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前編

「…は?」

「え、聞こえませんでした?ですから…」

「違うわ!聞こえてる聞こえてる!」

「じゃあ…」

「でも意味が分かんない!」

 ピーチクパーチク鳥が鳴き、気持ちの良い午後の日差しを浴びながら紅茶を啜っていた時のことだった。

 目の前の不遜な態度の従者がそのことを私に告げたのは。

「え、正気?大丈夫?」

 動揺のあまり零れた紅茶を気にする余裕もなく詰め寄る。

「お嬢様こそ大丈夫ですか。しっかりしてくださいよ。やっと嫁ぎ先が決まったというのに」

 嘆かわしい、と続けるのは今さっき衝撃的事実を告げてくれた偉そうな従者。

 やっとって何よ、失礼ね。あんたは本当に従者か。それが主人に対する態度か。

「いいですか、もう一度言いますよ。お嬢様はこの度、侯爵家であるエルフォード家嫡男ウィルス・エルフォード様への輿入れが決定いたしました」

 ほら、と何かの誓約書のようなものを目の前に広げられる。

 だけどそんなものにちゃんと目を通すことなんて出来るわけもなく。

「あ、」

「あ?」

「あり得ない!!」

 また目の前のこの男にバカにされると分かっていながらも、叫ばずにはいられないのだった。

 案の定、耳に指を突っこんだまま無表情に、はしたないですよと突っ込まれた。


 そもそも、社交界デビューが平均で15歳で行われ、大体にして20歳になるまでには大抵の人が嫁いでいくのが普通。

 なのに、私ことアレシア・オーウェンは現在24歳独身。24歳、独身!

 大事なことなので二回言いました。

 えぇまぁ、アレですよ。世にいう行き遅れです。

 友達には憐れまれ、親には嘆かれ、よく知りもしない輩にバカにされること早数年。

 すっかりお一人様暮らしが板についてきた頃に舞い込んできたまさかのお話。

 あ、言っときますけどアレですよ。別に親の脛は齧ってませんよ。ちゃんと自分で働いたお金で自由気ままに過ごしてます。…まぁ、実家住まいですけど。

 そんな風に暮らしていたというのに、よりによって相手が、あの、ウィルス・エルフォード!

 見目がいいのは認めよう。悔しいけれど、あれほど秀麗な男は他に見たことがない。

 が、中身はこれ以上ないほど最低だ。何人があの男のせいで泣いたことか。

 あの男が原因で仲がこじれた人たちを何人も知っている。

 なのに、なのに!何で結婚相手に私を選ぶわけ!?どう考えてもおかしい!

「そう思うでしょう、アル!!」

 信じがたい話を聞いてから早くも数日が経つ。

 それから何の音沙汰もないため、やっぱり悪い冗談だったのかと思いながらも、それにしてはタチが悪すぎると憤り、さっきからせっせと何か動き回っている偉そうな従者を振りかえると、不機嫌そうな顔が振り向く。

「何を思うって言うんですか。言いたいことは口にしていただかないと分かりませんよ」

 くそう、このエセ従者。

「誰がエセ従者ですか、誰が」

「分かってんじゃないの!!」

「思いっきり口にしてましたよ」

 ハッと口を押さえると、鼻で笑われまた何か作業を始める。

「ていうか、さっきから何をごそごそしてんのよ」

 今更ですか、と言いながらこちらに来るとドン、と目の前に大きめの鞄を置かれる。

「ご覧の通りですよ。お嬢様の荷物を纏めてるんです」

「あぁ、そう。私の、…ってはぁ?!」

 何をしてくれちゃってんだコイツ!人の荷物を勝手に!

「旦那様の指示ですよ」

「お父さん?」

 思ってもみなかった人物の名前に知らず眉を寄せる。

「あちらからの要望なんですよ。できるだけ早く来るようにと」

「あちらってどちらよ」

 益々意味の分からない、いや分かりたくない言葉を続けるアルに眉間のしわを深くする。

 と、顔を覗きこまれ額を触られた。

「何してんのよ、熱なんかないわよ」

「おや、ではボケていらっしゃる?」

「失礼ね!正常よ!」

 至極真面目な顔をするアルについつい声を荒げる。

「それは失礼しました。たった数日前のお話も覚えていらっしゃらないとあっては、」

 そこで言葉を切り視線を逸らされる。

「ちょっと、あんた今バカにしたでしょ、したわよね?!」

 距離を詰めると、わざとらしくメガネの位置を直し私に向き直る。

「とんでもございません。さ、それよりも早くエルフォード家へお向かいください」

 言いながら体を部屋の外へと押し出そうとするアルを振りかえり睨みつける。

「いやいやいや、そもそも私了承してないんだけど!?」

「旦那様は了承してらっしゃいますよ」

 お父さん!?

「さぁ、お急ぎください。エルフォード家からの使いはとっくに着いていますよ」

 言われてみればさっきなんだか騒がしかったような気がしないでもない。

 だからって、だからってろくな説明もなしに普通娘を嫁がせる?!



「おぉ、来たか」

 アルに半ば押されるまま進んで行き応接室を開けると、父に母、それから見たことのあるあの男の従者が談笑していた。

 和やかな雰囲気を壊すのは本意ではないけれど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。私の人生が掛かっている。

 父を無理やり引っ張り部屋の外に出て問いただす。

「お父さん、一体どういうこと?」

「なんだ、お前まさかアルの話をちゃんと聞いてなかったのか?」

 廊下の壁際い追い込み押さえつけるような形で責めると、さも意外といった風に父が目を瞬かせる。

「聞いたわよ。聞いたけど了承した覚えはないわよ」

 扉の向こう側にあの男の手先がいると思うと、どうしても小声になってしまう。

「じゃあ、分かってるだろう。良かったじゃないか、やっと嫁ぎ先が決まって。しかも相手はあのウィルス・エルフォードだぞ?」

 あのウィルス・エルフォードだから嫌だってことは分かってもらえないんだろうか。

 というか、アルだけじゃなくお父さんまでやっとって…。酷い…。

 がっくりうなだれる私を何をどう勘違いしたのか、途端に私を元気づけようとする。

「ま、まぁそう落ち込むな。確かにアイツはあの通り見目が良いからモテるし、お前も不安はあるだろう。だけど、大事にすると言っていたし、な。心配するな」

 別に大事にしてもらわなくったって結構よ。そもそもあの男が一人の人間を大事にするなんて誰も期待しちゃいないわ。

 でも、父は断る気はないようだし(というか了承したってアルが言ってたし)、決定事項なんだったら確認しておきたいことがある。

「分かったわ、あの男のところに行くわよ。でも一つ答えて欲しいことがあるんだけど」

「ん?何だ?」

 結婚すると言ったことに安心したのか、さっきよりも余裕のある返し方をされる。

「だったらあの男、お父さんのことなんとかしてくれるのよね?」

 私が今一番気になっているのはそのことだった。

 父はお人好しで、人を疑うということを知らない。

 そのせいで部下に嵌められて、なんとかクビは免れたけれど、現在宮廷への出入りを禁じられていた。それも無期限で。

「あぁ、そうか。お前はそのことを心配していたな。だが、それは大丈夫だ。彼が上へ掛け合ってくれたみたいでな。明後日からまた働ける」

「そう、だったらいいの」

 ホッと息をつき、それと同時に決意も固まった。

 あの男と上手くやれるなんて思ってもいないけれど、もうここで止まってはいられない。

 最悪あの男が他所で女を作ろうが何をしようが、私は私でいかせてもらうわ!



 なんて思ったのがついさっき。

 馬車ではあの男の手先と話なんてしたくなくて終始無言だったけれど、屋敷に着いてしまってはそうもいかない。

 あまりほかの人間の屋敷の大きさなんて気にしたことはなかったけれど、思わず間抜け面を晒してしまうぐらいには、スケールの大きさに驚いた。

 ナンダコレ。

 うちは、爵位って言ったって男爵の下級貴族で、むしろどちらかと言うと貴族にしては貧乏だったけど、母が大切にしている庭と、信頼できる使用人たち数名がいつも清潔に保ってくれいる屋敷は自慢だった。

 なのに、何この屋敷。うちの屋敷が軽く5つは入るわよ?!庭も含めたらもっと?!

 分かってはいたけど、場違いな気がしてしょうがない。

 どうしてこうなった。


「それではアレシア様。ウィルス様がお戻りになるまでお寛ぎください。要りようがございましたら、ベルを鳴らして頂ければ参りますので」

「あ、ありがとう」

「では」

 ゆっくりと退出するメイドに委縮してしまう。

 だって、うちじゃあれよ。傍にいたのは慇懃無礼のアルよ。丁寧過ぎてこっちの腰が引けるわ。

 とはいえ、馬車に揺られて疲れていたのも事実。肌触りのよいソファーに座っていると、自然と瞼が下がり、気付けば眠ってしまっていた。



 ―――しあ、アレシア。

 …ん、何よ。煩いわね、静かにしてよ。

「…起きないんだったら、襲うよ?」

 耳元でそんなエロい声が聞こえた途端、ガバッと効果音が付いてもいいんじゃないかと思うくらいに寄りかかっていたソファーからとび起きる。

 恐らく真っ赤になっているであろう頬と囁かれた方の耳を押さえ、発信源に焦点を当てると、そこには相も変わらず綺麗な顔に綺麗な笑みを貼り付けた男が立っていた。

「なんだ、残念」

 肩をすくめながら、ちっとも残念じゃなさそうに言う男を睨みつける。

「何してんのよ!」

「何度も声を掛けたのに、起きなかったのはそっちだろ?」

「う、」

 ぐうの音も出ない。だけど、他に起こす方法はあったでしょうが。

「悪かったわね」

「いいや?お陰で可愛らしい寝顔が見れたしね」

「!」

 恥ずかしい恥ずかしい!何コイツ!何でそんなサラッとそういうこと言えちゃうの?!

 そうか、これに皆コロッと騙されちゃうんだな。私はそうはいかないわよ。

「それよりアレシア、お腹空かない?もう夕食を食べてもいい時間なんだけど」

「え、もうそんな時間?」

 怒りは一体何処へやら。告げられて言葉に壁にかけてある時計に目をやると、七時を回っていた。

 言われてみれば、確かに窓の外も暗くなっているし、急にお腹も空いてきた。

 だからといってそれを素直に告げるのはなんだか癪だった。

「今の今まで働いてたからさ、俺もお腹空いちゃって。アレシアの普段の夕食の時間より早かったら申し訳ないけど、準備は出来てるからさ。もう食べようよ」

 ニッコリ笑って告げるから、気付いた時には自分でもびっくりするぐらいに素直に頷いていた。

 


 何だこれ。そう思うのはここに来て一体何度目か。

 パーティーならまだしも、家でこんな豪華なもの食べたことないわ。

 慣れないもののせいでお腹壊したりしないかしら。

 心配になって、思わずお腹を押さえる。

「どうした?口に合わない?」

 手を止めお腹に手を当てた私を何やら勘違いしたらしいウィルスが心配そうな声音で尋ねてくる。

「時間は少しかかるが、何か他のものを作らせようか?」

 とんでもない発言に慌てて首を振る。

「そんなの必要ないわ!とっても美味しいもの」

「だったら何故手が止まる?」

 馬鹿正直に理由を話せば笑われるのは目に見えている。

 だけど、ウィルスの目は本気で何か別のものを作らせる気満々だった。

「だから、その、何ていうか、」

「何?」

 言いづらくて口ごもるが、ウィルスは言及を止めようとしない。

「家ではあまり食べない食材だから、」

 本当のことを言えば、あまりではなく全く食べないけども。

「やっぱり口に合わないんじゃないか」

「だから違うってば!」

 マナーが悪いと思いながらも思わず声を張り上げてしまう。

 決まりが悪くて目線を泳がすと、ウィルスの視線が厳しくなった。

 傍にいる侍従たちが居心地悪そうにしているのも視界に入った。

 くそう、ただ手を止めてしまっただけなのに、要らない恥をかくことになるなんて。

「その、胃がビックリしちゃうんじゃないかと…」

 小声になるのはしょうがない。恥ずかしくてたまらないのだ。顔は間違いなく真っ赤だろう。

 だというのに、ウィルスには意味がよく分からなかったらしく、眉根にしわを寄せる。

「だから!慣れない高級食材のせいで、胃がビビってお腹壊すんじゃないかと思ったのよ!味は満点よ!」

 こうなったら自棄だ、と必要以上に大声を出してしまった。

 まさかの発言だったのだろう、ウィルスは目を丸くしていた。

 うわぁ、こんな表情レアかもしれない、なんて思ったのは一瞬で、次の瞬間には部屋中にウィルスの爆笑が響いた。

「は、ははっ!あはははっ!!面白い!面白過ぎるよアレシア!!」

 上手い具合に食器を避けて、テーブルをバンバン叩く。

 傍にいた侍従の一人、私を家まで迎えに来た男が笑いをこらえようと肩を震わせているのが目に入った。

 畜生あの男。元々嫌いだったけど、嫌いから大嫌いに格下げだわ。

「いやぁ、急に浮かない顔するから何事かと思った」

 目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、笑いの余韻か少し体を揺らす。

「だから言いたくなかったのよ!」

 もう知るもんか、とパンや他の料理に手を伸ばし、まだクスクス笑っている男を無視して、さっさと部屋を出ることにした。



「ゴメンってば、いい加減機嫌直してよ」

 どの部屋を使っていいものか分からなかったので、とりあえず来た時と同じ客間に戻るとウィルスもついてきて謝罪を繰り返される。

「もういいって言ってるでしょ。どうせあなたと違って私は貧乏人よ!」

 八つ当たりだと分かっているが、どうにも機嫌を直すタイミングが掴めなくて、結果として眉間に皺を寄せている。

 怒ってるじゃないか、と言われたって、そっちこそまだ若干体が震えてるじゃないの!全く反省してないじゃない。

「あ、そうだ。私って何処の部屋を使えばいいの?」

 とりあえず客間に戻ったものの、仮にも妻という立場に置いた人間に客間を使わせ続けることはないだろう。

 あまり口を利きたくはないが(口では何と言おうと根に持ってますよ、えぇ)、かといって生活する場所がままならないのも困る。

「決まってるじゃないか。俺の部屋だよ」

 まるで天気の話でもするかのように、あまりにもサラッと言うものだから思わず頷きかけて中途半端な状態で固まる。

「は?何ですって?」

「当然だろう、夫婦だぞ?どこの世界に結婚初日から別々に過ごして別々に寝る夫婦がいるんだよ」

 いや、そんなのは人それぞれでしょう。第一私、侯爵夫婦に挨拶すらしてないのよ。

「あぁ、それなら心配しなくていいよ」

「いやいや、一番気にするとこでしょう?」

 そっちはうちの親に挨拶済みだからいいかもしれないけど、こっちはそうもいかないのよ。

「そんなこと言ったって、あの人たち後一週間は帰ってこないよ?」

 立っているのに疲れたのか、ソファーに腰を下ろし優雅に足を組む。

 そんななんてことない恰好も絵になるのが悔しい。

「え、お仕事は?」

「俺に全部押し付けて旅行だよ」

 だから親父と同じ部署は嫌だったんだ。

 グチグチ言っているのが耳に入ったけれど、そんなことはこの際どうでもいい。

 侯爵夫婦が不在ということはつまり、

「二人きり?」

「まぁ、そういうことになるね」

 恨み事を言っていたかと思えば、ちゃんと耳は私の発言を拾っていたらしい。

「ま、とはいえ住み込みの人間もいるから、完全にってわけじゃないけどね」

 あぁ、よかった。そうよね、家にだって住み込みの人間がいたんだから、こんなでかい屋敷、一人や二人、十人や二十人この屋敷で暮らしてるわよね。

「それより機嫌は直った?そろそろ部屋に移動しないか。荷物は運ばせてあるけど、何か要るものがあるかもしれないし」

 訊いておきながら、行くことは決定事項のようでさっさとドアの前まで進むから、よく造りも分かっていない屋敷の中、迷子になっては困ると慌てて後をついていった。

 




「もう一杯いかがですか?」

「ありがとう。貰うわ」

 申し出を素直に受け入れ、淹れたての香り高い紅茶がカップに注がれる。

 この屋敷に来て、自分で淹れていた紅茶を人に淹れて貰うようになって早一月。つまりあの男と結婚してから一ヶ月が経とうとしている。

 あ、きちんと侯爵夫婦には挨拶をした。侯しゃ、…お義父様は多忙だからあまり顔を合わせてないけど、お義母様はよくお茶に誘ってくださる。

 もっともお義母様も、よくお友達と出掛けてらっしゃるからそこまで頻繁ではないけど。

 ウィルスとは、まぁ付かず離れずと言ったところだ。だけど未だに手は出されていない。

 もっとも時々甘ったるい香水の匂いを付けて帰っているから、つまりはそういうことだろう。

 親に結婚をせっつかれて、干渉しなさそうな嫁の貰い手のなかった人間を引き取ったはいいが、かといって特に興味もない――。

 私も好きに過ごそうと思っていたし、実際に過ごしているが、明らかに情事の後だと分かる証拠を、仮にも夫婦の寝室に持ち込むのはいかがなものか。

 それに自由に過ごしてはいるが、家庭教師の仕事は辞めさせられた。

 曰く、そんな必要がどこにあるのか、と。

 必要の有無ではない。

 じっとしているのは性に合わないから働きたいと言ったのに、そのことは頑として聞き入れられなかった。

「アレシア様?」

 遠い目をしていた私を心配したのか、心配そうな顔でこちらを窺ってくるメイドのマリアの顔が目に映る。

「ごめん、ボーっとしてた」

 ウィルスにどう言われているのか知らないが、どうもマリアを含めメイドたちは私に対して過保護すぎると思う。

 男爵令嬢と言えども、放任主義の親の元、放置気味に育ったものだから少し窮屈に感じてしまう。

 いや、贅沢なことだと分かってはいるんだけども!

「やはり、ウィルス様がいらっしゃらないのはお寂しいですよね…」

 しゅん、と落ち込んだマリアに慌てて返事をする。

「いや、全然!全然寂しくなんかないから!」

 そう言っても軽く自分の世界に入り込んでいるマリアには届かない。

「いいえ、マリアには分かっております!アレシア様が強がっているのだということも!ウィルス様がお帰りにならなくて、もう三日ですもの。お寂しく思うのも当然ですわ」

 目を潤ませ、女の私でも庇護欲をそそられるような表情をしているが、言っていることは事実から大きくかけ離れている。

 とはいえ、これ以上何を言ってもマリアには通じないということは、この一ヶ月で分かっている。

 こうなったら放っておくのが一番だ。早々に匙を投げた私は、少し温くなった紅茶に口をつけた。



 ざわざわした騒がしさが、ウィルスが帰ってきたことを告げる。

 ここで黙って無視をするわけにもいかず、渋々ながらウィルスを迎えに向かった。

「お疲れ様」

 階段を降りながらの言葉に、荷物を執事に預けていたウィルスが振り返る。

「おや、出迎えとは嬉しいなアレシア」

 ニッコリ笑ったウィルスに思わず顔が赤くなる。

 いかんいかん、久しぶりに見ると影響力がでかいわ。

 しかし私はあることを失念していた。ここには三日ぶりに帰って来たウィルスを迎えるために何人もの人間がいると言うことを。

 そしてその中には、例のメイドがいることを。

「当然でございますよウィルス様!アレシア様はそれはそれは寂しがっておられたんですから」

 静かな空気の中のマリアの発言は、それはそれは響いた。

 ただでさえ赤くなっていた顔が、羞恥のせいでますます赤くなる。

「ち、違うわよ!?そんなこと全くなかったから!」

 赤い顔で言っても説得力がないと冷静に考えれば分かることだが、マリアの発言にすっかり動転していてそのことに頭が回らなかった。

 結果として、生温かい笑みの使用人たちに見守られながら部屋に戻ることとなった。

 くそう、こんなことなら出迎えなんてしなきゃよかった。



 部屋に入った途端、ウィルスに抱きつかれ益々焦る。

「ちょ、ちょっと!何してんのよ!」

 腕の中で暴れるが、一向に抱き締める力は緩まない。

「いやぁ、嬉しいことを聞いたものだから」

 ん?嬉しいこと?何が嬉しいの?

「まさかアレシアが俺の不在を寂しがってくれるとは」

 それかー! 

 クツクツと喉が震えているのが分かる。

 私もそこまで背が低いわけではないけど、騎士たちと並んでも遜色ない長身のウィルスに抱き締められると、ちょうど胸のあたりに頭が来る。

 そのせいで、喉の震えも伝わってしまうのだ。

「だ・か・ら!違うって言ったでしょ!?」

 そう言ったところで、馬の耳に念仏。犬に論語、馬耳東風。

 すっかりウィルスが満足し、腕の中から解放された頃にはアレシアは疲れ切っていた。

「全く、このぐらいで疲れてどうするの」

 呆れ顔のウィルスが、ソファーにもたれ掛っているアレシアの髪の毛を撫でる。

「煩いわね、離れて、触らないで」

「つれないなぁ」

 ま、そういうとこも可愛いんだけど、なんてのたまう口を手でふさぐと、掌を舐められた。

 勢いよく手を離すと、ニヤニヤ笑うウィルスの顔が目に入る。

「っ、」

 最悪、からかわれた。

「そうだ、アレシア。頼みたいことがあるんだった」

 ソファーから立ちあがったウィルスは、机の引き出しから取りだした封筒を手にこちらに戻ってくる。

「何これ」

 差し出された封筒を手に首を傾げる。

「パーティーの招待状。主催者はマーレイ伯爵の息子。奥さんの誕生パーティーだって」

「で?」

「で、って。だから一緒に出て貰おうと思って」

「私が?」

「他に誰がいるの」

 頭の悪い奴を見るような目に、知らず拳を握る。

 この目は見たことあるわよ。あの馬鹿アルが私を馬鹿にするときの目だわ。

「何で私なのよ」

 いくらでも綺麗な人がいるでしょう。

「あのね、アレシア。君は俺に妻だよ?なのに他の誰を連れてけって言うのさ」

 甘い香水の正体の人でいいんじゃないの。その言葉が喉元まで出ていたがなんとか呑みこみ、頷いた。



 淡いブルーのドレスに、誕生石のサファイアを基調としたアクセサリー。

 今まで身に纏ったことのない高級品に、足が震える。

 何これ?今私総額いくらよ?!金持ちって凄いわー。

「お似合いですアレシア様!」 

 両手を握りしめ、鏡の目に立った私を鏡越しに見つめるマリアに苦笑する。

「そう?」

「はい!ウィルス様もきっとご満足なさいますわ!」

「だといいけど」

 極上の女たちを嫌というほど見てきたウィルスのお眼鏡に敵うとは思わないけど、普段よりはマシになったかと鏡に映る自分に頷く。

 いくら周りに言われても普段質素な恰好をする私には、持て余しているようにも見えるけど。

 なにせこの屋敷に来たばかりの頃、余りに貧相な格好にまだ顔合わせをしていなかった使用人の一人に、新しい使用人かと間違われたぐらいだ。

 まぁ、私は別に構わなかったから言われるがままに窓拭きをしていたのだが、それを見つけたハウススチュワードのクライヴが半泣きになりながら止めに来た。

 そしてその晩そのことを聞いたウィルスに笑顔で延々と説教されたため、それから私が雑巾を手にすることはなくなったのだ。

「ま、選んだのはウィルスだし…。いっか」

 そう、このドレスもアクセサリーも全てウィルスが用意したものだった。

 パーティーに参加すると言われた次の日、着ていくドレスをどうしようと悩んでいたところに届けられた贈り物。

 デザインは様々だったけど、どれも青を基調としたものだった。

「さすがウィルス様ですわ!アレシア様に似合うものをちゃんと分かってらっしゃる!」

「あーうん、そーね」

 棒読みな返事をしたアレシアに、しかし自分の世界に入っているマリアは気付かない。

「やっぱり、お二人はお似合いですわ!」

 そう締めくくったマリアに、アレシアは暗い表情をしていた。



 普段よりも早く帰って来たウィルスと夕食を共にし、部屋で寛いでいた。

「贈り物は気に入ってくれた?」

「高そうなものばかりで、体が震えたわ」

 しれっとした顔のアレシアに、ウィルスは特に気分を害した様子もなさそうに微笑んでいる。

「青ばかりのドレスだったのはどうして?」

「それが一番君に似合うと思ったから」

 変わらず笑顔のウィルスに、ドレスを試着した時と同じくアレシアは表情を曇らせる。

「…嘘つき」

「え?」

 小さな声で呟いた声をウィルスは拾えなかったらしく、訊き返すがアレシアは答えない。

「何でもない。もう寝るわ」

「つれないなぁ」

 そうは言うものの引き留めるわけでもない。

 一人で寝酒でも楽しむつもりなのか、ワインのコルクを抜く音が寝室へ繋がるドアを後ろ手に閉めたアレシアの耳に届いた。

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