06 再会
魔族は実力主義だ。力こそが全てであり、力の無い者は嘲りの対象になる。
魔族と一口にいってもその種類は多岐に渡る。
オーガやタイタン――鋼の肉体を持つ奴。
デーモンやエレメント――魔術に精通する奴。
サキュバスやインキュバス――魅了する力がある奴。
生まれついたときから恵まれた能力を持つ奴らがいる一方で、わたしのような奴もいる。
何という名の種族なのかさえ分からない、ただの一般魔族だ。
人間とそう変わらない見た目をしているから、魔族というより亜人種に近いのかもしれない。
物心がつく頃には両親はいなかった。大抵の魔族はそのような出自である。
貧弱な身体に乏しい魔力。わたしは持たざる魔族だった。
だから、必死になって努力した。
鍛錬を積んだ。魔術を学んだ。
生まれ持った才能の壁にぶつかるまで、どんなことにだって挑んだ。
生来の肉体強度の差は覆せないと悟り、身体を鍛えるのをやめた。
魔力の総量が足りず、多くの魔法は行使することすら敵わなかった。
あれも違う。これも違う。ちがう。
できないことを切り捨てて、切り捨てて。やっと残ったものが土魔法であった。
魔法にはいくつか属性がある。
四大元素属性と呼ばれる、最も一般的である火、水、風、土。また光、闇といった特別な才能が必要なもの。
それらから更に派生して、雷、氷、木……体系化されていないものまで含めれば膨大な数になる。
それらの中で、陸の上を生きる者にとって土属性は最も親しみ深い属性である。
魔術の媒体となるのがありふれた大地であるから、初級の魔導士が最初に学ぶ属性でもある。
だが、土属性は魔導士にとって不遇な属性とされている。その理由は、戦闘手段の少なさにある。
防御術、建築術に優れる一方で、直接的な攻撃手段が殆どない。
それぞれの属性魔法の熟達者同士が争ったのなら、初めに斃れるのは土属性の魔導士だとすら言われている。
それが、わたしが四天王最弱と謗られていた由縁である。
土属性魔法を極めて、脆弱なわたしを殻に閉じ込めて、ようやく四天王の座にまで上り詰めた。
それでも、わたしが評価されることはなかった。扱える魔術が土属性だけだからだ。
いくら努力しても越えられない壁が存在して、わたしはいつまでも弱く惨めなエルドラのまま。恥じらい癖とでも呼ぶべき悪癖も、ついに消えることはなかった。
限界に達して、心も擦り切れ、誰かに認められることもないまま死んでいく。
憐れで、恥ずべき魔族であった。
◆
「あ、起きた」
取り囲む顔。視線。わたしを見下ろす無数の目玉。
絶叫した。
「う、うおおおお――ッ! 見るなーっ!」
上体を勢いよく起こし、腕を振り回す。楽しげな悲鳴をあげながら、取り囲んでいた誰かしらが蜘蛛の子を散らすように逃げる。
――死んでない。あのとき、確かに魔力が空っぽになるのを感じた。
魔族にとって、魔力は生命線である。完全に尽きれば、動くこともままならずに死ぬ。
だから、わたしはひどく困惑した。
少しばかり落ち着いて辺りを見ると、屋内であった。わたしが作るものとは違い、木材で建てられている。
寝ていたのは地面ではなくてベッドのようで、清潔な白のシーツがかかっている。
遠巻きにわたしを囲っているのは、エルフの少年少女たちだ。
その中に、短髪の中性的な子供――わたしが死にかけた原因がいた。
赤くなっているであろう顔を腕で覆いつつ、できるだけ凄んでみせた。
「おい、ガキ。ここはどこだ。わたしに何をしたっ!」
「こ、ここは私たちの村だよ。急にお姉ちゃんが倒れちゃったから……助けなきゃと思って、大人の人に運んでもらって……」
困ったように眉尻を下げながら言う。消え入る様に、声が段々細くなっていく。興味深そうにこちらを見る他の子供と違い、そいつは少し深刻そうな顔をしていた。
そこで、魔力が完全に――むしろ過剰と言えるほど回復していることに気づいた。
「読めたぞ。看病して恩に着せて、何か企んでるだろう! なんだ、金か?! 言っておくが、わたしは何も持ってないぞっ。仕事、辞めたからな!」
そうに違いない。無条件で他人に――特に、わたしに優しくする奴などいない。何を要求されるかもわからない。早々に立ち去ろうとベッドから立ち上がった。
「違うよ、そんなことない!」
「そうですよ。それは誤解です、勇者様」
悲痛な短髪の叫びに続いて、落ち着いた男の声が聞こえた。
いや、そんなことはどうだっていい。それより、何と言った。今、確かに、勇者と、
「――ふぎゃあああ――っ?! 勇者?! どこっ? どこにいる?!」
再び絶叫。恐慌状態。
部屋の隅にまで跳んで後ずさり、恐ろしい勇者の姿を捉えようと視線を四方八方泳がせる。
しかし、見つからない。いるのは子供たちと、たった今部屋に入ってきたであろう男だけだ。
「はは。落ち着いてください。勇者とはあなたのことですよ」
柔和な笑みを浮かべる、丸眼鏡をかけた長身の男。尖った耳がその種族を主張している。
落ち着いた雰囲気とは裏腹に若く――いや、本当に若いかは分からない。遍く亜人種の中でもエルフは飛びぬけて長寿であるから、実際の年齢は不明だ。外見は、三十にもならない程度とだけ言っておく。
勇者が部屋にいないことを確認してから、息を整える。
「――ハァ、ハッ。勇者? わたしが? 意味分からんことを言うな」
「いいえ、あなたこそが勇者です」
トンチキな事を言う。勇者とは、異世界から召還された戦士を指す言葉だ。魔族であるわたしが、そうな訳がないだろう。
もしかして頭がいかれた奴なのかと、警戒する。
「ああ、もちろん、転移勇者のことではありません。モニカから聞きましたよ。あなたが身を挺して、命の危険も厭わずに彼女を救ったのだと……真に勇ある御人! あなたこそが、本物の勇者です!」
モニカ、というのはあの短髪の子供のことなのだろう。
だが、かなり誤解があるようだ。
「おい。勘違いしてるみたいだから言うけど、そいつを助けた覚えなんかないぞ。わたしは巻き込まれたから火の粉を払っただけだ」
「おおっ、なんて謙虚なお方なんだ。これが、勇者の器……っ!」
おちょくられているのか?
知的な見た目ではあるのに、むしろ話が通じない。感極まったように、両手指を胸の前で組んでいる。
できるだけ関わりを持ちたくない種別の男であった。
「勇者様が、魔力切れで今にも死んでしまいそうだと、この診療所に運ばれましてね――ああ、申し遅れました。この村唯一の医師、シドーといいます。それで、みんなで二週間つきっきりで看病しまして……子供たちもずっと心配していたんですよ? 空になった魔力を取り戻すのは容易ではありませんからねえ」
好き勝手にべらべらとしゃべり続ける、シドーと名乗る男。未だに子供たちはわたしの顔をまじまじと見つめてくる。どちらも、もうやめて欲しい。
というか二週間も寝ていたのか。死に瀕していた実感がじわじわやってきて、肝が冷えた。
「それで是非、モニカを救っていただいたお礼がしたいと――」
「あの! お姉ちゃん、ごめんなさいっ!」
シドーの言葉を遮って、モニカが駆け寄ってきた。
「私のせいで、お姉ちゃんが死んじゃうかもって……お礼も言えてないのに……! 本当に、ごめんなさい――それから、ありがとう!」
無理やりわたしの手を取って、握りこんできた。体温が伝わる。
不思議とむずがゆい気持ちになった。礼を言われたのは、本当に久方ぶりかもしれない。
少しの間呆けた後に、モニカとしっかり目が合っていることに気が付いて、手を振りほどいた。
「もういい、十分だろ! わたしはもう行くぞ。静かなところに行きたいんだ」
「それにっ! あの、岩の巨人さん、すっっっ……ごくっ! かっこよかったっ!」
「おい、なんて言った?」
「え?」
「今なんて言ったんだ?」
「いや、あの巨人さんが、すごくかっこよかったって――」
「だろう!? 見る目があるぞ、お前っ!」
モニカの肩を掴んで揺さぶる。
「そう、そうなんだよ。わたしが作るゴーレムは最高なんだ。硬質で無骨な形状の中に潜ませた繊細さ。直線、かと思いきや流線。鋭角と丸の絶妙な調和、融合。あのデカい体には浪漫が詰まっているんだ。わたし以外の誰一人として作れやしないんだよっ!」
多くを持たないわたしが持つ、ただ一つの誇りだ。そう伝えたかった。
何故だかモニカも他の子供たちも怯えているように見えるけど、どうでもよかった。
シドーだけは自分の調子を保ったまま言う。
「ああ、私も森まで行って見ましたが、あれは素晴らしい。一朝一夕で身につく技術ではありませんね……流石、勇者様だ」
おいおいおいおい。お前、話わかるじゃあないか、シドー。見直した。
なんだか気分も良くなってくる。
「それで、勇者様のために是非とも宴の席を開かせていただきたいのですが……」
宴。そういうのもたまには悪くない。
「へえ、いい心掛けじゃあないか」
「喜んでいただけると思ってました。いつ目覚めても大丈夫なように準備だけはしてあるんです。おなかも空いているでしょうし、すぐに始めましょう!」
そういえば、二週間も寝ていたのだ。言われてみれば、かなりの空腹だ。
窓を見ると、薄暮であった。
ここは二階のようで、村の様子がよく伺える。切り拓かれた森の中にある。日も沈みかけているというのに活気があり、そこかしこに人がいた。
窓から見えるすぐ手前に広場があり、その中央には大きな篝火が鎮座している。それを囲むように大勢が集まり、既に宴の様相を呈していた。
別に勇者でもなんでもないが、わざわざ礼を拒むこともないだろう。
「ところで、勇者様のお名前は?」
「ああ、エルドラ――」
口を滑らせた。魔族は基本的に、魔族以外のすべてと敵対している。ここで四天王のエルドラだとばれれば、面倒なことになる。
一瞬そう思ったが、それは杞憂だったようで「エルドラ様ですね」とだけ言われて流された。
それもそうか。不滅のエルドラはゴーレムとしてその名が知られている。いまのわたしに結びつくはずもない。
シドーとモニカたちに連れられ、診療所を出る。それから声を張り上げた。
「みんなー! 勇者、エルドラ様が目を覚まされたぞおっ!」
わっ、と広場が喝采に包まれる。
エルフと関わったことが無かったから知らなかったが、意外と活発で社交的な種族なのかもしれない。わたしとは正反対だ。
歓声の中を歩む。少し照れくさいような気もする。
そこで、ふと気づく。
わたしの視線の奥。篝火の近くだ。エルフではない誰かがいる。丸っこい耳であったから、そうだと思った。
こちらに背を向けるように立っていて、その顔は窺えない。
でも、なんだか見覚えがあった。
いや、そのようなはずはない。そうであるはずがないのだ。
だって、ここは人族領ではないし、この場にいる理由もない。
冷や汗が噴き出る。だらだらと、滝のように流れ落ちる。
エルフはその多くが金色の髪をもつ。
その中で一人だけ、腰の高さまである濡羽色の艶やかな髪をたなびかせている。
装いも、エルフのような布の服ではなく、簡素な革鎧を纏っている。
違う。ちがう。絶対にあいつではない。
「――エルドラ?」
なぜか、遠く離れているはずのそいつの声が、はっきり聞こえた気がする。
振り向く。
あの顔だ。
こちらに近づいてくる。なんで。なんで
「ああ、起きたんだ。よかったー」
なんでもないようにそう言う。
わたしよりも頭ひとつ分だけ背が高いから、見上げるかたちになる。
息ができなくなって、魚みたいに口をぱくぱくさせてしまう。
ようやく言葉をひねりだす。
「――ゆ」
「ゆ?」
「勇者だああああああ――――っ?!」
そのまま意識を失う。二週間ぶり、二度目の気絶であった。