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第10話 ノワール=ヴィオールの決断

沈黙の王冠 ―譲られた冠の願い―


 数日後、王宮西翼の小広間に、厳選された参内者だけが密かに集められた。

 窓を覆う重厚な緞帳は閉ざされ、煌々と灯された燭台の光が、空間に緊張と荘厳をもたらしていた。

 ここで行われるのは、国家の根幹を揺るがしかねない“再宣誓”であり、王冠の未来を定める静かな儀式だった。


 再び人々の前に姿を現したノワール=ヴィオールは、かつての“黒の王太子”とはまるで違って見えた。

 純白の法衣に身を包み、漆黒の髪を緩やかに後ろで結った姿は、威圧よりも静謐をまとい、その奥に潜む精神の強さを印象付けていた。

 彼の足取りはゆるやかで、それでもひとつひとつの動きが見る者を圧倒する。


 対する現王・アルセリオス=ヴィオールは、王権を象徴する黄金の外套を羽織り、兄を迎えるため、ひときわ静かな威厳をもって立っていた。

 彼の眼差しには、迷いも恐れもなかった。あるのは、ひとりの弟としての敬意。そして、家族としての温かな情だけだった。


 謁見の空気が張りつめる中、アルセリオスは側近から王冠を受け取った。

 無垢の金に百合の紋が浮かぶそれは、王の証であり、国の未来を背負う象徴だった。


 「……兄上」

 静かに、だが確かに、アルセリオスは言葉を紡いだ。

 「今一度、問わせてください。この王冠を、貴方はお受け取りになるか」


 小広間の誰もが、息を呑む音すら控えた。

 静寂はまるで、時の流れすらも止めてしまったかのようだった。


 ノワールは、王冠を見つめたまま、短く息を吐いた。

 そして、首を横に振る。


 「――要らぬ。私は、王にはなれぬ。いや、なるべきではない」


 彼の声は静かだった。しかし、誰よりも強い決意が滲んでいた。


 「私は……この国に背を向けた身。二十年の沈黙は、どんな弁解も赦されぬほど重い。

 いまさら王に返り咲けば、混乱を招くだけだ。民の信頼も、お前が積み重ねてきた年月も――私の帰還で崩してはならない」


 ざわめきが起きた。

 高位貴族、枢密院の長老たちが、互いに視線を交わし、ひそやかに言葉を交わす。

 だがノワールは、まるでそれを意に介さなかった。


 「……だが、私はもはや過去の亡霊として隠れ生きるつもりはない」

 彼は少しだけ口元を綻ばせる。

 「この身を縛る呪いも、かつての鎖も、リエージュによって解かれた。

 だからこそ、私はこの国に“生きて”戻ってきた。血ではなく、意思によって、再びここに立った」


 その言葉に、リエージュは静かに息を呑んだ。

 ノワールの視線は、ほんの一瞬、彼女に向けられた。その温もりある眼差しに、胸が締めつけられる。


 「なにより……私には、心から愛しい者がいる。

 かの人と静かに生きたい。余生ではない。これからの人生を――“生きる”ためにだ」


 その言葉に、小広間の空気がふっと緩んだ。

 アルセリオスもまた、小さく息をつき、王冠を引いて胸に抱いた。


 「……分かりました」

 彼の声もまた、確かだった。

 「兄上は、すでに十分にこの国に尽くされました。今度は貴方の望む形で、この国にいてください」


 それは、弟としての深い愛であり、王としての寛容であった。


 「――ノワール=ヴィオール」

 アルセリオスは一歩前へと進み、改めてその名を呼ぶ。

 「我が王家に次ぐ家格を与えます。名誉公爵、“宰相公”の称号を。爵位はヴィオール公爵家として新設し、これを世襲とします」


 その瞬間、小広間にどよめきが走った。


 「宰相公……!」


 宰相公――それは王政の補佐役として政治に一定の影響を持ちつつ、王権には関与しない名誉職。

 王に近い立場でありながら、政に深入りしないその地位は、ノワールの立場と願いにまさに相応しかった。


 リエージュは、そっと目を伏せて頷いた。

 この結果は、ノワールの心と真摯に向き合い続けたアルセリオスの答えであり、また兄弟の絆の形だった。


 「……ありがたい」

 ノワールは深く頭を下げた。


 「肩書きなど、どうでもよかった。ただ、“彼女”と静かな日々を生きられる……それだけでいい」


 再び、彼の言葉に視線が集まる。

 彼が語る“彼女”とは誰なのか――多くが気づいていたが、誰一人、声には出さなかった。


 アルセリオスは微笑み、静かに言葉を継いだ。


 「では兄上、その“彼女”にも、しかるべき護衛と居城を。

 城下南のセフィロスの館を、宰相公の邸として整えましょう。森と湖に囲まれ、喧騒から遠く、平穏を得られる場所です」


 「……ああ」

 ノワールは目を細める。

 「昔、お前と鹿を追った森だな。木漏れ日が美しくて、風がやさしい……」


 「ええ」

 アルセリオスは頷く。

 「今度は、おふたりで、静かに過ごされるとよい」


 その言葉は、もはや兄弟間だけのものではなかった。

 王として、家族として、そしてこの国の未来を託す者としての、誠実な祝福だった。


 ノワールは視線を逸らすように、ふと、遠くを見た。

 彼の胸の奥には、言葉にならぬ想いがあった。

 ――リエージュへ。

 彼女と共に歩むこれからを、静かに、真剣に見つめていた。


 まだ、想いは伝えていない。

 けれど、必ず――あの人に、言わなければならない。


 「リエージュ」

 彼は心の中で、そっと彼女の名を呼んだ。

 「君と、生きたい。冠ではなく、静謐な願いのもとに」








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