ひとがしぬということ18
何よりショックだったのは
その“魂外し”と名付けられた邪鬼の話を聞く限り、葉山が帝邸に居合わせなかったのは不運ではなくむしろ幸運であったとしか思えないことだ。
もし葉山がいたとしても、魂外しにはまず勝てなかった。貴重な手練れが失われる危険がなかっただけ、まだ幸運だったというのが客観的な感想だった。
あの時からだろうか
“地震、雷、火事、葉山”などと揶揄される程に激しかった葉山の性格は、年を追う毎に柔になっていった。
仲間の死が葉山を変えた。
事ある毎に後輩に怒号を浴びせる悪癖がなりを潜めると同時に攻撃性が失われ、以前のような覇気に満ちた強さも消えていった。それはいずれ年をとるとともに、遅かれ早かれ損なわれる運命だったのかもしれない。
強さを失う代償に得たものは小さくなかった。以前ならば気にもかけなかった人への気遣いが、自然とできるようになった。それが良いことなのか悪いことなのかはわからなかった。
だが、もしも昔の葉山だったなら、百合がヤカンを見に行ったまま帰って来ない理由はわからなかっただろう。考えようともしなかっただろう。考えようともせずにイラついて怒鳴り散らしたことだろう。