[4]散策【挿絵あり】
リュヴァルトの持つ異能のひとつに、手を繋ぐと相手の感情がわかる力がある。わかるどころではない、好意だろうが悪意だろうがお構いなしに襲ってくるのだ。そんな感情の奔流に、幼い頃などはよく熱を出したものだった。
成長するに従い力をコントロールすることを覚えた。瞬きや息をするのと同じように、無意識的に感覚を抑えこめるようになった。だが体力が落ちるとどうしても制御しきれなくなる。荒ぶる感情に圧倒されれば、かえって疲れてしまうことも多い。
身体の調子が戻ってきた、そう気づいたのが今朝アネッサに指輪を嵌められたときだ。しっかり手を取られたのになんの感情も伝わってこなかった。そのあと肖像画の間でウィルと手を繋いだときも、そして今も、感覚はずっとフラットなまま。少年の小さくて柔らかな手は仄かな温かみを伝えてくるだけで、それ以外は何も感じられない。リュヴァルトはひっそりと安堵の息をつく。
ちらりと見下ろせば楽しそうに目を輝かせている少年の顔があった。これから向かう市街地を思い、胸を躍らせているのだろう。まだ駆け引きなど知らない純粋無垢な少年の感情ならばありのままに受け止めても大丈夫な気はしたが、やはり力を解放するのはやめた。その笑顔を目に留めるだけにしておく。
「ウィルは街にはよく出るの?」
「ぜんぜん出ないよ。たまにしか行かない。ぜったいに行くのは夏のお祭りだけど、あとはアンがいっしょに行こうって言ってくれるときだけ」
「お祭り? お祭りがあるんだ」
その途端、ウィルの顔がぱあっと輝いた。
「あるよ! 広場でおもしろいことしててね、お店もいっぱい出るし、すごく楽しいんだよ!」
そうして少年は頬を紅潮させ、堰を切ったように話し始めた。
大道芸人らが競うように披露するパフォーマンスのこと。
出店は気になるものをどれかひとつだけ買ってもらえること。
でもいろんなお店があるため目移りして選ぶのが大変なこと。
前回のお祭りでウィルの興味を引いたのは露店に並ぶ商品そのものではなく、広場の外れで遊ぶ子どもたちだったらしい。彼らが手にしていたシャボン玉、それがウィルの知っているものとは少し違ったのだという。
「あのね、始めはふつうなんだけど、われるときにパッて虹になるんだ」
「虹? 空にかかる、あの?」
「そう! シャボン玉のは小さいけどね。でもすごくきれいで、ええと、ミリョクテキなんだよ! ぼくほしいなって思ったんだけど、おとなりのお店のアイスクリームもとってもおいしそうだったの。どっちがいいかなって考えてたら売り切れちゃった。だから今年はぜったいにシャボン玉!」
意気込むように両手で握り拳を作ってみせると少年はえへへと笑った。
それじゃアイスを食べたんだねと尋ねたがどうやらそれも叶わなかったらしい。アネッサに「外で食事するなんて行儀が悪い!」と一喝され、全く取り合ってもらえなかったとウィルはしょんぼり答えた。
結局買ってもらえたのは〝星屑の粉〟と呼ばれる品だった。星と名のつく通り、チカチカきらきらと光る粉で、暗がりだとなお一層美しく煌めく代物だそうだ。水溶液にして小瓶に詰めたものは特に人気があって、その場で腕や頬などに落書きよろしく描けるのが楽しいのだとか。
リュヴァルトにしてみればそちらも十分魅力的なように思えたが、「だって前のお祭りのときも〝星くずのこな〟だったんだよ!? 二回れんぞくはつまんないよ」とのウィルの訴えにはそういうものかと新たな視点を知ることになった。
お祭り話に花を咲かせつつふたりは丘を下りきった。
富裕層の邸宅の並ぶ界隈に入ると道幅はぐっと広くなり、人の往来が増えてきた。それとなく観察してみたが容姿はみんな様々だ。
背の高い人、低い人。
恰幅のいい人、細身の人。
髪色に注目してみても金髪の他に赤い髪や黒髪といろんな色を見かける。残念ながらリュヴァルトのような銀の髪は見つけられなかったが、これだけ多種多様であれば特に自分ひとりが浮くということはなさそうだ。
「あれが広場だよ!」
ウィルの弾んだ声に目を向けると大通りの先に丸く開けた場所が見えた。常緑樹の大木を中心として、その周りに花壇や水路が整備され、人々の憩いの場として機能しているようだった。広場の周囲にはいろんな店が建ち並び、皆めいめいに列を成したり、冷やかしたりしている。
目指してきた目当ての塔はそれら店舗のすぐ向こう側に見えていた。ウィルはあっと声を上げるとリュヴァルトの手を振り解き、軽やかな足取りで駆けていった。
「リュー、こっち! 〝この先、時の塔〟だって」
広場の脇から伸びている街路の入口。そこに立てられていた大きな看板の前で、ウィルが目を輝かせた。のんびりやってきた青年の手を再び握って「ね?」とにっこり笑う。リュヴァルトも笑みを返すと看板をしげしげ眺め、なるほどこの表記で時の塔と読むのかと脳裏に刻みこんだ。
通り沿いの店は土産物屋に始まり雑貨屋に飲食店と、軒並み観光客向けのようだった。飲食店は店内に飲食スペースを設けた店よりは食べ歩き推奨のところが多い。リュヴァルトの金銭感覚だと物価は少々高めに感じるが、見かける通行人はそもそもが身なりの良い人ばかりだ。この街ではこれが普通なのだろう。
やがて塔の入口が見えてきた。大きく開け放たれた両開きの扉からは幾人もの人が吐き出され、また同じように吸いこまれていく。
「迷う心配なかったね」
ホッとしたのかウィルは恥ずかしそうに照れ笑う。リュヴァルトも同じように口角を上げるとその背に手を添え、行こうかと促した。
人の流れに任せて塔の中に足を踏み入れたふたりは、揃って「わぁ!」と歓声を上げた。その直後、思った以上に響いた自分たちの声に驚き、やはり揃って口を押さえる。
真っ先に目に飛びこんできたのはステンドグラスである。入口を背にして真正面の壁に四枚の縦長の板ガラスが嵌めこまれていた。端から黄色系、緑系、赤系、水色系とそれぞれ独立した色味でありながらも、雄大な大河が横たわる図案から四枚でひとつの絵になっているのがわかる。そのうちの一枚にのみ大空を飛翔する白い鳥がいて、表からの陽の光を浴びたそれは眩いばかりに輝いていた。
暗がりの中に浮かび上がるステンドグラスは実に幻想的な光景を作り出していた。心なしかひんやりした空気と厳かな雰囲気にあてられ、自然と気持ちが引き締まる。
磨き上げられた床はたくさんの色が色鮮やかに塗りこめられているのだと、リュヴァルトは始めそう思っていた。だが違う。光だ。床に描かれた美しい紋様は塗料からなる色ではなく、ステンドグラスを通して落ちてきた光が作り出したものだった。リュヴァルトもウィルも例にもれず、色ガラスと床とを見比べては興味深そうに踏みつけたり手をかざしたりした。
「見て! きれいな絵、上にもある!」
少年の弾んだ声に誘われ目を向けた。見上げれば遥かに高い天井までも色とりどりの光で溢れていた。どんな意匠かはここからではよくわからない。
天井を眺めるうちにその少し下、壁沿いにぐるりと巡らされた通路が目に入った。動く人影を確認できるということはあそこまで上がれるのか――そう思った次の瞬間には塔の内壁に設らえられた螺旋階段も見つけていた。申し訳程度に簡素な手すりがつけられた剥き出しの階段は人がやっとすれ違えるほどの幅しかない。
「二階に上がれるんだ」
口をぽかんと開けて見上げていたウィルも遅まきながら階上の人影に気づいたらしい。
「二階……どころの高さじゃないよあれ。四階、いや五階くらいあるか。高いなぁ……。みんなよく平気で――」
「ねえリュー、行ってみようよ! ぼく上ってみたい!」
嬉々とした声が届く。上を呆然と眺めていた青年は我に返り、目線を下ろした。そこにあったのはきらきら期待の眼差しで見上げてくる少年の顔。手を引っ張って催促してくる彼に、リュヴァルトは真顔でこくりと喉を鳴らした。
* *
アネッサはやや駆け足で坂道を下っていた。
朝の冷えこみが嘘のように暖かな日だ。薄曇りで日光の直射はないというのに気温はずいぶん上がっていた。加えてずっと走り通しのアネッサにはじっとり小汗をかくほど暑く感じる。いつもはひらひらと軽やかに揺れるのが楽しいドレスも裾が足に纏わりつき、今はただただ鬱陶しい。
何度目かの曲がり角に差しかかった。開けた視界の隅から隅まで、鋭い目つきで見回す。けれど求める姿はどこにも見あたらない。
「もうっ、どこまで行ったのよ! あいつ何考えてるの!?」
むかむかと怒りの表情のまま独り言ちる。さっきからずっと同じ文句を吐いていることには気づいていない。
部屋を飛び出していったリュヴァルトたちを追いかけ邸内を散々探したあとで、アネッサの思考はようやくふたりが外に出た可能性にいきついた。門に駆けつけて門番を問い詰めると彼はかなりびくついた様子でふたりが街に向かったことを白状した。
一体どの程度差がついているのだろう。七歳児を連れた足だ、すぐに追いつくはずと高をくくっていたアネッサだったが、行けども行けども見つからないことに段々焦れてきていた。
これならば馬車を出した方がよかった。
そう思ったときにはもう丘を半分以上下ってきていた。ここまで来れば今から邸に戻って仕切り直すよりこのまま進んだ方がおそらく速い。後手に回ってしまっている事実に余計に苛々する。
やがて前方から人影が現れた。それもふたり、こちらにのんびり歩いてくるのが見える。やっと見つけたという思いと、街に行ったにしては早すぎるという疑問と、行くのを諦め戻ってきたのかという憶測。様々な考えが去来し、アネッサの足は自然と速くなる。
だがその足取りはすぐに重くなった。背格好が合わなかった。大人と子どもの二人組というよりどちらも子どものようだった。
ある程度距離が近づいたところでアネッサはようやくそれが誰かわかった。向こうもほぼ同時か、それよりも早く気づいていたらしい。片方がにこにこと笑って手を振った。
「アン! 怖い顔してどこ行くの?」
柔らかに落ち着いた声音。大人の階段を登り出したばかりのふたりの少年である。どちらも臙脂のフードケープに同色のズボン、革のブーツといった格好で、揃いの鞄を肩にかけている。整ったその顔立ちは非常によく似ていた。否、似ているどころではない。髪色も瞳も何もかもが瓜ふたつだ。違うのはそれぞれが醸し出す雰囲気と髪型くらいか。
アネッサは憮然とした顔で口を開いた。
「――あんたたち、ここに来るまでにウィルと、背の高い男の人見なかった?」




