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06 令嬢


「――わ、っ……! 見て、エルドラ! あれ!」


 超高速の飛翔の最中(さなか)、大地よりも雲に近しい天空にあっても、旅はあり得ないほどに快適だった。

 サリーと呼ばれた飛竜(ワイバーン)の背に(しつら)えられた居室は、文字通り吹けば飛ぶような風体に反してひどく頑丈である。


 サリーが背負う格子状の木枠の、その周囲を厚手の布で囲ったテントめいた空間。

 先ほどロベルタが「サリマでも選りすぐりの職人が風魔法を編み込んだ、空気の反発を防ぐ特殊素材で〜」だとか長々と語り始めたので半分で聞き流したが、この快適は賞賛に値する。

 風切りの音がかすかに聞こえる程度で、それ以外は地上に建つ家屋となんら変わりはない。


 木枠にはめ込まれた窓に張り付きながら、ユウリは子どものようにはしゃいでみせた。

「ほら、星みたい! ふふ、私達のほうが空にいるのに」

「……ああ、そうだな」


 寄って覗いてみれば、眼下を埋め尽くす()が見える。


 サリマ神聖皇国。

 連なった険しい山々に囲まれた要害の地。

 信仰の自由が担保された、宗教国家としては珍しい国家形態であり、教皇の住まいでもある国土中央にそびえる大聖堂では『あらゆる神を祀る』というやりたい放題な名目が掲げられている。山岳地帯を越え陸路にてサリマへと到達することは、どの宗派の巡礼者にとっても修行の意味も持つのだとか。


 そして、自然に阻まれることにより限られた国交が独自の文化発展を導いた神秘の国でもあり、秀でた芸術に溢れ、その芸術性は街並みの美しさにも表れている、らしい。


 そいういった特性は知識としてのみ有していたが、やはり、知というのは見て触れてはじめて完成するものだ。


 とっくに日も暮れた頃である。

 大教会を中心に広がるサリマの都市部は、暖色のガス灯が群れをなして宵闇を散らす、橙の星々の海のようだった。

 無数の光が白煉瓦の街の活気を照らし、この高さからでも賑やかさが見て取るようにわかる。


 大通りに並ぶ、露天商の鮮やかな天幕の列。その幅広い通りをすれ違う馬車たち。純白の建築の間を縫うように敷かれた用水路を流れる豪奢なゴンドラ。

 それぞれが小さないとなみであっても、遠く眺めれば、ひとつに纏まった巨大な生命の息遣いのようでもある。

 このまま夜を明かしてしまうまで誰も眠りはしないのではないか、と錯覚するだけの巨獣の熱がそこにはあった。


「……すごいな」

「そうでしょう?! わが国の栄華は、他国より訪ねてくる客人はもちろん、長く住み慣れたサリマの民でもなお輝かしく目に映る――」

「うるせえよ、黙ってろバカ!」

「え、ひどい!!」


 なにが『わが国』だ。お前のじゃないだろう。

 抗議の視線を向けるロベルタをほうって、再び街並みに目を配る。


 しかし、ロベルタに調子づかせると鬱陶しいので黙っておくが、サリマは予想通り――あるいは予想を超えて――記念日を過ごすに相応しい土地であるように見える。


 ここでなら、きっとわたしの……そしてユウリの満足のいく一日を過ごせるだろう。


 自宅を発ってから三日が経過していた。予定よりも一日早く到着するかたちとなり、明後日。それが決行の日である。

 完璧なプランは練ってある。あとは、一生記憶に刻まれるような最高の"結婚一ヶ月記念日"をユウリに叩きつけてやるだけだ。


「覚悟しておけ」と、心の中でほくそ笑んでいると、ユウリがこちらに振り向く。


「……なんかソワソワしてるね、エルドラ」

「ん?! い、いや別に、そうでもないが」

「ふふ、こうやって一緒に旅行? するのって初めてだもんね。楽しみなんでしょ」


 勘が鋭いのだか鈍いんだか、へにゃっとした緩い表情で言う。

 あくまでこれは"さぷらいず"だ。気取られるようなことがあってはならない。


 咳払いして平静を取り繕い、気を逸らすようロベルタに声をかける。

「なあ、あとどれくらいで着くんだ?」

「もうじきですよ。ほら」


 ロベルタが窓を指差し、それに釣られて見れば、少し視線を外したあいだにサリマの都市は目と鼻の先にまで(せま)っている。

 もはや大聖堂ほどの巨大建築であれば、その巧みで細やかな意匠までくっきりと鮮明に視認できる距離だ。


「ほら、見えますか? あそこが私の家です」


 伸ばした指の先を追うも、そこにあるのは大聖堂とそれを取り巻く建築の群れである。よほど目立つ邸宅でもなければ判別つかない。


「んん、わかりませんか? アレですよ、白くて角ばってて、いっぱい柱がくっついているヤツです」

「……いや、悪い。まだよく見えないな」

「そうですか? まあ、もう降りるので問題ありませんが」


 サリーは徐々にその高度を落としていく。


「……なあ、少し航路を変えたほうがいいんじゃないか」

「え、なぜです?」

「だって、ほら……まずいだろ、あんまり近寄りすぎると」


 この飛龍(ワイバーン)がサリマでどのような扱いを受けているかは知らないが、こうも見るからに凶暴なペットを()()()(そば)を飛ばせるのは、何かしら問題が起こり得るだろう。

 しかし、ロベルタはそのまま直線の軌道で飛行を続けさせる。


「……おい。どこに降りるつもりだ」

「あっ、もう流石に見えますよね。竜舎に停めるとそこから歩く羽目になって手間なので、もう直接回廊に降りてしまおうかと」


 翼を打つ速度が徐々に緩やかになっていくが、迫る地上にサリーが着陸できるような広い地面はない。ただ一点を除いて。

 回廊、といったか。緑の絨毯が敷かれた自然的な中庭がある。四方を通路に囲まれたそこは――


「い、いや、駄目だろ。そこに降りたら」


 あり得ない。

 わたしの呻き声を無視して、ずどん、という鈍い振動音とともに巨大な飛竜は降り立った。


「さて、着きましたよお二人とも!! お婆ちゃんに会ってもらう……よりも、客人をもてなすのが先ですかね」


 はにかむロベルタに対し、わたしは反応を返せない。

 もしかすると、わたしは取り返しのつかない取引をしてしまったのかもしれない。


「いや、ここ……大聖堂」


 教皇が座す信仰と行政の心臓。

 ロベルタが「私の家」と言い放ったここは、サリマ神聖皇国最高権力者が住まう邸宅である。

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