出発
ギルド長の執務室を出て、そのまま宿屋に帰ろうと建物の外に出たところで、受付カウンターから飛び出して来たマリナちゃんに呼び止められた。
「ルイカちゃん、忘れ物ですよー」
「忘れ物?」
差し出された忘れ物とやらに視線を向けると、勇者からの暗殺依頼書だった。そういえば、ギルドに到着した時に、マリナちゃんに「確認事項があるから、一度お預かりしますねー」って言われて預けたんだった。
「あー、そうだった。ごめんごめん、うっかりしてたよ…………ってあれ?」
「うふふー。どうかしましたかー?」
マリナちゃんが悪戯成功です、みたいな感じで、ふわふわ微笑んでるけど、これって……
「受諾印が押してあるじゃん! 依頼受けたことになってるよ!?」
「はーい。勇者アクセルさんからのご依頼の件、Sランク暗殺者ルイカ=コジカちゃんが受諾するということで手続き完了しましたー」
ちょっとマリナちゃんてば、なにドヤ顔で、えっへん、とお胸を張ってるの?
「私、この依頼を受けるなんて言って無いよね?」
「……? でも受けるつもりだったんですよね?」
マリナちゃんは不思議そうに小首を傾げる。
なんかこっちが間違ってるみたいな雰囲気を出されてるけど、そんなことはないはずだ。
「この依頼に関してはまだ保留中なんだよ。勝手に受諾印押しちゃだめじゃん」
「でもでも、いつものルイカちゃんだったら嫌な依頼は即決で断わりますよ? この依頼、嫌じゃないんですよね?」
「…………嫌じゃないけど迷ってるから保留中なんだよ。あと断ったら勇者様侮辱罪で死刑って言われてるし……」
「ぶー、私のルイカちゃんは勇者なんて怖れませんー」
マリナちゃんは私の言い分が気に入らないみたいで、両手で大きなバッテンを作って否定する。
「……それに標的だって大魔王とか訳わかんないレベルで危ないし」
「ぶー、私のルイカちゃんは大魔王なんて楽勝ですー」
もう一回、バッテンされる。
いや勇者はともかく大魔王は楽勝じゃないし。
暗殺者は舐められたら負けだけど、仮病とか使わずに堂々と断るのは全然ありなんだよ。だって大魔王だもん。
「とにかく。依頼を受けるかはまだ迷ってるんだから、受諾印は取り消しに…………むぐぅっ」
マリナちゃんが両手で私の頬を左右から引っ張って、喋るのを阻止した。
「わにふうのー!(なにするのー!)」
「ルイカちゃんはね、行かないと後悔するんですよ?」
急に真正面から目を合わせて、そう言われた。
マリナちゃんの優しい瞳が私を見てる。
「本当はアルパネに行きたいんでしょ?」
「………………そんなことないもん」
お見通しですよー、みたいに言われたマリナちゃんの言葉に対して私が返した言葉には自分でもびっくりするくらい力が無かった。
私は自分がアルパネ神聖国の出身だということを公言していない。ギルドに提出した身元書類にだって書いてない。わざと書かなかった。
だけど、お友達のマリナちゃんには、一度だけ話しちゃったんだよね。私がアルパネ神聖国の出身だって。
私が抱えている色々な事情を話したわけじゃないんだけど、ギルドは暗殺者の身辺調査とかもするから、優秀なギルド職員で頭の良いマリナちゃんには、ほんの少しの情報で色々と分かっちゃったのかもしれない。
私がこの依頼を受けたい理由とか、受けたくない理由とかも。「……私はアルパネ神聖国の出身だから、魔王軍に故郷を好き勝手されてるのは悔しいんだ」
勝手に依頼の手続きをしたわけじゃない。
私のために、わざとやってくれてるんだ。
「…………後悔するかな?」
「しますよー」
即答で、断言された。
「あと、そろそろ出発しないと間に合わないですよ?」
「あう」
さらに、だめ押しの台詞をくらう。
そうなんだよね。勇者に指定された城塞都市ノースローゼンはカサンドラから、かなり距離があるから、ぐずぐずしてるとやる気になったとしても期日までに辿り着けない。
まだ迷うにしても、カサンドラにいられるタイムリミットは限界なのだ。
「…………マリナちゃんがそう言うなら、とりあえず行くだけ行ってみようかな?」
「ですよー」
「でも、行くだけだからね? まだ依頼を受けるかどうかは決めてないから。やる気になれなかったら契約破棄して帰ってくるから、違約金はギルドが払ってね?」
「大丈夫ですよー」
その大丈夫は違約金を払ってくれるという意味じゃなくて、私が依頼を受けることを疑っていないという意味だろうな。
お友達の友情がちょっと重めだ。
「じゃあ、これが城塞都市ノースローゼンまでの乗り合い馬車と船の切符ですよー」
そう言って、マリナちゃんは胸の谷間から取り出した数枚の切符を渡してくれた。
何故、そこから切符が出てくるの? マリナちゃんのお胸は無限収納なのかな?
「でも、勝手に依頼受諾の手続きしちゃって、後でギルド長代理に怒られない? 出発する前に私が殺っとこうか?」
一応、さっき黙らせたけど、あのタイプは目下の者には強気に出るからね。勝手に勇者の依頼を受諾手続きしたマリナちゃんは、ひどい罰を与えられるかもしれない。
「お父さんから許可もらっているから、大丈夫ですよー」
「あ、そうなんだ?」
「お父さんからルイカちゃんに伝言です。
『別に依頼を断っても構わんが、受けるならお前が大魔王を殺って来い』だそうですよー」
「うわー。あの人が言いそうなことだね。
『だが、断る!』って返事しといて」
マリナちゃんのお父さんというのは、何を隠そう我が暗殺ギルド本部のギルド長である。
マリナちゃんは『ギルド長の娘』というサラブレッドな受付嬢なのでした。
そういえば、最近、姿が見えないけど、どこにいるの? って聞いたら人類連合軍に出向中らしい。
生涯現役を公言してる脳筋タイプな人だから、ギルドで大人しくしてないで現場に行っちゃうんだよね。
ちなみに、大魔王に敗北後の勇者とどこかでこっそり接触して今回の依頼の話を受けたらしい。
人類連合軍に目をつけられてる勇者と勝手に接触するだけで、暗殺者ギルドが潰される可能性だってあるのに、豪快な人だ。
どっかのギルド長代理とは器が違うね。
「まぁ、ギルド長が味方なら問題ないか」
「ご心配なくですよー」
それじゃあ、後顧の憂いも無いということで、ちょっと行ってみようかな、城塞都市ノースローゼンまで。
「うふふ。暗殺、がんばってくださいね?」
大切なお友達の決め台詞に見送られて、私はカサンドラを旅立つことにした。