クリストフ・フォン・ウェーバー 1
「殿下、さすがに近頃の殿下は私の目にも余ります」
質実剛健を絵にかいたようなクリムトは、表情を変える事なくクリストフの前に茶器を置いた。
クリストフとクリムトは、赤ん坊の頃から同じ乳母のもとで育った。クリストフには二歳下の弟と、五歳下の妹がいるが、血を分けていないはずのクリムトのほうがよっぽと世間一般でいう兄弟に近い。
名前が似ているのも、母が乳母を決めたときに兄弟のような気心知れた主従関係となれるようにと願いを込めたそうだ。
クリムトが居れた紅茶を一口含む。相変わらず誰が淹れる紅茶よりも美味だった。
「別に殿下はミリア嬢の事をなんとも思っていないでしょう」
ミリア・ハズバンドとまるで恋仲のように見せているが、その実彼女に一切の興味はなかった。その背後にいる存在も、興味がない。
クリストフは生まれてから国王となる為だけに存在している。
これまで品行方正に生きてきた自分。
婚約者だと連れられてきたクロエのことも、これまで大事にしてきたつもりだ。
「もうどうでもいいんだ」
吐き捨てるようにそういうと、クリムトが大きくため息をつく。
対外的にはクリムトは、真面目で主人に逆らう事のない従順な従者だと思われているが、二人きりの場ではそんなことはない。ため息もつくし、顔もしかめもするし、小言を言うこともある。
「やけっぱちになるなよ。それにクロエ嬢を巻き込むな」
言葉を崩したクリムトは、諭すようにそういう。
クリストフはちらりとクリムトの姿を見やった。数十年間変わらない、眉のはるか上で切りそろえられ、襟足は刈り上げられてすっきりとした濃灰色の短髪。そして、形の良い眉。きりりと吊り上がった細めの目の中には、深く渋い青緑色をした瞳が佇んでいる。長身でよく鍛えられた身体の線は美しかったが、群衆に溶け込めば一瞬で見失いそうなほど存在感の無い男だ。
「この国は法でたった一人だけを愛すると決めてるんだろう?そんなことは到底無理なのだから、変えてやろうとしているだけだ。我が身を犠牲にしてな」
「はあ~……強情……」
クリムトは額に手を当ててまた大きくため息をつく。
―――バカげている。愛など。
次期国王となる為に受ける教育の数々の中には、道徳もある。
王は間違えてはいけません。
―――王とは、民の模範となる為に清く正しくいなければならない。
弱みを見せてはいけません。
―――王とは、誰よりも強くあらねばならない。
不可能だ。
バカげている。
自分自身が、王の、王家の誤りで産まれているのだから―――。