第一話《始終を問わず、味気のない話》
三月の肌寒い残雪の候。今時、世間では大陸由来の病毒がやたら騒がれており、人々の間には物理的な距離ができ、仕切りを入れられていた。
さて、そんな今時の、日ノ本は東京、新宿の真夜中。一人の少女がふらふらと歩いていた。
少女の風貌、長い黒髪と豊かな胸、黒の着物に花柄のスカートを履くという和洋折衷の格好、そして何より堂々と、黒狐の面を被るという奇妙。……この少女、訳あって名を紅葉を名乗る。
齢十七の少女が、新宿の夜道を一人で遊歩するなど危険極まりこの上ないが、どうにも、少女が柄の悪い輩に絡まれる様子は皆無。それどころか、誰も少女の存在に気付かないという始末。……少女は幽霊か?
否、紅葉は表と影の世界を行き来する降魔師である。知れた名で言うならば忍とも言うべき彼らは、その気配を伏せ、堂々と街中を誰にも気付かれずに歩むことを容易く可能とする。
そう、少女は降魔師であり、人の世に隠れ潜む魔を討つことを生業としている。今宵、新宿を歩むのもまた、その目的のためであり……
「やれやれ、貴方が噂の辻斬り魔ですか」
ふと立ち止まり、そう言うのは歩道橋の上。紅葉のその言葉につられるように、影より一人の男が姿を顕した。
その風貌、雨ざらしの旅路でも潜り続けたのか、そう問いたくなる程度には鉄臭さの入り交じる生臭さをまとい、古びた着物を雑把に着込んだ格好。死ぬる魚の如き濁り淀んだ両眼には力がなく、代わりに滲むのは愉悦の色。肌の色は、痣のように変色しており……
大凡、まともな人間の格好をしてはいなかった。否、そも、これは人ではなく人でなし、基を化外の輩とする珍妙にして悪質な、質の悪い冗談のような塊。……妖怪妖魔、人外化生の類い。つまり、これこそ紅葉の探し求めていた"魔"であった。
「……ほう。これはこれは、麗しの少女が俺のことを探してくれていたとは。どうにも、俺はツいているらしいな」
罅割れた不快の声は、聞く者の耳を卑しく穢す。……そう感じる程度には強力な、悍ましい、触れ難き存在。
しかして少女は、そんな男の声など微量な雑音程度には感じていないのか、男の声質に目、否、耳を向けることもなく。男の醜悪な声に対し、実に可憐な、愛らしい声で言葉を返す。
「貴方と仲良く会話を続けるつもりは特にありませんよ、自称、邪悪・ザ・リッパーのセンスレス。お分かりでしょうが、私は、貴方を殺しにきました」
凍てつく野花か。冬の桜か。少女の声は可憐だが冷たく、容赦がない。
そんな少女の言葉に対し、男は嬉しそう声をあげた。
「いいねぇ! 本格的だ、俺も、お前みたいな奴とこそ戦ってみたかったんだ! だって凄いだろう、この力は! もっともっと、俺に力を感じさせてくれェ!」
「化けの皮が剥がれるのが早過ぎでしょう、まったく……」
少女の呆れを、男は聞かず。一瞬で少女のもとにまで駆け抜け、刃の欠けた刀を振りかざす。その一撃、隼の如き敏捷性を以て、獅子の腕力を振るうが如き人外の業。本来の硬度を無視したその刀の乱れた斬撃は、大木を両断し、鉄の塊さえ菓子の生地のように容易く切り分けることが可能。
故。必殺。これに当たれば、人は死ぬ。
「死ねぇぇぇ!!!」
歓喜に満ちた殺意は、そのまま紅葉を袈裟斬りにし、紅葉の命を殺め……
否。
「もう終わってます。さようなら、邪悪な出っ歯さん。貴方のお遊びに、私は付き合いつもりがございませんので」
からん、と。甲高い音が聞こえる。男がそちらに目を向けると、そこには男が振るった筈の刀が、その刀を握りしめたままの己の腕が、七メートルほど先の地面に落ちていた。
腕が落ちていた。腕が斬られていた。……己が先に振り上げた筈なのに?
「理解しなくても結構。ただの快楽殺人鬼である貴方が至るには、類い稀な才覚にも恵まれていない限りは不可能な、武の基礎の基礎。……これ、後の先と言います」
「がぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁあああああ????!!!!!!」
「うるさい……」
少女の声が男の耳に届く頃には、男の耳は男自身の絶叫で埋め尽くされていた。痛みを感じぬ魔物が、痛いを嘆き、そして泣き喚く。
そして男は、かつて己が人々に振るった恐怖を己自身で体感しながら、無慙な死を迎えるのであった。
……なんともなぁ、味気のない結末である。
囃し立てたところで、終わりとは呆気のないものだ。この物語は、その呆気ない終わりを淡々と物語るだけの、実に退屈な少女紅葉の物語である。
「はぁ。まったく。……これにて任務完了。一件落着、お疲れ様でした」
紅葉忍法帖、第一話《始終を問わず、味気のない話》了。