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07 勇者からは逃げられない

 ――ううん、良い朝だ。


 涼しい風が吹き込む。見ると、開け放たれた窓から柔らかな日が差し込んでいた。

 前回に目覚めたときと同じ光景。診療所の二階である。


 昨日はゴーレムを褒められたものだから、柄にもなくはしゃいでしまった。

 宴も盛り上がって――記憶がないぞ。もしかすると、呑みすぎたのかもしれない。


 いや、わたしが酒を飲むことはないが、気分が高揚していたから勢いで、ということもあり得るから。そうでもなければ辻褄つじつまが合わない。


 何かあったような気がするけど、思い出せない。

 思い出せないことは、思い出せないままでいた方が良いときもある。

 なので、記憶にふたをすることにした。わたしは何も知らない。


 そこで、木が軋む音が聞こえた。

 部屋の外である。徐々に上昇していることから、誰かが階段を上っているのだとわかった。

 足音が部屋の前で止まり、戸が開かれる。


 勇者だった。



「あ、おはよう。朝ご飯持ってきたんだけど――」



 そこからのわたしの行動は、それはもう迅速なものだった。


 かかっていたシーツを乱暴に跳ね飛ばし、ベッドに内蔵されたばねの反動を利用して跳躍ちょうやく。一歩、二歩。

 そのまま颯爽さっそうと窓から身を投げる。

 身体で風を切り、一瞬だけふわり、と全身で浮遊感を味わってから、地面が加速度的に迫る。


 大地に到達する前。その途中で、抱きかかえられる。


 誰に? 勇者にです。


 なんという超人的な速度。なにか、そういう能力の恩寵ギフトを持っているのかもしれなかった。

 勇者は怒ったように――焦っているようにも見えた――眉をひそめて、自由落下の最中さなかに言った。


「ちょっと、危ないよ。ここ二階だよ」


 知ってるけど。知ってたうえで飛んだけど。今度は逃がしてもらえないのですか?

 このまえは何とか勇気を振り絞って反抗できたけど、二度目はもう無理です。抗う気力はございません。すんなり逃がしてください。


 わたしをかかえたまま、着地。

 とすっ、と二人分の体重がかかっているとは思えない軽やかな靴音が鳴る。

 膝の屈伸運動で衝撃をいなしたらしく、わたしには一切の負荷がかからなかった。


 背と膝裏あたりを両手で支えられ、自然と勇者を見上げる姿勢になっている。


 この体勢を、知っている。

 昔に絵物語で見たことがある。

 騎士が囚われの姫を救ってから、このように運んでいた。人間の書物だったけど一部の魔族の間でも流行していたから、こういった状況に憧れを持っている奴らもいたな。

 たしか『姫抱ひめがかえ』と呼称される運搬方法だったはずだ。


 勇者が眼前にいる。長いまつげの一本ずつ、深海めいた藍色の虹彩の模様ですら視認できる、超絶至近の距離。


 眠たげではあるが、大きい瞳が覗く目。しゅっ、と伸びる鼻筋。薄い桃色の唇。それらが均整に配置されている。

「勇者は外面そとづらひいでてないとなれないのかも」なんて呑気のんきな現実逃避じみた考えを経て、現状を認識し、血の気が引く。


 こいつにはわたしを殺す力がある。勇者だから。魔族を殺す動機も十分にある。

 気分次第、気まぐれで、次の瞬間にはわたしの頭と胴が離れているかもしれなかった。


「大丈夫だった? 痛くない?」


 こちらを覗き込み、訊く。ばっちり目が合うけど、もう恥ずかしいとか考えていられる場合でもなかった。蛇に睨まれた蛙である。


 返答を誤れば、たがえれば死ぬ――わたしは「流石は勇者様です! 全く、見事な着地! 痛みどころか、肌の感覚が無くなったかと思いましたよ!」と言おうとしたけど、のどが開かなくて一言も発せなかったので、代わりに大きく、何度も、首を縦に振るった。


 それで正解だったらしく、勇者は満足げに「よかった」とだけ言った。助かったのだ。ひとまずは。


 ゆっくりと降ろされて自分の脚で地面に立った。けど、まだ体はこわばったまま、筋肉が緊張している。


「――まあ、えっと、何て呼べばいいんだろ。エルドラ、ちゃん?」

「は、はひっ! 何でしょうか、勇者様!」


 背筋を伸ばし、一直線の棒になる。勇者が困ったように力なく笑った。


「うーん、勇者様じゃなくてユウリって呼んで欲しいかな。もう勇者でもないし」

「はいっ、ユウリ様っ!」

「……いや、様もいらないかな」

「……ユウリ、さん」


 そこで勇者――ユウリという名らしい――は「まあ、いいか」と呟いて、頬をいた。敬称をはずした途端とたんに斬撃が飛んでくるのではと、迂闊うかつな言葉遣いができない。


 あと、意味の分からないことも言っていた。もう勇者じゃないとか。

 勇者じゃなかったら何なんだ。武神の領域に突入したとか、そういう話か?


 誰だって、理解できないものは怖い。判明している一部分が怖いと、尚更怖い。

 その一部というのが、勇者であること、凄まじい暴力をゆうすこと、わたしがどれだけ足掻あがこうと逃れられない死の運命であることならば、それはもう、とびっきりの恐ろしさだ。


 それから、今度は残った理解できない部分が襲い来る。

 もう二度と遭う事もないと思っていたのに、何故こんな辺鄙へんぴな場所にいる。

 何故、一度わたしを逃がした。何故すぐに殺さない。

 何がしたいんだ、こいつ?


 脳内が疑問符で溢れかえる。だから、溢れた疑問が口から漏れてしまった。


「――……何で、わたしを殺そうとしない。何を企んでいる――」


 しまった、と思った。これでは、まるで、殺してくれと言っているようなものではないか。

 ついてでてしまったものは、取り返しがつかない。

 ユウリが、一瞬驚いたようにまぶたをぴくりと動かして、それから考え込むようにあごに手をやった。それで、むしろほがらかにそう言った。


「もしかして、殺して欲しい? ……なんちゃっ――」

「――ふぎゃああああ――ッ?! ごめんなさいごめんなさいもう悪い事しません、魔王軍も辞めましたあっ! だから、命だけはどうか、ご勘弁を――っ!」


 藪蛇やぶへびだった。ああ、どうしてわたしはあんな事を訊いてしまったのか。後悔しても、もう遅い。

 ここで、哀れなエルドラは死んでしまうのだ。そう確信し、涙した。

 勇者にせめてもの慈悲があることを願い、額を地にこすりつける勢いで平伏する。


「ああっ! ごめん、冗談! ジョーク! ちょっとブラックだったかなー? はは!」


 慌てたような、明るく取り繕った声が頭上から聞こえた。

 恐る恐る上を向く。無理やり形作られた笑顔だった。


 作り物の表情に、わたしはむしろ安堵した。その奥に確かな感情の内在を見たからだ。

 わたしを怖がらせないように、偽物をその整った顔に張り付けている。

 ユウリにはそうした一面もある。それが――勇者の一部が判明して、恐ろしい気持ちはほんの少しばかり減った。ほんの少しだ。


「……ひぐっ、本当に、冗談ですか……?」

「本当、本当! 殺すとかありえないから、絶対に」


 ユウリが膝をつき、手を差し伸べる。

 わたしは少しばかり逡巡しゅんじゅんして、今度はその手を取った。


 戦士のものとしてはあり得ざる程、柔らかな手であった。



     ◆



「どう、落ち着いた。エルドラちゃん?」

「はい……ご迷惑をおかけしました……」


 診療所の一階、応接間らしき部屋にいる。

 わたしの恐慌はしばらく続いたので、とりあえずテーブルにはお茶と菓子、それから彼女が作ったのだというサンドイッチが用意された。勇者がずっと傍に張り付いていたから、気が気ではなかったが。


「ううん。こっちこそ、ごめん。冗談きつかったね」


 勇者が目を伏せる。今度は本物の感情らしい。恐らく、嘘がつけない性質なのだろう。

 段々わかることが増えてくると、相対的に恐怖も薄まった(まだ「死ぬほど怖い」が「気を失うほど怖い」に変わったくらいだが)。


「それで、ユウリさんは」

「ユウリ。敬語もいいよ」

「……ユウリ、は、なんでこんな所に? 今のところの勇者の仕事は、王国の守護じゃあないのか」


 自然体で高圧的だぞ、この女。勇者でなければ文句の一つでもつけているところだ。


 少し言葉に詰まりながらたどたどしく訊ねると、ユウリは髪を撫でながら照れくさそうにはにかんだ。


「実は……勇者クビになったんだよね。魔族と戦えないから――ほら、私、エルドラちゃんも逃がしたでしょ。だから、追放されちゃった」


 たはは、と弱々しく笑う。だが、悲壮ひそうは感じなかった。


 勇者でなくなったとは、そういう事か。当然といえば当然である。いくら強かろうが、魔族を殺さないどころか逃がす勇者など足手纏い以外の何物でもない。


「それで王国にはいられなくなって、ぶらぶら旅して、この村についたのが一週間前かな――そしたら、驚いたよ。『あ、エルドラちゃんだ』って思ったら死にかけてたんだもん。だから、私の魔力を分けてあげたの」


 新事実だ。なんでも、わたしを助けたのは勇者らしい。


 魔力欠乏というのは、本来かなり致命的なものだ。

 命を繋ぎとめるために、過剰な魔力を注ぎ込まなければ助かる見込みはない。エルフは魔力総量に優れた種族だが、一介の村医者であるシドーにそれほどの力量があるとは疑わしかった。

 だが、勇者であれば話は別だ。個体差はあるはずだが、エルフよりも更に莫大な魔力を持つと聞く。

 魔力は、生命力と置き換えてもいい。この鬼のように精強な女であれば、わたしを死の淵から救うことなど容易いだろう。


「――いま気づいたけど、私ってエルドラちゃんの命を二回も救ったってこと? うわー、感謝してもいいよ?」


 一回目はお前が殺しかけたんだろう。少しイラついた。いつもの調子――別にいい意味ではない。不機嫌ということだ――が戻ってくる。

 それから、こんな奴に怯えていた自分に腹が立ってくる。

 目の前の少女は、勇者ではなくただの小娘だった。

 やけくそだ。八つ当たりだ。息を吸い込む。


「さっきから言いたかったんだけど」


 恐怖は怒りに塗り替わる。そのままの勢いで言う。


「“ちゃん”はやめろ。なんか、こう……気持ち悪い」


 言ってやった。言ってやったぞ。なんだ、“エルドラちゃん”って。バカにしてるのか。

 目を固く閉じ、身を縮こまらせる。

 特に、衝撃はない。


 ゆっくりと、薄く目を開く。


 ユウリが視線を右往左往させていて、ぎょっとした。


 あの鬼神の如き勇者が、そのまま「え、あ、う」と喃語なんごめいた言葉を発して、うなだれた。



「――……ごめん。可愛いかなと思って……」



 勝った。


 わたしの口撃こうげきは存外に威力を発揮し、勇者の精神に傷を負わせた。

 苛立いらだちが、更に上塗りされて充足感になる。


 あの勇者に、勝った。


 その気持ちでいっぱいになって、だから、恐怖も、常にあった羞恥も、どこかの片隅に行ってしまったようであった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 最新話の8話に感想書いたつもりが7話に書いてた。勇者とエルドラの物語を応援してます。
[一言] エルドラが可哀想過ぎる。最悪な気分になったわ。でもこれが好きな人居るんだよな、複雑。 ほぼ強制的に縛られた現状にいい思いなんか全然しないが、その先にエルドラの幸せはあるのか。展開が気になる所…
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