03. 私の可愛い人と、ちっとも可愛くない屑野郎
「こうして何度も来たところで、私はオクタヴィア嬢と向き合うつもりはない」
今日も今日とてオクタヴィアを拒否する彼に、わかっていますよといわんばかりの笑みを浮かべている。
例えるならば、それは駄々を捏ねた子どもを見守る親戚の叔母や伯母なんかが、幼子に向けるものだ。
「まあまあ、頑固な方ね。家名ではなく名前を呼んでくださるようになったのに、そんなつれないことを言うものではありませんわ」
可愛い方ね、と笑みを浮かべて一歩近寄るオクタヴィアに、たじろいだ様子で一歩後ろによろめくモンクレア伯爵令息。
すぐさま本日のお茶会へと誘導する使用人の邪魔が入って触れることができなかったが、彼の反応を見ているだけで十分に楽しい。
彼は思っている以上に素直な人間だ。
表情などなくとも、彼の仕草を注意深く眺めれば、どういった心境かなど容易く察することができる。
先日も昼間に相応しくない、大きく胸の開いたドレスで訪れて、しどけなく腕を絡ませれば上半身を捩じるように逸らしていた。
あの動きから、顔は精一杯逸らしていただろう。
本当に可愛らしい。
「私達は既に婚約者。歩み寄るのも大事よ」
そう言ってオクタヴィアが差し出した手を、エスコートするために掬い上げた手はいつだって手袋を外さないでいる。
お茶を頂く間ですら外さないのだから、相当オクタヴィアに身代わりだと知られるのを警戒しているのだろう。
彼自身も慎重だが、使用人達もオクタヴィアの一挙一動を監視しているようだった。
最初に会った日以降、口には出すことはないが、オクタヴィアが近寄ろうとする度に何かと邪魔をするようになった。
だが、既に怪しむ状況から一つ先へと抜け出ているオクタヴィアがする必要のあることは、モンクレア伯爵令息として振舞う彼と交流すること。
そして信頼を得ること。
元々オクタヴィア自身は恋愛ごとに大雑把な性格で、周囲の言葉など気にしないタイプだし、公爵令息のダミアンとの婚約解消だって別に困ることはなかった。
昔から悪女顔だと散々に言われてきたのだ。
今更何を言われても動じることのない図太い性格になったのも仕方のない話ではある。
だから気にすることなく、様々な手土産を携えて彼の挙動を見守るのだ。
お菓子は興味の対象ではなさそうだが、最近流行したと伝えれば少しばかり興味を示した。
常時身代わりなら令息の仕事も肩代わりしているのだろうと思い、他国から仕入れられたばかりの珍しいインクや筆記具を置くための革のケースを贈れば、少しばかり上擦った声でお礼を言ったのも可愛らしい。
ただ、装飾品は買わなかった。
そういった物は、ルシアン・モンクレア本人の手に渡りそうだと思ったからだ。
贈るのは彼が使える物と決めている。
今日の手土産はマホガニーという木から作った、深みのある赤褐色のペーパーウェイトだ。
塗装もせず、宝石を埋め込んだりもしていないシンプルなものだが、そっと裏面を見れば、繊細な彫刻が施された一品である。
他者から見ればつまらない品物に見えるように、誰かに取り上げられないようにという配慮で作らせた。
裏を見て気づいたらしいモンクレア伯爵令息が、素早くペーパーウェイトを表面へと向け直して箱に戻す。
こういった仕草からも、贈り物を気に入ったのだろうとわかって、楽しくて仕方がない。
「気に入ってくださったかしら?」
「まあ、悪くはない」
素っ気ない返事の中に滲む感情は、使用人達に気づかれたとしてもそこまで困らないだろう。
「だが、こちらが何も贈っていないので気を遣う。
もう少し控えてもらうとありがたい」
「確かに形に残る物は頂いてはおりませんが」
そう、実際彼からオクタヴィアへの贈り物は一切ない。
婚約して三ヵ月。
アクセサリーどころか花一つもない。
おそらくは彼が自由にできる予算がないのだろう。
彼が身代わりだとしても、オクタヴィアはモンクレア伯爵令息の婚約者である。
本来ならばきちんと用意できるよう手配するべきなのだ。
考えられるのは、もはやモンクレア伯爵家の管理は目の前の彼がほとんどを担っていて、けれど口出しも許されないことか。
本来の婚約者は自身の享楽に散財し、当主も同様であって婚約者の予算が計上されていないことに気づいていない
そこまで考えて、心の中のオクタヴィア自身がシニカルな笑みを浮かべる。
なんて愚かなのでしょう。
だが、目の前のモンクレア伯爵令息に向けるのは、穏やかな微笑みだ。
「代わりにモンクレア伯爵令息の貴重な時間を頂いていますから」
そう返せば、彼の動きが止まった。
きっと驚いているのだ。
「……君は噂に聞いているような悪女とは、少し違うような気がする」
ポツリと落ちた言葉に、オクタヴィアが笑みを深くする。
「そうかしら。そうだといいわね」
浮かべた笑みはそのままに、周囲の使用人の反応を確認して、そうしてからオクタヴィアは再び彼との会話に興じ始めた。
** *
オクタヴィア・ダスクムーアという令嬢は、本当に変わった女性だった。
彼女が婚約者となるのだと聞かされるのと同時に、渡された身辺調査書には彼女に関する様々な噂が書かれていた。
曰く、学園で多くの令息を誑かし、はしたないことをしていた。
曰く、王太子殿下に近づき、ふしだらな体を使って誘惑しようとした。
他にも金を積んで成績を上位に押し上げただの、実は本物の魔女で何百年も生きているだの、枚挙に暇がない。
想像が骨を作って肉を付けると下らない噂になるのかと笑いそうになったが、同時に面倒臭そうな相手を押し付けられたとも思った。
ただでさえルシアンの身代わりをしていることから、普段から外部との接触を避けている。
せめて自身の婚約者なのだから、ルシアンが帰ってきて相手をするべきだと思ったが、当主が呼び戻そうと使用人を送っても帰ってこないままだ。
結果としてオクタヴィアの相手をすることになったが、思いのほか居心地の良い時間を過ごせていることが驚きだった。
彼女は見た目の派手さや自由奔放な態度とは裏腹によく気が利いたし、普段人と話さないことやボロが出ると困ることから言葉少なであっても、上手く話題を拾ってくれる会話上手であった。
贈ってくれる品々もルシアン本人だったら興味を示さない物ばかりで、後で品を確認した家令も取り上げることはしないでいる。
誰もいない執務室で、ペーパーウェイトを裏返す。
繊細な浅浮き彫りはアガパンサスだ。
意味をそのまま捉えることはしないが、悪女ゆえの恋愛術だとすれば、さぞや彼女はもてただろう。
ルシアンが戻ってくるのはいつだろうか。
彼が帰ってくるまでは、いや帰ってきたとしても、この生活から解放されることはない。
ここでの暮しが始まってから外に出ることは許されず、時折仕事の確認にくる王家やハートウェル公爵からの使者と少し話す程度。
きっと首無しのまま働かされ続け、きりのいいタイミングで殺される。
そしてルシアンはオクタヴィアと何食わぬ顔で結婚するのだ。
考えただけで胸が苦しくなる。
もしかしたらルシアンは娼館から帰らなくて、このままオクタヴィアとの結婚まで身代わりを務めるのかもしれない。
そんな淡い期待を抱いても、きっとオクタヴィアに真実を伝えることは許されず、彼女を騙し続ける罪悪感に苛まれるだろう。
何より彼女に申し訳ない。
悪女だと散々な書かれ方をしていたが、外見から誤解されているに違いないのだ。
オクタヴィアは良い人だと思う。
そう言ってあげられたら。
だが、当主からはオクタヴィアと婚姻しても、浮気しそうな彼女を本妻扱いしないので冷たい態度を取って、わからせてやるようにと言われている。
それができないと食事は抜かれるし、終わったはずの仕事も書類不備として差し戻されることになる。
考えに耽っていたところで、ノックも無しに扉が開かれた。
ノックが必要な相手でもないとばかりにズカズカと入ってくるのは家令で、机の前まで来ると蔑みの混じる冷たい視線で見下ろしてくる。
「先程ルシアン様がお戻りになられた。
旦那様が部屋に来るよう仰せだ。さっさと向かえ、卑しい雑種が」
言いたいことだけを言うと、すぐに背を向けて立ち去っていく。
呆然とその背中を見送った後、我に返ると慌てて立ち上がった。
まさかルシアンが帰ってくるなんて。
どこか感覚の無い足を動かして、当主の部屋へと向かう。
ノックを二回。久しぶりに入ったそこは、いつの間にか大きな執務机は無くなっており、レリーフが施された格調高い家具で統一されていた。
部屋の真ん中には豪奢なソファが置かれ、そこには当主であるエイドリアン・モンクレア伯爵と、その息子のルシアンが座っている。
二人共首から上を消すことなく、ごく普通の家族として過ごしているようだった。
久しぶりに見たルシアンは面立ちこそモンクレア伯爵に似ているが、髪色と瞳の色は母親譲り、面立ちにも母の特徴であるホクロが一つ譲られている。
両親によく似た息子、それがルシアンだ。
当然のように席を勧められることはなく、ソファの近くに立って彼らの言葉を待つ。
彼らは一度視線を向けたが、すぐに戻して二人の会話を再開した。
「気づけば、ダスクムーアの悪女と婚約していたって聞いてさ、仕方なく帰ってきたわけだが、遊び相手にしかならなさそうな女を婚約者にするなんて、一体どういうつもりだよ」
どうやらルシアンは不満らしい。
確かに身辺調査書を読むだけでは、思うところは色々あるだろう。
「ハートウェル公爵からの紹介だから仕方ないだろう」
答えたモンクレア伯爵が下卑た笑いを浮かべる。
「今の時点で冷遇させているから、身の程を弁えて嫁いでくるだろうさ。
ルシアンが気に入らないなら、籍はそのままで私の愛人にでもすればいい」
「さすがに父上と女を共有したくないから、くれてやるよ」
思わず息を呑んで、下品な笑い声を上げて会話を続ける親子を凝視する。
息子の嫁に手を出そうとするばかりか、愛人扱いすると公言したのだ。
今この時ほど、顔から上が消えていることに感謝したことはない。
こぶしを振り上げることないように、強く握りしめる。
不意にルシアンから視線を向けられた。
「それで、噂の悪女はどんなのだ?」
「……悪女だとは思えませんでした」
少し悩んで正直に報告すれば、似たもの同士の親子が馬鹿みたいに笑い声を上げる。
「これだから女を知らない奴は。
騙されているのに気づかず、どうせいない所で馬鹿にされているだろうさ」
そう言ってから笑うのを止めると、ルシアンが立ち上がった。
「だが俺のふりをしていて、ちょろいと思われているのも癪だな。
次の交流はいつだ?」
明後日でございますと当主の後ろで報告する家令は、ルシアンに慈しみにも似た表情を浮かべている。
長らくモンクレア伯爵家に仕え、生まれた時からルシアンの面倒を見ていることから、感覚が麻痺しているのではないだろうかと思うことが多々ある。
貴族の家がどれも似たものだと言われたら、絶望しそうだ。
「仕方ないな。明後日は俺が出てやる。
ここでビシッとモンクレア伯爵家の威厳と、悪女への躾を済ませないとな」
ベロリと下唇を舐める舌。
「味見は、まあ気が向いたらするか」
ルシアンの言葉に、顔が見えなくて良かったなんて思う余裕など無く、絶望に侵食される心を抱えながら使用人室の一番奥にある自室に押し込まれた。
** *
「なんだ、思ったより地味だな」
いつものようにオクタヴィアを出迎えたのは、首の無い伯爵令息だ。
ただ、その口ぶりから、オクタヴィアの望む彼ではないことをすぐに察する。
先日モンクレア伯爵家にルシアン本人が帰っていったという報告は聞いていたが、今更ノコノコと顔を出したのはどういう風の吹き回しか。
好奇心ぐらいが精々と思っていたが、適当に差し出された手と、顔は無くとも感じる視線はオクタヴィアの体を舐め回すかのよう。
こうなるだろうと襟の詰まったクラシックなアフタヌーンドレスを着てきたのは正解だった。
そして、念のために侍女だけではなく、護衛も手配してくれた父親に感謝する。
いざとなればオクタヴィアが魔術を行使すればいいだけだが、牽制で済むのなら、それにこしたことはない。
差し出された手に手袋のまま指先だけを触れる程度に乗せれば、こちらの意図を察したようで、すぐに舌打ちと共に苛立ちが伝わってきた。
触れた指先が振り払われ、背を向けたかと思えばエスコートも無しに先へと進んでいく。
よくもまあ、ここまで性格が異なるのに身代わりをさせたものだと呆ればかりが浮かぶ。
ルシアンには子孫を残す義務だけを求め、残りの義務も責務も彼に押し付ける算段なのだと推測はできたが、こんな男の子どもを産む気にもならない。
代わりに手を差し出した護衛にエスコートしてもらい、ゆっくりと庭の花々を楽しみながら歩いていく。
オクタヴィアがお茶会の席に着いた時には、既にルシアンは一人お茶を飲み始めており、更にはお気に入りだと思われるチョコレートの載せられたお皿を手元に引き寄せていた。
これはもう、貴族としてのマナーどころか、品位や人間性までも娼館で捨ててきたようだと、微笑みは絶やさぬままにオクタヴィアの瞳が細くなる。
「今日の土産はないのか?」
土産を催促してくるのも図々しくて気に入らない。
「モンクレア伯爵令息からは控えるよう言われたばかりですので」
言葉を返せば、再びの舌打ち。
それと同時に、背後に控えた侍女から扇が手渡される。
これも事前に決めていた合図だ。
お茶会で少しでも何かあるようなら、それこそ茂みに誰か潜ませているようならば護衛から、もしくは飲食物に何か入れられているようならば、侍女から合図を受けることになっていた。
毒ではないとすれば、媚薬か睡眠薬か。
どちらにせよ初対面の相手に随分な態度である。
ならばこちらもお行儀よくする必要はない。
扇を広げて侍女に視線を送れば、すぐさま目の前のカップはテーブルの端へと追いやられて、家からわざわざ持参したカップに温水筒からお茶を注がれる。
途端に使用人達の顔色が変わったが、それは怒りよりも自分達のしたことに気づかれたのだという怯えだ。
特に準備しただろう女中が蒼褪めて震えている。
きっと碌でもない家に奉公しているのだと、今更になって後悔しているだろう。
もっとも彼女達に同情する気にはなれないが。
被害者ぶったところで、していることは他者への加害である。
それも貴族令嬢に対してだ。
どうなるかなんて予想できただろうし、こちらに密告して庇護を求める選択もせずに引き受けた時点で、覚悟が決まっていることと同然の話なのだから。
「なんだ、その態度は。
モンクレア伯爵家で出されたものが信頼できないっていうのか」
もはや貴族と呼ぶに相応しくない首無し男が、不機嫌さを隠さずに声を荒げる。
「ええ、モンクレア伯爵令息は顔を隠せるから問題ないでしょうけれど、後ろに控えている方達の顔を見たら、とても頂く気にはなれませんわ」
オクタヴィアが笑顔のままに指摘してやれば、ルシアンは勢いよく後ろを振り返り、彼女達の顔を見た途端に罵声を浴びせ始める。
誰もが小さな悲鳴を上げて後ろに下がれば、それが彼の怒りを一層に煽ったのだろう。
手にしていたチョコレートの皿を投げつけた。
宙に舞うチョコレートと皿は誰にも当たらなかったが、ルシアンは自身のお気に入りを投げつけたことに気づき、怒りの炎に油が足されていく。
もはや止められる者はモンクレア伯爵家側にはいなかった。
言葉にならぬ怒りの声を上げ、すぐにチョコレートが落ちたことを彼女達のせいにして、解雇と叫び始める。
「お嬢様、ここから離れてください」
護衛に声をかけられて、オクタヴィアは席を立つ。
絶望しきった顔が救いを求めるように向けられたが、オクタヴィアはお人好しな性格はしていない。
優雅な足取りで静かに立ち去っていった。




