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「義姉さんは本当に不器用ですね」
目の前にいるルカ・クラランスは、わたしが六歳の頃に遠縁から引き取られてきた、血のつながりはない義理の弟だ。
漆黒の髪に、ルビーを思わせるような真紅の瞳。
二歳年下で、昔はそれはそれはかわいらしく、まん丸でくりくりのおめめをキラキラに輝かせ、少し舌足らずに「クロエ」と呼ばれるのは当時の私には至福のひと時だった。彼の漆黒の髪を撫で、丸い頬をつついて、一緒に庭で走り回って疲れて眠る日々は、いとおしくて尊い時間だった。
けれどそんな日常もいずれ終わりが来るもので、いつしか顔を合わせれば、彼からは冷たい視線と嫌み。反抗期もあるだろうけど、純粋に嫌われているのかもしれない。
でも、何もこんなときに言わなくたって、とは思った。
だってわたしは、今しがた婚約を破棄されたばかりなのだから。
自室の寝台の上にうずくまっていたクロエは、ルカの声を聴いてゆっくりと体を起こした。
「女性の寝室に断りもなく入ってはいけませんよ」
ルカは、自身の黒髪にさらりと指を通した。
「僕たちは姉弟ですから、そんな細かいことはいいでしょう」
ルカは王立貴族学院の制服に身を包んでいる。そのいでたちを見るに、貴族学院主催の創立記念パーティには参加しなかったようだけれど、そのパーティで起こった出来事については、すでに聞き及んでいるだろう。
思い出したくもないのに、創立記念パーティでの出来事が思い出され、思わず自らの肩をかき寄せる。
クロエ・クラランスは、その日婚約者のクリストフ・フォン・ウェーバー第一殿下に、大衆のもとで婚約破棄を宣言されたのである。
「クロエ・クラランス侯爵令嬢!お前のような女は次期王妃にはふさわしくない!お前との婚約はここで破棄させてもらう!」
誰かに体を押され、床に倒れこんだクロエに手を差し伸べるものはなかった。
どうして?なんで?混乱して、自ら立ち上がることもできない。
クリストフの腕には、栗色の巻き毛の女性―――ミリア・ハズバンド男爵令嬢がしがみついていた。ミリアは、悲しそうに眉尻を下げ、その大きな瞳に大粒の涙を浮かべている。
「ミリアに対する様々な嫌がらせの調べはついている!なにか申し開きはあるか!」
申し開き、と言われても、嫌がらせなどまったく身に覚えが無かった。
ミリアとは言葉を交わしたこともないのではないだろうか。
混乱して声が出ない。
クロエはこれまで、クリストフの婚約者として王太子妃教育も受け、彼を支えられるように努力してきた。クリストフとも、よい関係を築いていると思っていた。
あと一年もしないうちにクロエとクリストフは王立貴族学院を卒業する。その卒業を待って立太子の儀を行い、王太子となったクリストフを支えるため、クロエも結婚して妃殿下となるはずだった。
「追って沙汰はする。お前のような人間はもう、このような品位のあるパーティーにはふさわしくない!帰れ!」
そう言われて、クリストフの幼いころからの従者であるクリムトがクロエの腰を支えて歩き出す。なされるがまま、一言も発せぬまま、会場を後にしたのだった。