[6]誘ったのは俺だよ【挿絵あり】
学校へのわかれ道が近づき、アネッサはようやく歩を緩めた。
振り返ればアネッサから少し遅れて小走りに追いかけてくる甥たちの姿があった。いつの間にそんなに距離が開いていたのだろう。
「あんたたちはこっちだね。また今度ゆっくり遊びにおいで」
追いついたふたりの背を少し強めに押して送り出す。――送り出そうとした。けれどジールは数歩行った先で立ち止まった。くるりと踵を返し、何事かと訝しむアネッサの元に戻ってきた彼は真摯な態度で背筋を伸ばした。アネッサをまっすぐに見据え「さっきの話でひとつだけ」と打ち明ける。
「アンは、父が私たちに話して聞かせたと思ってるでしょう? そうじゃなくて、こっそり聞き耳を立ててたんです、あいつ。だから、悪いのはあいつだから」
「あーっ! ジールおまえ! なにをばらしてるんだよ!」
兄の裏切り行為ともとれる告白にファルも慌てて駆け戻ってくる。そんな弟をジールは醒めた眼差しで迎えた。
「事実だろう。私はやめておけと言ったからな」
「知ってる名前が聞こえてきたら気になるじゃん!」
「そうだとしても。おまえ、口が軽いから向いてない。今回はアンだからよかったけど、この先もし父の評判を落とすことに繋がれば」
「おまえだって気にしてたくせに! アンの相手が――」
「ああもうわかったから。ふたりとも」
すかさずアネッサがふたりの間に入った。双子の言い争いは放っておくとまだまだ続きそうだったし、その内容的に全く気にならないと言えば嘘になる。が、生憎と悠長に聞いている暇はない。
「どちらにしろ兄さんが話してたのは本当なんでしょ。今度、文句言っとく。――ほら、行きなさい」
疲れた顔で溜息をひとつ、アネッサは学校の方を指差した。
ジールは改めてきちんとお辞儀をし、ファルはといえば「おれはアンが好きだからなー」と、まるで告白のようなそうでもないようなことを叫んで大きく手を振った。
* *
ひとりになったアネッサは再び小走りに駆け出した。
こぢんまりとした建物の並ぶ一画を抜けて大通りに出れば、すぐに大きく枝を広げた一本の常緑広葉樹が目に入った。フォルトレストの中心地、円形広場だ。
ウィルとリュヴァルトらしい背格好の組み合わせがいないか、ここに来るまでも絶えず辺りに目を光らせてきたものの、見つからないままひとつめの目的地に着いてしまった。
広場の周辺には観光客相手の店がたくさん並んでいる。が、客足はそれほど多くなかった。ぐるりと見渡したがアネッサの求める姿は見当たらない。
どうやらここにはいないようだ。そう判断したアネッサはさっさとワルネの木の下を横切り、塔へと続く通りに向かう。
「雨、降るかしら?」
ふと雑踏の中から飛んできた言葉。振り返るとちょうどすれ違った男女ふたりが天を見上げていた。つられて目線を上げれば雨を降らせそうな黒い雲が彼方より広がってきている。
頭上でさわさわと梢が鳴った。水分を含んだそよ風がアネッサの頬をなでていく。まだ雨の匂いは混じっていない。けれどこの空模様ならそう時間を置かずに降り出してもおかしくない。
「……早く帰らなくちゃ」
アネッサは拳を握り締めた。
散々振り回され、走らされた挙げ句に濡れ鼠になるなどご免被りたい。
駆けては辺りを見渡し、店先から中を覗いては街路を先へ進む、その繰り返し。ここですれ違ってしまえば瞬く間に振り出しに戻ってしまう。逸る気持ちを抑え、面倒でも一軒一軒地道に覗いていくしかなかった。
三つめの辻に差しかかったとき、鐘が鳴った。夕刻ひとつめの鐘の音だ。身体の奥にまで響く大きな音に思わず息が止まる。
顔を上げると目前に時の塔が迫っていた。その距離はもう幾ばくもない。本当に見つかるのか、会えるだろうかと、僅かに芽生えた不安には敢えて気づかない振りをした。街路で見つからなければおそらく塔の中にいるのだ。
再び足を踏み出した。視界の端に映りこんだ色に何気なく目をやったアネッサは、次の瞬間ハッと足を止めた。今まさに渡り終えようとしていた狭い路地の向こう、そこに見覚えのある背中があった。目を射る銀色を見たと思ったときにはもう建物の影に消えていて、アネッサは慌ててそのあとを追いかける。
路地を抜けた先は丁字路になっていた。
大通りと平行に走る裏通りは閑散としている。軒を連ねているのが夜開く店ばかりというのもあるのだろう。昼間は食事を出す店が、準備中の札がかかる酒場の合間にぽつぽつと看板を出していた。店内には気怠げに談笑している女性の集団や、慌ただしく食事を掻きこむ男性の姿がある。身なりからして、観光客向けというよりはこの界隈で働く者たちの食事処のようである。
消えた背中を求めて彷徨うアネッサの視線は、すぐに一角に吸い寄せられた。青年が、塔を背にして一本向こうの脇道を大通りの方へと歩き去るのが見えた。彼の前を行く小さな存在も。
あの辻は既に過ぎてきた方向だ。塔から離れる方角に歩いていくところを見るとこれから帰るところか。
逃してなるものか。アネッサは足下で揺れるドレスの裾をさばく。
脇道の中ほどの僅かに出っ張った庇の下――あと数歩も行けば大通りという場所に露店が出ていた。道端に薄墨色の布を広げ、その脇に小さな台と椅子を置いて男が座っている。
そこに、いた。遠目にもはっきりわかる、身長差のある二人組が。薄日にさえ輝いて見える銀色の髪の男性と、蜂蜜を落としたような艶やかな金の髪の少年と。何か物色でもしているのかふたりとも仲良く下を向き、こちらには気づいていない。
次の瞬間、少年がぱっと青年を見上げた。何か嬉しそうに話しかけている姿を目に留め、アネッサはほうと安堵の息をついた。
――ほら、やっぱり。危険なんてないじゃないの。
甥っ子の姿も安心しきったその表情も、これまで見てきたものとなんら変わりない。つまり、ふたりの信頼関係は依然として続いていることになる。甥っ子たちが変なことを言うから余計な心配をしてしまったけれど、青年の内にはウィルに危害を与えてやろうという企みなどないのだろう。
そもそもそんなことをする人ではないのだ、リュヴァルトは。特別確証があるわけではないが、強いて言うならアネッサの〝勘〟である。なんとなく、そう思う。
「――あんたたち! やっと見つけた!」
駆け寄って、青年の肩を掴んだ。弾かれたように振り向いた彼の藤紫色の瞳は大きく見開かれ、アネッサの姿を映していた。けれどアネッサの目に留まったのは全く別のものだ。
なんなのそれ、と怒鳴ろうとしたアネッサより早く、リュヴァルトはへらっと笑みを浮かべた。
「アン! よくここがわかったね。もしかして、迎えに来てくれた?」
あまりにのほほんと、そして嬉しそうに紡がれたその言葉にアネッサは一瞬怒気を削がれた。だがすぐそれ以上の怒りを爆発させた。
「連れ戻しにきたの! それより、その手にしてる物はなんなの!?」
「これ?」
リュヴァルトが右手を軽く持ち上げた。握られていたのは油紙に包まれた揚げ菓子である。捻られた形状の細長いそれをアネッサの見ている前でひとくち齧り、咀嚼しながらリュヴァルトは首を傾げた。
「アンも欲しい? 向こうで売ってたけど結構いけるよ。今ならもしかすると揚げ立てが――」
「そうじゃない! 歩きながら、はしたないって言ってるの!」
「……でも、手軽に食べられるようにって、この形なわけだし。ウィルもすごく美味しいって喜んでたよ」
穏やかに答えるリュヴァルトの目線が落ちる。同じくアネッサも目を落とした先でウィルはびくりと身体を縮こまらせ、両手を胸の前で合わせた。握り締めた彼の小さな手の内から、きちんと折り畳まれた油紙の端がはみ出していた。
「あっあの、アン……ごめん、なさい……」
顔が俯くのに合わせて言葉尻が消えていく。アネッサは溜息をつき彼の前に屈みこんだ。
「その〝ごめんなさい〟は、何に対する〝ごめんなさい〟?」
目の高さを揃え、顔を覗きこむ。少年のさらさら揺れる前髪の奥、長い睫毛に縁取られた青藍の瞳はじっと自身の両手を見つめていた。しばしの沈黙のあと、ウィルは顔を伏せたまま遠慮がちに口を開いた。
「……これ、食べたのと……、あと、しゅ、しゅくだい……」
もじもじと言いにくそうに告げられた言葉。それにうんと頷いてアネッサが息を吸いこんだ瞬間、リュヴァルトもぱっと腰を屈めた。そうしてふたりの間に割りこんだ。
「ウィルは何も悪くないよ。宿題もこれも全部、誘ったのは俺だよ」
「――そう! 元はと言えばリュー、あんたが全部悪い!」
呑気な顔をきっと睨みつける。瞬時に爆発したアネッサの怒りの矛先は、全て青年の方に向けられた。
「なに考えてんの!? 読み書きが苦手だって言うからわざわざ先生にお願いしたんでしょ! それを復習もせず逃げ出して、ウィルをそそのかしてこんなところまで連れてきて!」
「ごめんごめん。ちょっと息抜きのつもりだったんだよ。ウィルがずっと頑張ってるのは知ってたし、俺も外に出られるようになったからさ」
街に出るなら知ってる人が一緒の方が心強いじゃないか。そんな風にもっともらしく、しかも笑顔でリュヴァルトは言い訳を綴る。一応謝罪の言葉らしきものも耳に届いた気がするが、傍目に全く反省の色が見えない。
アネッサは余計に頭に血が上るのを抑えられなかった。一旦上がりかけたリュヴァルトの株は瞬く間に下がっていく。
危険はないかもしれない。が、同様に責任感もこの男にはない。
言い返そうと口を開きかけたアネッサの、その僅かな隙を狙ったように「おい」と静かな怒声が降ってきた。頬杖をついた仏頂面の男性――露店の主が鬱陶しそうにアネッサたちを睨んでいた。
「どうするんだ? やめるんなら商売の邪魔だ。痴話喧嘩は余所でやってくれ」
「ちわ……!?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。遅れて理解した言葉の意味にカッと顔が熱くなる。どこをどう見れば自分とリュヴァルトがそういう間柄に見えるのだろう。
冗談じゃない。
反論するため立ち上がったアネッサは、そのときになって初めて露店の商品が何か気づいた。広げられた布の上には所狭しとたくさんの絵が飾られていた。小型の――大人の両手を広げたのよりは大きな――風景画に静物画。額に入れればちょっとした室内装飾に、また贈り物にもなりそうな品である。
そして男の脇に置かれた台には〝似顔絵描きます〟と記された小さなカード。
「いや、お願いするよ」
アネッサが絵に目を奪われた直後、彼女の視界は瞬く間に遮られた。何かと思えばリュヴァルトの後頭部が目の前にあった。さらさらの細い銀糸が鼻先をくすぐり、アネッサは仰け反るように半歩後ずさる。
「でも、さっき言ったのはナシで……彼女とこの子を一緒に描いてくれる?」
朗らかな声でのんびりと発せられたそれ。直後に腕を引っ張られ、青年の前に引きずり出されたアネッサは「はぁ!?」と抗議の声を上げた。
振り返ったリュヴァルトは彼女と目が合うとにこやかに藤紫の瞳を細めた。




