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4 師匠の無茶振り

「ふーん……」

「あ、あの……」

「ふーむ……」

「し、師匠……」

「うーうーんー」

「し、師匠!!」


 数多の怪しげな魔法具が、壁沿いの高い棚にずらりと並べられている、薄暗い部屋。分厚いベルベットのカーテンの落ちた薄暗いそこの真中で、金色に光る魔法陣の上に立ったヴェネフィシカは、悲鳴にも似た声を上げた。


「ど、どうなのでしょう!? わたしの魔力不全、治るものなのでしょうか……っ!?」


 弟子入りの翌日、ヴェネフィシカはシレオの研究室で「診察」を受けていた。魔力の流れを可視化する魔法陣の上に立たされ、ヴェネフィシカの体内を流れる魔力の流れを確認するというのである。

 青褪めて悲壮感たっぷりのヴェネフィシカの瞳をじっと見つめ、美貌の賢者はこてんと首をかしげた。仕草としては可愛らしいのだが、首から上がとんでもない美しさなので、ヴェネフィシカは背を震わせた。神に見捨てられたような心地になる。


「ヴェニー」

「……は、はい」

「もう一度いいですか?」


 ヴェネフィシカが頷くと、シレオは魔法陣の上に立つ彼女の右手を、己の左手で軽く握った。

 シェードをかぶせたランプのようにほわほわと、シレオの左手が金に光る。彼がその指先に少し力を込めると、金の光はヴェネフィシカの左手を伝い、肩に向かってゆっくりと登り始めた。光は胸の高さまで来ると向きを変え、心の臓の方へと動き出し、その手前で急激に光を弱めて、消えかけの蝋燭のようになった。


「うーん……」

「あ、あの……」

「ヴェニー、ちょっとこちらに、魔法陣を書いてみてください。一番簡単な転移のものでよいです。対象は……そうですね、棚の上のコップで」


 シレオはローブの裾を優雅にさばき、ごちゃごちゃと散らかった机の上から小さな石板と白石を取り上げて、ヴェネフィシカに渡す。ぱちくりと目を瞬かせてそれを受け取り、ヴェネフィシカはごくりと唾液を飲み込んだ。

 もちろん、魔法陣は書ける。おそらく、一辺の欠けもなく。でも、その先が恐ろしかった。発動こそすれまともに動かぬ魔法陣を前にため息をつく母親と、慌てて魔法陣を無効にしてくれた兄の顔が浮かぶ。


「……ヴェニー?」

「あ、はい、す、すみません……」


 怖気づいている場合ではない。意を決し、ヴェネフィシカは最も簡単な、千回以上も描いてきた魔法陣を書き付けた。あっという間に書き上げてゆくヴェネフィシカの手元を面白そうに覗きこみながら、シレオはふうん、と楽しげな声を漏らす。


「なるほど、実に正確ですね。略も漏れも欠けもない」

「……練習、しました、ので」

「では、練習の通り、力を込めてみてください」


 ――ついに来た。ヴェネフィシカは石板と白石を置くと息を呑み、ブルブルと震える指先を辛うじて持ち上げた。

 落ち着いて。慎重に。間違いのないように。


「<ロカス・トランスタス>」


 ぽう、と小さな魔法陣が緑に光る。蛍火のような、さやかで穏やかな光だ。

 しかし、ヴェネフィシカがほっと息をつき、指を動かそうとした瞬間、どくん、と心臓が鳴った。


「あっ」


 気が逸れた次の瞬間、魔法陣は爆発的な発光を起こし、石板がはじけ飛んだ。


「ひっぎゃぁぁあああーーーー!?」

「おっと」


 パチン! 指を鳴らすような音がして、瞬時に光が掻き消える。


「もう大丈夫ですよー。……おや? ヴェニー?」

「ご、ごごごごごごごご、ご、ごめんなさいいぃぃい!!」


 光の失せた部屋の中に、ヴェネフィシカの姿がない。シレオがきょとんとして部屋を見渡すと、ヴェネフィシカは机の影に丸まって、フードごと頭を抱え、ブルブルと震えていた。

 ――やってしまった。やらかしてしまった。まただ。なんてこった。1136回目の失敗だ。やっぱりもう魔術を使おうとかだいそれたことを考えてはいけないのではないか。魔法使いの一族の魔女の娘だからって、特性もないのに魔女になろうとするのが間違いなのではないか。


「ヴェニー?」


 とっとと諦めて魔力を封じてもらって、嫁入り先を探したほうがいいのかもしれない。貴族の嫁になるにしたって、花嫁修業が必要なのだ。今まで全然やってこなかったのだから、ちっとやそっとの修行でなんとかなるわけがない。


「おーい、ヴェニー」


 魔術だって十年でこれなのだ。今から十年も花嫁修業していたら、貴族の娘としては行き遅れだ。でもそうよ、十年やってきたのよ。お前は努力しても無駄な体質なのだと突きつけられるのはとってもとっても……


「ヴェネフィシカさーん」

「はっ、はいい?!」


 耳元で声が聞こえ、ヴェネフィシカは勢い良く我に返った。そして、幼子に視線を併せるように、シレオがしゃがんで覗きこんでいることにぎょっとして、転ぶ。


「大丈夫ですか?」

「す、すみません、そ、そそっかしく……」


 手を借りて立ち上がり、ヴェネフィシカは深々と頭を下げた。ああ、このまま床にのめり込んでしまいたい。地下室あたりに引きこもって、発動もしない魔法陣を延々書いていたい……


「帰っていらっしゃーい」


 頭のてっぺんをペコンと叩かれ、ヴェネフィシカは再度我に返る。


「貴女は現実逃避癖がありますねぇ」

「ご、ごめんなさい……」

「それから謝罪癖もありますねぇ」

「うっ、す、すみませ」

「魔術が使えないことを分かっていて、使ってみるように言ったのは私です。貴女が謝ることはなにもないのですが」

「はい……すみま」

「だからそれです。必要なときだけ謝れば良いのですよ」


 苦笑とともに頭を撫でられ、ヴェネフィシカはヒッと息を呑んで俯いた。師匠になってもらったとはいえ、初対面にも親しい人に触れられることには抵抗があるのだ。しかし、力の塊を振り払えるような気概の持ち合わせは、今のヴェネフィシカにはなかった。


「イエンスと足して割ったらちょうど良さそうですねえ」


 小動物のようにぷるぷると震えるヴェネフィシカに目を細め、シレオは背筋をのばす。


「さて、貴女の魔力不全ですがね」


 唐突に切り替わった話題に、ヴェネフィシカは震えることさえ忘れて凍りついた。

 死刑宣告を待つ罪人の心地というのはこんなものだろうか。

 目を固く閉じ、スカートの裾を握りしめ、首も肩も縮こまらせながら、ヴェネフィシカは続く言葉を待った。全身にじっとりと冷たい汗をかいているのに、喉がカラカラに乾いていることに今更気がつく。

 ここで、魔術が使えないのは先天的なものですとか言われたらどうしよう。いや、どうしようって、帰って嫁入り修行をすることになるんですけど。でもそれって、十年が無駄だった判定ですよ? 明日は、明日こそは、って毎日思って。お父様とお母様とお兄様たちになんて言えばいいの。ただの金食い虫じゃないの。領民にも申し訳が立たないじゃないの……。


「『核』に不具合があるせいのようです」


 ヴェネフィシカは涙目で顔を上げた。


「はい?」


 使える、使えないの判断以前の話のようだ、と気づく。


「……『核』、です、か?」

「『魔法使いの第二の心臓』と言われるもの。人の目には見えないけれど、魔力を扱うことのできる『人間』の体内にあると言われる『魔力の核』です」

「あ、はい、し、知っています」


 背筋を伸ばし、ヴェネフィシカは新しい師匠に向き直った。


「魔力の『核』、は目に見えず、しかし魔法使いを魔法使いたらしめるものであると。大地の魔力と己に宿る魔力を結びつけ、魔術を発動させる鍵になるものであり、魔法使いにとっては第二の心臓と呼ばれるほどに大切なものである。体内に持てる魔力の量は核によって定められ、それゆえに殆どの場合、生まれた時から死ぬまで、持てる魔力は変わらない。核は成長しない替わりに、損なわれることもない……と、教科書にはありました」

「こういう時は饒舌ですねえ」


 シレオが目を瞬かせ、ヴェネフィシカはもごもごと口をつぐんだ。


「そう、その『核』に、不具合があるようですよ、貴女は」

「……それ、って、あ、あの、どういう」


 人ならざる賢者は当たり前のように言って、ちょいちょいとヴェネフィシカを手招きした。


「お座りなさい」

「……し、失礼、いたします」


 おずおずとソファに座り込んだヴェネフィシカは、金の目をした賢者を見上げ、膝の上で拳を握った。ふわりと柔らかい絹張りのソファは、ヴェネフィシカの実家にあるようなすばらしい調度なのだが、ちっとも心を癒してなどくれない。

 シレオは憐れむようでもなく、嬉しそうでもなく、ただ微笑んで、ヴェネフィシカの向かいに腰を下ろした。


「魔女としての貴女の、大地と己の『核』を繋ぐ部分は、ちゃんと動いているようです。だから、魔法陣は発動する。けれど、核から魔法陣、そしてもう一度大地へと繋がる部分が、うまく機能していない。出口がないから、暴発してしまう、と考えると分かりやすいですかね」


 シレオはもう一度、ヴェネフィシカの右手を握った。じわりと光る金色の魔力が、ヴェネフィシカの体内に流れ込む。それを意識して、ヴェネフィシカははっと息を呑んだ。

 右手を伝った魔力が、ヴェネフィシカのみぞおちのあたりで、行き場をなくしたように弾けたのを感じたのである。


「魔術を使おうとするとひどく心臓が高鳴ったり、胸が痛んだことはありませんか」

「5回に3回くらい、なります。そ、それは……『核』のせいなのですか? 治るので、しょうか」

「『核』の不具合が自然治癒したという話しは聞きませんねえ。……貴女だって、10年変わりがないのでしょう?」

「………………はい」


 そう、気がついてから早10年なのだ。自然治癒するものならば、とっくに治っているだろう。ヴェネフィシカは深く息を吐いた。


「治るかどうかは、今の私にはなんとも言えません。他人の『核』を見ることは、私であっても至難の業です。然るべき調査と準備が必要ですし」

「そ、それほど、なのですか。け、賢者様、でも」

「そうなんです。魔力の流れは見えますから、『核』のある場所を探すことは容易ですが、『核』がどうなっているのかを見ることは、生きている人間の心臓を切り開いて中身を確かめた上で戻すような技なんですよ」

「ひぃ」


 想像したヴェネフィシカの頬から血の気が失せた。心臓を切り開いたら普通は死ぬ。切り開かれた心臓を元に戻すのは神の域だ。つまりそれは、結局のところ――魔術は使えないということではないか。


 やっぱりそうなのか。

 わたしの落ちこぼれは先天性なのか。

 だとしたら、なにをどうやったって、今後わたしは魔女になれないのか。

 魔女になるための家に生まれて。魔女になるべく育てられて。芽は出なくても10年やってきて。師である母を始め父にも兄にも、何度も何度も手を貸してもらって。一流と呼ばれる人たちに指導してもらって。みんながあれほど手伝ってくれるのに、自分が諦めるわけには行かないと、歯を食いしばって頑張ってきたのに。発動だけはするのだから、きっとなにか、最後のコツのようなものがつかめないでいるだけなのだと信じて。繰り返してきた全ては無駄だったのか。家族の時間を無為に奪ってきただけだったのか。


 ぐらり、頭が真っ白になったヴェネフィシカの身体が傾ぐ。いけない、そう思った時にはもう遅い。ヴェネフィシカはソファからずり落ちかけ……後ろから伸びてきた腕に力強く引き寄せられた。


「あ……」

「立ち聞きしてすまない」


 ヴェネフィシカの座るソファの真後ろに立ち、傾いだ身体を支えていたのはイエンスだった。『学園』の制服の上から銀鼠色のコートを羽織り、肩にうっすら雪を乗せている。


「おや、お帰りなさい。早かったですね」

「雪が降ってきたせいだ。今日は屋外の予定だったからな」

「それは残念ですねえ」

「まったくだ」 


 師匠とよく似た仕草で肩をすくめ、イエンスはヴェネフィシカをソファの上に引き上げから、そっと腕を離した。薄手の陶器でも扱うかのような丁寧な仕草に、ヴェネフィシカはようやく我に返る。


「あ、う、……ご迷惑を、おかけ、しまして」

「そういう時は謝るのではなく感謝の言葉にしてくれ」


 すっぱりと言い放ったイエンスに、ヴェネフィシカはおずおずと頭を下げる。


「だからどうして謝るんだ。……それにお前は多分早とちりをしている」

「そうですよ。――ヴェニ−、貴女しばらく、イエンスと学園に通いなさい」

「……は?」


 空耳に間違いない、とヴェネフィシカは思った。


「おや、聞こえていませんでしたか。しばらく『学園』で生徒していらっしゃい、といったのです」

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