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月のひかり、陽だまりの歌  作者: りつか
3章 風薫る庭で
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[2]すり合わせ【挿絵あり】

 タルバートがゆっくりとテーブルに着いた。端に置いてあった革張りの紙挟み(ファイル)を取り上げるとリュヴァルトを手招いた。


「早速ですが、手短に済ませてしまいましょう」

「てみじかって?」

「すり合わせです。本日はそのつもりでお越しいただいたと存じますが」

「通達があっただろう?」


 きょとんとタルバートを見つめ、それから隣の男(クリフ)を振り返る。彼に目で促されてリュヴァルトはひとまずタルバートの向かいに腰を下ろした。クリフ自身は横の壁に凭れて両腕を組んだ。


挿絵(By みてみん)


「侯爵夫人の医療方針についてすり合わせを行う。そう伝えてあったはずだ。情報の共有は基本だからな」

「え、でもあれって表向きの……」

「さっきだってタルバート先生の名前を出せば早かったんだぞ。よりによってルイダーフレット卿を名指しするから大事(おおごと)になる」

「るい……?」


 リュヴァルトの眉間にしわが寄った。疑問符だらけの顔で見つめているとそのうちクリフも眉を顰めた。妙な間が空いたあとリュヴァルトは遠慮がちに口を開いた。


「えっと、誰?」

「誰とは?」

「いや、名指しした覚えがないなぁと思って……。その、ルー……ナントカさん? って、俺が知ってる人かなぁ」

「……まさかルイダーフレット卿のことか?」

「ルイダーフレット侯ジェラルディオンさま。ウィンザール家のご当主ですよ」

「あー、アンのお兄さんか……」


 タルバートの穏やかな合いの手にようやく合点がいった。リュヴァルトでもそのくらいは知っている。偉い人には肩書きがある。人によっては幾つも持っているようで、覚えるのが大変そうだなと思いさえする。

 なんにせよリュヴァルトにはあまり関係ない話だった。ジェラルディオンについても語感でふんわり覚えておくことにする。名前そのものも長いのに肩書きまで長いなんて、とても覚えられそうにない。

 今はそれより名指しの件だ。思い返してみると「侯爵に呼ばれた」とは確かに言った気がした。


「だって今日は持ち出し不可の資料を見にきたからさ。打ち合わせがあるなんて言ったら紛らわしいと思ったんだよ」

「ふうむ、どこかで行き違いが生じたようです」

「え?」

「ご覧いただきたいのはこちらですよ」


 タルバートが手にした紙挟み(ファイル)を軽く掲げてみせた。


「持ち出し不可というより貸し出せるようなものではないのです。私が私的(してき)に管理しておりますので」

「……それを、俺が? あのう、俺なんかが見ていいのかな」

「もちろんです。その前に二、三確認させていただきますが、よろしいですか?」

「大丈夫だけど……」


 控え目に首肯するとタルバートが笑みを深くした。あらたまって居住まいを正した彼に倣い、リュヴァルトも心持ち背筋を伸ばす。


「ルイダーフレット侯より、リュヴァルトくんは(たぐ)(まれ)なる治癒の力をお持ちだと伺っております。お間違いありませんか」

「あ、うん、まあ……」

「今後夫人の体調が急変した折にはお力をお借りするやもしれません。その点もご承知ですかな」


 力を出し渋る選択肢は(はな)からない。今度ははっきり頷くとタルバートはホッとした面持ちで目を細めた。ファイルをようやく開き、天地を逆さにしてからリュヴァルトに差し出した。

 一面びっしりと文字が書かれてあった。

 うっ、とリュヴァルトの息が止まる。思わず目だけでタルバートを窺い見たが彼はにこにこ微笑んでいるだけ。

 小さな溜息をひとつついた。固まっていても仕方がない。覚悟を決め、まずはタイトルらしき大きめの文字に狙いを定めることにする。

 一文字一文字ゆっくり拾い出したところでタルバートの声が額を撫でた。


「侯爵夫人の診療記録です」

「……え、これ……!?」

「これまでのお産についても詳細に記してあります。あなたの出番がないことが一番ですが、念のためお目通しいただけますか。内容は他言無用で」

「……あのぅ、まさか今日は本当に打ち合わせを……?」


 おそるおそる発したリュヴァルトの声は思っていた以上に弱々しかった。数秒おいてタルバートはほっほと笑い声をあげ、クリフは呆れたふうに唇をへの字に曲げた。


「だからそう言っているだろう」

「だって医者の先生と話し合いをするなんてさ、なんか恐れ多いっていうかむず痒いっていうか……偉くもなんともないのに」

「どうしてそんなに謙遜するのかわからないな。ミュセット村での活躍は周知の事実だろう。もっと自信を持っていいと思うが」

「そんな大層なものじゃないんだって。俺ができることなんてせいぜい()()を取るくらいだよ?」


 おうむ返しに「もや、」と呟くクリフにそうそうと頷いてみせる。

 治癒の力と言えどなんでも治せるわけではない。リュヴァルトができるのは体内にあってはならないものを取り除くことだけ。難しい勉強をして知識や経験を積んできた医師と肩を並べていいわけがない。

 そう答えるとクリフは両腕を組んだ。


「私なら、特技を活かせるとあらば張り切って取り組むがなあ。ましてやきみの技は誰にでもできることじゃない」

「俺にとっては息をしたり瞬きするのとおんなじなんだよ。階段を登るときにまず右足を持ち上げて、とかわざわざ考えないでしょ? そういう感覚なんだって」

「すり合わせを拒む意味は? 力を使うことに抵抗がないなら尚のこと大事だと思うが」

「まあまあ、今はそのへんにしておきましょうか」


 穏やかな鶴の一声にリュヴァルトとクリフはぴたりと止まった。タルバートはふたりの顔を順に見やると、リュヴァルトが手にするファイルを指した。


「本日はそちらをご覧いただくだけで結構ですよ。構える必要は全くありませんので」

「……あのう、」

「私もリュヴァルトくんの力には大変興味があります。いずれゆっくりお聞かせ願いたいと思っております」


 にこにこと笑みを浮かべるタルバート。リュヴァルトは口を開きかけたが結局は閉じ、ぎこちなく頷いた。それから書面に目を落とし――やはり顔を上げた。意を決して息を吸いこむ。


「あのう、すごく言いにくいんだけど……実は俺、」


 リュヴァルトが()()()()をおそるおそる白状すると、タルバートとクリフは揃って顔を見合わせた。





 * *





 タルバートの部屋を出たリュヴァルトは左右をキョロキョロ見回した。どちらを見ても無機質な通路が続いている。


「……まあ、どっちでも大丈夫かな。塔だし……」


 とりあえず左の方へ向かってみることにする。

 あたりは静まりかえっていた。通路の右手には十数歩ごとに明かり取りの窓があり、反対側には部屋の扉がこちらも等間隔に並んでいた。

 半周ほど歩いただろうか、行く手に階段が見えてきた。その脇に誰か佇んでいる。まだ遠くてよくわからないな、そう思った瞬間その背中が振り向いた。クリフだ。向こうもすぐリュヴァルトに気づいたらしく片手を上げた。


「なんだ、わざわざ遠回りしてきたのか?」

「え、こっち遠回りだったの? どっちから来たのかわかんなくて、とりあえず歩いてたら着くかなーって」


 へら、と笑って頬を掻いた。クリフは「なるほどな」と微苦笑を浮かべ、リュヴァルトを下り階段へと促した。

 ふたりの足音が響く。先に口を開いたのはクリフだった。


「どうだった。参考になりそうか」

「うーん、多分……?」

「わからないことはなんでも聞けばいい。先生なら丁寧に教えてくださる。あとは読み書きのことだったら私も教えられる」

「あー。それお願いするかも……」


 リュヴァルトが力ない声を返すとクリフは笑って胸を叩いた。

 読み書きの勉強を始めて早ひと月。リュヴァルトは簡単な文章であれば普通に音読できるようになっていた。何度も読んですっかり覚えてしまった童話集などは登場人物になりきって読み聞かせることだってできた。


「ね、本って面白いでしょ。書かれてるのは絵じゃなくて文字なのに、頭の中にいろんな世界が広がるんだよ。だからぼく、本を読むのが大すきなんだ!」


 知らないことを知るのって楽しいね。そう言って弾けるような笑顔を見せたのはウィルだ。分厚い本を大事そうに両手で抱える少年を前に、リュヴァルトも心から同意をした。そのときは本当にそう思ったのだ。

 だがタルバートとのすり合わせでリュヴァルトは思い知った。自らの読解力では全く話にならない。読み書きが苦手なことを白状したから今日はタルバート当人が代読を買って出てくれたが、そうでなければきっと夢の国に(いざな)われていた。


「本当のことを言うと、聞いてるだけでも眠くなっちゃってさ、困ったよ。せっかく読んでくれてるのに悪いなあと思ったけど」

「そこまでか」

「あんまり聞いたことない言葉が多くて。なんのことだろうって考えてるとその間に話がどんどん進んじゃうんだよね。説明を聞いたらなんとなくわかったけど何度も読み直してもらっちゃったし、うーんやっぱり悪いことしたなあ」

「侯爵夫人の記録でなければ私が横で解説してもよかったんだがな。さすがに憚られる」

「そうだよねえ」


 タルバートが代読することになり、クリフは「私が聞いて良い話ではない」と先に部屋を出ていたのだった。彼の判断は全く正しい。

 結局リュヴァルトがひとりで全て理解できればいい話だ。求められるのはより深い読解力と更なる専門知識。

 階段を降りきったところで足を止める。鬱々した気分ごと身体中の空気を全部吐き出した。クリフがくすくす忍び笑いを漏らす。


「だから勉強なら付き合うと言っている」

「できるかなぁ。俺、昔から苦手なんだよね」

「別にテストをするわけじゃない。おおよそわかれば大丈夫さ」


 先生もそこまでは求めていないよとリュヴァルトの肩を叩き、クリフは通路の先の扉を開けた。

 一階のホールに戻ってきた。応接テーブルのひとつに案内されて席に着く。


「今日はもうひとつ、してもらいたいことがある」


 向かいに着いたクリフは懐から小さな布包みを取り出した。光沢のあるそれを開くと入っていたのは鈍い銀色に光る細い鎖だ。何かの蔓植物を模しているのかところどころに葉や実を(かたど)った飾りがついている。

 鎖は二本あった。リュヴァルトが見守る中、クリフはそれを二列に揃えて並べた。


「腕を出してくれないか」

「うで?」


 小首を傾げながらもテーブルの上に右腕を出し、言われるままに袖を軽く捲った。鎖の一本がリュヴァルトの手首にそうっと掛けられる。それは見る間にしゅるしゅると巻きつき、すぐになんの感触もなくなった。左の腕にも同様に巻かれ、両腕に揃いの腕輪がつけられた。


「見ての通り魔術道具だ。ここで協力してくれている雪花人には皆つけてもらっている。守りの力が込められているから、きみも肌身離さずつけていてくれ」

「……取っちゃだめなんだ?」

「直接身につけないと効果が出ないらしい」


 ふうんと相槌を返しつつ腕をくるくる返してみる。そうして見てみれば()を模した飾りは無色透明の石粒だった。水晶だろうか。

 この腕輪といい身分証の指輪といい、その方面に明るくないリュヴァルトでもそこそこ値が張るだろうことは容易に想像がついた。こんな、どこの馬の骨ともわからない人間に平気でそんなものを渡してしまうのだから、あらためてジェラルディオンはすごいなと思ってしまう。


「一体俺のどこにそんな価値があるんだろう……」

「何か言ったか?」

「いや、何も」


 不思議そうな顔のクリフにへへへと取り繕う。

 彼が席を立ったのを見てリュヴァルトも腰を上げた。入口に向かう背を追いかけると外に出たところでクリフが振り向いた。


「それじゃあ、また明日」

「えっ明日!? 明日もまた来るの、俺?」

「勉強するんだろう? こういうのは早いに越したことはないからな。私は午後なら空いてるからそれでいいか? ああ、明日は私を名指しするんだぞ」

「……なんでみんなそんなに勉強させたがるのかなぁ」


 はあ、と何度目になるかわからない溜息をつく。堪えきれないとばかりにクリフが腹を抱えたのはその直後のことだった。

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