01. 新しい婚約者は首無し伯爵令息でした
「どうか、この通りだ!」
うららかな昼下がり。
老若男女、貧富を問わず行き交う公園の中で、今日いる中で一番身なりが良いだろう青年が、煉瓦で舗装された道の上で潔い土下座を披露していた。
そんな彼に寄り添うのは、涙で頬を濡らす可憐な少女であるし、そんな彼らの前に立つのはグラマラスな美女だ。
「こうして頭を下げるし、私の有責として慰謝料もきちんと支払う。
だから、だからどうか、この婚約を破棄してくれないだろうか!」
まるで物語のワンシーンのようだと、通り過ぎる誰もが野次馬根性よろしくといった感じで目を離せず、人によっては失礼を承知で足を止めている。
どう見たって貴族であろう彼らは、片方は王子様然とした金糸の髪と青い瞳をした青年で、寄り添うのはショートボブにしたヘーゼルの髪と明るい橙の瞳の令嬢だ。
清廉そうな水色を基調としたドレスは、彼女の可憐さをよく引き立てていた。
向かい合うように立つのは、艶やかな黒髪を緩やかに巻いた髪と、揺らめく蜂蜜を睫毛の下に流し込んだ令嬢だった。
徐々に人だかりになっていく中で、変わらず青年は必死であるし、逆に悪役っぽい美女は艶やかな笑みを浮かべるのみ。
くるりとパラソルが意味も無く回される。
「私よりも高貴な方ですのに、随分と血迷われておりません?
別に婚約解消で構いませんのに」
鮮やかな紅で形作られた唇が品よく開けられたかと思えば、悠然とした言葉が返ってくる。
途端、地面に擦りつけられていた顔が跳ね上がった。
「そんな偽善めいたことを言っても、私は騙されないぞ!
どうせ後になって、私達に呪いでもかける気だろう!この魔女め!」
土下座で謝罪をしながらも、繰り出されるのは罵声で。
物語のワンシーンもかくやといった雰囲気はたちまち霧散し、周囲に残されるのは疑問だけだ。
そこまで言うなら、なんで彼は土下座をしているのだろう、と。
「愛しい彼女を守るためなら、このダミアン・ハートウェル、公爵家の名に賭けて金を積み上げてみせよう!」
「あらまあ」
息巻く青年は、呑気な声を上げる悪女を見上げながら睨んでいる。
ただ、言っていることは金で解決というものであって、そこに誠実なんてものは少しも感じられないものだった。
「私のお話を聞いて頂けないのでしたら、もう結構ですわ。
ええ、ええ、ハートウェル公爵令息様がよろしいのでしたら、婚約破棄と致しましょう。
それでは父に相談しなければいけませんので、失礼致しますね」
ごきげんようと言葉を放り投げながら美女は踵を返し、颯爽と立ち去っていく。
こうして公園には、愛し合う一組の男女と、それから自分達の見たものが一体何であったかわからないまま立ち尽くす観客達ばかりとなった。
なお、手を取り合う二人に対し、スタンディングオベーションが起きることもなかった。
** *
「オクタヴィア、新しい婚約者が決まった」
「あら、随分と早いのですね」
父親であるダスクムーア伯爵に執務室へと呼ばれての一言に、オクタヴィアは悪女っぽいと評される笑みを浮かべた。
公園での三文芝居を見届けた後に立ち去ってから、はや一ヶ月。
両家の当主による話し合いと、あちらからの申し出だった慰謝料の内容の相談、数枚の書類による手続き。
貴族は優雅な生活をしているが、決して暇なわけではない。
慰謝料が簡単に決まるとも思っていなかったので、これにはオクタヴィアも少々驚いている。
言い出しっぺとなってしまったハートウェル公爵家が、息子の宣言通りに金を積み上げたのか。
それともダスクムーア伯爵家が後々の利を考えて、控え目な額でも先に提示したか。
どういった交渉をして、何をどれだけ得たかなんて、オクタヴィアは少しも気にしない。
慰謝料の全てが、オクタヴィアの個人資産に入るわけではないからだ。
おそらくは手間賃として、父親が何割か差し引いているだろう。
意外だったのは、こんなにも早く父親が次の相手を見つけてきたことぐらいか。
既に19歳のオクタヴィアに、次の相手が見つかるなんて思ってみなかった。
子が既にいる家の後添えだとしても、ここまでスムーズに話が進むことはない。
つまりは、面倒事だ。
「この話は慰謝料の中に追加してきた、条件の一つだからな。
というか、少しは驚かんか」
「ハートウェル公爵家からのご紹介でしたか」
もしかしたら公爵家としては、あくまで円満に終わらせたかったのかもしれない。
随分と殊勝なことだと思い、いえ、そんな性格では無かったはずと思い直す。
ダスクムーア家は伯爵位ではあるものの、現在侯爵家が少ない王国内で、その候補として数えられるくらいには領地が広くて裕福だ。
何かしらの思惑があるのかもと考えながら、話の続きを待つ。
「相手はルシアン・モンクレア伯爵令息だ」
「まあ、首無し伯爵令息様ですの?」
さすがのオクタヴィアも、挙がった名前にはさすがに驚いた。
モンクレア伯爵家は有名である。
貴族のみならず、名前を知っている平民であれば、彼らの異様性を理解している。
モンクレア伯爵家を知らない者であればその外見に、貴族であれば外見だけではなく、彼らの全うする職務についてもだ。
彼らは王家の後ろ暗い影、いわゆる暗部と呼ばれる者達の統括だと噂されている。
一体どのような事件に関わったのか、一体どれだけの血で手を汚したか。
ただ、余りにも凄惨な現場に居続ける彼らが、命を狙われるのは相応にして起こりえることで。
そのため、いつ頃からかモンクレア伯爵の当主は、正体を知らさぬよう、命を狙われないよう、首から上を魔法で消すようになったという話である。
それも公式の場ですら不敬とせずという、寛大なる王家からの許可があってだ。
まあ、それもこれも数世代前に行われた、王家による貴族の大粛清によるものであるのだが。
当時のモンクレア伯爵は他の貴族からの怨恨と怒りの対象となったことから、誰も彼もがモンクレアの一族と配下の命を狙うという状態だったせいもあるといえよう。
一時期では絶滅危惧種になりかけて、本人達よりも王家の方がピリついた様子を見せていたとかどうとか。
父親が気まぐれで取り寄せる三文大衆誌が、昔にそんなことを書いていたのを盗み読みしたことがある。
そして訳知り顔の事情通ぶった令嬢や令息達からひけらかされる、誰もが知っているだろう内緒の話からも。
ルシアン・モンクレア伯爵令息は現当主の嫡男で、外出できる年齢になった頃から既に首から上は魔法で見えない状態だ。
もっとも外出している姿を見かけた人はいないのだが。
そのような状態で学園に通うこともできないことから、家で家庭教師をつけてマナー等を学んでいるらしい。
「年はお前より三つ上のはずだから、年齢的には適齢だろう」
父の言葉に、そうだったかと思うくらいに憶えていない。
会わない人間に対してなどそんなものだ。
「お父様が断らなかったということは、何かあるのでしょう?」
「察しがいいのはいいことだ」
バサリと音を立てて重厚な机の上に放り出されたのは、報告書と書かれた二部構成になった紙の束だった。
手に取って表紙をめくれば、綿密な記録されたらしい文字が、婚約破棄の話を聞いた日付から始まっている。
わかりやすく、要点には青インクで下線が引かれていた。
パラパラと紙を捲りながら、青の走る部分だけを斜め読みすれば、どうやら婚約破棄をした日以降に、公爵家からモンクレア伯爵に向かった使者がいることがわかった。
そこから同じ人物が外出するのを都度尾行し、何度かモンクレア伯爵家と行き来していることが記録されている。
もう一部はモンクレア伯爵家を監視したものだ。
こちらも青線が重要事項を知らせており、そこには何度か同じ場所に向かっている使用人の存在が確認できた。
ただ、場所が場所なだけに、悪女と呼ばれるオクタヴィアも「あらあら」と目を丸くする。
「女遊びの激しい男へ嫁がせようという魂胆なら、親切というよりは嫌がらせの類だろうな」
鼻で笑った父親が、手元に戻された報告書を軽く叩く。
公爵家からの使者が向かって以来、モンクレア伯爵家から使用人のみならず家令らしき者までもが頻繁に向かっている先、グレディッチ通りはいかがわしい店や娼館、商業地区に近い部分は酒場といった商売が並び立つ場所だ。
令嬢ゆえオクタヴィアは行ったことなどないが、一時の遊び相手にと誘ってきては、オクタヴィアから手痛いしっぺ返しを食らう男子生徒からは「働いていそう」と言われることがあるので、どういった場所であるかは把握している。
その中にある娼館に入っていく姿を見届けたとなれば、確実に花を売る女性達に囲まれた誰かがいるのだろう。
「愛人くらいはお好きにして構いませんが、娼館へと頻繁に出入りされているようなら問題ですわね」
身元のはっきりした愛人ならば問題無いが、娼婦たちは不特定多数の男性達を相手にする。
時として、思わぬトラブルや病気の感染といったこともあるので、よほど管理の行き届いた高級娼館でなければ貴族は向かわない。
けれど、店の評価は中の下。少しばかり裕福な平民が気軽に楽しめる場所だ。
心得のある貴族ならば、眉を顰める店舗ということになる。
「モンクレア伯爵家の使用人が何度となく向かうのは見届けたが、けれど誰かと一緒に出てくるのは見ていない。どうやら入り浸っているようだ。
報告通りなら、かなりの問題児だな。
だが、王家の闇とお知り合いになれば、今どんな情報を抱えているのかがわかるかもしれない」
ここで父親が片方の唇だけ釣り上げると、とてつもなく悪役面だ。
「我が家に不利な情報が多ければ、縁付くことでお目こぼしがあるかもしれん。
逆に他の家の不利な情報が多ければ、蹴落とすチャンスだってある」
相変わらず父親の考え方は、悪人のそれだ。
オクタヴィアはわざとらしく溜息を落とす。
「お父様、人前ではそんな顔をなさらないでくださいね。
悪事を働いていると思われますから」
「失礼な娘だな。これが地顔だ」
父親が眉間に皺を寄せれば、悪人極まれりといった顔になる。
「それにしても困りましたわね。私、王太子殿下から側近にならないかとお誘いを頂いたばかりですのに」
「それも選択肢の一つだな。どちらにも色よい返事をしておくのが賢い人間の常套手段だ。
暫く首無し伯爵家のことは調べておくが、先ずは一度会うだけは会ってみるように」
当主が言えば、それは決定事項だ。
それにオクタヴィアとしても好奇心が疼いている。
「承知しましたわ」
軽い口調で返すも、言いたいことは忘れない。
「念のため、娼館での遊び具合は、把握しておいてくださいな。
場合によっては適当な薬でも飲ませて既成事実を捏造し、子は適当な相手と生もうと思いますから」
「親を悪人面と言い放ちながら、娘の心の内こそが悪辣極まりなしといったところなのがなんともなあ。
一体何の薬を飲ませるやら」
ニヤニヤ笑う父親に、なんでもいいでしょうと返す。
「ただの睡眠薬か何か適当なものを。温室に咲いている可愛い草花を、少しばかり煎じるだけですわ。
いずれにしても、相手の出方次第でしょうけど」
話は終わりだとオクタヴィアは立ち上がる。
部屋を出ようとして振り返り、「お父様、ドレスは好きにしても?」と聞く。
勝手にしろとばかりに手で追い払う素振りをされ、オクタヴィアはニンマリと笑いながら出て行った。




