09 勇者の運命
王国を追われあてもなく旅をして、訪れた村であった。
少し自暴自棄だったのかもしれない。ふらりと森に入り、当たり前に迷子になる。私は馬鹿なのだ。そういう、考えなしな部分があった。
エルフの村人たちはとても親切だ。
二日間森をさまよってお腹を空かせた私に、豪勢な食事を恵んでくれた。
転移勇者であったが国から追放されたことを告げると、助けになると言ってくれた。ずっとここで暮らしてもいいとも言ってくれた。
魔族と戦えと、そういう指令だけを与えられてきたこの一月で、もっとも暖かく、優しい時間だった。
村を訪れた翌日のことである。
村医者を称するシドーという男が、勇者である私に頼みがあると、頭を下げに来た。
「魔力欠乏で瀕死の“勇者”がいる」と。当然、力を貸すことにする。彼らには恩義を感じている。
ちょっとした運命だ。
だってそうではないか。この広い世界で一度だけ出会った相手と再会する確率の導き出し方なんて知らないけど、相手が死にかけていた場合の確率ならきっと天文学的なものだろう。
ベッドに横たわる色白の少女を見て、そう思った。
ただでさえ色素の薄かった肌からは、生気すら失われている。
「――それで、どうですかユウリ様。彼女は助かるのでしょうか……」
シドーが弱々しく言う。少し、やつれている。
患者が助かるかどうかを見ず知らずの私に尋ねるなど、医師としてはあり得ざる言動であったが、それほどまでに彼女を救うために尽力しているということだ。責めることはできない。
だから私も、真摯に思ったままを応えた。
「……わかりません。魔力の譲渡なんて、やったこと無いですから。できるだけのことはします」
「ありがとうございます。情けない話ですが、私では力不足でした。……モニカの、命の恩人なんです。どうか……――」
モニカ、というのは部屋の外で泣いていたショートヘアの女の子のことだろう。
この少女――確か、不滅のエルドラだ――はモニカを救い、倒れたのだという。
嬉しかった。
やはり、魔族である事と悪である事は同義ではないのだ。
少なくとも彼女はそういうことができる、素晴らしい魔族なのだと。
だから、救わなくてはならなかった。
彼女を死なせるわけにはいかなかった。
ベッドの隣に備えられた丸椅子に腰かけ、眠るエルドラの手を取る。彼女は魔王軍の幹部であるらしい。そうとは思えない、小さく柔らかな手であった。
魔力の渡し方なんて、私は知らない。
けれどこの世界に喚ばれて、記憶ではなく精神に無理やり刻まれたものがあった。
魔術、剣術、恩寵――現世に未練がある私にとって、それらはあまり好ましい存在ではない。けれど、このときばかりはこの能力に感謝することにする。
「――【湧け。渦巻け泉。彼の者に巡れ】――」
術式の詠唱。記憶にないのにすらすらと浮かぶ。
私の中にある、気力、霊力、なんかそういう形容しがたいエネルギー。それを触れ合う肌から流し込む想像。
魔力譲渡術である。
初めて行使する魔法なのに、幼少から親しんでいたピアノのように馴染んだ。
私の手がぼんやりと光って、その光がエルドラに入り込んでいく。
ぐん、と濁流のように私の魔力がとめどなく流れて行って、それと同時に奇妙な感覚に襲われる。脳から血が抜けていくような、酸素が廻らなくなるような、そのようなものだ。
貧血にも似た症状に椅子から転がりそうになるが、なんとか持ちこたえる。
それをシドーが心配そうに見た。
「大丈夫ですか、ユウリ様?」
「――……はい、何とか。限界まで、やってみます」
もう正直、堪え性のない私にとっては限界に近かった。
でも、止めることはできない。本当に、ギリギリの、限界まで。力の限りを彼女の為に。
その術式を始めたのが夕刻。それから日が沈み、昇り、それだけの時間だ。
私の魔力まで尽きて倒れる寸前。空っぽの一歩手前。そこまで頑張った。
そこでシドーに止められ、治療は終了する。
「――そこまで、それまでにしましょう、ユウリさん。もう十分の魔力が行き渡りました。……これなら、あと数日で目を覚まします」
何度か中断を勧告されたが、やり切った。命の保証が、助かる確信が持てるまでやった。
フルマラソンを無呼吸で走り切ったような、そんな疲労感がある。
シドーも、私とエルドラの様子をずっと寝ずに見ていてくれた。立派なものだ。
後から知ったことだが、本来なら複数人の術師で何日もかけて行う治療法らしい。
それを聞いて、なんだか、脳筋みたいで恥ずかしくなった。
シドーが涙ぐんで礼を言う。
「――本当に、ありがとうございます。あなたも、真の勇者だ!」
私の手を取ってぶんぶん振り回す。もう疲労困憊で、大した反応も返せない。
そのまま「二人の英雄に感謝を捧げねば。宴の準備だ」と叫んで、どたばたと階段を駆け下りていった。徹夜明けであるのに、有り余る元気であった。
エルドラを見る。
ほんの気持ち程だが、血色がよくなっている。
静かに寝息を立て、胸を上下させている。
確かに生きている。
無性に愛おしくなって、彼女の頭を撫でた。
長い前髪が払われ、寝顔があらわになる。
昔、近所のおばさま方から『まるでお人形さんみたい』と褒められたことがある。
当時はそれが褒め言葉として受け取れず困惑した。無感情であると言われたように感じたからだ。今はその形容の意味も分かった。
エルドラはお人形さんみたいだ。
間近だと、その顔立ちの端正さが際立つ。
年頃は私と同じか、少し下程度だ。現代であればクラスメイトの視線を釘付けにしていただろう。
日焼けとは無縁の純白は、陽光が透けるほどに透明である。
そこに煌めく銀糸が加わり、生物というよりも宝石――非生物的な輝きがある。
ガウンめいた衣の襟から覗く鎖骨は、細く、触れただけで折れてしまいそうだった。
まじまじ見つめて、何故だか照れくさくなって顔をそむけた。
未だに、彼女の怯える顔を夢に見る。
できることなら、エルドラが起きた暁には、きっと仲良くなりたい。そう願った。
◆
だから、彼女が私のせいでまた気を失って、少なからずショックを受けた。
「え、エルドラ様っ?! ユウリ様、一体何を……」
「ええっ? 別に、なにも……――でも」
全て話した。
かつて、彼女と戦ったことがあること。
勝利し、それを逃がしたこと。
彼女が魔族であること。
話してもいいと思った。だって、村人たちはみんな親切で、優しい。それに彼女はモニカの恩人だ。だから、王国とは違うと思った。
私は馬鹿なのだ。そういう、考えなしな部分があった。
直後に始まる非難ーー私が魔族に味方したからだ。
それから、エルドラへの糾弾。
皆が言う。彼女を殺すべきだと。
ひどく、衝撃を受けた。落胆した。失望した。
魔族というだけで虐げられ、それだけで石を投げられる。
人間や亜人族と、魔族。長年にわたり敵対しているそうだ。
彼らには恨むだけの理由があるのかもしれない。魔族のせいで何かを喪ったのかもしれない。
それでも、少なくとも彼女は違う。
シドーとモニカ、それと賛同してくれたいくつかの村人のおかげで、ひとまずの会合が決まり、難を逃れた。
エルドラを抱えて歩く。
私は取り返しのつかないことをしてしまった。いつもそうだった。正しいと思って選んだ道がひどく険しいものに変わる。それに彼女を巻き込んでしまった。
ベッドまで運び、その苦しげな表情に心を痛めた。
彼女が目を覚ましたら、まず、どうしよう。
きっと怯えているはずだ。明るく努めよう。おいしい朝ご飯も作ってあげよう。
今はその程度のことしかできない。
その日もまた、彼女の夢を見た。