ヨウマのナタ割ナイタイWorld
ヨウマは暗い夜の森で道に迷っていた。
36歳にもなって方向音痴が直らない。宿屋を出て町の酒場へ繰り出そうと思っていたら、いつの間にか町の外へ出ていたのだ。そして帰り道も間違えた。
瞬間移動の魔法を使おうと思えば使えるが、間違いなくすぐ近くに町はあるのだ。マジックポイントを使うのが勿体なかった。
「畜生。姉ちゃんのケツ触りながらメシ食おうと思ってたのに……」
明かりを探して道を歩けばさらに真っ暗なほうへどうせ行ってしまう。かと言って自分の勘の逆をつけば裏目に出る。方向音痴とはそういうものだ。瞬間移動の魔法を使ったところで戻れるとは限らなかった。彼の方向音痴は筋金入りなのだ。
何の策も立てずにただテキトーに歩いた。それでいつも取り返しのつかなくなるぐらいに迷うというのに、学習能力がなかった。
「腹減ったなぁ……」
そう呟きながら歩いていると、足元に白く発光している何かを見つけた。
「しめた! マシュマロ草じゃねーか!」
一人息子が小さかった頃、これでマシュマロパイをよく作ってやったことがあったのを思い出す。
『お父さん、すごーい』
『お父さんの作るマシュマロパイは世界一だね』
息子の声が蘇る。
息子は先の戦争で兵士として死んだ。14歳だった。
「お前は勇敢だった」
ヨウマはマシュマロ草を摘みながら、呟いた。
「父さんは一緒に死んでやれなかったな」
手に魔力を込めると、ぼん!と音を立てて草が膨らむ。あっという間にそれは真っ白なぽよんぽよんの、丸まるとしたお菓子に変わった。たとえるなら巨乳女子の胸を取り外したような。
「これは男専用のおやつだぜ」
そう言いながら、ヨウマはマシュマロパイにむしゃぶりつく。
「息子よ。お前は女の柔肌を知ってたか?」
突然、森の中に明かりが点いた。まるで夜空の月がすぐ近くに降りて来たように。ヨウマがブツブツ言いながら道脇に腰を下ろし、巨乳のようなお菓子を貪り食っているのをそれは照らし出した。
「な……、なんだ?」
ヨウマがマシュマロパイを食べる手を止め、腰の剣に手をかける。
「魔物か?」
「ヒッヒッヒッヒ」
明るく笑いながら、暗い道の奥から老婆が歩いて来た。
魔女のような格好をしている。曲がった杖をついて歩いて来る老婆にヨウマは聞いた。
「誰だ?」
「おやおや、戦士さん」
老婆はしゃがれた声で言った。
「人に名前を尋ねる前に自分から名乗るのが礼儀なんじゃないのかい?」
「俺の名はヨウマ。姓はない。士官先を求めて旅をしている魔法剣士だ」
「こんな所に士官先なんてないよ。なんだってこんなところでブツブツ言ってたんだい?」
「方向音痴なんだ。道に迷ってたところだ」
「ヨウマ、迷う!」
老婆が愉快そうに声を張り上げた。
「はあ?」
「ヨウマがマヨウ、だってさ! ヒーッヒッヒ!」
「……婆さんは何者だよ? なぜこんな暗い森の中にいるんだ?」
「よう、ヨウマ!」
「馴れ馴れしいな」
「よー、よーま! よう、ヨウマ! ヒーッヒッヒッヒ!」
「なんだよ、この婆さん」
ヨウマは付き合いきれないと思い、立ち上がると、うざそうに背を向けた。
「待ちなよ、ヨウマ。ようよう、ヨウマ」
老婆が呼び止める。
「あたしゃ帰り道がわかるよ? 町に帰りたいなら、あたしゃに付き合ったほうがいいと思うよ馬はないけどね。ヨウマはないけどね。ヒーッヒッヒッヒ!」
「案内してくれるか?」
そっけなくヨウマは聞く。
「いいけど、1つ仕事を頼まれておくれではないかいな」
「仕事? どんなだ?」
「ナタ割を頼みたいんだがにゃ」
「ナタ割?」
ヨウマが顔をしかめる。
「マキ割りじゃないのか? ナタ割って何だよ?」
「マキ割り? きゃーっ!」
老婆が殺されるような声を上げる。
「あたしゃの名前は『マキ』だよ!? ママママキ割りだなんて……。ななななんて恐ろしいことを!」
「うるさい。で、ナタ割って何だ? 何を割ってほしいんだ?」
「ナタ割を知らないのかい」
老婆は小馬鹿にするように含み笑いをした。
「ほら、家族で契約するとお安くなるだろう? 家族割ってやつさ。あるだろう? 学生さんなら学生割。つまりナタなら……」
「何がどう安くなるんだ?」
「これだ!」
老婆は叫ぶと、懐からビニール袋に入ったフルーツポンチにも見えるものを取り出した。フルーティーな白を基調にポップな赤や黄色で彩られているが、よく見るとそれは野菜だった。大根らしき野菜が、シロップにも見える液の中に浸されているのだ。それがビニール袋でパウチされていた。
「それは?」
老婆は誇るように言った。
「秋田名物の漬物『なたわり』よ」
「で?」
「『で?』って言われても……」
「ここはファンタジー世界なんだが……。だから『ツケモノ』なんてものは俺は知らんぞ?」
「あーっ! あーっ! 知ってるくせに! よう、ヨウマ! あんたどーせ日本から転生して来たやつとかいう設定なんじゃにゃーのっ!?」
「黙れ。もうどうでもいいから早く町まで案内しろ」
「いいのかにゃあ〜?」
老婆が流し目を送る。
「こんなチャンスをふいにしてよかろかにゃあ〜? この『なたわり』を食べれば、おみゃあさんの死んだ息子が生き返るというのに」
「そんなわけあるか」
「本当にゃよ? わし、ただのババアじゃねーだもん」
「息子は誇り高く戦士として死んだ。それを生き返らせるのはアイツに対する侮辱だ」
「ゴチャゴチャ言ってんじゃにゃーよ!」
老婆がいきなり激怒しはじめた。
「言ったろーがにゃ! これはあたしゃがおみゃーさんに仕事を頼んでんだべさ! 四の五の言うとらんで早よ食べんかいっ!」
そうまくし立てると老婆は『なたわり』の袋を激しい音を立てて開け、汚い素手で取り出した大根をヨウマの口へ向かって押しつけて来た。
「やっ……、やめろっ! 汚い! ……ぐゎぼっ!」
ヨウマの口に大根を突っ込むと、老婆は頭と顎を強く掴み、咀嚼させる。
「ほうれ、ちんたらたった!」
老婆の声援と無理やりの手の動きに咀嚼させられ、ヨウマはなたわりを飲み込んだ。
意外とうまかったな、と思っていると、暗い森の奥から何かが歩いて来た。
「父さん」
懐かしい声が、そう言った。
「……ハルマか?」
ヨウマは震える声で、亡き息子の名前を口にする。
「父さんのマシュマロパイ、また作ってよ」
ヨウマの声がさらに震え、涙が混じる。
「作ってやる! 一緒に食おう! さぁ、こっちへ来い!」
「僕はもう、そっちへは行けないよ」
姿を現さないまま、ハルマは寂しそうに言った。
「僕の今の姿を見たら、父さんはきっと僕を嫌悪する」
「どんな姿でもいい!」
ヨウマは必死に招いた。こちらから駆け寄ろうとするのに足がなぜか動かない。
「こっちへ来てくれ! 抱かせてくれ!」
「父さん」
ハルマは言った。
「町は月の方角だ。月を見ながら歩けば自然と帰れる」
「父さんは帰らない!」
ヨウマは手を伸ばした。
「お前といる! ハルマ!」
辺りが急に静かになった気がした。
今までそこにいたものがいなくなり、ヨウマは世界でただ一人になったような心地がした。
「お疲れさん」
老婆の声がした。
「おみゃーさんは生者にゃ。町へ帰って、士官先を探すことを続けるにゃ」
そう言うとその先からはもう何も言わなくなり、真っ暗な闇と森のざわめきが戻って来た。
人は何のために生きるのか、孤独に迷った夜は時にそれを問うて来る。
それでも生きて行かねばならんのだ。まっすぐ先を見て、そこに何も見えなかろうとも。
それまでと何かが変わったような気が、ヨウマにはしていた。
息子の声がしたほうに背を向けると、月を辿って歩き出した。