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月のひかり、陽だまりの歌  作者: りつか
2章 まぼろしの肖像画
17/21

[8]金貨三枚!【挿絵あり】

「なにそれ?」


 かごをそうっと持ち上げ真剣に観察する青年の手元に、アネッサは怪訝な視線を投げた。あまり重そうな印象は受けない。格子の幅が狭くてよく見えないが中身は空なのかもしれない。高価な骨董品というよりはただ古いだけのようで、進んで手にしてみたいと思う品でもない。


「勝手に触らないでもらえるかい!? うちにあるのはどれも貴重なお宝ばかりなんだからね」


 突然、奥から野太い声が飛んできた。有無を言わせずリュヴァルトの手からかごを取り上げたのは、なかなかに恰幅の良い女性だった。

 白髪混じりの墨色の髪は引っ詰めて渦巻き状に編みこんでいる。同色の瞳はぎょろりと大きく、太い眉は力強く上がって、訪問者であるリュヴァルトたちを睨みつけていた。

 背はアネッサの方が高い。が、態度の上では女性も負けてはいない。なんと言っても目力があり、貫禄もあり、腰に手を当て威圧的に構えている。


「あの、ここはお店なんだよね?」

「見りゃわかるだろう。表にもちゃんと〝デムナの店〟って書いてあったと思うけど」

「デムナ?」

「私がデムナ。ほら、冷やかしなら帰った、帰った」


 これ以上奥には進ませないと通路を塞いで立ちはだかり、彼女はパンパンと手を叩いてけしかけた。

 気の弱い者ならば狼狽え逃げ出してもおかしくない状況のように思えた。けれどもリュヴァルトは怯むことなく表情を変えるでもなく、決して穏やかな姿勢を崩さない。


「それが欲しいんだ」


 脇に置かれたかごを指差した彼は明るく「幾ら?」と重ねて訊いた。

 朗らかに笑むリュヴァルトをデムナは品定めでもするようにじろじろ見ていた。が、そのうちにふんと鼻で笑った。


「金貨三枚。お兄さん持ってるのかい? こう言っちゃなんだけど、あんまり……余裕があるようには見えないねぇ」

「金貨!?」


 思わず声を上げたのはアネッサである。あんなぼろぼろのかごのどこにそんな価値があるのか。たかがかごひとつに金貨、それも三枚もの値がつくなど到底有り得ない。

 無知だと侮り派手に上乗せされているのではないか。

 もしくはただ馬鹿にされているか。

 訝しむアネッサにデムナもじろりと一瞥をくれた。が、特に言及してくることはなかった。デムナにとってはリュヴァルトが買うか買わないか、重要なのはただそれだけのようだ。

 むっと眉間にしわを刻んだアネッサの顔が彼女の視界に入らなかったのはある意味幸運だったと言えよう。


 デムナは口許を緩ませ、件のかごをまるで壊れ物を扱うような仕草で恭しく掲げてみせた。


「こいつは貴重な鳥だからね。美しい見た目はもちろん、その(さえず)りを一度でも耳にできれば、最上の幸せが訪れるって言われてるんだ。その辺を飛んでる鳥とはわけが違うんだよ。それにほら、この尾羽と風切り羽の翡翠色といったら見事なもんだろう? これはね、天上の国に広がる草原の色だと言われているんだよ。黒曜石の輝きを持つ目といい、(くちばし)の細く優美なことといい……本当にお値打ちものの品だよ。金貨三枚でも安いくらいだと私は思うけどね」


 ほう、とリュヴァルトが吐息を漏らした。デムナの言に納得するところがあったのだろう。

 アネッサもようやくかごの中に小鳥が入れられていることを知った。それもそうだ。ただ古いだけのかごにそんな高値がつくわけがない。


「餌は何を?」

「砂糖水をやるのさ。野生だと花の蜜を吸うらしいけどね」

「鳥なのに砂糖水でいいの? だから元気がないんじゃ……」

「元々が大人しい鳥なんだよ。それで、どうするんだい!? 買うのか、買わないのか!?」


 デムナが苛々と詰め寄った。あまり気が長くはないようである。

 リュヴァルトは姿勢をただすと服のポケットを探り、じゃらじゃらと小銭を取り出した。出てきたのは白銅貨が数枚と青銅貨が十数枚。


「あー……。今、手持ちがこれだけなんだけど」


 頭を掻きながら困ったように笑い、リュヴァルトは「これじゃ駄目?」と首を傾げた。

 その場の誰もが目を疑った。そして青年の正気を疑った。




 ――まさか()()()()()()()()()()()で打診するなんて!




 古びたかごだけならばその額でも十分お釣りがくるだろう。けれども商品は鳥――生き物だ。それも幸運をもたらすという曰くつきの優美な鳥。

 デムナの提示する値段は確かに高額だが、さすがにその額はない。図々しいにも程がある。


「リュー、もしかして……計算も苦手なの……?」


 沈黙を割り、下からおそるおそる聞こえてきたか細い声音。アネッサとリュヴァルトのふたりははっと息を呑んだ。揃って落とした視線の先でウィルが心配そうな顔をしていた。

 先程まで見せていた面持ちとはまた違う。アネッサのドレスを掴んだまましがみつく彼はきゅっと唇を引き結び、半信半疑の眼差しをリュヴァルトにまっすぐ向けている。

 リュヴァルトは血相を変え、誤解だと訴えた。


「計算はできるよ! さすがにそれはわかってるから安心して」

「でも計算できる人がそんな無茶なこと言う?」


 アネッサがすかさず横やりを入れる。

 全く有り得なくはなかった。だって文字も満足に書けないのだ。ならば計算の方もろくにできない可能性は十分に考えられる。というか実際それが真実だろうと思う。


「本当だって! 計算も、お金の価値もちゃんとわかってる。無茶苦茶なこと言ってるのはわかってるんだ。でも、今日は身ひとつで出てきたから、今本当にこれだけしか持ってないからさ……!」


 なんなら今日何に使ったか、その用途をひとつひとつ挙げるからと泣きつくリュヴァルトに、アネッサは半眼で腕を組み、にべもなく言い放った。


「必死なのが逆に嘘くさい」




 一連の様子をデムナは白けた顔で眺めていた。結局買う気があるのかないのか、デムナにとってはそここそが肝要なのだった。

 始めに法外な値を吹っかけて金銭感覚を麻痺させる。そこから少しずつ下げていき、あるいは手持ちの金品と合算させることで、少し無理をすれば買えなくはないと思わせるのが狙いである。そうなればもうこちらのものだ。

 今日の客はどこからどう見ても大金を持っているようには見えなかった。が、人は見かけに寄らぬもの。もしかすると他に金目の物を隠し持っているかもしれない。

 ふと青年の手に鈍い金色を見つけたデムナは、にんまりと口角を吊り上げた。


「お兄さん。その指輪ちょっと見せてみな」

「え?」


 振り返ったリュヴァルトをデムナが満面の笑みで手招いた。

 件の鳥は実際にそこそこ値が張る商品だ。――あくまで正規の入手経路であればの話だが。それでも取れるものは取れるだけふんだくってやらなければ意味がない。ここはデムナの腕の見せ所だろう。でかい女は喧しいが、男の方は幸い気が弱そうだし。


 デムナの迫力の前にリュヴァルトは立ち竦んだ。これまでの経験上、ああいう顔をした人間に近づくとロクなことがない。が、拒むに拒みきれないのが己の情けないところでもある。

 おそるおそる歩み寄れば、ある程度近づいたところでデムナにがっちり右手首を掴まれた。瞬時に引っ張られ、彼女の真剣な視線のもとに晒される。

 リュヴァルトは強張った笑みでただそれを見守っていた。有無を言わせない態度はアネッサに通ずるものがある、などとはとても言えそうにない。

 ――不意にデムナの顔から色が消えた。


「あんた、塔の人間なのかい」


 どこかとげのある声音だった。

 リュヴァルトは「は?」と首を傾げたが彼女は押し黙ったまま口をきかない。唇を引き結び、鋭い視線だけを寄越して何か考えこんでいる。そうしてたっぷり間を置いたあと、突然背を向けた。


「悪いが今日は店じまいだよ。帰っとくれ」

「えっどうして!?」


 かごを手にさっさと奥に引っこむデムナをリュヴァルトが慌てて追いかける。


「無理を言って本当に悪いんだけど、俺、どうしてもその鳥が欲しいんだ。あ、じゃあ足りない分はまた日を改めて持ってくるってことでさ、それで考えてもらえないかな!? ……そうだ、この指輪が俺の身分証明になるらしいから、お金持ってくるまでの(かた)として預けておくのでも」

「冗談じゃない!」


 追い縋って頼みこむリュヴァルトをデムナが一喝した。リュヴァルトは手を彼女の肩に向かって伸ばしたまま動きを止める。

 一瞬の静寂の後、大きな溜息が辺りに響いた。デムナは僅かに振り返ると肩越しに目を向けた。


「……さっきの額でいい」

「え?」

「これが欲しいんだろう? あんたの言い値でいいから持っていきな。その代わり何も言いっこなしだ。いいね?」

「へ? それはどういう……」


 リュヴァルトの頭上にたくさんの疑問符が浮かんでいた。デムナはリュヴァルトの有り金を引ったくるようにむしり取り、渋い顔で古びたかごを押しつけた。





 * *





 追い出されるようにして店を出た三人は互いに顔を見合わせた。


「なんなのあれ?」

「さあ……。まあ、無事に買えてよかったけど」


 リュヴァルトは手にしたかごをそっとなでた。「見せて!」と手を伸ばすウィルをひとまず笑顔で制すると、青年はかごの口に指を引っかけた。簡素な爪で閉じられていただけの口は果たして簡単に開いた。


「つつかない……?」

「うーん大丈夫、かな。……ほら」


 ゆるりと引き抜かれた青年の手。その人差し指に青い鳥がちょこんと留まっていた。予想していたより遥かに小さいそれはまるで精巧に造られたミニチュアのようだ。

 体躯の色は光沢のある瑠璃。そこから風切り羽と尾羽の翡翠色へ向かうグラデーションが実に美しかった。翡翠は光の具合によって空色に若草色にときらきら輝き、さながら陽の光の降り注ぐ深い泉の揺らめきのようだ。黒くつぶらな瞳が、ちょうど真正面にいたウィルを静かに見つめている。


「これは確かに金貨三枚以上の価値があるかもね」


 食い入るように見ていたアネッサが感嘆の息をついた。色も大きさも何もかも、こんな鳥は今まで見たことがない。デムナの売り文句は誇張でもなんでもなかったのだ。

 リュヴァルトも頷いて、自身の顔の高さまでそっと手を持ち上げた。青い鳥は顔を僅かに傾けただけで青年をじっと見返している。暴れることもなく、とてもおとなしい。


挿絵(By みてみん)


 そうしてしばらく視線を絡ませていたが、


「――ほら!」


 リュヴァルトは天に向かって腕を伸ばした。

 ぎょっと顔色を変えたのはアネッサとウィルだ。あっ、えっ、と言葉にならない言葉を発しているうちに小鳥は翡翠の翼を広げ、音もなくふわりと舞い上がった。そのまま鈍色の空を高く高くどこまでも昇り、あっという間に砂粒のようになる。


「リュー!」


 悲鳴にも似た怒声が耳をつんざいた。我に返ったリュヴァルトの目に飛びこんできたのは大変珍しいアネッサの青い顔。


「あ、あ、あんた何やってんの!? 金貨三枚だよ!?」

「俺が支払ったのは白銅貨四枚と、青銅貨が……ええと何枚だったっけ」

「細かいことはいい! せっかくの幸運の鳥を……まだ鳴き声も聞いてなかったのに」

「あ、ほんとだ。……ちょっと惜しいことしたかなぁ」


 のほほんとした答えにアネッサが頭を抱える。全くお話にならない。


「リュー、どうして……!?」


 ウィルは悲愴な面持ちでリュヴァルトを見上げた。その目が飼うんじゃなかったのかと訴えていた。リュヴァルトは腰を屈めて少年の頭をなでた。


「外に出たいって言ってたからね」

「あんた、鳥の言葉がわかるの?」

「なんとなくそう思っただけだよ」

「なんとなく思っただけで逃がしちゃうの!?」

「まあ……狭いかごの中より広い空を飛ぶ方が、鳥は嬉しいんじゃないかなあと思って」


 リュヴァルトの笑顔はにこにこへらへらとどこまでも呑気なものだった。何がそんなに楽しいのか、あんたの頭の中には花畑でも広がってるのかと詰め寄りたかったが、結局は言葉を飲みこんだ。何を言ってももう後の祭りである。

 アネッサは再び空の彼方へ視線を向けた。目の覚めるような青はもはやどこにも見当たらない。




 ――ぱたり。




 突然、鼻の頭に水滴が当たった。目を見開いたアネッサの額や頬にも、そしてあちらこちらでぱたぱたと鳴り出した音は次第に大きくなっていく。


「雨だ!」


 建物も緑も大地にも斑模様が描かれ、あっという間に全てが薄墨色に沈んだ。慌てて腕をかざして辺りを見回せば、なんとか三人入れそうな(ひさし)の下があいていた。身を寄せ合い、水滴を払い、ひとまず人心地がついたところでアネッサは天を見上げた。


「まずいね、早く帰らなきゃ」


 小さな呟きは口にしたそばから雨音に掻き消されていく。この中をひたすら歩いて帰るとなるとずぶ濡れになるのは必至だ。考えただけでも気が滅入ってくる。


「アン、少し雨宿りしていこうか?」

「すぐやむのならそれもいいんだけど」


 見上げた空は暗く重苦しい。果たして雨がやむのが先か、日が暮れるのが先か。

 小さな子どもを連れている身としてはなるべく早く帰りたい。邸までまだかなりの距離がある以上やはり隙を見て帰途につくのが妥当だろうと、思考は同じところに帰結する。


「じゃあ辻馬車は? 昼間何台か見かけたよ。あれなら濡れずに帰れるんじゃないかなぁ。ほら、広場に行けば見つかるかも――」


 名案を思いついたとばかりにリュヴァルトが目を輝かせた。気の乗らない返事だけを返してアネッサは腕を組み、思案に暮れる。辻馬車なんて使う気がしない。

 だが悠長なことを言っている場合でもないのかもしれない。こうしている間にも刻一刻と時は過ぎていく。お尻の痛くなる辻馬車だろうが、言ってしまえば早い者勝ちである。

 邸の馬車で来なかったことがやはり悔やまれた。始めから出していればこんなところで立ち往生することもなかったのに。

 アネッサの視線は自然と空に縫い止められていた。灰色の空を背に、黒くそびえる巨大な影がぼうっと雨に霞んでいる。

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