2舞踏会はすれ違いの渦
煌びやかな大広間。天井から吊るされた幾十ものシャンデリアが光を放ち、磨き上げられた大理石の床に七色の輝きを散らしていた。壁には王家の紋章を描いたタペストリーが掲げられ、楽団が奏でる弦楽の調べが、夜会の空気をさらに艶やかに彩っている。
絹や宝石をまとった貴族たちは思い思いに会話を交わし、あるいは笑みを浮かべて舞い、あるいは政略の糸を張り巡らせていた。その喧噪の只中に、ひとりだけやや場違いなほどに真面目な表情をした女性がいた。
文官、セリーヌ・アシュレイ。
今宵は伯爵家の娘として招かれたが、舞踏会に浮かれる性分ではない。彼女の視線は煌めく装飾や人々の衣装ではなく、貴族たちの立ち位置や言葉の選び方に注がれていた。
「……あちらの侯爵家は南方派閥と接近。こちらの伯爵家は財政問題を気にしている様子。ふむ、次の議会の票読みは……」
せっかくの舞踏会でも、彼女の頭の中は国政分析一色だった。
「セリーヌ」
背後から低く響く声。
彼女はびくりと肩を震わせ、振り返る。そこに立っていたのは、漆黒の礼装に身を包んだ第三王子カイン。
「殿下。ご公務はよろしいのですか?」
「……君と踊りに来た」
「!」
心臓が一瞬だけ跳ねる。だが理性がすぐにそれを抑え込む。
――殿下は王族。舞踏会で誰とも踊らぬなど体裁を損なう。だから学院時代の知り合いである自分を誘ったのだ。
周囲の人たちは固唾を飲んで二人の行方を見守っている。
導き出した結論に、セリーヌはすっと背筋を伸ばし、深く頷いた。
「かしこまりました。殿下の名誉を守ることも、文官の務めにございます!」
「「「……(違う。そうじゃない)」」」
差し出されたカインの手を、彼女は真剣な顔で取った。その瞬間、王族の兄弟王子、見物の観客、そして何より本人が一斉に同じ心の声を抱いていた。
◇
ホール中央。楽団の旋律が流麗に波打ち、二人はゆるやかに舞い始める。
カインはセリーヌの腰に手を添え、彼女の手を握り導こうとする。が――。
「右足、左足、ターン……」
セリーヌは小声でリズムを数えながら、正確無比なステップを踏む。
「なぜ君は数学の授業みたいに踊るんだ……」
カインが小さく呟くが、音楽にかき消された。
観客席からはざわめきが起こる。
「まあ!カイン殿下があのセリーヌ嬢と!」
「ずっと文官室で堅物と言われてたけど……お似合いじゃない?」
「これはもう公認の仲では?」
当人二人は気づかない。
「殿下、次は右足です!」
「あ、ああ……」
「リズムが乱れています。私が導きます!」
「……(違う、俺がリードするんだ……)」
カインは必死に想いを伝えようとする。
音楽に合わせ、彼は口を開いた。
「セリーヌ、俺はずっと君と――」
「踊り続ける体力づくり、素晴らしいですね!」
「……(台無しだ……)」
彼女にとって、舞踏会も鍛錬の一環らしい。
観客の中では、王妃と王子たちが息をひそめて見守っていた。
「がんばれ、カイン……!」
「言え、言うんだ……!」
「……(母上はなぜ双眼鏡を持っているんだ)」
そんなささやきが飛び交うが、当人たちは気づくはずもない。
その時――。
セリーヌのドレスの裾がカインの靴にかかり、彼女は体勢を崩した。
「きゃっ――!」
咄嗟にカインが抱き寄せる。細い身体がしっかりと腕に収まり、至近距離で目が合った。
彼女の頬がかすかに赤く染まる。観客から「きゃー!」と大歓声が上がった。
――だが。
「も、申し訳ありません!殿下の経歴に傷を!」
セリーヌは慌てふためき、真っ赤な顔で距離を取り、深々と頭を下げた。
「……(俺は君を守りたかっただけだ……なのにどうして謝るんだ……)」
カインは顔を覆って天を仰ぐ。観客は「照れている!」と勝手に解釈し、勝手に盛り上がる。
楽団は何事もなかったように演奏を続け、舞踏会はさらなる熱を帯びていった。
だが当の二人の心は、互いにすれ違ったまま。
煌めく大広間の真ん中で、文官と王子の距離は近くて遠い。
そのもどかしい一夜は、やがて王城奥での「第二回ラブラブ大作戦・反省会」へと持ち越されることになるのだった。