優秀で天然な魔法使い、友達ができる。
魔王城、朝の食堂。
窓からの朝日が、長い食卓を静かに照らしていた。
銀の皿の中央には、ふんわりと丸く包まれたオムレツが置かれている。
その隣には、瑞々しいサラダの小皿と、湯気を立てるクリーミーなポタージュスープ。
食卓の中央に並べられた焼きたてのクロワッサンからは、香ばしいバターの香りが広がっていた。
(準備完了っと…)
エプロンを身にまとったトレヴァーが、満足げな表情で最後の銀皿を食卓に置く。
料理人としての誇りが、その仕草の端々からにじみ出ていた。
やがて食堂の扉が開き、コルディとゼファが姿を見せる。
その瞬間、すでに食堂にいた使用人たちの視線が一斉にコルディへと向けられた。
「みなさん、おはようございます!」
いつものように柔らかく微笑む。
シャノンとジェスターは、何か言いたげに口を開きかけるが、結局言葉は出てこない。
開いては閉じ、開いては閉じ――― そんな仕草を何度か繰り返している。
「どうぞ」
ゼファが静かに椅子を引き、コルディを席へと促した。
コルディは素直にそこへ腰を下ろす。
そして目の前に並ぶ豪華な朝食を見て、目を輝かせる。
湯気、香り、色とりどりの料理―――
そのすべてが、彼女の心をわくわくと躍らせていた。
「美味しそう~! 朝からこんな贅沢していいんですか!」
声を弾ませるコルディに、トレヴァーは満足げに鼻を鳴らした。
「嬢ちゃんがいつも美味そうに食ってくれるからな。つい気合いが入っちまうんだ」
魔族の中でも最も名を馳せる料理人――― トレヴァー・イグニス。
彼が作る料理はどれも絶品で、魔王城の者たちにとって毎日の楽しみのひとつでもあった。
やがて使用人たちもそれぞれ席に着き、食堂には食器の触れ合う小さな音が静かに広がっていく。
温かな料理を口に運びながら、穏やかな朝食の時間が流れ始めた。
そんな中、自然と話題は昨日の出来事へと移っていく。
勇者パーティーの襲撃。
そして、コルディの願いを聞き入れ、魔王が勇者を送還したという誰も予想していなかった結末。
あれほど緊迫していた戦いが、まさかあのような形で終わるとは思ってもみなかったのだ。
だが、不思議なことに―――
以前なら真っ先に不満を口にしていたはずのシャノンは、今日は何も言わなかった。
ジェスターの表情も、どこか柔らかい。
二人は時折コルディの方をちらりと見ながら、黙って料理を口に運んでいた。
まるで何かを言いたそうにしているのだが、視線が合いそうになると慌てて目を逸らしてしまう。
どこか抵抗があるのか。
それとも、昨日の出来事を思い出して気まずいのか。
結局、二人が声をかけることはないまま、朝食の時間は静かに過ぎていった。
「そう言えば、不思議なことがあったんです!
トレヴァーさんの炎魔法、シャノンさんの毒針、師匠の影の拘束魔法も、なぜか効かなかったんですよ。
まるで魔法そのものが私を避けている、みたいな……?」
昨日の戦闘を思い返しながら、コルディは胸の内にずっと残っていた疑問を口にした。
「……あぁ、それは君に守護結界を張っているからだ。
勝手に魔法をかけてしまってすまないが、何かあっては困るからな」
ゼファは淡々と答えた。
彼は誰にも気づかれないよう、コルディの周囲に守護結界を展開していたのだ。
本人が気づく必要はない、と彼は思っている。
「そうだったんですね! ゼファの結界なら安心できます!」
ゼファの行動を知り、コルディは嬉しそうに頬を緩める。
そのやり取りを聞いていた魔法研究者のルハが、顎に手を当てながら口を開いた。
「う~ん、それもあると思うんですけど、
反対の属性同士が長く一緒にいると、その属性への耐性が向上するんですよ。
だから、コルディさんは結界を張らなくても平気かもしれませんよ」
知識豊富なルハ・シャドーの言葉に、場にいる全員が自然と納得していた。
もともとゼファがコルディを自室に置いていたのは、暗殺者である彼女を監視下に置くためだった。
しかしゼファは、コルディの身体を拘束することもなく、彼女を自由にさせていた。
部屋の出入りも、城内を歩き回ることも、ほとんど制限していない。
ゼファにとっては、いつ奇襲を仕掛けられても問題はなかった。
どんな状況でも即座に対処できる自信があったからだ。
そんな関係の二人であるにもかかわらず。
気づけば、同じベッドで眠るのが当たり前になっていた。
コルディは寝相があまり良くない。
夜中に寝返りを打つたび、無意識にゼファの腕や頭に触れてくる。
それでもゼファは、なぜか嫌だとは思わなかった。
むしろ、コルディがそばにいる夜は、不思議と深く眠れる。
これまで一度も味わったことのないほど、穏やかな眠りだ。
そんな日々を重ねるうちに、互いの魔法への耐性が自然と向上していたのだ。
「僕にも…光耐性が……」
ゼファは自分の手のひらに視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「魔王様に光耐性……。それ、もう最強なのでは?」
エリオットは、気づいた。
―――魔王に、敵はいない。
光耐性を持つ闇。
勇者パーティーが魔王ゼファ・ベーゼを倒せる日は、おそらくもう来ないだろう。
その場にいた全員が、同じ結論にたどり着いた瞬間だった。
♦ ♦ ♦
魔族の都、アルカナム。
その裏通りにひっそりと潜む高級バーでは、高位魔族たちによる密談が交わされていた。
「おい、速報見たか? 魔王様……光の魔法使いに脅されているらしい」
「コルディ・ホープとか言ったか。勇者の話じゃ、そいつの命令に従っていたそうだ」
「まさか、あのお方すら敵わない存在がいるとは……。俺たち魔族の未来はどうなるんだ?」
神殿へと送還された勇者パーティー。
彼らは帰還するや否や、一つの声明を世に放った。
魔王ゼファ・ベーゼはすでに―――
光の魔法使い、コルディ・ホープによって制されている、と。
勇者の証言によれば、魔王は彼女の言葉に逆らうことなく従っていたという。
そして、自分たちがその場で始末されなかったのも、彼女が止めたからだと語った。
その話は瞬く間に広がり、やがて魔族たちの耳にも届いた。
―――だがそれは、あまりにも大きな誤解だった。
魔王軍を次々と制し、ついには魔王までも言葉一つで従わせたというコルディ。
もしそれが事実だとするならば、彼女はいったいどれほどの力を持つ存在なのか。
重い沈黙が続く。
彼らの瞳には、動揺の色が浮かんでいた。
その時だった。
静まり返った店内に、ゆっくりとした足音が響く。
高位魔族たちの背後から、一人の女が静かに近づいてきた。
まるで最初からそこにいたかのように―――。
「―――その話、本当?」
麗しいという言葉がよく似合う魔族だった。
気品、美貌、そしてどこか妖しげな雰囲気を兼ね備えた女。
深く被ったフードがその顔を隠している。
だが、その奥から漂う圧倒的な気配までは隠しきれていなかった。
「……あ、あぁ」
答えた魔族は、思わず喉を鳴らす。
(コルディ・ホープ……ついに動いたのか)
女の脳裏に、忌まわしい光の記憶がよみがえる。
「……チッ」
小さく舌打ちをすると、闇の中へ溶けるように消えていった。
♦ ♦ ♦
魔王城の離れにある大倉庫。
コルディがここへ足を踏み入れるのは二度目だった。
一度目はシャノンに連れられ、戦闘の場となった。
だが今は違う。
自らの意思で、掃除のためにこの場所に立っているのだ。
「エリア・リムーヴァル! 聖なる光よ、あらゆる不浄を浄化せよ!」
彼女の声に応じるように、埃まみれの空間に光が解き放たれた。
淡い光は宙を舞い、漂う塵や汚れを包み込み、溶かしていく。
だが、掃除が一瞬で完璧に終わるわけではない。
埃は消え去っても、散乱した物の整理は自分の手で行わねばならない。
屈み込み、棚から落ちた小箱や書類を一つひとつ拾い上げる。
地道な作業だが、コルディは鼻歌を口ずさみながら、楽しげに手を動かしていた。
その時―――
倉庫の入り口に、二つの黒い影が現れた。
コルディは眉をひそめ、影の正体を確認するようにそっと視線を向けた。
「―――あの、あたしだけど!」
「シャノンさん? と、ジェスターさんも?」
強張った表情で倉庫に入ってきたシャノンは、唇を噛みしめながらコルディを見下ろす。
その後ろには、静かにジェスターが立っていた。
「どうしましたか?」
コルディは穏やかに尋ねる。
シャノンは意を決したように大きく息を吸い込み、口を開いた。
「―――て、手伝う! ここ、一緒に掃除する!」
「………俺も…」
どこかぎこちない口調だったが、コルディの顔はぱっと明るくなった。
「え!? それは、助かります!!!」
―――こうして、三人で倉庫の片付けが始まった。
地面に散らばった不要な書類はまとめて捨て、空き箱は畳んで積み上げる。
謎の壺や照明器具、さらにはクリスマスツリーまで、あらゆる物を整えて並べていく。
三人いれば、片付けはあっという間に進んだ。
倉庫がすっかり整うと、コルディは満足げに見渡し、やりきった笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!本当に助かりました!」
最後にもう一度、二人にお礼を伝え、倉庫を出ようとしたその時―――
シャノンに呼び止められる。
「―――コルディ!
き、昨日は――― その……助けてくれて、ありがと」
恥ずかしそうに目線を逸らすシャノン。
「…同じく……感謝する」
ジェスターも、少し照れながらも同じようにお礼を口にした。
二人の心には、もはやコルディに対する恐怖や憎しみは残っていない。
「それで、あの……よかったら、友達にならない?」
不安げに声を震わせながら尋ねるシャノン。
過去に一度コルディを騙してしまった彼女だが、この言葉には、偽りの影はひとつもなかった。
「友達!!!」
疑いのない瞳。
その言葉が心からのものだと、コルディは確信し、自然に頷いた。
「ぜひ!!!」
ぱっと顔を輝かせ、シャノンに一歩近づく。
「せっかくなので友情のキス、しましょう!!!」
「はっ!?―――ちょ、コルディ!?」
コルディはにやりと笑みを浮かべ、シャノンの頬に手を添えると、そのまま唇を重ねた。
(―――噓でしょ!? コルディ、この子……そんなにあたしのこと…!?)
なぜか、体が思うように動かず、反抗の気持ちも湧かない。
シャノンは戸惑いつつも、心の奥でコルディを受け入れている自分に気づいていた。
それは―――
毒も、敵意も、拒絶もない、ただの温かい口づけ。
少し意地悪で、ふざけた仕返しのようでもある。
しかし、それ以上に、確かな信頼と絆の証でもあった。
ジェスターは目のやり場に困り、少し後ずさる。
三人の間に漂う空気は柔らかく、どこか奇妙で、それでいて穏やかだった―――。




