10王城は大忙し(実践編)
秋晴れの午後、王城の書庫は静かなざわめきに包まれていた。だがそれは静寂ではなく、次第に二人の登場を待ち構える“舞台装置”の空気であった。
カインは書庫の扉を押し開け、肩で少しの風を感じながら足を踏み入れる。小道に沿って設置された本棚や机は、まるで自然の迷路のようだ。偶然を装った配置の中、彼は心の中で呟く。
(今日は何かいつもと違うな…いや、きっと俺の運が向いてきたんだ)
背筋を伸ばして歩くカインの心は浮き立つが、城の人々が密かに仕掛けていることには全く気づかない。
そのとき、セリーヌが書庫に入ってきた。肩にかけた羊皮紙の束、手には羽根ペン。細い背筋をぴんと伸ばし、顔は冷静そのものだ。だが内心は、先日の実家でのやりとりを思い出し、ほんのり心が熱くなる。
(……わたし、殿下を見てどうして胸がこんなにざわつくのかしら……でも、いつも通り、任務優先よ)
セリーヌは平然を装いながらも、一歩一歩が心臓の高鳴りを感じさせる。
最初の仕掛けが静かに動き出す。棚の上段にある魔導書の一冊が、小さな振動とともに紙片を一枚落としたのだ。偶然のように舞い落ちるその紙片に、カインは反射的に手を伸ばす。
「……あっ」
セリーヌも素早く同じ紙片に手を伸ばす。
カインのほうが早く拾ったため、冷静に元の位置に戻す。彼女の手元がほんの一瞬近づいた、それだけで、カインの心は跳ねる。
(……今のは偶然だよな、でも距離が…近い…!)
次のトラブルは少し強めだ。床の結界紋が小さく光を放ち、柔らかな風が巻き起こる。カーテンが軽く揺れ、足元が少し滑る。
「殿下、ご注意を」
セリーヌは通常の声色で告げるが、その目の奥には微かな動揺が。カインは瞬間的に彼女の腕を引き、自然に支える形になる。
(……や、やばい。これは完全に俺に運が向いてきたのだろうか…!)
そして、書庫の中央にある大きめの魔導書が、突然光を放ち、棚から滑り落ちる。カインは迷わずセリーヌを抱き寄せ、背中を覆うように身を低くする。舞い上がる紙片の間で、二人の距離は一気に縮まる。
セリーヌはその胸の鼓動に気づくものの、冷静な顔で羊皮紙にメモを走らせる。
「記録完了。被害は軽微、補修必要」
その真面目さの中に見える耳の赤らみに、カインの頬は熱を帯びる。彼の心は、これまでのすれ違いと努力が少しずつ報われたような幸福感で満たされる。
書庫の奥から、若手魔導師と側付きが小声で囁く。
「今のは…抱き寄せましたよね!?間違いない!」
「セリーヌさん、なんだか反応がいつもと違う…?完璧な距離感です」
「殿下、表情が素晴らしい…!」
二人が気づかぬ間に、城中のスタッフはガッツポーズをしていた。
書庫の隅から、庭師や清掃係、侍女たちも様子を伺い、小さく息をひそめて笑った。誰も声には出さないが、内心で次のチャンスにも期待している。
その後、庭園や廊下でも偶然演出が進む。カインが通りかかるたびに、花壇の葉がさりげなく彼とセリーヌの距離を近づけ、執務室には調理場で用意されたお茶やお菓子が絶妙な位置に置かれる。
セリーヌはドキドキしながらも、通常モードを崩さず任務を遂行する。だが彼女の心は、さまざまな偶然の重なりで徐々に揺れていた。
(……殿下の一つ一つの言動に、なんだかそわそわするわ。でも、仕事中はいつも通りを装うべき…)
一方、カインは偶然の連続を「運が向いてきた」と解釈し、城の人々の仕組みに気づかない。
(これは…すごい。なんて幸運だ……!)
夕暮れ、すべての偶然演出が終わるころ、二人は同じ場所に立ち止まり、微妙な距離のまま目を合わせる。言葉はなくとも、胸の内に芽生えた感情が確かに伝わる瞬間だった。
「……ふふっ、今日も任務完了ですね」
「ああ、だな…」
外から見えないけれど、城中の側付きや侍女、魔導師たちはその様子を内心で大喜び。アレクシスとレオルド、王妃は満足げに頷き、ユリウスは冷ややかに眉を上げつつも、内心で微笑んでいた。
そして、国王陛下は奥の執務室で、何も知らず書類に目を落とすのだった。




