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暁闇の行く先

 心臓が悲鳴を上げていた。耳元にドクドク響くその音が、今すぐ足を止めろと訴える。

 鬱蒼とした常緑樹の一帯をようやく抜けた。頂上はまだ見えない。星明かりの下、行く手には腰の高さほどもある枯れ色の野草が一面に広がっていた。

 青年は荒い息を繰り返す合間にひとつ唾を飲みこんだ。長い野草を掻きわけ、急な斜面を一心不乱に登っていく。


『月が見えるか?』


 耳に蘇った声に従い、天を仰いだ。

 急速に夜の色を失っていく空で依然として煌々と輝く欠けた月。始め天頂近くに君臨していたそれは暁光に追い立てられるように低い位置へと移動していた。予想とほぼ違わぬ方角に見えた月の姿に安堵の息をつきつつ、それだけの時間が経っていることも自覚して青年は気を引き締める。


 数刻前に別れた男はあれが目印だと言った。


「あの方角にまっすぐ登るとやがて塔にぶつかる。少々酷だが、とにかく登り切るんだ。あんな崖みたいな斜面、まともな人間ならまず登ろうなんて考えない。時間は稼げるはずだ」


 男はそこまで一息に説明すると、思い出したように何かを取り出した。無造作に差し出されたのはくたびれた鞄だった。青年は息を呑んだ。

 久しぶりに手にした革製の鞄。その手触りを確かめ、留め金に指を掛ける。長年使い続けて歪んでしまった留め金は、開け閉めにちょっとしたコツがいる。その具合からしてもこの鞄は青年の所持品に間違いなかった。

 中身を(あらた)めると元々の所有物の他、代替品と思わしき物までが入っていた。身柄を拘束された折に取り上げられた鞄だ。没収されたことを思えばほぼ変わらないものが入れられているというのは感謝を通り越し、逆に不信感が募る。


「どうしてここまでしてくれる……」


 訝しげに顔を上げた。そこにあったのは薄く自嘲の笑みを浮かべた男の顔だった。申し訳なさそうな、どこか遠慮の残るその表情は青年にとってとても馴染みのあるものだ。ああ、と合点がいき青年は息をついた。


「交換条件、だね」


 思えば始めからやけに親身になって話を聞く男だった。何度か見張りに立たれ、他愛ない世間話を一言二言交わしただけの間柄である。

 もし反逆行為が発覚すれば男の方もただでは済まない。それでも敢えてリスクを冒そうというなら、それに見合うだけの十分な見返りを期待しているからに他ならない。青年の力を欲するが故の行動なのであればまだ納得がいくというもの。

 だが男はやんわりと否定した。


「少なくとも私自身はきみに何か突きつけるつもりはない」

「じゃあなんで助ける?」

「助けたことになるかどうか、まだわからんぞ」

「でもここから出られるだけで俺は」


 男はゆるりと片手を上げ青年の言葉を遮った。そのまま月を再度指し示す。


「――いいか、月だ。あれを目指せ。塔に辿り着きさえすればここの連中も諦める」


 強制的に背を押され、よろけるように一歩踏み出す。振向き様に男の顔を仰げばその目が早く行けと訴えていた。

 青年は問い質すのを諦め小さく頭を下げた。

 押し問答を繰り返している場合ではない。愛着のある鞄を肩から掛け、大事に抱えこんで走り出す。




 人は多かれ少なかれ損得感情で動く生き物だ。どれだけ他人を思い遣り、そう見せかけた行為であろうとも。根っこでは全て自分のためであり、自己満足に繋がっている。

 自らに備わった特異な力のお陰で、青年はこれまで嫌というほどその事実を体感し振り回されてきた。どろどろの欲にまみれた下心など知りたくもなかったが、力を求められれば拒むことなく応じ、尽くしてきた。

 そうすれば形だけでも感謝される。

 仮に感謝がなくとも心の奥底に隠した暗い望みには着実に近づくことができる。――一石二鳥だったのだ。




 急な傾斜は唐突に終わりを告げた。青年は肩で息をしながらそばの木に(もた)れ、ずるずると根元に座りこんだ。

 振り返れば眼下には未だ夜に沈む街。その光が心許なさげに瞬いている。目眩を覚え、青年は目を閉じた。しばし息を整えることに専念した。

 鳥の(さえず)りが夜明けを告げる。やわらかに明け初める空が木立の合間に見えていた。美しいグラデーションは青年のささくれ立った心を鎮め浄化していく。

 そうして青年はようやく気づく。天に迫る黒い壁――圧倒的な存在感をもってそびえ立つ巨大な石の塔に。今まで気配すら感じられなかったそれが、そこに忽然と現れていた。


 青年はふらりと腰を上げた。汗が引いた身体は冷たく凍えている。目眩は酷く、足に力が入らない。けれど吸いこまれるように一歩また一歩と塔へ近づいていく。

 青年の右手に()められた指輪がきらりと光った。

 まるで何かを予兆させるような輝きに気づく者はこの場には誰もいなかった。

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