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月のひかり、陽だまりの歌  作者: りつか
1章 邂逅
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[6]藍の色は憂えて

 翌日、アネッサとともに現れたウィルは自作したレモン水をしっかり手にしていた。


「アンといっしょに作ったの! ほんとにかんたんだったよ」


 嬉しそうな少年とは対照的に、アネッサの顔はどことなく心配の色が濃かった。

 リュヴァルトを加えた一行はウィルの母の元へまっすぐ向かった。

 部屋の主はベッドの上で半身を起こしていた。顔は青白く、憂いを帯びた藍色の目が印象的な美女だ。緩く編んでひとつにまとめた長い金髪といい、その身にゆったり(まと)った肌触りの良さそうな長衣といい、どう見ても床に臥せる病人のそれである。前回の訪問などは仕方ないにしても赤の他人である自分が近くまで行くのはやはり躊躇われ、リュヴァルトは入口付近で待つことにした。


「お母さんおはよう。起きててだいじょうぶなの?」

「……あまり大丈夫ではないわね」


 母は気怠げに眉根を寄せた。

 ウィルは手にしていた水差しを一旦テーブルに置いた。アネッサからグラスを受け取り、水差しの中身を半分ほど注ぐ。


「あのね、レモン水だよ。ぼくが作ったの。飲んでみて」


 グラスを両手で大事そうに運んできた少年を見て、夫人は自身の口許を手で覆った。


「要らないわ。置いておいてちょうだい」

「でも、これだったらきっと飲みやすいって、教えてもらっ」

「何度も言わせないで。欲しくないって言ってるでしょう」


 どうせ吐くだけよと呟いて母は顔を背けた。

 ウィルはしばらく動かなかった。のろのろと(きびす)を返し、グラスをテーブルに戻す。それからもう一度ベッドの方に振り向いた。


「……お母さんごめんなさい」


 小さな肩は震えていた。ウィルは頭を下げて足早に部屋を出ていった。


「ウィル!」


 その背をアネッサが追いかける。リュヴァルトも一瞬退室を考えたが、踏み出した足はそれ以上進まなかった。

 ――ウィルはアネッサに任せれば大丈夫だ。

 それよりも、と振り返る。まだこの場でできることがある。リュヴァルトは部屋の奥へゆっくり向かった。

 気配に気づいた夫人が不快な目を寄越してきた。不躾に一体なんだというところだろう。気づかない振りで枕元に膝をつく。


「こんにちは。いや、初めましての方がいいかな」

「誰なの。出ていって」

「俺は雪花人(せっかびと)なんだ。治癒の力が使えるから、アンのお兄さん……えーとあなたの旦那さんに、あなたの症状の改善を頼まれてる」

「雪花人? ……旦那さまが?」

「手を出してみて」


 リュヴァルトは片手を上向けて差し出した。しばらく無言の応酬が続く。引く素振りのない青年にやがて夫人は渋々手を伸ばした。白くほっそりしたそれをリュヴァルトは両手で上下から挟みこんだ。

 その瞬間、強い目眩が青年を襲った。


 ぐらりと身体が傾げそうになるのを両足に力を入れて踏ん張った。その間にも彼女の抱える鬱々とした気分が後から後から流れこんでくる。

 ――離したい。

 思わずそんな衝動に駆られたがこのまま放棄するわけにはいかない。ただ息を詰め、じっと耐えるしかなかった。

 大きな波をやり過ごしたところで夫人の手の甲に額を近づけた。ゆるゆると力を籠めて彼女の体内を丁寧に探っていく。

 すぐに夫人の喉元、それと胸の辺りに黒いもやが〝()え〟た。

 実際に見えるわけではない。リュヴァルトの脳内にぼんやりと浮かぶのをさも見ているかのように知覚しているのだ。その人を苦しめる原因――本来体内にあってはならないものがリュヴァルトには黒いもやとなって〝視え〟る。

 リュヴァルトはその固まりをさっさと散らしてやった。この程度であればさして力を使うものでもない。幼少より治癒の技を使い続けてきたリュヴァルトにとっては朝飯前だ。

 手を離し、腰を上げてから深く息を吐いた。テーブルに置かれていたグラスを取り上げる。


「飲んでみて。吐くことはないと思うから」


 差し出したグラスを一瞥した夫人は、ただ訝しげな眼差しを寄越してくる。それをまっすぐ受け止め待っているとようやくほっそりした白魚の指が伸びてきた。夫人は申し訳程度の量を口に含んでしばらく思案に沈み、再度グラスに口をつけた。


「どうかな?」

「……大丈夫みたい」

「それならよかった」


 リュヴァルトはほっと表情を緩めた。


「今のうちに食事もとるといいんじゃないかな。お産は体力勝負と言うし」

「……あなた、また来るの?」

「え?」

「だってあなた雪花人だって……旦那さまが連れて寄越したのよね? わたくしのために」


 夫人の怪訝な瞳を前にして、リュヴァルトはすぐに返答することができなかった。建前上はそうなのだがどこまで正直に話していいものか。

 そもそもそれ以上にうまく説明できる気がしなかった。結局は曖昧に頷いて済ませると夫人が小さく溜息をついた。


「雪花人のあなたに言うのは筋違いなんでしょうけれど……。わたくしは、不思議の力にはあまり頼りたくないのよ。本来の流れを捻じ曲げるということでしょう?」

「どうかな。身体に要らないものを取り除いただけだし、そこまで悪いことでもないんじゃないかって俺は思うけど」

「……そう、ね……。悪阻が重くて参っていたのは事実だわ」


 声音が僅かに変わった。リュヴァルトを見上げる夫人のその面持ちは、まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。


「さっきは悪いことを言ったわね。その、旦那さまが寄越したと知らなくて」


 飽くまで謝罪の(てい)を装った言葉。だが言外に感謝の意も含まれている。

 リュヴァルトは笑って肩を竦めると、夫人が手にしたレモン水を指した。


「礼ならあなたの可愛い息子さんに。それはウィルがあなたを想って作ったんだから」


 これで自分の勤めは果たしただろう。そうなると次に気に掛かるのは逃げるように部屋を飛び出していった少年の行方だ。お手製の飲料を母が口にしたこと、且つ喜んでいたことを伝えればきっと少年の顔にも笑みが戻るはず。

 満たされた思いで踵を返したリュヴァルトだったが。




「あれはわたくしの子ではないわ」




 スッと肝が冷える声が響いた。リュヴァルトはぎくりと息を止める。


「……え?」


 佳人に振り返った。夫人は手元のグラスを憂鬱そうにじっと見つめていた。

 ――聞き間違えたのだろうか。

 母は子を慈しむものという意識がリュヴァルトの中にはある。一度母となることを望み決意したのであれば子に愛情を注ぐのは当然であり、信念を持って育てるものだと思っている。逆に言えば我が子の存在を否定したり軽んじる者に親の素質があるとは思えない。母だなんて絶対に認めない。

 ――おそらく幻聴だろう。

 リュヴァルトは気を取り直し、再び扉に足を向けた。夫人の「ねえ」という声が耳に届くまでは。


「この子を確実に女の子にしてほしいと言ったら、あなたできる?」


 自らの腹部に手を当て堂々と言い放った夫人にリュヴァルトはさすがにぽかんと口を開けた。尋ねた本人は怪訝そうに首を傾げた。


「どうなの?」

「い、いや、それは無理だ。性を決める力は神のみが有する。人にそこまでの権限は与えられてない」

「そう……無理なの」


 落胆の色が滲む声だった。いや、始めからどこか諦めているようにも見える。だからかもしれない。リュヴァルトは思わず聞き返していた。


「どうして女の子を……?」

「――わたくしは女の子を産まなければならないの。絶対に」


 答えになっていない。けれど思い詰めた様子の彼女に再度訊く気にはなれなかった。




 退室を命じられ青年は軽く頭を下げた。

 夫人はリュヴァルトをちらりと横目で見て、再び顔を伏せた。

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