05 ガールミーツオーク
森。森は良い。
小鳥が唄い、緑が茂り、なにより豊かな土壌がある。
こういった土からは強靭なゴーレムができる。魔力が戻った暁には、とびきりカッコいいやつを作ろうと決心する。
ひろった枝を振りながら、つまずかないように歩く。さながら、気分は探検家だった。鼻歌だって自然とでてくる。
魔王軍にいた頃は働きづめだったし、こうやって気楽に散策することもなかった。ずっと使い走りみたいな扱いだったし、ほとんど休みなんてなかったし、最弱だったし……――
ぶんぶんと頭を振って余計な考えを追い出す。未だに過去の記憶がふとしたときに浮かんで、心を蝕むことがある。
今のわたしに必要なのは、精神の療養だ。つまりスローライフだ。
ダメな思考を片隅に押しやって、良い事を夢想する。
まず、二階建てがいい。平屋は少し味気ない。三階建ては一人暮らしの手に余る。うん、二階建てが一番ちょうどいい。窓から河とか湖とかが覗けると尚更いい。
庭だって欲しい。このくらい辺鄙な場所に家を建てたら、森全部が庭になっちゃうような気もするけど、やっぱり柵やら塀やらで囲んだらきっと所有感がでて気持ちもいいだろう。
畑なんかもつくって、ゴーレムたちと一緒に土いじりして過ごすんだ……うん、かなりいい感じだ。
そんな事を考えている瞬間だった。
「――れかっ、誰か! 助けてッ!――」
つんざくような悲鳴。甲高い絶叫。
木にとまっていた鳥たちが一斉に飛び立つ。ついでに、わたしも驚いて木の根っこにつんのめる。一体全体なんだ。騒々しい。
少々気分を害されながらも、声の方向に目をやる。
姿は見えないが茂みの揺れる音がする。がさり、ガサガサ。徐々に近づいて来ている。
警戒していると、草木をかき分けて誰かが飛び出してきた。
人間の、いやエルフだ。尖った耳に、ただ布を巻いたのと大して相違ない簡素な民族衣装。そういう特徴がある。エルフの子供であった。
わたしの姿を見るやいなや、力尽きたように両手を地面についた。
その子供を見てまず感じたのは、落胆であった。
「……いるじゃん、森の住民」
とりあえず、森で一人ひっそりと暮らす計画は、破綻した。短い夢だった。
エルフが単独で暮らすことは、まずない。大体が村や集落を形成している。だからきっと、この静かな森のどこかにもそういったものがあるのだろう。ひどく、がっかりだ。
肩を落とすわたしに、その子供――少年か少女か、短髪の中性的な見た目からは推し量れない――は特段それを気にする様子もなく肩で息をしながら言った。
「ぜェ、たす、たすけてっ。助けてください。追われてて……!」
「追われてるぅ?」
不機嫌を隠さずに言葉を繰り返す。
確かに、まだ何かの気配が森の中から続いている。ずん、ずん、と地鳴りのような音が響いている。
エルフの子供が、それに怯えてわたしの後ろに這って回った。いたく迷惑である。
そいつはパキパキと枝を折りながら姿を現した。
オークだ。
二足で歩く豚頭の巨人。苔むしたような色のその体躯は、わたしの背丈の倍はある。腕はそこらの木の幹よりも太い。
知性はあるが、種全体の傾向として、短絡的で凶暴。そして、人やエルフを喰う。
「――オお? なンだ、ガキが増えやがっタ」
誰がガキだ。四天王(元)だぞ。
だが、まあ、状況はわかった。
オークがエルフを喰おうと追って、エルフがオークに喰われまいと逃げる。
うん、自然の摂理だな。
わたしには、まったく関係のないことだ。本格的に巻き込まれる前に、さっさと立ち去ろう。
そう考えて、こいつらを無視して歩き出そうとしたとき、その心中を察してか、エルフの子供がローブのすそを掴んだ。
見ると、潤んだ瞳でこちらを見上げている。鬱陶しいな、と思った。
ため息を一つ吐き、オークに向き合う。
「ああ、ちょっと。わたしはこの森の隅っこで、ひっそりと暮らすつもりなんだ。だから、こういうことは見えないところでやってくれないか? 喰った喰われたを目の前でやられると、気分が悪い」
本心だ。そのように感じている。
オークは少しの沈黙の後、愉快そうに吹き出した。
「がッはははハッ! おもシろいガキだ。お前もまとめて喰ってヤるに決まッてルだろう!」
やはり知能は低いようで、彼我の実力差もわからないらしい。最弱とはいえ、腐っても四天王だからな、このやろー。
というか、さっきからガキ、ガキ、ってなんだ。今までそんなことは一度も言われたこと……――あ、エルドラーンに乗ってない――
そこでようやく、自分がずっと素顔を晒していたことに気が付いた。
――――恥ずかしい。惨めだ。見ないで。
ぐるぐる目が回りだして、オークを見上げていた視線をばっ、と地面に向ける。
顔がどんどん熱くなって、それが情けなくって、もっと恥ずかしくなる。
「……くっ、ガはははハッ! どうした、怖気づいタか!?」
なにやら勘違いしたようで、高笑いしている。
オークなんぞ一切怖くない。勇者のほうが千倍は怖い。だけど今は、それよりも恥ずかしさが勝った。
ゴーレムの生成術と操作術。わたしはそれ以外の何も持たない。
だから、このみすぼらしい容姿、弱々しい身体、全部惨めだ。
ローブのすそが引かれ、エルフの子供が心配そうに声をあげた。
「お、お姉ちゃん。もう、逃げようよ……っ!」
お前が巻き込んできたんだろうが。だが、その意見には賛成だ。
エルドラーンに乗っていないわたし自身の戦闘力は皆無に等しい。
ゴーレムがなければ、わたしは何もできないのだ。
オークが近づいてくる。遊んでいるつもりなのか、わざとらしくゆっくりと歩いている。
立ち上がったエルフの子供に引っ張られ、つられて走り出す。
よろめきながら駆ける。オークが追う。
その一歩一歩が大地を揺らし、その間隔が段々と早まる。
少しの休憩をはさんで一度は呼吸を整えたエルフの子供も、再び肺が圧迫されて苦しそうにしている。
追いかけっこは振り出しに戻った形になった。
違う点は、わたしがいること。
それと、わたしの羞恥の心が段々と怒りに塗り変わってきたことだ。
たかがオークから、このわたしが逃げている。
魔力が足りてないから。エルドラーンに乗ってないから……わたしが弱いから。
言い訳は湧いて出てくるけど、この苛つきを抑え込むに足る理由にはならなかった。
『――奴は四天王の中でも最弱……人間の勇者に敗れるなど、魔族の面汚しよ――』
……嫌なことを思い出してしまう。
かつての仲間の声が、頭蓋の内を反響する。
イラつく。ムカつく。わたしを、
「――わたしを! 馬鹿にするなあ――ッ!」
立ち止まり、振り返り……足裏で思い切り地面を踏みつける。魔術が奔る。
わたしの足元の地面が抉れるように消え、その代わりにオークが駆ける先の道に、その膝まで届く土柱がいくつも現出する。
「なッ……――!」
オークは急に止まれない。柱は文字通り足元をすくい、疾走の速度そのままで豚頭を地面に激突させた。轟音をたてながら森の大地を削る。
群生する樹木の、その根と土を抉り続け、やがて止まった。
「ざまあみろっ! アホ!」
その醜態を拝む。
オークはぱらぱらと破片をまき散らしながら、怒りと痛みが混ざった表情でこちらを見た。
「こ、コのガキ……! ブち殺してヤる……ッ!」
「やってみろ豚ヤロー。先にぶちのめしてやるわ!」
こっちも、怒りと恥ずかしさで冷静さを欠いているのがわかった。わかったところで冷静になれるわけでもない。
「お、お姉ちゃん?」とエルフが困惑気味にこちらを覗いている。
恥ずかしいから見るな――いや、やっぱりよく見ておけ、ガキ。これが四天王の実力だ。
なけなしの魔力を振り絞って、わたしの唯一の自慢を披露する。
「――【軋め義骸。廻れ歯車。木偶に命を】――……あいつを、ブッ飛ばせっ!」
詠唱。そして命令。手のひらを地面に。大地から、望む形を掘り起こす想像。
天変地異じみた揺れが起きる。誰もが状況を理解できていない様子で当惑している。
目に見える異変はすぐに生じた。
地面の内から、岩の腕が割って出る。わたしの十八番、魔動機の生成術である。
わたしの背丈の倍はあるオークの、そのまた倍の大きさ。甲冑の武者の姿。それが立ち上がり、オークがその影に隠れる。
そこでようやく誰に喧嘩を売ったか理解できたようで、緑色の顔がみるみるうちに青白くなっていく。
「……マ、待ってくレ! 謝ル! 謝るカら――」
「後悔しても、もう遅い! 嫌なこと思い出させやがって――っ!」
自分でも若干理不尽だな、と思った。
ゴーレムは動ける限り、与えられた命令を必ず遂行する。
右の拳を後ろまで目いっぱい引く、大げさで緩慢な動作。のろく見えるのは、でかい図体から相対的にそう見えるだけで、実際の速度は熟練の格闘家のそれ以上である。
そして、引いた拳を突き出す動作は、更にそれ以上の――
炸裂音。骨が砕けたか、肉が爆ぜたか、そのような音だ。
顔面に岩の拳が突き刺さり、一直線に吹き飛ぶ。
木を一本、二本……合計九本へし折って、その向こう側にあった河に勢いよく突っ込む。
激しく水しぶきが跳ねた。
そのまま死んだ魚のようにプカリと浮かんで、流れに沿って漂っていく。
「――は、フハハっ! どうだ、思い知ったか! このエルドラ様をなめるから、そんな目に……――」
ふらり、足がもつれる。貧血にも似た、でもそれよりも致命的な何か。この感覚は知っている――
(あ、魔力欠乏症……――)
先の魔術で、魔力が底をついたのだ。
既に限界に近かったところに、魔導機生成の大技。こうなることはわかっていた。だけど、やるしかなかったのだ、仕方ない。
意識が薄れていく。このままだと、もしかすると死ぬかもしれない。最低限の魔力すら無くした魔族は、絶命の淵にいるといってもいい。
身体が重力に従って倒れる。それがやけにゆっくり感じられた。
どさり。倒れて、甲高い子供の悲鳴が聞こえて、そこで意識が途絶えた。