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月のひかり、陽だまりの歌  作者: りつか
2章 まぼろしの肖像画
14/21

[5]兄の指示【挿絵あり】

「ウィルと、……誰?」


 アネッサに声をかけた方の少年は目を丸くし、きょとんと聞き返した。そよ風に持ち上げられた茶色の髪が春の陽射しに明るく輝いている。

 「背の高い銀髪の男」とアネッサが再度口にすれば、少年はしばし宙の一点を見つめて何かを思い返しているふうだったが、


「おれは見てないな……ジールは?」


 隣の少年に話を振った。そのジールはさっさと首を横に振って返事に代える。振り向いた彼の理知的な、澄んだ青藍色の瞳がひたとアネッサを見据えた。


「ウィルがいなくなったんですか?」

「いなくなったというか、連れ出されたというか」

「えっそいつ()()()()!? ウィルさらわれたんだ!?」

「物騒なこと言うんじゃないのファル。あんたはすぐ話を大袈裟にするんだから」


 アネッサは腰に手をやり、目前の少年――ファルを睨みつけた。興味津々な様子で目を輝かせていた彼は両手を頭の後ろで組み、なぁんだと物足りなそうにぼやいた。


「面白そうなことが始まったのかと思ったのにさ。だってウィルがさらわれたってなったら館中大騒ぎじゃん。そしたらあの人も少しは慌てるのかなーとかさ」

「冗談はやめて。……もう、あんたと話してると調子が狂う」


 片手で額を押さえ、アネッサが溜息をつく。その顔を見たファルは全く悪びれず、ケラケラ笑った。朗らかに笑うその顔つきはとても楽しそうで、実年齢より二つ三つ幼く見えた。

 万事がこうだ。ファルにはどれだけ真剣な話をしてもすぐふざけ、茶化された。たとえ深刻な事態であってもその態度は変わることがなかった。

 良くも悪くも楽観的に、なんでも面白がる姿勢の彼を見ていると大抵の悩みは馬鹿らしく思えてくる。ありがたいと思ったことも少なくはないが、大概は脱力させられることの方が多かった。

 そういえば生前の母もファルの相手をしてはよく溜息をついていたことを思い出す。何を言っても全く反省の色が見えないこの甥っ子に、母はどう言い聞かせていたのだったか。


「アン」


 呼ぶ声に、思考の淵から引き戻された。おもむろに目を向ければジールが鞄のポケットを探り、何かを差し出してきた。


「父からです。アンがいたら渡すようにって」

「あたしに?」


 薄い紙片を受け取る。ふたつ折りにされたそれを開くと数行の短い走り書きが目に飛びこんできた。




『腕輪の用意ができるまで、

 いましばらくひとりで出歩かせぬこと。

 ・ワルネの木

 ・時の塔』




 アネッサは眉を顰めた。なんのことだか意味がわからない。ひっくり返して裏表を確かめるが他には何も、署名すらも書かれていなかった。

 けれどこれは間違いなく兄の筆致だ。長年見てきたアネッサが見間違うはずがない。


「……あたしがいなかったら渡さなくていいって?」


挿絵(By みてみん)


 頭ひとつ分背の低いジールを怪訝な瞳で見下ろした。気の弱い男なら竦み上がって動けなくなるだろうそれも少年にはなんの効果もない。鋭い視線をまっすぐ受け止め、ジールは行儀よくはいと返事をした。


「もしアンひとりしかいなくて、誰かを探しているようだったら役立つって言ってました。……父の予見した通りだと思って」


 違うのですかと見返すその目には一点の曇りもない。

 そもそもジールはくだらない嘘はつかない子だ。弟のファルとは違い、調子に乗ることもない。冷静で落ち着いていて、いつも実年齢より二つ三つ年上に見られるようだ。

 この子たちは本当に対照的な双子である。


 アネッサは再び紙片に目を落とした。

 腕輪のくだりはよくわからないが、自分に〝出歩かせるな〟と指示が飛ぶならその対象はウィルかリュヴァルトのどちらかだ。ウィルがひとりで出歩く子でないのは兄もよくわかっているから、これはおそらくリュヴァルトに対する指示。だとすれば挙げられたふたつの場所は彼の現在地か。

 ――なんでふたりの居場所を兄さんが知ってるんだろう。

 自問したのは一瞬。すぐ、リュヴァルトが研究室に立ち寄った可能性に思い至った。きっと市街地に出る前に研究室に顔を出したのだろう。目的地を兄に話したからこそ、こうして記されている。

 ワルネの木とは街の中心地にある円形広場に植えられた大樹の名称である。ここから遥か南、海を渡った先の大陸の国から友好の証として贈られた。

 そして時の塔は円形広場を抜けた先の、毎日定時に鳴らす鐘を吊るした塔のことだ。美しいステンドグラスを求めて日々大勢の人が訪ねてくるので、リュヴァルトには観光用の塔だと説明した覚えがあった。それを覚えていた彼が遊びにいこうとウィルを誘ったのではないか。――リューならやりそうな気がする。


「時の塔に行かなくちゃ」

「時の塔? 今から?」

「ウィルとリューはそこにいるみたい」

「リュー?」


 いかにも双子らしく、ふたりは揃って不思議そうに首を傾げた。甥たちに彼のことを説明しようとしたアネッサは、はたと気づいた。


「あんたたち、寄っていくの?」


 上を指差し尋ねる。丘の上の邸に用事があるのではないのか、と。

 こんな中腹で出会(でくわ)すこと自体、彼らが邸に向かっていたからに他ならなかった。今は学校の寄宿舎にいる彼らだが、この子たちにとってはいつまでも〝我が家〟である。育ての母はもうおらず、実父は月のほとんどを塔の研究室で過ごしているけれど、実母は変わらずあそこにいる。もし彼女に用があるのなら、ここで引き止めたまま長々と説明し出すわけにもいかない。

 だがジールはアネッサの問いを即座に否定した。用があったのはアネッサただひとりだと、表情を崩すことなく淡々と述べた。


「試験が近いからもう帰ります。ここでアンと会えてよかった」

「門まではまだだいぶあるもんなー。登る手間が省けてよかった」


 片手をかざし軽く背伸びまでしてファルは丘の上を見上げる。そんな弟をジールはちらと一瞥した。声にはしないが彼も異存はないようだ。

 ふたりは銘々に挨拶を済ませ、さっさと踵を返した。


「途中まであたしも一緒に行くよ」


 去ろうとする背にすかさず声を投げた。アネッサの言葉にきょとんと振り向いたのはファルだけで、ジールは肩越しに視線を寄越す。彼が小さく頷くのを確かめるとアネッサはふたりとともに歩き出した。





 * *





 リュヴァルト。

 ひょろりと背が高く、細い銀糸のような髪と藤紫色の瞳が特徴的な異能力者である。

 治癒の力を持つことからジェラルディオンに協力を仰がれ、居候として置くことになった。

 年はアネッサと同じかおそらく下。

 いつも笑っていて、やることなすこと子どもっぽい。

 動物を手懐ける腕は一級品。

 勉強、特に読み書きは致命的。





「行き倒れを拾った、っていうのがさすがアンだな」


 ファルが相変わらずの軽い乗りで茶々を入れた。アネッサはむうと唇を引き結ぶ。猫と同じように思ってるんだろうと言われた気がした。アネッサにしてみればそこはせめて〝保護〟と言ってほしいところである。リュヴァルトは猫ではないのだから。


「……とにかく。ウィルがすっかり懐いちゃっててね、今は仲良く逃走中ってわけ」


 手懐けるのが上手いものに〝子ども〟も加えていいかもしれない。そんな密やかな思いつきについ溜息をつきそうになった。

 義姉にレモン水を差し入れたあのときから、ウィルにとってリュヴァルトはヒーローなのだ。ぼくもお母さんの役に立つことができたとはしゃぎ、提案したリュヴァルトにはすっかり心酔しているようだった。


「その人、信用できるんですか?」

「え?」


 アネッサは隣を行く横顔を覗きこんだ。少年の目はまっすぐ前を向いている。


「その人が来てまだ一週間なんでしょう? ウィルをそんなよくわからない人とふたりきりにさせて、大丈夫なんですか?」


 ぎくりと息を呑んだ。

 足の止まったアネッサにジールは数歩遅れて振り返った。責める顔ではない。けれど不思議そうな、いまいち納得のいかない目をしている。


「ウィルは幼いし、無防備なのは仕方ないのかもしれないけど。アンまですっかり信頼してるみたいだから、ちょっと意外で」


 アンらしくないと思う。そう結んだ少年の、じいっと見つめる青藍の瞳には薄く非難の色が宿ったような気がした。

 アネッサの胸がざわざわと騒ぎ出した。僅かに目をそらし、所在なさげに胸を押さえる。


「……大丈夫だよ。リューのどこにも、危険なんて感じない、し」


 自分に言い聞かせるように喉から絞り出した声はアネッサには似つかわしくない、弱々しいものだった。力のないそれにジールはふうんと一応の相槌を打った。

 彼の肩を軽く叩いて、アネッサはその脇を抜ける。自然と足が速くなっていく。




 ジールの言う通りだ。

 出会って数日しか経っていないのにリュヴァルトにはすっかり気を許してしまっている自分がいる。相手は身分も生い立ちも何もかもが違う人間。いや、生い立ちどころか出身地がどこか、これからどこへ行こうとしているのかもそういえば聞いていない。

 知っているのは彼が異能力者で、旅の途中であること、軟禁されていたリトの街から逃げてきたことくらいである。

 一体どうして。いつもであれば付き合いの浅い人間とはきっちり線を引いて接しているはずなのに。気づけばこんな事態になっていて、いつの間にか彼のペースに振り回されてしまっている。


「じゃあ、大丈夫なんじゃない。アンが言うんならさ」


 やんちゃな甥が無邪気に笑って追いかけてきた。


「ほら、アンは強いし。男より男らしいから、いざとなったらやっつけちゃえばいいんだ。この間のお見合いもそうだったんでしょ? 始めからずっとしかめっ面で、最後は投げ飛ばしたって。おれ、すげーって思ったもん。あれは警戒心が強すぎるか、理想が高いのかーって言ってたけど、でもおれは……、あっ」


 ファルは慌てて口を押さえた。いかにも〝口止めされていました〟という顔をしていた。だが時すでに遅し。おそるおそる窺い見てくる甥っ子にアネッサはにっこり笑ってみせた。


「おれは……、なに? それ、誰から聞いたの、ファル?」


 声だけを聞けばとても優しげで温かなそれ。顔にも大輪の花が咲いたような(あで)やかな微笑みが浮かんでいる。けれどもその目が決して笑っていないこと、彼女の背後に怒りのオーラが立ち上っていることは誰の目にも明らかだった。

 腕を組み仁王立ちで見下ろすアネッサを前にファルは立ち竦んでいる。両手で口を押さえたまま、上目遣いにふるふると首を横に振った。


「あの、父上に怒られるからナイショ……」

「……なるほどね。よーくわかったわ」


 犯人は兄か。全く、息子に一体何を吹きこんでいるのか。

 周りの気温がすうっと冷えるような空気を醸していたアネッサは大きく息をつくと、組んでいた腕を解いた。そうして再び足音も荒く先を急ぐ。

 ひとまず気持ちは切り替えねばならない。今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。兄に文句を言うのはウィルたちをちゃんと見つけて、それからだ。

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