婚約破棄をされるとモテすぎちゃうのでやめてほしいのですが
相手が口を開くよりも先に、縁談の増える絶望的な未来が私の頭に浮かんだ。
「ラビリア・ステインボルト。君との関係を解消したい」
公衆の面前で私はそう宣言された。
相手は公爵のエールリッヒ様。
一応、私の婚約者ということになる。
(さすがに、男色の気がある相手とは無理があったか……)
心の中で反省しつつも、私は抗弁を試みる。
嫁ぎ先を探すなんて、もうあんな大変な作業はごめんだ。
相手がいないんじゃない。
その逆だ。
多すぎて私には選べないんだ。
どうあがいても普通の恋愛にならない。私は普通の恋愛がしたいんだ。
「で、でも……一方的に急に解消するのは不誠実ではないでしょうか?」
「君にはまるで可愛げがない。それに彼女のほうが君より条件がいい」
おずおずと言い返せば、すげなくエールリッヒ様は隣にいる女性を指で示した。
メーベルフレヨ家の令嬢パトリシア様だ。
(そりゃ条件はいいでしょうけどさ……)
メーベルフレヨ家は公爵。
対するステインボルト家は伯爵なので、文字どおりの格が違う。
「……ふふっ」
私がパトリシア様を見返せば、彼女はまるで鬼の首を取ったかのように不敵に笑った。
心なしか周りの令嬢たちも、それを喜んでいるように見える。
そして、それはやはり気のせいではなかった。
「ようやく、あの女狐が捨てられるのを見られるのですわね」
「わたくしも以前、恋仲だった殿方をあの女に寝取られましたわ」
「全くとんだ淫乱娘ですわね」
相変わらず、ひどい言われようだと思う。
誤解しないでほしいが、もちろん私に身に覚えはない。
ちょっと油断して、私の《魅力》が発動してしまっただけなのだ。
「エールリッヒ様には私のほうが合っていると思うんですけど……」
なおも私が口を開けば、パトリシア様が冷ややかに私を見下した。
「しつこいですわね。もう終わったのです。いつまでも自分のお相手であるかのように、ふるまわないでいただけるかしら」
言うやいなや、パトリシア様はエールリッヒ様の腕を取って私の前からいなくなってしまう。
(……はあ)
私は胸中で盛大なため息をついた。
上がる令嬢たちの歓声。
直後、それを掻き消すほどの大歓声が会場に響いた。
男性たちのものだ。
我先にと群れをなして、私のもとへときらびやかな格好をした子息たちが寄って来る。
「氷像を思わせるあなた様のご尊顔を、いつまでも隣で見させてはくれないだろうか」
「おい、貴様ずるいぞ。私が先だ」
「だれだこの僕を押した無礼者は!」
やいのやいのと、今にも喧嘩がはじまりそうな雰囲気だ。
仏頂面でさえこの評価。
私が人並みに愛想よくできるわけがないのだ。
そんなことをしたら好感度が限界を突破してしまう。
(可愛げがない……ね)
私は屋敷まで送らせてほしいという誘いを、数えきれないほど断って、どうにか我が家へ帰ったのだ。
✿✿✿❀✿✿✿
ラビリア・ステインボルトがフリーになったという噂は、一夜にして広まってしまったらしい。
翌朝起きたときには、すでに60件ほどの縁談が来ていた。
そして、当然ながらその数は、時間とともに増えることこそあれども、減る兆候の片鱗さえ見せていない。
(……すべては《魅力》が悪いのよ)
むかーし昔。
遠いご先祖様は魔女から呪いを受けてしまった。
呪いの内容は、結婚ができなくなるというシンプルで強力なものだ。
そして、その呪いは、具体的には異性にモテすぎるという効果になって現れた。
ご先祖様はどうにか効果の盲点を突いて血を残したそうなのだが、それ以来、私の家系には定期的に《魅力》という呪いを持った子が生まれるようになってしまった。
「ラビ! ノルセユーヒ家からも縁談の話が来たわよ」
母が楽しげな声音で、肖像画と手紙を持って来る。この調子だと、私の部屋がお見合いのための肖像画と手紙で埋まるのに、3日もかからないだろう。
「ありがとうお母様」
「お前はこんなに求められているのに、どうしてエールリッヒ様とはダメだったんだろうね。もうちょっと、相手の前でお前も喜びを露わにしたほうがいいんじゃないのかい?」
心配してくれる母は、《魅力》について何も知らされていない。
この呪いは父方のものだからだ。
母にいらぬ悩みを与えたくないという、父の気づかいを無下にするほど、私は無神経な娘ではなかった。
「……そうね、お母様。努力するわ」
《魅力》と無縁でいられた母を羨ましく思うことは多いが、この家から父を奪ってしまったことに対しては申し訳なく思っている。
父とはもう長らく顔を見合わせていない。
私の《魅力》は8歳のときに発現した。
それまでは普通の親子だったし、ずっと良好な関係がつづくと信じていたが、私の《魅力》が父との関係を完全に壊してしまった。
『おはよう、ラビ。今日もかわいいね』
そう言って頭を撫でてくれる父のことが大好きだったのだ。
私へ向ける父の視線が、子供に向けるそれではなくなりつつあることに私は気がついていた。子供ながらによくないものだとは感じたのだが、当時の私はまだまだ父親に甘えたいざかり。自分の直感を無視して、父との親子関係をつづけてしまったのだ。
でも、そんなことは《魅力》の前でできるわけがなかった。
次第に父のふるまいは、自分の敬愛する相手に対してのものに変わっていった。
『おはようございます、ラビリア様』
決定的だった。
ある日、父は私にひざまずいて粛々と祈りを捧げたのだ。
自分の娘を、女神か何かと勘違いして敬服する父の姿を目にしたとき、ようやく私も自分の過ちに気がついた。
それ以来、父とは顔を合わせていない。
やり取りは手紙を通してつづけているが、それでも馬鹿丁寧な筆致で書かれた書簡は、親子の間でするものにしては不気味なほどに神聖だった。
「片づけてくれる?」
母が退室したのを見計らって、私は使用人のアンナに声をかけた。
アンナは私の《魅力》について知る、数少ない関係者の1人だ。
「かしこまりました。ご縁談についてはどうなさいましょう」
「いつもどおりだよ。浮気性の人と、女遊びの激しい人が最優先。一途な人は論外だから弾いちゃって」
真面目な人は《魅力》に当てられやすい。
これでは父と同じになってしまう。
私だってちょっとは恋愛らしいことをしてみたいのだ。
自分だけが何かをしてもらう関係というのは味気ない。対等な関係は無理でも、10対0や9対1はさすがに嫌だ。高望みをしないので、せめて2割くらいは私にもさせてほしい。
一本気な相手には、それを望めない。
そりゃ私だって、相手には私だけを見てほしいし、過去にはそういう相手を選ぶという愚かな選択をしたこともある。
だけど、すぐに私は後悔した。
呪いは相手を敬虔な信徒にしてしまう。
『もう自分には捧げられるものが命しかない』と、お手軽な殉教をしそうになった交際相手を見て、自分が男性の一途さを一生得られないのだということを私は悟った。
この《魅力》がある限り、相手は四六時中私にひれ伏すことになる。平気な顔でそれを楽しめるのは、それこそ魔女か化け物くらいだろう。私は人の好意をむさぼり食らう怪物じゃないのだ。
「それでしたら、侯爵家のベネディクト様はどうでしょうか? この昼に様々な令嬢たちを呼んで立食会を催されるようですよ。手が空いているようでしたら、お嬢様にも来てほしいと招待が届いています」
「ああ、うん。手慣れている感じが最高にいいね」
そうして私は馬車を出して見合いパーティーに参加したのだ。
昨夜別れたばかりだというのにどうかと思うが、それは呼ぶほうも呼ぶほうだろう。
主催者のベネディクト様は、期待どおりのチャラ男だった。
相手は侯爵家の長子。
順当に爵位と財産を受け継ぐ人だ。
それだけにライバルの数も多い。
(……よかった。ちゃんと第二か第三夫人になれそう)
自分への好意を高めるぶんには調整しやすい。問題は《魅力》のせいで、自主的に好感度を下げることが難しい点にある。
庭園で開かれた立食会に、それとなく私も混じって遠目からベネディクト様を眺める。何回か目線を合わせることができれば、今日はそれで十分だろう。あとは《魅力》が勝手に私をベネディクト様の中で特別な人に仕立て上げてしまう。
「――ッ」
並べられた料理に舌鼓を打つ私の背後から、不意に思い切り肩をぶつけられた。
あまりの勢いに私はその場で転んでしまう。
「この節操なし……」
浴びせられた言葉に慌てて顔を上げれば、そこには伯爵家のシオン嬢の姿があった。
同じ伯爵家でもステインボルト家は新参者。序列はステインボルト家のほうが下だった。
可愛げがない。
鉄仮面。
氷の嬢王。
色情狂。
私を冷血な女や色気づいた娘だと揶揄するあだ名は数知れない。
(人の気も知らないで……)
シオン嬢が私を憎んでいるのは、彼女の言葉でいえば私がボーイフレンドを奪ったからになる。
油断していたのだ。
『こちら、わたくしがお付き合いさせていただいているラインハルト様』
『初めまして、ラインハルトです』
『こちらこそ、初めまして。シオン嬢には大変仲良くしただいておりますので、私も自分のことのようにうれしいです』
シオン嬢から交際相手を紹介されたとき、私はついつい普通の態度を取ってしまった。他人と恋仲の状態なら、《魅力》も効きにくいはずだろうという私の慢心と、自分たちよりも序列が上の令嬢相手に、失礼な態度を取りたくないという保身が招いた悲劇だった。
『この前、紹介してくれた女性にもう一度だけ会わせてくれないか?』
私の《魅力》に当てられたラインハルト様は、シオン嬢との関係を急速に冷えこませた。私は逃げるようにすべての接触を断りつづけたのだが、すでに手遅れだった。まもなく、破局を迎えたと聞く。
(シオン嬢がいるなら、ベネディクト様は諦めるしかないかな……)
彼女はひどく私を憎んでいる。
同性相手に《魅力》は適用されないので、過激な嫉妬を買いつづけることはしたくない。
私はおとなしく見合いパーティーから帰ることにした。
馬車に乗る前に、未練たらしく私は後ろを振り返る。
そこにはベネディクト様のそばで愛嬌をふりまく令嬢たちが見えた。
露骨に媚を売っている姿だが、なんだか私にはそれがとても羨ましかった。
(いいなあ……)
私が最後に男性の前で笑顔になれたのはいつだろう。シオン嬢のボーイフレンドを、間違って奪ってしまったときが最後だろうか。
私だって楽しいときには笑いたいし、悲しいときには涙を流したい。
でも異性の前でそれをすることは《魅力》が許さない。それはつまり、恋愛においてだれかと喜びを分かち合うことは、一生できないという意味ではないのか。
低すぎるがゆえに高いという珍妙な壁にぶつかってしまった私は、逃げるようにして馬車に乗り、そうしてしばらくの間、ふて寝をしたのだ。
✿✿✿❀✿✿✿
「そろそろ起きてください、お嬢様」
「……もうちょっとだけ」
私はアンナに揺すり起こされた。
最近は無気力気味で、ベッドから立ちあがる気持ちになれない。
あれからベネディクト様以外にも3回のお見合いを行ったのだが、あろうことか全敗だった。
なぜにと訝しんだものだが、理由は単純だった。
どうにも令嬢たちが後ろで結託して、私を排除してやろうと動いているようなのだ。嫉妬に狂った女性たちが血で血を洗う争いをしたという、高祖父の話を他人事だと思っていた頃の私を、ぶん殴ってやりたい気分だ。血みどろじゃないだけで、私も嫉妬の嵐に巻きこまれているじゃないか。
(あんた3年後、痛い目を見るよ……)
「知っていますか、お嬢様。エールリッヒ様から、お嬢様との復縁を望むお手紙が何通も届いていますよ。パトリシア様とうまくいっていないみたいです。よほど後悔しているのでしょうね」
「へえ……そうなんだ」
「関心がないだろうと、お断りしてあります」
「そうね……」
需要と供給が釣りあっていないのだから、当然だろうと思ったが、それ以上の興味はアンナの言うように抱けなかった。
当時の私は《魅力》への対策に力を入れすぎていたのだ。エールリッヒ様は嫁ぎ先として魅力的だったが、今となっては私も反省している。仲良く手をつなぐこともないような間柄を、恋人と言い張るのはちょっと無理があるだろう。
お友達としてなら関係は良好だったし、それなりに交流もあったが、エールリッヒ様との関係はどう頑張っても恋ではない。
「あら、噂をすれば公爵家の馬車が……」
「……丁重に帰ってもらって」
「ただいま」
アンナが退室する。
これで一安心だと思っていたら、向こうも玄関口は家臣に任せたようで、窓際にエールリッヒ様が立っていた。カーテンがかかっているので、室内を覗かれる心配はないが、なりふり構っていられない余裕のなくなった姿勢に、軽蔑とまでは言わないまでも冷ややかな気持ちが芽生えてしまう。
「ラビリア、頼む……後悔しているんだ。僕には君しかいなかった。戻って来てくれないか?」
体裁のいいお嫁さんをほしかっただけのエールリッヒ様と、幸せな結婚を信じて疑わなかったパトリシア様。エールリッヒ様が私に復縁を求めているのは、ただの弾除けに過ぎないだろう。
その点、私は弁えていたので多くのことを望まなかった。それがかえって、エールリッヒ様を増長させてしまったのかもしれないが、私以外の女性が相手なら普通に失礼だと思うので、自業自得のような気もする。
エールリッヒ様には自分で播いた種だと、おとなしく諦めてもらうしかない。
「さようなら。私たちはもう赤の他人ですが、お達者で。次は可愛げのある人をお選びください」
せめてもの情けに私はそう声をかけた。
気落ちした様子のエールリッヒ様が去っていく。
アンナが入室するまでに時間があったので、てっきりやり取りを見られずに済んだと思っていたのだが、単にアンナが気をつかってくれただけだったらしい。
「あのクラスティアナ家が……少々憐れですね。それよりご準備なさってください、お嬢様」
「……何を?」
「僭越ながら、手前どものほうで次の縁談を進めておきました」
「ええ? ちょっとアンナ、勝手すぎじゃない?」
私はじろりとアンナを睨んだ。
「お嬢様との一対一での面会をご希望ですので、ほかの令嬢たちに妨害される心配はないかと」
「そういう問題じゃ……」
私は頭を下げる使用人の前まで言って、小突いてやろうと思ったのだが、途中で気が変わった。
(……お母様か?)
実際には使用人たちが主導で動いているわけじゃないだろう。
それを思うと、アンナを叱るのもかわいそうだ。
いつまでも自室にこもっている私に、使用人たちが気を揉んでいる点だけは事実に違いない。こればっかりは私のせいだった。
「……わかったわよ。でも、アンナの頼みだから聞くんだからね」
それでも素直になれなくて、私はアンナにあたってしまう。
「もちろんです、お嬢様」
そんな私に文句のひとつも言わず、アンナは晴れやかな表情でうなずいた。
✿✿✿❀✿✿✿
空色のドレスを身にまとい、アンナと共に馬車に乗る。
なんともなしに窓の外を眺めていれば、焼け焦げた屋敷が目に映った。
「何あれ……」
思わずつぶやいた私の独り言に、素早くアンナが反応する。
「メーベルフレヨ家とクラスティアナ家の争いですね。破談が当人だけの話に収まらず、メンツの問題にまで膨らんでしまったので、ついに武力衝突に突入したそうです」
「あそこって公爵家の持ち物だったんだ」
さすがは金持ち。
スケールが規格外だ。
「はい。幸いまだ死者は出ていないようです。怪我人のほうは、両手では数えられないほど出ているみたいですが……」
「ふーん」
半壊した屋敷が、窓の外を過ぎ去ってゆく。
(……だから私のほうが合っているって言ったのに。馬鹿な人)
エールリッヒ様への言葉を胸の中でつぶやく。
争っている暇があるなら、さっさと次の恋人を探せばいいのにと私は思うのだが、プライドが高いとそれも難しくなってしまうのだろうか。
伯爵の娘にすぎない私には、いまいちよくわからなかった。
到着したのは男爵家の庭園。
家格は低いが、ステインボルト家のような地主貴族ではなく、新興の事業貴族なために財産は我が家と同等かそれ以上のようだった。
使用人の女性に案内されたのは、庭園の中ほどにあるガゼボ。
そこには一人の男性が正装で佇んでいた。
(……変だな)
それが子息に対する私の第一印象だった。
いかにも品行方正という具合で、身持ちが悪そうには見えなかったのだ。
もちろん、すぐに私は考えを改めた。そういう仮面で、あまたの女性を騙しているのだろうと思ったのだ。
「ようこそお出でくださいました」
「こちらこそ、お招きいただき光栄ですわ」
仏頂面のまま私は無表情につぶやく。
丁寧に頭を下げる男性に返す声音としては、なんとも芸のないものの気がしたが、うっかり《魅力》を発動させてしまってはかなわない。
椅子を引こうとする男性に断って、自発的に腰掛ける。
適度に無粋なことをするのが《魅力》とうまくつきあっていくコツだ。好感度はあとからいくらでも回収できるからと言うと、さすがに私はろくでなしかもしれないが、そういうことだ。
お茶を飲み、軽食を取って、お喋りをする。
(普通だ……普通すぎる)
1時間ほど経過した頃に、いよいよ私は我慢できなくなって、下世話な質問をしていた。
「普段はどういった女性とお会いに?」
「すみません。お恥ずかしながら、そういったことには不得手であまり経験がなく……」
「そうなのですね」
「はい」
私の前で嘘を貫けるとは大したペテン師だ。
心なしか体が震えているように見えるのは、《魅力》に抗っている現れなのだろう。
だが、それと同時に嫌でも期待値が高まってしまう。
これだけのはったりをかませるならば、私が愛人になっても平気だろうという予感だ。
だからこそ、私は確かめてしまう。
浮気をしてくれる人であるかは私の中での最優先事項であり、この人にとっては死活問題でもある。
あえて今まで一度も合わせて来なかった自分の視線を、クリフさんの目に向けて、触れるか触れないか程度のいじらしさで相手の手に自分の手を重ねる。
「本当のことを教えてください」
確実に《魅力》で射抜いた。
やりすぎなくらいだ。この状態で嘘をつけるわけがない。
「今回が……初めてです」
かっと頬を朱に染めたクリフさんが、俯きながら声を発した。
それを聞いた私はすぐに席を立っていた。
(いったいアンナは何を考えているんだ!)
本当に純情な人との見合いはお互いのためにならないからと、あれほど言い聞かせたはずなのに。
早歩きで馬車へと戻る私の背後から、クリフさんが走って追いかけて来ていた。
「ま、待ってください! 僕に粗相があったのならば、せめて謝罪させていただきたい」
馬車に乗りこむ寸前に追いつかれてしまった私は、心の中で盛大なため息をつく。
「いえ、なんでもありません。少し急用を思い出しましたので」
「そ、そうなのですか……。僕はこういったことに疎いんです。あなたの言葉を信じて、また昼食に誘ってもよろしいのでしょうか?」
「……。お返事はそのときに」
ぶっきらぼうに言い放って、私は馬車のドアを強引に閉めた。
決して振り返ることはしない。
「いかがでしたか、お嬢様?」
「どうでしたかじゃないわよ、アンナ。あなたいったいどういうつもり!?」
今度ばかりは言葉を押さえられない。アンナの背後に母がいようとも関係がなかった。
「できうる限り、お嬢様のご希望に努めたつもりです」
「ふざけないでちょうだい。あんな幼気な男性を連れて来て。私の《魅力》のせいで、彼が二度と恋をできなくなったら、どうするのよ」
最大限の配慮はしたつもりだが、それでもしばらくはクリフさんの中で私は忘れられない存在となってしまっただろう。罪な女だと自己陶酔する気は毛頭なかった。
「噂には聞いていたのですが、見つけるのは中々どうして苦労しました」
「お黙りなさい! 今、話をしているのは私よ。真面目な男性ではダメだと、何度も言い聞かせたはずよね?」
それでもアンナは話をやめようとしない。
私の言葉に聞く耳なんか持たず、自分勝手に口を開く。
「男爵家の子息は呪いに耐性のある人です」
「……。……はい?」
何を言われているのかわからず、私はアンナの顔を見返してしまう。
「ですから、クリフ様には呪いが効きません」
「あなた何を言っているの?」
「お嬢様の《魅力》は呪いの効果です。クリフ様は呪いに耐性を持つため、《魅力》の効果が働きません」
「……。そんな馬鹿な話……」
信じられるわけがなかった。
(それじゃあ、あの震えは《魅力》に抵抗していたわけじゃなくて、単にガチガチに緊張していただけだっていうの?)
ふざけたことを抜かすものだと、私はアンナを冷ややかに見つめた。
私はむかっ腹のまま屋敷へと戻る。
そうして、帰るやいなや出迎えて来た使用人の腕を取って、その男性に感謝の念を表したのだ。
「いつもありがとう。メイナードのおかげで、私は安心して戻って来られるわ」
アンナの話を信じるより、突然、魔女の呪いが消失したと考えるほうが私には自然だった。
だが、結果は言うまでもない。
たちまちメイナードはその場にひざまずき、私のことを聖女のように見上げる。
「お嬢様。私はこの日のために生まれた来たのだと、今日ようやく理解いたしました」
メイナードには少し申し訳ないことをした。
(やっぱり《魅力》の効果は残っている……)
そうであるならば、アンナの言っていたことは真実で、クリフさんは本当に《魅力》に耐性を持つ相手ということになるではないか。
口元の震えが止まらない。
「……」
とぼとぼとした足取り。
アンナと共に自室に向かった私は、そこで今日のことを振り返ることになった。
盛大にやらかしてしまった気がする。
呪いがある前提で私は行動していたのだ。
ところがどっこい、クリフさんに《魅力》は通じていない。
その前提で考えるなら、仏頂面な女が下世話な質問をして来て、不機嫌になって帰っただけじゃないか。
(最悪だ……)
知っていれば、私だってもう少し誠実な対応を取れた。
愛想だってよくしたし、もっと目を見ながら話も聞いた。
ぼふっと、ベッドに倒れるようにして寝転がる。そのまま使用人たちの目も気にせずに、私は頭を抱えた。
「ねえ、アンナ。……どうして前もって教えてくれなかったの?」
「躍起になって《魅力》を試そうとするよりも、お嬢様の名誉は守られたかと」
「それは……」
そうかもしれない。
だからってあの態度はないだろう。
あれじゃ、ただの痛々しいだけの女と変わらないじゃないか。
(せっかく等身大の恋ができる相手だったかもしれないのに……)
私が男性なら、私みたいな女性には二度と文を出さないだろう。
撃沈だった。
✿✿✿❀✿✿✿
それから2週間が経った。
その間、アンナが部屋に手紙を持って来るたび、私は大急ぎで受け取った。心の中では、もう届くわけがないと思っていたのだが、それでも期待せずにはいられなかったのだ。
さすがに、交際相手を求めている人が、気のある女性に2週間も連絡を放置するはずがないだろう。
私は自分に春が訪れなかったことを悟っていた。
「お嬢様。また、ノルセユーヒ家からの縁談が来ていますよ」
肖像画を持って現れるアンナに、私は投げやりな視線を送った。
(公爵家か……)
嫁ぎ先としては理想的だが、次男なので襲爵には期待できないだろう。軍事のほうで頭角を表しているとも聞くが、決して資産家ではないはずだった。
もちろん、お金は程々で構わないのだが、私には清廉な人柄が何よりもネックだったのだ。これでは殉教コースまっしぐらだ。
「その辺に置いておいて」
「かしこまりました。それからお嬢様、届いていますよ。クリフ様からも文が」
私はがばりと起きあがって、大慌てでアンナに駆け寄った。その手から引ったくるようにして手紙を受け取ったところまではよかったのだが、この前に不義理を働いているだけに、恨み言が書かれてあるのではないかと、自分では読めそうになかった。とてもではないが、そんな勇気は出ない。
「……アンナ。代わりに読んで」
「よろしいのですか?」
「ひどい内容だったら、教えてくれなくていいから。たぶん心折れちゃう……」
私はうなずきながら手紙をアンナに渡す。
アンナが手紙に目を通している間、私はいたたまれくなてベッドの周りをうろうろとするばかりだった。
「以前と同じ昼食のお誘いですね。それからお嬢様への謝辞も述べられております」
「そんなはずないじゃない!」
アンナの言葉が信じられなくて、私は首を横に振っていた。
私がクリフさんに謝ることこそあれども、向こうが私に謝ることなんてひとつもない。失礼を働いたのは私であり、場の空気を悪くしたのもひとえに私だ。
しかし、私の発言を聞いても、アンナは肩をすくめるだけだった。
仕方ないので、その手から手紙を返してもらって、私は文面に目を通す。
はたしてそれは、アンナの言うとおりであった。
「……なんて律儀な方なの」
急いで返信をしなければ――。
「紙と羽根ペンはすでに用意してございます」
「ありがとう。……アンナ、文章を考えるの手伝ってくれるわよね?」
「ええ、もちろんです。文才はメイナードのほうが上ですので、彼にも声をかけましょう」
「お願いするわ」
手紙の返事なんてろくに書いたことがない。
少々の無礼は《魅力》が解決してしまうので、私からすれば直接赴くほうが勝手がよかったのだ。
(……自分の力だけで向きあうのって、こんなにも恐ろしいことだったのね)
たったひとつの単語でさえ、正しく伝わってくれるだろうかと不安でたまらない。
こんなにもあやふやなものに、自分の気持ちを乗せなければならないことに、私はひどくおののいた。
今ならば、あれだけの令嬢たちが私を蛇蝎のごとく嫌っていた理由にも、なんだか納得できる気がした。
(そりゃ《魅力》はずるいわよね……)
悩みに悩んだため、私がクリフさんあての返事を記しおえたのは、結局夜遅くになってからのことだった。
✿✿✿❀✿✿✿
「アンナ、ドレスは何色がいいかしら?」
寝台の上に様々なドレスを並べながら、私は途方に暮れてしまった。
午後からはいよいよクリフさんとの昼食だ。場所は前回と同じガゼボになる。今度こそ、前回の汚名を返上しなければいけない。私は気が気ではなかった。
「お嬢様であれば、どれでもお似合いかと」
「そういうことを聞いているんじゃないわよ!」
人が真剣に悩んでいるというのに、役に立たないことばかり言うアンナを、私は蛇のように睨んだ。
私がお淑やかであるかどうかはさておき、前回が散々な出来だったので、せめて落ち着いた女性であることを示したい。
淡いアイボリーのロングドレスを選ぶ。よく見ないとわかりにくいが、袖口には家紋を簡略化した刺繡が意匠として施されている逸品だ。
「差し色はどうされますか?」
水色のほうが好みなのだが、それだと前回と色がかぶる。私の好感度は最低に等しいだろう。このうえさらに、工夫がない女性だとは思われたくはない。
青い宝石のペンダントを首元に添えて、扇は濃い黄色にしようか。
「花柄は子供っぽいかな?」
「男性は扇の柄まで一々見ないのでは? どうです、メイナード」
廊下に控えている別の使用人にアンナが声をかける。
「お嬢様に夢中で、そこまで見ないでしょうな」
この役立たずどもが。
自分が今までどれだけ《魅力》の効果に頼っていたのかを、嫌でも思い知らされる。
「顔は変じゃない?」
私は鏡の前で笑ってみる。
笑顔なんて最近めっきり作っていなかったので、自然に笑えているのかどうかが自分ではわからない。
「大変、かわいらしいですよ。自信をお持ちください、お嬢様」
呪いにかからないアンナの言葉は信用できるが、それでも使用人という立場を踏まえるなら、どこまで参考にしていいのかはわからなかった。
いつまでも悩んでいたかったのだが、遅刻するわけにはいかない。
半ば自棄を起こしたように馬車に乗って、私は男爵の庭園に向かう。
「お越しいただき、ありがとうございます。ラビリアさん」
「こちらこそ、またお誘いいただき感謝しています」
形式ばったあいさつこそできたものの、緊張しすぎていて以降はてんでダメだった。
紅茶は熱さに気がつかず舌を火傷したし、食事の味もよくわからなかった。
自分が何を話したのかもいまいち覚えていないのだが、相手の腕が震えているのを目にしたとき、クリフさんも私と同じくらい上がっているのだとわかって、ふっと肩の力が抜けた。
「ふふっ」
「どうかしましたか?」
「いいえ、ごめんなさい。なんだかおかしくって」
そのあとは相応のふるまいができていたような気がする。
笑顔はぎこちないものだったかもしれないが、それでも私は久しぶりに自分の感情を表情として外に出すことができたのだ。それが少しでも、クリフさんに伝わっていたならばうれしく思う。
「今日は見送らせてもらえるでしょうか?」
「か、からかわないでください……」
自分の犯したこととはいえ、顔から火が出そうだ。
「い、いや……そういうつもりではなく、僕はただ時間の許す限りいっしょにいたかっ……」
尻すぼむ声は、何を言っているのかが聞き取りにくかったが、それでも言いたいことは十分に伝わっていた。あんまりにもクリフさんが恥ずかしそうにするものだから、私のほうが逆に冷静になってしまうほどだった。
「お願いします」
舞踏会ではないので、手は差し出さない。
ただ、前を歩くクリフさんの半歩後ろからついていく。こんなエスコートにさえ慣れていないようで、歩く速さは適切なのかと、時々、心配げな視線が私の足元に注がれた。
とても心地よい時間だった。
普通の女の子になれた気がした。
憧れていたものを手にできた気がしたのだ。
クリフさんを見つけてくれたアンナには、どれだけ感謝してもしたりない。
「……見つけたわよ、ラビリア・ステインボルト!」
もう少しで馬車に着くというところで、私に声がかかった。
驚いて声のしたほうを振り向けば、そこには髪を振り乱したパトリシア様の姿があった。
紅色の髪。
少し癖のある長い髪は、見る者に猛々しく燃ゆる火炎をおのずと想起させる。ややもすると気の強いと評されるパトリシア様の性格を体現した、美しい髪だった。ドレスも至る所に刺繡が施されていて、どんなに無学であっても一目で逸品だと理解できる。
そのお顔は女性である私から見ても美しいと感じられるものだったが、当代一番の彫刻家でさえ模倣できないと言われていたものとは少し違って、今はなんだか目が据わっていてひどく危うい気配があった。
「当家に何用でしょうか?」
私が不安がったことに気がついたのかもしれない。
クリフさんが一歩前に出て、私のことを手で庇ってくれる。私と変わらないサイズの背中が、あまりにもたくましくて私は胸がきゅーっと苦しくなった。
「どうしていなくなってからも、エールリッヒ様はあんたのことばかり……。ラビリアは、ラビリアは、ラビリアは! ……あんたさえいなければよかったのよ」
ゆらゆらとパトリシア様の体が前後左右に揺れていく。
呪いの効果が残っているわけではなくて、単にエールリッヒ様がパトリシア様との甘い関係を望んでいないだけだ。完全に逆恨みだった。
「それ以上、近づかないでもらいたい」
「あんたは黙っていなさい。男爵風情が!」
「ラビリアさん。馬車に走ってください。ここは僕が――」
「逃がすわけないでしょう! あんたさえいなければ!」
ついに懐からパトリシア様は短刀を取り出していた。
女性の身のこなしとは思えないほどの速さで、パトリシア様が私に肉薄する。
その横から、クリフさんがパトリシア様の腕を取って、地面に組み伏せていた。
「ぐっ――」
鮮やかな手並み。
取り落とした短刀を、クリフさんが明後日のほうに滑らせる。
「この女があんたのなんだって言うのよ!」
「僕の恋人だ。これ以上彼女に何かするというのであれば、僕が矢面に立とう!」
思わぬ告白に、私の足は止まってしまった。
クリフさんも自分が何を叫んだのか理解したようで、しばらく私たちの時間は止まっていた。
先に動き出したのはクリフさんだった。
「いや……あの、すみません。勢いでつい言ってしまって……。でも、僕の本心なんです。結婚を前提に恋仲になっていただけないでしょうか?」
口が渇いてしまって、うまく喋ることができない。
上下の唇が妙に張りついている。
「……。こんな私でよければ、喜んで」
震えそうになる声でどうにか返事をした。胸が苦しくて、今にも窒息しそうだった。
部外者がいることも忘れて、ついつい私はクリフさんとの時間に溺れてしまった。そのせいですっかりと毒気を抜かれてしまったらしく、パトリシア様はいつの間にかどこかに消えていた。
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お互いに本当の恋をしたことがないせいで、距離感というものがいまいちわからず、周りからすると大変もどかしい関係を維持してしまったらしい。けれど、私たちは私たちなりに交際をつづけている。
特に興味がなかったので気にしていなかったが、パトリシア様は憲兵に罰されたらしい。相手が相手なので投獄こそされなかったものの、蟄居同然の扱いを受けていると聞く。エールリッヒ様にいたっては、この騒動を起こした張本人として、襲爵の対象ではなくなったようだ。貴族は長子が引き継ぐ決まりがあるので、この対応は異例中の異例だろう。
「馬鹿な人……。パトリシア様だって適度に愛をもらえれば、こんなことしなかっただろうに」
私にとってはもうどうでいい話なので、あまり気にしてはいない。ただ、男爵家の事業と一部競合していた部分があったようで、ライバルが勝手に凋落してくれたとクリフは喜んでいた。彼にとって有益だったならば、私としてもなんだか鼻が高い。
そんなことより、今日はクリフと舞台を見に行く約束をしている日だ。
最初は無作法だからと、クリフの迎えで移動することはなかったのだが、最近はもう現地集合ではなくなった。2人でいっしょに馬車に乗ることが解禁されたのだ。ようやく恋人らしいことができるという気持ちと反面、お互いの膝が触れ合いそうな密閉感にはやはりまだ慣れない。
「内容までは聞いていないんだけど、かなり評判みたいだ」
「そうなんだ……」
馬車の中ではクリフも言葉数が少なくなったり、1つの話題で内容が膨らまなかったりするので、距離感に思うことはあるのだろう。私たちにはちょっと早かったのかもしれない。
「仕事をくれないか。なんでもいい……」
馬車の外で、昔婚約者だった人を見かけた気もするが、きっと私の勘違いだろう。実家が太いのだから、死にはしないはずだ。
馬車をおり、劇場の中へと入る。
内容は王道でありふれたものだったが、自分の感情を気にせずに表現できるのはやはり新鮮で、私は笑ったり泣いたりしてしまっていた。
「まさか、ラビリアがここまで表情豊かな女性だったとはね」
「がっかりした?」
「いいや。もっと冷たい人だと、前評判を真に受けていた自分自身が恥ずかしいよ」
うれしいことを言ってくれる。
こつんと、私は自分の額を彼の胸元に寄せた。
(幸せだ……)
はしたないかもしれないが、今はもうちょっと彼のぬくもりを感じていたかった。
おずおずと彼の腕が私の背中に回される。
ずいぶんとぎこちない動きだ。
私も意識してしまうと恥ずかしくなってしまうので、ちょこっとだけ彼の腰に手を伸ばす。
「……」
息が苦しい。
自分からハグを誘っておいたのに、鼻の音が鳴ってしまいそうで、うまく息を吸えない。
お互いに我慢比べの色を帯びてしまう。
「そろそろ行こうか」
クリフの言葉にうなずいて、私は劇場を出る。
どこかで見たような顔の婦人たちが、私たちを待ち伏せしていたようで、慌てて駆け寄って来ていた。クリフの人脈を紹介してほしいと見える。
「あら、偶然ですわね。わたくしたちもちょうど劇を見たところなのです。よろしかったら、いっしょに感想を言い合いませんこと?」
「失礼だが、忘れっぽいご様子なので、今後はラビリアに近づくのを控えていただきたい」
「忘れっぽい?」
婦人たちは何を言われているのかが理解できず、きょとんとしていた。
「ええ、そうです。あなたたちは僕のラビリアを罵ったことをお忘れのようだ。これでは今見たばかりの舞台でさえ、覚えているか怪しいものです。そんな婦人たちとどうやって語らうことができましょうや?」
すげなく言い切ってクリフが私の手を握った。
婦人たちが憤慨して顔を赤く染めていたが、私は可愛げがないので無表情を貫いた。
クリフと出会えたので、私はもう過去のことなんかこれっぽちも気にしていない。それを思えば、ちょっと婦人たちがかわいそうな気もして来る。
「きれいね」
「ああ」
午後の太陽は、私たちの未来を照らすように非常に明るかった。
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