ共和国に講和を呑ませる。……そういうことですね?」
「そうだ。そして、その策というのが……」
滝田 国防大臣はニヤリと笑う。そしてその策を皆に告げた。
その策を聞いた人間は二分される。嫌らしい笑みを浮かべる者と、乾いた笑みを浮かべる者。
策自体は単純なもの。しかし、この世界で自分達が最強と思っているフォルワナ人達にとっては青天の霹靂に近いもの。
「なるほど。それは良い考えです。許可しますよ」
阿賀野 総理は笑みを浮かべている。もちろん嫌らしい方の。
「感謝する」
滝田 国防大臣も笑みを浮かべる。もちろん嫌らしい方の。
「「フフフ……」」
両者の怪しい笑い声が閣議室に響き渡る。それを見た他の者は苦笑するしかなかった。
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同日
フォルワナ共和国 首都レイレダード
陸軍諜報部本部 廊下
16:04 現地時間
「まずは勝ったか……」
フォルワナ共和国陸軍諜報部の士官であるルシアは先程、共和国空軍が敵軍を打ち破ったことを知った。
通信記録を一通り聞いたが、それほど大きな問題はないように思えた。しかしながら予定外のことは起きていた。
それが予想以上の被害である。ドートラス首長国方面では7機、ルアズ王国方面では5機の損失が発生していた。
「勝ったのはいいが……」
自分の予感は外れたのだろうか。日本は大したことはないのだろうか。
「いや、そもそも戦った敵航空部隊にニホン軍機が入っていたとは限らんか」
初戦に勝ったことで、ルシアの心の中は安堵半分、不安半分といったところだ。
「余計なことはしてくれるなよ、ニホン……」
相変わらず日本を警戒するルシア。しかしながら、彼女の願いを天が聞き届けることはなかった。
既に日本軍がフォルワナ共和国軍打倒のために動き出しているのだから。
「ここにいたのかね、ミューゼルス少尉?」
コツコツとブーツの音を立てながら中年の男性が歩いてきた。
ルシアは佇まいを正して敬礼する。
「アルザス少佐、何か御用でしょうか?」
「うむ。君が言っていたニホンの件なのだが」
このアルザス少佐は、上層部の中でも話の分かる人物だ。ルシアの日本脅威論には表向き同意してはいないが、何だかんだでルシアに協力している。
実は、彼にも腑に落ちない点があるのだ。大陸東部経済が日本の出現によって活性化したということだ。なので、こうやって時折、ルシアと日本について話したりしている。
「今朝の航空戦……。ニホン軍は参加していなかったそうだ」
「……そうですか」
「潜伏している諜報員の連絡では、ニホン軍は現在展開中らしい。あとそう長くない内に、我々の前に立ちはだかるだろう」
遂に日本との戦いが始まる。既に戦勝気分の祖国が日本に勝てるのか? いや、日本が強いと決まったわけではない。しかし、ルシアには不安の心を拭い去ることはできない。
「……あと、潜伏中の諜報員の定時連絡数が急激に少なくなっている」
「……存在が割れたのでしょうか?」
「分からん。だが、現地の諜報員が次々と排除されているのは事実だ。今まではそんなことはなかった。恐らく、ニホンの連中が何かしているのだろう……」
「ニホンの諜報部隊が……?」
「……不明だ。だが、今回の戦争はミューゼルス少尉の言う通り、一筋縄ではいかんかもしれん。下手すると、マート諸島よりも酷いことになるかもな」
軍の威信を傷つけ、フォルワナ共和国の覇権への道に立ちはだかったリガルダ帝国。フォルワナ共和国に近い技術力を持つ脅威。
彼らとの戦いよりも酷いことになる。……つまり、それは敗北を意味する言葉だ。リガルダ帝国とは痛み分けに終わったのだから、それ以下となれば少なくとも勝つことはない。
「俺達の考えすぎであることを切に祈るよ……」
アルザス少佐は「仕事に戻る」と言ってその場を立ち去った。
「…………………………」
ルシアは何も発することなく、廊下の壁に寄りかかる。
「……今夜は雨か」
現実逃避のように、窓から見える雨雲を見てそう呟いた。