大魔王ゼラクルス
大魔王ゼラクルス。
それは、今より二百年の古に私達の住む地上世界、ロンド大陸を蹂躙した魔界の神の名前だ。
歴史書の記録に拠れば、当時、ロンド大陸に存在する全ての王国の力を結集させた人類連合軍が、大魔王ゼラクルスの巨大な魔力の前に虫けらのごとく容易く蹴散らされて、ロンド大陸はわずか3ヶ月の内に焦土と化したと言われている。
当時の戦いで、人類を救ったのは一人の少年だった。天上の神々から授かりし聖剣グランドクルスの主、伝説の勇者ソナタ。
彼とその仲間達は、ゼラクルスに戦いを挑み、七日七晩続いた死闘の末に、その聖なる剣を大魔王の心臓に突き立てることに成功した。
それ以来の二百年間、大魔王ゼラクルスは勇者ソナタとの決戦の地である、デスパトス島の地底深くに封印されたまま、深い眠りについているとされていた。
そして七年前、地上世界に侵攻してきた魔王軍が、大魔王ゼラクルス復活と人類滅亡を目的に掲げて人類に宣戦布告するまで、その恐怖は人々の記憶から忘れ去られていた。
私が大魔王について知っていることは、これくらいしかない。
二百年前に勇者ソナタが倒せたんだから、大魔王は人間でも倒せる存在なのか。
勇者アクセルが敗北したということは、アクセルの力は、勇者ソナタに及ばないということのか。
ここで私が考えても答えが出ないそんな問いについてぐるぐる考えていると、不意に勇者が立ち上がった。
「え、なに?」
「帰るんだよ。お前と違って忙しいんだ、勇者様は」
「え、だって……これどうするの? 私、引き受けてないからね!」
私は勇者に押し付けられた暗殺依頼書を握り締めて、抗議する。勝手に依頼を受諾したことにされたら、大魔王と戦うことになっちゃうんだから。
「別にやりたくないならそれでいい。指名手配ってのも冗談だ」
「なにそれ」
突然、態度を百八十度変えられても、意味わかんないんですけど。さっきまでの強引な依頼の押し付けは何だったの?
まさかわざわざカサンドラまで、私をからかいに来たとか?
だったら怒るよ? 殺るよ?
ファイティングポーズをとりかけた私を勇者が小馬鹿にしたような視線で見てる。
「お前への依頼は、ただの気休めだ」
「気休め?」
「今度はきっちりと策を仕立てて、俺らのパーティーで大魔王を潰す。ただし想定できる勝率は60%ってとこだ。もしお前が俺のサポートに入れば、1%くらいは勝率があがるかも、って程度の依頼だってことだ」
あ、この依頼、私一人で大魔王を暗殺して来い、っていう意味じゃなかったんだ。
勇者のサポートをするだけの簡単なお仕事です。ただし、相手は大魔王。勝率は61%(勇者調べ)です、という依頼だったらしい。うん。十分やりたくない。
「たかが1%如きの勧誘に使ってやる時間はもう終いだ。やる気になったら、期日までに城塞都市ノースローゼンに来い。来なくても文句はつけねーよ」
そう言って、勇者は私に背を向けた。
だけど、出口に向かって数歩進んだ所で足を止めて、振り向かないままで、もう一度言葉を続けた。
「そういえば、今、大魔王がどこにいるか、知ってるか?」
「えっと、確かデスパトス島の地底迷宮……」
「それは封印されてた場所だ。今、大魔王がいるのは旧アルパネ神聖国だ」
「アルパネ……!」
それは地上に現れた魔王軍が最初に滅ぼした国の名前だ。今では魔王軍の本拠地にされている国。
そして…………私とアクセルの故郷。
「それで復活した大魔王の魂をこの世界に定着させるために選ばれた器は、元アルパネ神聖国国王・ケヴィム三世の肉体だってよ。笑わせてくれるよな、魔族ども」
「!!」
その名前を聞いた時に、私の内側で弾けた感情の正体は何だろう。怒り? 悲しみ? それ以外の何か?
過去から来た何かが私の心臓を掴んでいる。
今の私はどんな表情をしてるんだろう?
それを見たくなかったから、アクセルは背中を向けたまま、話をしたのかもしれない。
「じゃあな、大魔王をぶっ飛ばして、生きて帰って来れたら、また遊んでやるよ」
勇者アクセルは、そう告げて、そのまま振り返らずに去って行った。
私は、勇者アクセルに渡された暗殺依頼書を握り締めたまま、しばらくその場に立ち尽くした。