6古文書は恋の香り
秋晴れの日、王城の奥深くにある大書庫は、静けさの中に微かな魔力のざわめきを漂わせていた。
高い天井まで伸びる本棚には、歴代の王族が収集してきた古代の魔導書や、遠方の学者が献上した魔術理論書がぎっしりと並ぶ。厚い革表紙に銀の留め金が施され、封印の魔法陣が淡く光を宿している本も少なくない。
その静寂を破るように、重厚な扉が音を立てて開いた。
「……ここが最古の文書を扱う大書庫か」
カインは感嘆の息をつきながら、堂々とした足取りで中に入った。だが本当に見たかったのは古文書ではない。彼の視線の先には、記録用の羊皮紙と羽根ペンを抱えた文官――セリーヌの姿があった。
「本日の任務は、古代魔導書の現存確認と、劣化や魔力漏れの有無を調査することです」
セリーヌは凛とした声で告げる。
「殿下は危険な箇所に近づかれぬよう、私の指示に従ってくださいませ」
「ふむ、承知した」
カインは真剣に頷く。だがその心中は別だ。
(よし、今回はチャンスだ。書庫は狭い通路も多い。自然と距離が近づくに違いない……!)
護衛の衛士と、若手魔導師が控えの位置につき、書庫での調査が始まった。
最初の異変は、さほど時間も経たぬうちに起きた。
セリーヌが棚に刻まれた記号を確認していると、上段に収められていた分厚い魔導書が、ひとりでに震え始めたのだ。
「……っ!?本が!」
カインが声を上げると同時に、革表紙の巨大な魔導書が棚から飛び出し、まるで誰かに投げつけられたかのように一直線に落下してくる。
反射的に顔を手で覆いかけたカインよりも早く、セリーヌが冷静に手をかざした。
「《静止》」
淡い青の魔法光が走り、本は空中でふわりと停止する。
「魔力残滓の影響です。強い魔術師が過去に触れた本は、こうして自律的に動き出すことがあります」
彼女は表情を変えずに説明する。
「い、今、俺の顔面に直撃するところだったが……」
「ご安心を。殿下に害は及びません」
淡々と告げるセリーヌに、カインは肩を落とす。
(……いや、普通に危なかったんだが!? 何なんだこの冷静さは!)
調査を進めるうちに、今度は床に刻まれた古い装飾が淡く輝き出した。
幾何学模様が浮かび、ふっと風が巻き起こる。
「っ、これは……!」
カインは反射的にセリーヌの腕を引こうとする。だが彼女は動じず、床を冷静に見下ろした。
「劣化による誤作動です。結界陣の一部が摩耗して、魔力が漏れていますね。補修の必要あり、と記録しておきましょう」
淡々と羽根ペンを走らせるセリーヌ。
しかしカインの視線は別のところに釘付けになっていた。突風で、セリーヌのスカートの裾がひらりと翻ったのだ。
「っ……」
慌てて視線を逸らすカイン。
(危ない危ない!いや、全然気づいてないのか!?普通ここは慌てるだろ!?)
そして事件は起きた。
奥の棚に収められていた一冊の魔導書が、突如として強い光を放った。
封印の鎖が震え、棚全体が揺れる。
「……来ます!」
セリーヌが警告を発するよりも早く、バリバリと雷のような音が響き、本棚に収められていた書物が一斉に弾き飛ばされた。
「セリーヌ!」
カインは迷う暇もなく、彼女を抱き寄せて身を伏せた。背中に硬い革表紙が次々と叩きつけられる音。紙片が舞い散り、埃が立ち込める。
腕の中で、セリーヌの体温がはっきりと感じられた。至近距離で見上げる彼女の瞳は、驚きよりも真剣さを帯びている。
「……殿下、ご無事ですか」
小声で問いかけるセリーヌ。
「俺より君が……」
思わず返すカイン。だが彼女は腕の中にいる自分を顧みず、周囲の状況を冷静に確認していた。
(いや今、完全に抱き寄せたんだが!? 気づかないのか、これ!!)
本の雨が収まり、魔力の光が消えると、控えていた側付きや護衛が駆け寄ってきた。
若手魔導師は、声を潜めながら隣の衛士に囁く。
「今のは……抱き寄せましたよね!?間違いなく!」
「ええ……でもセリーヌ嬢は全然気づいてませんよ」
「殿下の腕の回し方、完璧でしたのに……!」
「惜しい、実に惜しい……!」
二人は小声で盛り上がりながらも、必死に表情を崩さないよう努めていた。
やがて事態は収束し、セリーヌは羊皮紙に冷静に記録をまとめる。
「記録完了しました。被害は軽微です。封印魔法の再調整が必要ですね」
ずぶ濡れになったわけでも、怪我を負ったわけでもない。ただ――カインの胸の内には、妙に熱いものが残っていた。
(……これが俺の恋路か)
真面目すぎるセリーヌと、必死に想いを伝えたいカイン。すれ違いとすれ違いの合間に、確かに近づいた距離があった。…はずだ。
書庫の埃が落ち着く中、彼は小さく息を吐いた。
――そして、次こそはと胸に誓うのだった。




