雨をヨム
車の運転は、集中しましょう。
雨をヨム
フロントガラスが、きらきら光っている。曖昧な光に歪む夕景。キュッと小さい音がして、視界がクリアになる。ぽっと灯った、紅く丸い灯。
視界は、歪んだ水滴に、音もなく、埋められていく。そうして、また、夕景は曖昧に歪んでいく。薄暗くなった空に、僅かに残ったヘリオライトのような、不透明に歪なオレンジ。
君が好きな宝石。
サンストーン。太陽の石。
しし座の守護石だとか。
ラジオは、何時もの夕方。毎日を吞み込んでいく声が、している。雨を孕んだ、斑で不規則な大理石の空が、圧し掛かってくる。鈍色の重なり合う雲が、日常を描き出している。
そうだ。
君が居なくなっても、日々は、続いていく。
雨粒はワイパーに押しつぶされて
でもそんな事なかったみたいに
新しい雨粒が埋めていく
人の一生は雨粒みたいだ
酒を飲みながら戯れに呟いた
君のそんな言葉を好きだと思った
いや、今でも好きだ
随分と日が伸びた。ああ、でも、夏至は過ぎたのだから、段々、短くなるのだけど。だけど、随分と、日が伸びた。雨だけど。灰色の空が、雨を零しながら、夕陽に照っているのだ。雨脚は、すこしずつ遠のいている。
天気は、西から変わる。
人生は、西へ向かう。
青春するときも、夕陽に向かって走るのは、そういう訳かも
君に、そう言ったら、けらけらと笑っていた
思い出すのは、ハレの日じゃなくて…
ただ、そんな、どうでもいいケの日。
そのくせ、雨粒よりもきらきらと歪んだ想い出達。
鮮やかで曖昧で、やがて自重に耐え切れず流れ落ちていく
ワイパーが、キュッと鳴る。目の前を過ぎる車の群。濡れた路面を蹴立てて。ぐるぐる回る黒い輪を、飛沫が、追いかけようとして、押しつぶされて。
ラジオから、今日のヘッドラインが、零されて、流れ落ちて。次の曲が、流れだす。
明るく、可愛い女の子の声が、歌う。
「悪いのは誰だ」
雨を詠むように、歌っている。
「分かんないよ
誰のせいでもない
多分」
そう、多分。
世界は、曖昧だ。世界は、確率的だ。確定などしていない。
何しろ、世界を形作る量子が、確率的なんだから。
そう言ったのは、確か、高校の先生だ。
そう、多分。世界は、多分が作り出している。
理由。社会は何時も理由を求めている。
責任。社会は何時も犯人を捜している。
だけどさ
歯磨き粉で別れて
太陽が眩しくて人を殺して
人って、本当は、そういうモノじゃなかろうか
物質を作っている量子は、そういうモノだ
多分
ハイとイイエの間には、果てない『行間』がある
零と壱の間にある無限よりも、深い淵がある
ああ、多分。
洗濯物も畳めないの
もう少し言いかたがあるだろう
それが、君が居なくなった理由
いつの間にか、YOASOBIの「たぶん」は、終わっていて。
雫は、蒼く染まって。ハンドルを握りなおし、右足に、ゆっくりと力を籠める。微かな機械音がして、すうっと、車は動き出す。
YOASBIが好きだった君が、何時だったか聞いていた。
何回も、何回も…
「ただ 優しさの日々を
辛い日々と感じてしまったのなら
戻れないから」
君は、何回も、あの曲を聴きながら。
今、二人の日々を、優しい日々だったと、思ってくれるだろうか
リフレインを覚えている。切ないリフレインだった…。
ワイパーが拭いきれない雫が、一斉に朱に染まった。見上げた、明かりのすっかり失せた空の中。ぽかりと、紅い灯が、ともっていた。ゆっくりと停車した車の中。金属を撫でる雨音が、聞こえる。不規則に、ぽつぽつ、とつとつ、ぱらぱらと。右手を動かし、少しだけ、窓を開いてみる。湿った、少し冷える風が、吹き込んだ。
自分は、欠陥品だと知っていた。
自分には、優しい何か、は適応されない。それは、自分が、優しい何か、ではないからだ。
自分だけは、誰よりも大切なかけがえのない人、になれない。それは、自分が、誰も愛していないから。
それは、多分ではなくて。
きっと、自分には、何か、欠陥がある。人間失格ってほどでもないけれど。誰にでもある歪さ、なんだろうけれど……
残念ながら。
その歪みは、優しさも愛も。全部。
零れ落としてしまう、深い深い淵なんだろう。
人生は、雨粒のような、何かだ。沢山降って来る雨粒の一つ
誰も気に留めない。いや、少し厭わしく思う
そうして、こうやって。「キュッ」とワイパーで押しつぶす。
そうして、こうやって。「サッ」と視界は綺麗になる。ほんの束の間。
ぽっと、碧い丸い灯が、ついて。だけど、大半の雫は、テールライトで紅いままだった。ゆっくりとアクセルを踏む。
いったりきたりのワイパーは、視界を綺麗にしようと、頑張っている。
雨。
空を知らない雨。
身を知る雨。
そんな、和歌もあったりするわけで。
空を知らない雨を降らせるのは、シャワーの中と決まっている。映画の中だけだっけ。
アイもヤサシサもユウジョウも。みんな映画の中だけだっけ
多分。
どうだろう
そう言えば、涙を見た覚えがない
さようならに続いていた道は
だけど
きらきら、きらきら
歪んで
それでも美しく
さようなら
大切な人
そうして
独りの家に着くころ
雨は止んでいた
楽しんでいただけたら幸いです。