31 国王と有象無象の敗者
偶然は必然に変わった。
召喚術は不確定要素の多い魔術だ。現れる者がどういった奴なのかが予測できない。英雄か、それとも極悪人か、はたまた人ですらない怪物である可能性まであった。そのため、禁忌の術として忌避されてきた。
その術式が己の代で解明されたことは神からの祝福としか思えなかった。
「それで……此度の召喚が何人目だったか」
王城の広間である。
玉座からは見下ろす景色にはかしずく臣下のみが映り、先刻喚びだした勇者たちの姿はない。新たな世界に興味津々の彼らは、勧めるまでもなく街に駆りだす。
勇者たちには邪悪凶悪の魔の手先を滅ぼすという崇高な使命と、贅沢な――あくまで下々にとっては――暮らし、それから城下で多少の無理を通せるだけの権限を与えている。
突然に恩寵を授かった興奮の所為か、彼らはそれだけで十分に働いてくれた。その程度の対価で魔族領侵攻の軍事力も諸外国への抑止力も十分に賄える。体のいい労働力であり、扱いやすい人間兵器である。
「は。先の召喚で丁度、九十二を……不穏分子を除けば九十一でございます」
「不穏分子――? ……ああ、あの役立たずの」
もはや名すら覚えてはいない。魔物を討てぬ臆病者の勇者。王命に背く反逆者であった。
勇者としての力を持ちながら国に仇なす可能性のある者の末路は当然――
「その討伐隊を出立させていたな。報告はまだか」
「は。掴んだ所在もそう遠くはありませんので、じきに早馬の伝令があるかと」
討伐隊には五十を越える勇者が投入された。過剰ともいえる戦力は、見せしめのためでもある。反乱分子はこのように死ぬのだ、と。
万事順調。
「く、ふふ」
機運が高まっているのは誰の目から見ても明らかだった。
「ふふ、はははははっ。ああ愉快だ」
ただの一人で一個小隊に匹敵する勇者を、このオーレリア王国だけが無尽蔵に輩出できる。
歴代最強を謳われる現魔王すらも敵ではない。この大陸全土を支配するだけの力を手に入れたと言っても過言ではなかった。
臣下たちの誰もが、さらなる発展の展望に口端を吊り上げている。
「――陛下、御耳に入れておきたい事が」
その和やかな空気に割って入る者がいた。甲冑の兵卒、城内警護の騎士である。
「城内へ侵入しようとしていた輩を捕らえたのですが……ただ、その……処遇を決めかねておりまして、何でも、陛下への謁見を望んでいるそうなのですが」
「何だ、歯切れの悪い――連れてくればよかろう」
若干の苛立ちを感じつつ応える。しかし、
「幸運な奴め。わしはいま気分が良い。忍び込んだ理由如何によっては、不問に処す」
この先に待つ栄光を想えば、全てが些事であった。
後ろ手で縛られ、騎士二人に挟まれるかたちで連れられたのは、十二・三程度の少年である。玉座の御前まで進まされた少年は、騎士の一人に背を蹴られ、したたかに額を床へ打ち付けた。
「寛大な陛下に感謝するんだな、小僧」
本来であれば、城に潜り込んだネズミは即刻処刑されたとしてもおかしくはない。そうならなかったのは、ひとえに侵入者が「殺すには忍びない」と思わせるだけの年齢と恰好をしていたからだ、と合点がいった。
決して貧相な姿ではない。城下に暮らす平民としては一般的な服装で、年齢に見合うだけの肉付きをしている。しかし衣服の端々は擦り切れている上に泥に塗れ、並々ならぬ不幸の跡を感じさせた。
「……王さま」
頭を地面にこすりつけながら、睨むようにこちらを見上げる。
「貴様は謁見を望んでいたのだったな。どれ、話してみよ」
瞳に映る怒りの炎も、当然些事だ。
「勇者を……勇者を罰してください……!」
痛みからか、呻くように言う。
「ぼ、僕の父が営む店は、勇者に因縁をつけられて潰されました……父だけじゃない、勇者共の横暴に苦しむ人は大勢いる……あんなよそ者に、暮らしを滅茶苦茶にされて」
「なんだ、そのような事か」
連日の謁見の申し出も、恐らくは勇者についてだろう、と心の中でうなずく。
「ど、どうして、民の声を聞き入れてくれないのですか。みんな、王さまに助けを求めて――」
「そのような些細なこと、どうでもよい」
驚いたように目を見開く少年に、穏やかに目を細めて言う。
「勇者たちにも……息抜きは必要であろう? 日々の戦いの疲労は、休息をとっただけでは癒えないものだ。その精神の疲れのはけ口が……偶然、貴様の父だっただけだ」
「……そんな」
「勇者どもには無理を押してもらわねば困る。魔王も、隣国も、脅威となるものは山ほどあるのだからな。その全てを排するまで……多少の犠牲は必要なのだよ……この答えで、満足したかね?」
王国が、この大陸を支配するその時まで、鍵となる勇者の士気を維持することが何よりも優先されるべきであった。民草の声など知ったことではない。
臣下たちの中には笑いを堪え切れていない者までいる。これが現実である。栄光の陰には、逃れようのない不幸が存在する。哀れな小僧だ。
「連れていけ」と短く命じると、少年は騎士の脇に抱えられて連れられて行く。去り際の、悔しさに唇を嚙みしめる様は、先の苛立ちを払拭して余りある愉快を与えてくれた。
「――っ伝令! 伝令です!」
それと入れ替わりに空気を裂く稲妻めいた叫びが奔る。
余程急いだのか、息も切れ切れの伝令の男からは玉のような汗が滴り、蒼白な顔面をしている。
再び愉悦に水を差され、不機嫌を隠さずに言う。
「なんだ……騒々しい」
「へ、陛下……反逆者、ユウリの討伐隊が帰還しました――」
「……そのような事でいちいち声を荒らげるな。聞かずとも結果は知れておるわ」
もはや大陸随一の軍事国家となった王国において、国に仇なす可能性のある者の末路は当然――
「と、討伐は失敗……隊は、重傷者多数で……か、壊滅状態であります」
「………………?」
瞬間、時間が凍結したかのような錯覚に見舞われた。言葉の意味を飲み込めず、誰もが笑顔のまま固まっている。
「……何だと?」
広間はにわかに静寂へと変じ、己のつぶやきがいやに響く。
「……いや、もう一度申せ」
まず疑うのは、聞き間違い。それから誤報である可能性。どう考えようが、その二つ以外はあり得ない。
「ゆ、勇者ユウリの討伐には至らず……逆に、返り討ちに」
「そんなはずがあるかっ! 馬鹿も休み休み言え!」
……そのような事が起こりうるはずがない。それぞれ一騎当千の勇者が五十以上いて、ただの一人に敗北など道理に合わない。
明らかな誤報。しかし伝令の必死の形相が、ただの間違いと断じることをためらわせた。
「……あり得ぬ。何が……何が起きたのだ? たった一人ぽっちの、勇者を相手に――」
「ち、違うんです」
伝令の男は、恐怖に唇を震わせるよう呟く。
「戦ったのは勇者じゃあない……あ、あのゴーレム……あれは、“不滅”の……」
混乱に惑う脳内は、次の言葉で完全に思考を停止させた。
「ま、魔王軍四天王……――“不滅”のエルドラです……!」
◆
「――えへ」
「……ユウリ、お前……ちょっと気持ち悪いぞ」
昨晩からいまに至るまで、ユウリは指輪のはめられた左手を掲げては間抜けなにやけ面を晒している。指輪のひとつで機嫌が取れるのだから、かなり単純な生きものである。
「えぇ~」と、抗議のつもりか膨らませた頬も、緩みきった口元のせいで一切の説得力を持たない。
アホ魔王から受けた傷も癒えてやっと帰ってこられた自宅だ。ソファに腰を下ろし、ため息を吐いた。……いや、そう落ち着いてもいられないのだ。
(王国のクソ勇者どもが……次いつやってくるかも分からない)
大規模の襲撃を一度は退けたのだ。そうそう二度目が来るとは思えない、が、ただで勇者どもが引き下がるとも思っちゃいない。
わたしには、ここら一帯を守護する義務がある。
村は領地で、村人は領民で、……わたしの城が、あと伴侶もいるのだから、当然のことだ。
「ね、エルドラ。やっぱりさ、結婚式なんかも挙げる……? 一生に一度だけだし……」
(こちらから討って出るか。王国なんて滅ぼしてしまえば……わたしの魔力量では辛いな。勇者相手に出し惜しみはできない。先にこっちの持久が尽きる)
「…………あれ? エルドラ?」
(いつものように、ゴーレム兵で周囲を要塞化して……確実じゃあない。前回だって辛勝だった)
「……おーい」
深く思案を巡らせても画期的な案は浮かばない。
……ユウリの居場所は向こうにバレているんだ。そもそも、この場にとどまる選択自体が誤り。全てを危険にさらすだけでしかない。
しかし、元四天王としてのプライドがある。居を捨てて敗走など――違うな。
(ただ……この土地に愛着が湧いただけだろうな)
「ちょっと!」
ユウリを……それからついでにエルフたちを連れて逃げるのは、それこそ本当に最終手段として取っておきたい。わたしはここを離れたくはない。
しかし、外敵に怯えながらなんて理想のスローライフとは程遠い――
「――エルドラっ!」
「っな、何?! なんだ?!」
謎の爆音で思考が一気に引き上げられ、ソファから飛び跳ねそうになる。俯いていた視線を上げると、こちらをのぞき込むユウリの姿があった。
「大丈夫? ずっと上の空だったけど……」
「あ、ああ。なんでもない」
「もうっ、大事な話なんだから……それで、挙式はいつにしよっか」
言うほど大事な話でもないような気もする。
「なあ……そういう、どうだっていいことは後にしてくれ。考え事があるんだ」
「む」
返事が不満だったか、ユウリは眉を少し吊り上げて真剣な表情をつくってみせようとした。まだ微妙ににやけてはいる。
「どうでもよくはないよ! だって……人生の一大イベントだよ、結婚なんて? それを、なあなあで流すのは駄目だって」
「ああ? ただ指輪をつけて……『ずっと一緒にいます~』って誓うだけだろ」
「『だけ』……? ……ふ、エルドラは何も分かってない」
……面倒な方向に進みつつあるが、こうなるともう最後まで付き合うしかない。早く話を切り上げるためにも、一度ユウリの言い分を聞き届ける必要があるらしかった。
「その『だけ』に、どれだけ深い意味があるかを……! そもそも、こ、交際だとか、そういう手順をすっ飛ばしてるんだから、もっとちゃんとしないと……」
「…………?」
ただ、そこで純粋な疑問が浮かんだので、口を挟んでみることにする。
「なあ、そういう手順ってなんだ」
「えっ」
「結婚するのに指輪以外に用意するものでもあったか?」
正直なところ、わたしは人間の文化に多少疎い。何か見落としがあった可能性を否定できなかった。
「いや、その……たとえば、手をつないでおでかけしてみる……とか?」
「それは……もうやっただろ」
何故か逆に疑問文で訊ねられる。かつて、まだわたしが村への脅威とみなされていたころ、手を塞いで拘束するのはユウリの役目だった。
「じ、じゃあ……キ…………キス……とか」
「……それも済んだ」
不本意ながら。
「あ……そっか」
「……何も問題ないんじゃないか?」
ユウリは混乱するように視線を右往左往させた後、「そ、そうかも」と呟いたきり黙ってしまった。なんなんだ。
「……ふっ、ふふ」
それが自らの口から零れた笑みだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
……ユウリは間の抜けたやつだ。わたしがいないとどうしようもない奴なのだ。
ただ、多少なりともわたしもこいつに救われている部分があるのも否定しようがない。
クソ勇者どもも、大した問題じゃあない。ユウリとわたし、二人でなら、別にどうってことは――
「……そういえば、あったな。魔力不足の解消手段」
「……えっ」




