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6

 騒動は午後になっても収まることを知らなかった。

殿下が正妃としてクロエを迎え、側妃としてミリアを望んでいること。

そして、クロエがミリアを傷つけた事実は無く、ミリアに捏造されたものだったこと。


 王家への不信感も付随して高まっており、また、クロエを憐れむ声もよく聞かれた。


(なんだか、疲れたわ……)


 普段ならこの時間は仲の良い令嬢たちと昼食と談笑を楽しむのだが、今日は食欲もなく、そんな気分にもならず、人気のない庭園の隅でしゃがみこむ。風と、草木のざわめきだけが耳に入り心が凪いだ。

 自分が悪し様に言われるのも心が疲弊するが、かといって自分が関わった事象で他者が堕ちていくことを、快く思えるほどの精神はなかった。

 殿下が特別親しいというミリア。ミリアはどんな意図があるかわからないが、クロエを悪役にしようとした。なんだかそれにはミリアだけの意志とは思えず、頭痛がする。


(よくないことがもっと起きる気がするわ)


 はしたないとはわかっていたけれど、しゃがんでいるのにも疲れてしまって草の上に体を横たえた。日差しは暖かく、空は高く澄んでいる。のどかな陽気に包まれて、クロエはやがて重たくなる瞼に逆らわず、瞳を閉じた。


 夢の中でクロエは六歳だった。


 クロエは生まれたときから、誕生を喜ばれたことがない。

なぜなら家督を継げる「黒髪赤目の男児」ではなかったからだ。なぜだかわからないが、ずっと前からそのようなしきたりがあり、それ以外の子供は公爵位を継ぐことができない。

きっと両親は生まれてきたクロエを見て落胆し、悲しんだはず。それを裏付けるように両親は忙しく、家を空けていることの方が多かった。

心無い親族には直接「男児でなくてありがとう」などと揶揄されたこともある。分家にも「黒髪赤目の男児」が誕生すれば、公爵位をものにできる可能性があるからだ。そんな分家にも嫡男となれる子供はついぞ誕生しなかったけれど。


 両親へさみしいと口に出したことは無い。

本当は夜、広い部屋にひとりでいると泣きだしそうになるけれど、ぎゅっとこらえてぬいぐるみを抱きしめて眠る。「さみしい」と口に出して、両親が振り向いてくれなかったらと思うと、想像するだけで恐ろしく口に出すのは憚られた。


 いずれ妹が生まれたらいいな。

そうしたら夜真っ暗になるまで一緒に遊んで、さみしさを感じる暇もないぐらい遊び疲れて、ぐっすり眠れるはず。弟でもいいな。もし黒髪赤目じゃなかったら、きっとわたしたちの寂しさは共有できるはずだ。


 けれど、実際に義弟になったのは、黒髪赤目の男児―――ルカ、だった。


 その濡れたような艶やかな黒髪も、宝石のような赤い瞳も、ずっとずっとクロエが渇望したものだった。

ルカは幼いころから完成されていて、お人形のようにきれいな子供だった。貴族としての所作は身についてないはずなのに、美しくて、くやしくて、苦しくなる。


 けれど、そんなクロエの黒い胸の内を他所に、ルカはクロエの孤独を埋めてくれる存在になった。

あの日願ったように、夜眠る前まで二人は一緒にいて、笑い合ってたくさん遊びつくした。さみしさを感じる暇もないほど、クロエとルカは共にいた。

愛情を感じたことの無いクロエにとって、幼いルカが自身を慕ってくっついて回ることは、心の底からの深い感情をもたらしてくれた。


「ねえ、クロエ、耳を貸してくれる?」

「なあに?」


 その薄桃色の唇へ耳を近づけると、ルカの小さな手が耳を覆い、誰にも聞こえないよう至極小声でこういった。


「ぼく、クロエのこと大好き」


 それを聞いたとき、思わず目が潤んでしまった。

喜びで胸は打ち震え、そのふくふくのほっぺに朱色が差しているのがとてもかわいらしかった。ルカの体を抱きしめて「わたしもルカが大好きよ!」と大きな声を出すと、周りの使用人たちがほほえましそうに笑うのだ。


 幸せだった。


 ルカは、クロエにとっては無くてはならない存在で、きっとルカにとってもそうだろう。

クロエがこの世に必要な存在だと教えてくれて、クロエに惜しみないに愛をくれたのがルカだった。


 夢の中のクロエは六歳から少しだけ大きくなった。

あれは九歳だったと思う。学園の夏季休暇を利用して遊びにきていた海。最後にルカと訪れた浜辺だ。

毎年夏にはルカと共に、休暇を利用して領地にある海辺の街で過ごした。領民たちは開放的で、領主の子供たちにも優しく、クロエはその街が大好きだった。


「お嬢様。この浜辺には言い伝えがあるのですよ」


 街にある植物や花を取り扱う店の、恰幅の良い女性がクロエとルカにだけ教えてくれた。

言い伝えって?と目を丸くする二人に、内緒話でもするように顔を近づけて話し出す女将の顔はどこか誇らしげだった。


「海を守っているのは女神様でね、クラランス家のご先祖様と恋仲だったんだそうですよ」

「ロマンチックね」

「それ以来、クラランス家のご当主は女神様の加護を受けていて、この海が荒れることはないという言い伝えなんです」

「まあ!それが本当なら女神様に感謝しないといけないわ、ねえ、ルカ」


 ルカは小さく頷いて、そしてくすくす笑いながらクロエの髪に触れた。


「じゃあ、クロエは女神様の生まれ変わりかな。女神様みたいに綺麗だもの」


 女将さんが「そうだね!お嬢様は女神様の生まれ変わりだ!」と大きな声で笑った。クロエは恥ずかしくて照れくさくて、顔が熱くなる。そんなクロエの髪に、ルカは店に売られていた白いダリアを刺してくれた。


「うん、よく似合う」


 そうしてルカが購入してくれたダリアは、枯れてしまうのが悲しくて、ドライフラワーにして、ずっと部屋へ飾ってある。


 これ以上ない、幸せな日々だった。


 やがて、それがうち消えたのがクロエの人生が決まったときだった。

時期国王になるはずの―――、クリストフ・フォン・ウェーバー第一殿下との婚約によって。


「お初にお目にかかります。クロエ・クラランスと申します」


 幼いクロエには知らされていなかったけれど、そのお茶会はクロエが王太子妃としてふさわしいか、クリストフがクロエを気に入るかを判断する場だった。


 そんなことは露も知らなかったけれど、クロエはもとより淑女として教育を受けており、目上のクリストフへも失礼の無いよう美しい所作でカーテシーを披露した。少しだけ視線をを上げると、そこには黄金色の髪と、アイスブルーの瞳の端正な顔立ちの少年がこちらを見ている。


(ルカと正反対の色でちょっと面白いわ)


 緊張しなければいけない場面でも、そんなことを考えていると自然に口角が上がっていた。


「クロエ殿、かしこまらず気楽にしてくれ」


 クリストフはそう微笑む。同い年だけれど、やはり王族とあって言葉遣いには威厳があり、大人びていた。


「はい、お心遣いに感謝をいたします」

「よければお茶もどうぞ」

「はい、いただきます」


 美しい茶器に注がれた飴色の紅茶は、顎先へ近づけただけで芳醇な香りがした。思わず目を見開く。自宅で入れてもらう紅茶も美味しくて大好きだけれど、口当たりがまろやかでまるではちみつでも入っているかのように甘味を感じた。


「とっても、美味しいです!」

「よかった。それはウィルスナー領で取れたものなんだよ。クロエ殿の母君はウィルスナーの出ではなかった?」

「ウィルスナー伯爵の姪にあたります」

「このように最上級の紅茶を産出するウィルスナー領とは今後も王家は親密でいたいと思っていてね」

「大変うれしく思います」


 お茶会はつつがなく進み、その日の夜、クロエは王家から正式に婚約を申し入れられた。父もそれを快諾した。


「これからあなたは国民全員の母となる為の教育を受けることになります。厳しいことも多いし、大変だと思うけれど、クロエならできるわよね」


 母に肩を掴まれてそう言われた日の、のしかかる様な肩の重みや、胃の中をさかさまにしたような吐き気は、ずっと忘れることは無かった。

両親に初めて必要とされたような気がした。

第一王子の婚約者としてであれば、ここにいても良いと認められたような気がした。

居場所を、与えられたような。


 それからは怒涛の日々だった。それまで大事にしていたルカとの時間も中々取れないほどだった。寝る暇も惜しんで机に向かい、時には食事も喉を通らないほど疲弊した日もあった。けれど、それがクロエに与えられた初めての役割なら、完璧にこなさなければという義務感にも似た感情が、クロエをひたすらに動かしていた。


 ようやくその日々にも慣れてきたころだった。その日は急に国賓が来訪することになり、王城も大慌てで、王城教育が突然なくなって空き時間が出来た。


(そうだわ、ルカと庭でお茶をしましょう。今の季節なら美味しいベリーのジャムがあるはずだから、クロテッドクリームも合わせてスコーンを食べたいわ……)


 ルカとの楽しい時間に胸を躍らせ、さっそく料理長へスコーンを焼いてほしいとお願いした。料理長は快く引き受けてくれて、その間に使用人たちが庭でのお茶を用意してくれることになった。

 クロエは足取り軽くルカの姿を探した。探していた姿はクラランス家の蔵書が保管してある図書室にあった。ルカもクラランス家次期当主として様々な教育を受けており、その部屋で勉強しているのは珍しくなかった。


「ルカ、勉強しているのね。良ければ息抜きに庭で一緒にお茶でもどう?」


 きっとルカは大きな赤い目を撫でられた猫みたいに細めて微笑んで快諾してくれるはずだと思っていた。想像するだけでクロエの頬は緩んだ。


「結構です。勉強で忙しいので」


 けれど、ルカは書籍から顔を上げることなく、ペンを走らせ続けた。断られることなんて想像していなかったので、驚いて声が上ずった。


「か……課題がたくさん出たの?よければ一緒にやりましょう」

「不要です。義姉さんおひとりでどうぞ」


「義姉さん」と呼ばれたのはそれがはじめてだった。

 ずっと甘い声で「クロエ」と呼んでくれていたのに。

 なぜだか、ひどく恐ろしくなり、クロエは一歩、足を踏み出した。少しだけおさまりが悪い箇所の床板を踏み、ギギッと鳴き声のような音がした。

 それを聞いたルカは本を勢いよく閉じて立ち上がり、冷たいまなざしでクロエを見た。そんな表情はいままで一度もクロエに向けられたことはなかった。


(……機嫌があまりよくなかったのね。きっとそうだわ。また今度、誘ってみましょう……)


 そう思うのに、なぜだか泣き出したくなった。

まるで世界で自分一人だけが取り残されたような寂寥感がクロエの胸を覆いつくした。


 本当は分かっていた。あれは、"拒絶"だったと―――。


 次の日、すれ違っていた朝食の時間をなんとか合わせようとして、ともにテーブルに着いたときだった。いつもの、向かい合わせのテーブルに着くことを拒絶されなかったことをひどく安心した。


「やっぱり、一緒に食事をするっていいことね。とても美味しく感じるわ」


 クロエが思ったことを口に出すと、ルカは嘲るように笑った。


「ふ、別にご機嫌を取らなくてもいいですよ。いずれここを出ていくんですから、義姉さんは僕より殿下との時間を取ってください」


 そうしてルカはろくに朝食も食べずに立ち上がる。そばに使えていた使用人たちが、戸惑いながら制服のジャケットをルカへ着せるのを、カラトリーを握りしめながら見つめていた。


(―――そうだわ、殿下と婚約してから、ルカはこんな風に距離をとるようになって……)


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