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7

 次の日、すれ違っていた朝食の時間をなんとか合わせようとして、ともにテーブルに着いたときだった。いつもの、向かい合わせのテーブルに着くことを拒絶されなかったことをひどく安心した。


「やっぱり、一緒に食事をするっていいことね。とても美味しく感じるわ」


 クロエが思ったことを口に出すと、ルカは嘲るように笑った。


「ふ、別にご機嫌を取らなくてもいいですよ。いずれここを出ていくんですから、義姉さんは僕より殿下との時間を取ってください」


 そうしてルカはろくに朝食も食べずに立ち上がる。そばに使えていた使用人たちが、戸惑いながら制服のジャケットをルカへ着せるのを、カラトリーを握りしめながら見つめていた。


(―――そうだわ、殿下と婚約してから、ルカはこんな風に距離をとるようになって……)



 額にかかる前髪をくすぐるような気配を感じて目を覚ます。

何度か瞼をしばたたかせた後、首を動かすと、そこにはルカが同じように草の上に寝ころんでこちらを見ていた。


「おはよう、クロエ」


 ルカの顔はずいぶんと幼い。あの頃のようだ。


(まだ、夢を見ているのね……)


 ルカのくすみのない頬に手を伸ばした。ルカは驚いたように目を見開き、少しだけ身をよじる。頬に触れると、まるで桃のように柔らかい産毛と、きめ細やかな肌の滑らかさが気持ちいい。幼い頃よくやったように、頬や髪を撫で、ルカを抱きよせた。


「もう、怒っていない?」


「……怒っては、いないよ」


「そう。それならよかった……大好きよ、ルカ……」


 また、瞼が重たく閉じていく。昨日はよく眠れなったし、この騒動でとにかく眠たかった。抗いたくても瞼は勝手に閉じていく。


(ああ、もう授業がはじまっているかしら……でも、暖かくて、このままずっと眠っていたい……)


 そうして、もう一度クロエは深い眠りに落ちて行った。




 クロエが目を覚ますと、目の前にはルカの顔があった。

 なぜだか見上げたような恰好になっていて不思議に思う。それに、草の上に体を横たえていたはずなのに、今は東屋の中にいた。

どうしてここにいるのだろうと不思議に思いながら身をよじると、ルカがこちらに気が付いて開いていた本を閉じた。


「目が覚めた?」


 ルカは少しだけ不機嫌そうな顔でそう言った。でも、今までのように突き放すような口調ではなかった。


「あんなところで無防備に眠るなんて……僕が一番に見つけたからいいものの」


「ごめんなさい。疲れてしまったみたいで。淑女らしくなかったわね」


「……そういう事じゃなくて、クロエの無防備な姿を見られたくないだけなんだけど……ハァ。もう今日は帰って食事にしよう」


 ルカがそっと支えてくれて身を起こす。そこで初めて、ルカの膝の上に頭をのせていたことに気が付いた。きっと重たかっただろうに、何時間もこのままでいてくれたのだろうか。


 ルカと二人で迎えに来ていた家の馬車に乗り邸宅へ戻ると、ようやく肩に乗っていた重たいものが下ろせたような気分になった。ルカがすぐに使用人に食事を用意させ、その間に湯あみをするように言われた。確かに草の上に直接寝ころんでいたので、制服は少し汚れている。

お言葉に甘えて湯あみを済ませると、食堂にはできたての料理が並べられていた。


「わあ、とてもお腹が空いていたから、今日の夕食は特別美味しそうに見えるわ」


「朝も昼もろくに食べてなかったみたいだからね」


 ルカはクロエの向かい側に腰を下ろすと、カラトリーを手に取った。

 普段は前菜やメインの肉料理などが順々に運ばれてくることが多かったけど、今日は珍しくクリームシチューだった。野菜たちも柔らかく煮込まれ、優しい味がとても染み渡る。ルカの言うように朝も昼も食事を抜いてしまっていたので、キリキリと痛んでいたお腹が暖かいクリームシチューでぽかぽかと温まった。


「……クロエは、婚約のこと。どうしたい?」


 ルカは意を決したようにまっすぐとこちらを見て切り出した。ずっとタイミングをうかがっていたのかもしれない。


「……わからないわ」


 正直、王太子の婚約者という立場は重かったのだと気が付いた。それまでは期待されずに生きてきたのに、急に重責を担わされて、泣く事も、ひとつの間違いも許されなくなった。ルカが当主になったときに、ますますクラランス家が発展していてほしい。それは嘘じゃない。自分が、王家に嫁ぐのが一番いいことだと、理解している……。


「クロエが望むなら、側妃の事は僕がなんとしても止めるよ」


「ううん、そこはいいの……クリストフ殿下とは想いあっている関係ではないから」


 側妃がいても、正妃は正妃だ。婚姻を結べばクラランス家は王家に連なる家になることには変わりがない。クリストフが誰と愛し合っていても構わない。


「……そ、そうなの?クロエは、クリストフ殿下を好きなんじゃ……」


 ルカはどうしてだかたじろいでいる。


 クリストフに、好意を持っているか……。

 クロエは、クリストフの事を考えた。



 クロエは月に一度、一時間だけ、クリストフと面会する機会がある。

 その日も王城にある日当たりのよい一室で談笑する予定になっていた。二人の距離を縮めるためのものだったけれど、クリストフとクロエの距離は、何度会う時間をとっても一向に縮まる気配がなかった。

 クリストフは完璧で隙がない。けれど、クロエにはクリストフの心のうちが何一つわからなかった。なんとか仲良くしようと頑張ったけれど、クロエの入る隙間はクリストフの中にはないように思えた。

 いつしかクロエはクリストフと心を通わせようとすることを、やめてしまった。


「庭園を散歩しようか。お手をどうぞ」


 差し出された手を取って、クリストフとテラスから外へ出る。王城にある庭園はよく管理されていていつでも美しい。クロエは草や花が好きだったので、庭園を歩くのは楽しみだった。


「綺麗ですね」

「ああ、とても」


 まるで用意された台本を読んでいるかのような逢瀬だ。

 周りから見ればきっと誰もが羨むようなシチュエーションなのだろう。


 クロエも初めから、クリストフとの関係をあきらめていたわけではない。

 婚約したばかりの頃は、クリストフと相思相愛の関係になれることを望んでいた。それが理想の夫婦の姿だと思っていたから。


 幼い頃はクリストフが何を好きなのか、どういったもので心が動くのか知りたくて、いろいろと問いかけることが多かった。


「殿下はどんな食べ物が好きですか?」

「嫌いなものはないよ。特別好きなものは、思い浮かばないな」

「先日、ウィルシュナー領で茶葉の収穫がはじまったそうですよ」

「ああ、聞いているよ。また品質のよい茶葉が取れるといいね」

「ええ。殿下は紅茶にこだわりがあるのですか?」

「そうだね、好きだよ。どれも素晴らしい茶葉ばかりだ」


 いつしか、そういった会話の一端で、質問を投げかけているのはクロエばかりだという事に気が付いた。

 その時から、クロエは殿下とはこれ以上親しくなるのは難しいのを悟り、やがて、内面を知る為に努力することはやめた。

 クリストフの瞳は美しいガラス玉のようだったけれど、その眼はどこか空虚で、人形のようだと思った。


 思い返してみると、婚約してから6年間一切、クリストフはずっと立派な王子殿下で、その役職に向き合う為だけに努力してきたようなものだ。


「殿下に、恋をしたことはないわ」


 ルカに向き合い、そう言い終えるとクロエの胸はすくような思いだった。自分の今後やクラランス家の処遇などを切り離して考えると、自分はただただ王太子妃になるという役割に固執していただけだと気が付いた。

 それはクロエが自分の存在を愛することができないが故、欲していたものだったけれど、今目の前にいるルカは、少なくともクロエを愛してくれている。

 クロエはまっすぐとルカの目を見つめた。


「わたし、もう役割に固執したくない。自分が思うように生きてみたい」


 ずっと、父や母に認められるために頑張ってきていた。

 義弟であるルカへ優しく接することも、はじめは両親に見損なわれたくなかったからだ。

 自分の価値がなくなるのが怖かった。それがどんな無理難題でも、こたえたかった。

 クリストフと結婚をすれば、きっとずっと愛を求めて、認められないまま生きていくことになる。それはむなしいことだと思った。


 ルカはそっと目を伏せて、そして思い直したように顔を上げた。


「わかった。僕がクロエを守るよ」


 何かを決意したような表情だった。

今夜は父は仕事が忙しく帰らない。明日の夜、二人で父の書斎へ赴き、正式に婚約については白紙にしたいと伝えようと話し合った。


 その日の夜はゆっくりと深い眠りについた。

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