勇者vs大魔王1
大魔王ゼラクルスは、深い傷を負っていた。
驚くべきことに、その傷は暗殺者を名乗る人間の少女、ルイカ=コジカ、ただ一人の手に拠るものだ。
ルイカ=コジカは、恐るべき実力者だった。
大魔王の身体を守護する絶対防御の法【黒魔の衣】を、呪われた魔法武具で突き破り、高度な暗殺術を巧みに操って、魔界の神であるゼラクルスと渡り合った。
特に、最後に放たれた起死回生を狙う一撃、暴風天雷は、ほんの僅かながら、ゼラクルスに敗北の二文字を意識させるだけの威力を持っていた。
しかし結果、戦いはゼラクルスの勝利に終わった。
ルイカ=コジカは力尽き、気を失って、床に倒れている。
そして今、大魔王ゼラクルスは困惑していた。
…………この男は、なんだ?
ルイカ=コジカと入れ替わるように、大魔王の前に立ちはだかる男は、勇者だと名乗っている。
先刻、この玉座の間に突入して来た直後に、ゼラクルスが牽制のつもりで放った魔力の波動を受けて、瀕死の重傷を負った雑魚だ。
この男がどうやって死の淵から蘇ったのか、ゼラクルスには解らない。
おおかた治癒魔法か回復薬を使ったのであろうが、ルイカ=コジカという強敵と戦っている最中に、死にかけの雑魚に注意を払うことなど、皆無であったので、彼が何をしたのか、正確に知る術は無かった。
いずれの方法で蘇ったにせよ、ルイカ=コジカ程の実力を持たないこの男が、大魔王ゼラクルスを相手に何事かを為せるとは、到底思えなかった。勇者という肩書きだけでは、大魔王とは戦えない。
しかし、ルイカ=コジカは言った。
『……勇者のサポートをするだけの簡単なお仕事です』
大魔王を相手に勇戦した猛者が、気を失う直前に残した最後の言葉。
自分は、大魔王を倒す戦力の本命ではない。
勇者が回復するまでの時間を稼いだので、満足だ。まるで、そう言っているかのように聞こえた言葉。
あり得ぬ。
大魔王は心中で、好敵手の言葉を否定する。
この男に、強者の気配はない。足の運び、身のこなしを見る限り、少なくともルイカ=コジカほどの、洗練された武を持ち合わせているようには、見えない。
しかし、何故だ?
理性では、強敵にあらずと侮蔑するこの勇者を、ゼラクルスの本能は、何故か警戒している。
勇者は、気を失っているルイカ=コジカを抱きかかえて、部屋の隅まで運び、まだ幼気なその身体を床に横たえて、回復薬を与えた。
ゼラクルスは、ルイカ=コジカがダメージを回復して、戦線に復帰してくるかと注視したが、余程のダメージだったのだろう。少女に目を覚ます気配はなかった。
そして、勇者が再び目の前に戻ってくるまでの間、一切手を出さずに傍観していた自分に気がついて、慄然とした。
勇者アクセルの纏う不気味な違和感が、ゼラクルスに攻撃することを躊躇わせていたのだ。
「待たせたな。アンタのその大怪我が回復しないうちに、さっさとやろうぜ。そんで、あっさり死んでくれや」
下品な軽口を叩く勇者が抜いた剣は、ルイカ=コジカが使っていたような呪われた魔法武具では無い。
むしろ勇者が使う武器にしては、お粗末と言ってもよい類の、平凡な騎士剣だった。恐れるべきは武器ではない。では、この男の持つ力は…… 余に脅威を感じさせる不気味な違和感の正体は何なのだ?
ゼラクルスは困惑して、改めて目の前の男と向き合い、そこで驚愕の答えを見つける。
勇者アクセルの二つの瞳は赤く輝いていた。
あり得ることでは無い。赤く輝く瞳を持つ人類など存在しない。この世界で赤く輝く瞳を持つのは……
「やっと気づいたか」
勇者は、にやりと唇を歪ませた。
「魔族だと……」
「御名答。ハイエルフの秘匿禁術【魔族転生】だ。
アンタが暗殺者娘とじゃれあってる間に、仕込みは、済ませてもらったぜ。
さぁ、魔族に生まれ変わった前代未聞の勇者、アクセル様が大魔王ゼラクルスに、落とし前をつけるとしようか」
その言葉と同時に、勇者アクセルの騎士剣が大魔王に襲いかかった。