優秀で天然な魔法使い、魔王にキスされる。
「僕の仲間を…殺そうとしたな?」
(なんて威圧感…… 駄目だ。この人は駄目。この人にだけは…勝てる気が…しない―――)
どれほどの光魔法を尽くそうとも、魔王の前では意味をなさない。
コルディの心には得体の知れない恐怖が走り、闇から逃れようと後退する。
ゼファはそんな彼女を無表情のまま見つめ、一歩、また一歩と静かに歩み寄る。
(魔力が足りない。どうにかして逃げなきゃ…)
埃まみれの棚に背をぶつけ、これ以上後ろへ下がることができなくなってしまったコルディは、恐る恐る視線を持ち上げる。
目先まで迫ってきたゼファは、長身の威圧感をまといながら、コルディを覆い尽くすように立っていた。
その冷気と殺気は、シャノンとジェスターにすら恐怖心を与える。
逃げ場と魔力を失ったコルディにできることは、小さく肩をすくめ、困ったように苦笑いを浮かべることだけ。
「…僕の使用人たちは、こんな小さな魔法使いに負けたのか」
ゼファの冷たい手が、ゆっくりとコルディの首に伸びる。
「ゼファ…わたし―――」
「魔王様ぁあ!!!助かりました!この女、あたしたちが暗殺の妨げになるからって…ここに呼び出していきなり攻撃を仕掛けてきたんです!!!」
「ち、ちが」
「怖かったですぅぅぅ!!!魔王様は救世主ですぅぅぅ!!!!!」
シャノンは芝居じみた声で、コルディの言葉の端々を軽やかに遮った。
伝えたいことを故意に阻止され、コルディは唇をぎゅっと噛みしめ、言葉を呑み込んだ。
その様子を見たシャノンは思わず嬉しそうに目を細め、冷たくもどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「拷問か、処罰か、君に選ばせてあげよう」
喉元を掴みながら、耳元で囁く。
力は込められていない。ただ、逃げ場を示さぬように、捕えていた。
「どっちも… 同じですよね」
コルディはごくりと小さく息を呑み、ゆっくりと口を開いた。
「まぁ、そうだな。で、どちらにする?」
「… 選びません!両方お断りします!」
「この状況下で、よく反抗できるな」
「ち、近い!」
ゼファとコルディの距離は、わずか一センチ。
その異様な距離感に、シャノンとジェスターは思わず顔を見合わせた。
(魔王様が楽しそうに見えるのは、気のせいかしら?)
冷酷さと、どこか愉しげな色を帯びた表情。
コルディ・ホープの強張った肩。
浅く乱れた呼吸。
逃げ道を探すように左右に揺れ動く視線。
敵を目の前にして、なす術を失った光の魔法使いは見ものだった。
追い詰められてなお抗おうとする姿は、ゼファの胸の奥を奇妙にくすぐっていた。
「ふん、嫌なら僕を従わせてみろ」
その距離、ゼロセンチ。
もはや空気すら入り込む隙間はない。
圧倒的な闇は、コルディの心を揺さぶり、思考を奪っていく。
コルディは両手でゼファの胸板を押し返し、声を張り上げる。
「わ、私… やることがあるので!失礼します!」
闇に負けまいとする強い意志。
わずかに残った魔力で転移魔法を使って、その場から逃れることに成功した。
「あ」
「あの女、逃げるなんてだっさ!」
姿を消したコルディを鼻で嘲るシャノン。
「…俺が捕えてきます」
一方でジェスターは焦って転移魔法を使おうと手を動かすが、ゼファが鋭い視線で制止した。
「いい。僕が行く」
♦ ♦ ♦
「……はぁ…はぁ… 解毒魔法って何よ。とりあえず使える治癒魔法で試してみよう。
“リホープ・シャイン”輝きの再来―――」
コルディは転移魔法で自宅に戻ると、限りある魔力を振り絞り、必死に治癒魔法を唱えた。
しかし、魔力不足のため毒に蝕まれた体には届かず、魔法は空しく空間に消えていってしまう。
(―――駄目だ。どうしよう…)
体内で毒はゆっくりと、しかし確実に広がっていく。
最上級の毒魔法は殺傷能力が極めて高い。
シャノンとの長い口づけにより、コルディの体内には膨大な毒が送り込まれてしまったのだ。
さらに、コルディ・ホープにはその猛毒に対抗する耐性がなかった。
解毒魔法でなければ、この猛毒を打ち消すことは不可能な状況だ。
コルディは唐突な吐き気に襲われ、思わず口元に手を当てる。
「っおぇ……」
「何をしてるの?」
突如として、大きな影に覆われる。
しかしコルディには目線をあげる余裕がなかった。
転移魔法でコルディを追いかけてきたゼファ・ベーゼは、彼女の様子にすぐさま異変を察知した。
寒気による手足の震え。
力なく垂れ下がった肩。
そして、普段の輝きを失った瞳。
コルディが苦痛に耐える姿は、ゼファの胸に予想外の動揺を走らせた。
「君、もしかして弱ってる?」
やや真剣な表情で問いかけ、そっとコルディの肩に手を置いた。
「…な、何ですか。こんなところまで追ってきて…ストーカーみたいですね」
コルディは強気に振る舞おうとしたが、その声は弱々しく、掠れている。
「はぁ?君を逃がすつもりはない。
ここが分かったのは、君の履歴書に住所が書かれていたからだ。随分と狭い場所に住んでいるんだな」
ゼファは部屋をぐるりと見渡しながら、淡々とそう告げた。
魔王城の広大さと比べられてはたまらない―――
コルディは不満げに唇を尖らせた。
「…失礼ですよ」
「……まぁいい。なぜ僕の仲間に手を出した」
「それはこっちのセリフです」
「僕が止めに入らなかったら、シャノンとジャスターは君の光魔法によって消滅していた。
よって君を拷問しなければならない」
今にも崩れ落ちそうなコルディの体を軽く支えながら、ゼファは冷たい言葉を放つ。
「私だって怖かったんです!
私が光の魔法使いだから信用できないのは分かります。だけど、先に攻撃を仕掛けてきたのはシャノンさんたちでした!」
声を張り上げた瞬間、コルディの体は力を失い、ゼファへと身を預けた。
「―――立てないのか?」
わずかに首を傾げ、そう問いかけた。
毒の進行は、あまりにも速かった。
「さすがに…疲れました。シャノンさんたちも、あなたも…恐いし…… もう嫌です」
コルディを腕に抱き寄せながら、ゼファは自分でも説明のつかない妙な感覚に包まれた。
最初からコルディは自分を恐れていないと思い込んでいたのに―――
今、その本音を耳にした瞬間、胸の奥がそっとざわめいた。
♦ ♦ ♦
「体力が著しく低下している。この症状、毒か」
弱り切ったコルディをそっとベッドに寝かせ、その苦痛に歪む表情を、ゼファは静かに見つめた。
「ゴホッ…ゴホッ……うぅ……、っ……」
毒に侵され、体がじわじわと蝕まれていく中でも、必死に抗おうとするコルディ。
震えが収まらない身体。
唇は紫色へと変色していく。
(毒耐性は皆無だな…)
目の前で苦しむ光魔法の使い手、コルディ・ホープは魔族にとって油断ならぬ存在。
本来なら、ゼファはここで無情に見捨てるべきだろう。
しかし、力を失いつつあるその光を、不思議と放っておけなかった。
(死の接吻で受けた毒の解毒法は―――、口づけだ)
ゼファはコルディの頬に手を添えると、ゆっくりと自分の顔を彼女に近づける。
「不本意だが、仕方ない」
静かに息を整え、唇をコルディのそれに重ねた。
「ん、…んっ……」
無意識に顔を背ける。
ゼファは逃げようとする唇をどこまでも追いかけ、容赦なく捕らえる。
(僕はいったい何をしているんだ。光の魔法使いを生かそうとするなんて……
しかし、何だこの感覚。こんなにも落ち着くキスは初めてだ)
やがて意識を手放し、眠りに落ちたコルディに、ゼファは幾度となく唇を重ねた。
体内に巡る猛毒を残さぬよう、吸い尽くすかのように力を込める。
「大嫌いな闇に、完全に支配される気分はどうだ?」
ゼファの冷たくも挑発的な声に、わずかに微動するだけのコルディ。
「早く僕の相手もしてくれよ、コルディ」
彼女の名前を呼びながら、ゼファは最後にもう一度、深く、長い口づけを重ねた。
―――“ギフト・オブ・ライフ”
それは、体内に回った毒を完全に消滅させる唯一の解毒魔法。
対象者に精力を送る接吻だ。
コルディの表情に、ゆっくりと生気が戻っていく。
♦ ♦ ♦
魔王城、夜の食堂。
使用人たちは魔王の帰還を待っていた。
「魔王様、帰ってこないですね」
エリオットが眼鏡の位置を直しながら、静かに口を開く。
「あの女を始末しに行ったのよ」
シャノンは鼻で笑い、冷たく告げる。
「コルディ・ホープを?」
「えぇ、あの時の魔王様、すごく殺気立っていたんだから」
光を追い払う、完全なる闇。
逃げ惑うコルディの姿を思い返しながら、シャノンは優越感に浸っていた。
「いやぁ、コルディさんの光魔法、素晴らしかったです!間近で見れて光栄でした!」
ルハは手をパチンと叩き、瞳を輝かせながらあの瞬間を思い返す。
生まれて初めて目にした光魔法は、魔法研究者の彼にとって、圧倒的に価値があったのだ。
「ルハ、あんた、あの場にいて一度も助けに入らないなんて、マジでサイコね」
シャノンは冷ややかな目で、興奮気味に語っているルハを鋭く見据えた。
ジェスターも同じように苛立ちを隠せずにいた。
「僕は戦いには興味ありませんから! もっと見たかったなぁ〜!光の魔法!」
ルハの瞳は、戦場の混乱も恐怖も忘れさせるほど、コルディの魔法に釘付けになっていた。
この少年(?)は仲間の危機よりも魔法そのものを追い求めることを選んだのだ。
♦今日の魔法♦
【“リホープ・シャイン”輝きの再来】
光の基本治癒魔法。
打撲、切り傷、擦り傷などの物理的ダメージを治療する。
下級~中級の毒や状態異常の回復も可能。
しかし、最上級の魔法は回復不可能。
【生の接吻“ギフト・オブ・ライフ”】
死の接吻“ギフト・オブ・デス”専用の解毒魔法。
接吻を交わすことで、対象者の体内を巡る毒を吸収し、精力を送り込む。
シャノンとゼファしか使えない。




