優秀で天然な魔法使い、暗殺任務を辞退する。
「―――終わりなき拷問、“エンドレス・ヘル”」
その言葉が落ちた瞬間、世界から音が消えた。
闇の最上級攻撃魔法。
『終わりなき拷問、“エンドレス・ヘル”』
魔王ゼファの闇魔法が解き放たれた。
圧倒的な静寂が、空間に不吉な気配をじわりと満たしていく。
闇に呑み込まれた王座の間。
「っ……!」
視界を奪われた勇者たちは、その場でたじろぐことしかできない。
そこにあるのは、ただの暗闇ではない。
魔王の魔力で塗り潰された、絶対の闇だった。
コルディは小さく息を吐き、そっと呟く。
「―――“イルミネート”」
淡い光が生まれる。
だが、必殺技にも等しい闇魔法の前では、基本魔法で空間を照らすことなど到底不可能だった。
かろうじて、コルディの周囲だけがぼんやりと浮かび上がる。
「―――いいぞ! 頼む!!! 魔王を打ちのめしてくれ!!!」
闇の中から、リックの声が響いた。
あまりにも他人任せな叫びに、コルディはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「えっ、私ですか……?」
その瞬間。
―――気配が、背後に落ちた。
振り向くよりも早く。
魔王ゼファは、すでにコルディの背後に立っていた。
音もなく、影のように。
そして、彼女の被っている分厚いヘルムへと手を伸ばす。
ぐい。
脱がそうとするゼファ。
「だ、だめですっ!」
コルディは慌ててヘルムを押さえつけた。
必死に守るコルディ。
容赦なく引き剥がそうとするゼファ。
その場に、闇の最上級魔法が展開されているとは思えないほど、シュールな攻防が繰り広げられていた。
「………」
その光景を見ていたエリオットは、すっと眼鏡を押さえた。
(こんな重量のある装備を頭に被せるなんて……拷問だろう)
ゼファは、単純にそのヘルムの存在が気に入らなかった。
「ちょ、ちょっと!」
コルディが慌てて声を上げる。
だが、ゼファは構わずヘルムを引き抜いた。
「返してください……!」
露わになったコルディの顔は、一瞬きょとんと固まり―――
次の瞬間、真っ青になった。
「―――充実した一日だったか? コルディ」
ヘルムを高く掲げながら、ゼファはそう問いかけた。
ついに正体を晒してしまったコルディは、慌てて取り返そうと手を伸ばす。
だが、彼女の手は虚しく空を切った。
背の高いゼファにとって、それを取り上げるのはそれはあまりにも簡単なことだった。
傍から見れば、じゃれ合う男女のような光景。
しかし、勇者たちにその様子を眺める余裕など欠片もない。
彼らは今もなお、闇の中に囚われていた。
終わることのない――― 拷問の中に。
『終わりなき拷問、“エンドレス・ヘル”』は、闇と幻術が融合した魔法だ。
「―――ぐはぁっ!」
「うわあぁぁああああ―――!!!」
「いやぁ―――!!!」
「……はぁ……はぁっ…… 嫌だ…いやだ……」
勇者たちの身体の奥に、鋭い痛みが走る。
それは、一度だけではない。
残酷にも、何度も何度も繰り返された。
刃で斬られた感覚はない。
それなのに――
骨の内側から、軋むような痛みが湧き上がる。
見えない刃が、何度も何度も肉を裂いていく。
膝が震え出す。
その場に崩れ落ち、嘔吐する者まで現れた。
血は流れていない。
身体にも傷はない。
痛みは現実ではない。
それでも脳は―――
確かにそれを本物の苦痛として受け取っていた。
戦意を完全に砕かれた勇者一行は、うつろな目のまま、その場に倒れ込む。
(なに……何なの、この魔法……)
異様な光景に、コルディは思わず一歩後退した。
その背が、硬いものにぶつかる。
「……っ」
振り返るまでもない。
そこに立っているのは、この世で最も恐ろしい闇魔法を放った存在。
コルディは、はっと息を呑んだ。
(私が…なんとかしなきゃ……)
「もぅ……むりだ……」
「……死にたい……」
「……帰してくれ……」
「……はぁ……はぁ……」
絶望の淵に立たされた勇者たちは、荒い呼吸を繰り返すことしかできなかった。
それでもなお、身体の奥から苦痛が噴き上がる。
骨が折れる感覚。
内臓が潰れる感覚。
だが―――
死ねない。
終わることのない死。
それを永遠に繰り返させる幻術。
(この人たちは……ゼファの足元にも及ばないんだわ)
コルディはぎゅっと拳を握る。
(……ダメ。見ていられない!)
意を決し、口を開いた。
「―――“レイディアント・ヘヴン”」
澄んだ声が、闇の空間に響く。
「煌めきの楽園、この者たちに光の奇跡を―――!」
それは、光の最上級治癒魔法。
その場で苦しむすべての者を、痛みから解放する奇跡。
次の瞬間。
空間が、白い光に包まれた。
まばゆい輝きが闇を押し退け、神殿のような静けさが広がる。
「……っ」
エリオットは思わず両目を覆った。
光が、あまりにも強すぎたのだ。
その時―――
「―――何、してるの。勇者たちを助けるつもりか?」
低い声が、すぐ背後から落ちた。
「っ……!」
漆黒のグローブが、コルディの口元を覆う。
詠唱を遮るように。
けれど、その手に乱暴さはない。
添えるように、優しく塞いでいた。
「ゼファ! えっと、この魔法、発動までに時間がかかるので! 今は集中させてください!」
治癒魔法に集中できないコルディは、慌ててそう告げた。
あまりにも素直すぎるその言葉に、ゼファは小さく息を零す。
怒りもない。
苛立ちもない。
ただ―――
こんな状況でも、迷いなく勇者を救おうとするその姿に、呆れて笑みが浮かんだ。
だが。
勇者たちを解放するつもりはない。
彼らは闇を滅ぼそうとする存在。
見逃せば、それは敗北と同じだった。
「僕は……コルディ。君を怖がらせるつもりはない」
再び低く落ちる声。
「だが、こいつらは処す」
「駄目です!!!」
コルディの叫びが闇に響く。
「ゼファ、お願いです! 阻止しないでください! お願いです!!」
必死に訴えるコルディ。
光の魔法使い、コルディ・ホープ。
その願いを、闇の頂点に立つ魔王が聞き入れるはずがない。
―――本来なら。
「………」
ゼファはしばらく黙ったまま、コルディを見つめていた。
誰が相手だろうと関係ない。
目の前で苦しむ者がいれば、彼女は必ず手を差し伸べる。
「……はぁ」
ゼファは小さく息を吐く。
そして、コルディから数歩だけ距離を取った。
脱力したような眼差しで、ぽつりと呟く。
「……君は、本当に―――」
一瞬、言葉を探すように沈黙する。
「僕を惑わせる」
勇者を処すことも。
闇の王として正しく振る舞うことも。
彼女の前では、すべての決意が揺らいでしまうのだから。
♦ ♦ ♦
拷問地獄から解放された勇者たちは、呆然と天井を見つめていた。
意識は朦朧としている。
本来なら―――
生きて帰すことなどあり得ない。
だが、その時。
ゼファは前代未聞の言葉を口にした。
「こいつらを、神殿へ送還する」
神殿―――
それは、勇者たちの復活ポイント。
「魔王様!? どういうつもりですか!?
こいつらを生きて帰すなんて……そんなの、冗談ですよね?」
エリオットの声が裏返った。
(あり得ない。魔王様が、勇者を見逃す? そんな前例は、歴史上どこにも存在しない―――!)
エリオットは震える手で眼鏡を押し上げる。
そして、ゆっくりと視線をコルディへ向けた。
(……原因は、絶対貴方です……!!!)
ゼファはコルディの肩に手を置き、低く静かな声で告げた。
「……その代わり――― コルディに償ってもらう」
「……ゼファぁ……ありがとうございます……!」
コルディはわずかに涙の滲んだ瞳で、ゼファを見上げる。
その表情を見た瞬間、ゼファの心臓がわずかに高鳴った。
(―――君は唯一の、僕の弱点だ)
大量の魔力を消費してよろめくコルディを抱きかかえ、ゼファは勇者たちを神殿へと還した。
♦ ♦ ♦
時刻は午後十時。
ゼファとともに彼の私室へ戻ってきたコルディは、深く息を吐き、改めて感謝の言葉を口にした。
「あの、ありがとうございます!ゼファは本当に優しいですね」
コルディはぺこりと頭を下げた。
「それで……私は、その……どう償えばいいですか?」
「……あぁ、もう決まっている」
ゼファはゆっくりと身を屈め、コルディと同じ高さで視線を合わせた。
「―――君、ルハに抱き締められていただろう。
今日は一晩中、僕が君に……あれをやる。それが罰だ」
(抱き締められてた?あの拘束のこと?
―――でもそれって、罰なのかしら……?)
コルディの胸に小さな疑問が芽生えた。
勇者たちが味わったような拷問を覚悟していたからだ。
「それと門限も破った。一週間はこの罰を受けてもらう」
「そういえば、もう十時なんですね」
時計を見ると、門限の八時はとっくに過ぎていた。
(今日は本当にいろいろなことがあったなぁ…)
勇者たちとの遭遇、魔王の仲間たちとの戦い、そしてゼファとの決戦。
思い返した瞬間、緊張の糸が切れたように、どっと疲れが押し寄せてくる。
肩の力が抜け、思わず小さく息を吐いた。
このままベッドに倒れ込みたい気分だったが、さすがにその前に体をさっぱりさせたくなった。
「先にシャワーを浴びてきますね」
そう告げると、コルディは浴室へと向かう。
しばらくして戻ってきたコルディの長い髪は、まだ水滴を含んでいる。
濡れた髪先からは雫がぽたりと落ち、薄い寝間着の肩口を静かに濡らしていた。
何日も同じ部屋で過ごしている二人だ。
そんな姿は何度も見ているはずなのに―――
その姿を目にした瞬間、ゼファの頬はわずかに赤く染まった。
濡れた髪をタオルで拭きながら歩くコルディの姿は、妙に落ち着かない気持ちにさせた。
髪を乾かし終えたコルディは、大きく伸びをしてからベッドへともぐり込む。
その様子を見届けてから、ゼファも静かに立ち上がる。
同じようにシャワーを浴び、パジャマに着替えて部屋へ戻ると、コルディは布団の中から顔を出し、ゼファの寝るスペースをぽんぽんと叩きながら待っていた。
その無邪気な仕草も、いかにも彼女らしい。
ゼファもベッドへ入り、静かに隣へ体を横たえた。
そして様子をうかがうように、少しずつコルディとの距離を詰めていく。
「……触れていいか」
「どうぞ、遠慮なく!」
背後から、ぎゅっとコルディを抱き締める。
すっぽりと腕の中に収まってしまう小さな体を感じて、ゼファは満足げに微笑んだ。
「……闇に捕われて、嫌な気分だろう?」
コルディの髪に顔を埋めながら、静かに問いかける。
「いいえ。温かくて、優しくて、とてもいい気分ですよ」
「――っ、な……」
真っすぐに、心へ差し込んでくる光。
その返事に、ゼファは大きく安堵した。
光は封じ込めるものではない。
閉じ込めてしまえば、きっと壊れてしまう。
そっと手のひらに乗せるように、
壊れないよう優しく扱うものだ。
そんなゼファの優しさに、コルディは気づいていた。
この闇は特別な闇。
光で制する必要のない、優しく包み込んでくれる闇なのだと。
(小さい。柔らかい。いい匂いだ……落ち着く)
ゼファはコルディの体を、確かめるようにさらに抱き締めた。
絶対に手放さない。
守り抜く――― そう心に誓いながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
♢ ♢ ♢
魔王ゼファ・ベーゼの夢の中。
そこには、両手を頭上に上げさせられ、ベッドガードに拘束されたコルディの姿があった。
身に纏っているのは、フリルがたっぷりあしらわれたネグリジェ。
「解放してください……!」
必死の声で訴えるコルディ。
しかしゼファは、彼女の抵抗など聞こえないかのように、ゆっくりと身をかがめた。
強張った首筋。
柔らかな胸元。
そして太腿へ。
ゼファの舌が、確かめるように彼女の肌をなぞっていく。
「あぁ……! いや……!」
顔を真っ赤に染め、コルディは身体を大きくよじらせた。
だが、拘束された身体では逃れることができない。
夢の中は、闇。
魔王の領域。
誰にも触れさせたくない。
自分のそばに置いておきたい。
―――光を、手に入れたい。
ゼファはコルディの両脚を持ち上げ、その間へ顔を埋めると、下着の上から、そっと口づけを落とした。
「……な、なにしてるんですか!?」
無防備な体勢に晒されたコルディの顔が、羞恥に歪む。
緊張と恐怖。
彼女は両脚をばたつかせ、必死にゼファを振り払おうとした。
しかし、力で抑え込まれてしまう。
「…こんなの、ひどいです……」
やがて、コルディの瞳から涙が零れた。
それを見た瞬間、ゼファの瞳が獣のように光る。
興奮に荒くなる呼吸。
ゆっくりと下半身を露わにし、それをコルディの恥部へ押し当てようとした―――
その時だった。
「きゃぁぁぁあああ―――!!!!!
えっちぃぃぃいいい―――!!!!!
スケベぇぇぇえええ!!!
へんたぁぁぁぁぁい!!!!!」
「――っぐ!?」
次の瞬間。
魔王ゼファ・ベーゼは、ベッドの外に投げ出されていた。
現実世界の彼は、夢の中と同じように眠るコルディにそっと体を寄せ、その熱を密着させていた。
違和感を覚えて目を開けたコルディは、思わず彼を突き飛ばしてしまったのだった。
「……」
しばらく天井を見つめる。
(僕は……なんて夢を見ていたんだ……)
恐る恐る視線を下へ落とす。
(―――終わった)
それはもう、言い訳の余地もないほど正直に、身体が反応していた。
ゼファは慌てて枕で下半身を隠したが、時すでに遅しだった。
「すまない……コルディ」
力なく謝罪した。
「僕は……本当に変態かもしれない」
夢の内容を思い出し、耳まで赤くなる。
パジャマが張り裂けそうなほど、誇らしげに主張しているそれは、完全にゼファの欲望を物語っていた。
一方。
コルディは、真剣に落ち込むゼファを見て、なぜだか胸の奥がくすぐったくなった。
圧倒的な支配力を持つ魔王ゼファ・ベーゼが、羞恥でうろたえている。
それを見ていると、まるで自分が優位に立っているような気分になるのだ。
コルディは心を弾ませるような表情で、ゼファに近づいた。
そして追い打ちをかけるように、真っ赤な顔を覗き込む。
「どんな夢を見たんですか?
私と何がしたかったんですかぁ?」
「……それを聞くのか?
……はぁ、夢の中では理性がなかったが、今は大丈夫だ。君を襲うことはないから、安心してほしい」
ゼファは視線を逸らしたまま言う。
魔王ゼファ・ベーゼは恐れていた。
コルディに嫌われることを。
だが、胸の奥底で蠢くのは、彼女を独り占めしたいという欲望。
心の奥で相反する感情がぶつかり合う。
闇に押し伏せられ、屈服するコルディが見たい。
―――できることなら、夢の続きを体験してみたい。
(しかし、駄目だ……! そんなことをしたらコルディに幻滅させる。落ち着け、僕)
コルディとの距離の近さにわずかに動揺しながらも、必死に理性を保つ。
彼はすでに光に支配され――― いや、包み込まれていた。
強さを誇る魔王の心が、光に溶かされていく。
かつてない、魔王の恋心だった。
(…あぁ、君は……今日も、眩しい)
ゼファは、自分の胸の内で芽生えたコルディへの想いを、認めざるを得なかった。
感情をほとんど表に出さない魔王の、確かな動揺。
(こんなゼファも、かわいいかも?)
その姿は、コルディの目には妙に可愛らしく映っていた。
寝癖のついた髪を整えるように、そっと撫でる。
ゼファは目を見開き、一瞬硬直したものの、黙ってそのまま受け入れた。
「あはは!」
コルディは明るく笑う。
「あなたが世界を脅かす魔王?
どこで知り得た情報なのかしら?」
迷いが消えたかのような、晴れやかな表情。
ゼファの頬を手で包み、無邪気ににかっと笑ってみせた。
「全くのデタラメね!」
コルディの頭の中で、国王陛下からの架空の依頼書がビリビリと破られる音が響いた。
(――さようなら、百億モンド。
こうなったら、仕方ないわ!私はここでめちゃくちゃ稼ぐ!)
暗殺依頼、辞退。
魔王ゼファ・ベーゼの専属メイドとして、全力で務めることを決心した。
【終わりなき拷問、“エンドレス・ヘル”】
闇の最上級拷問魔法。
対象者を闇の空間に閉じ込めて、拷問を与え続ける。
通常は精神が折れるまで解放されない。
【“レイディアント・ヘヴン”煌めきの楽園】
自分も含め、範囲内の対象者を完全回復に近い状態まで治す。
傷・疲労・出血・軽度の毒や状態異常も回復する。
魔力消費量が多い。




